軍によるクーデターから2年がたつ今も、軍と武器をとった民主派の抵抗勢力との戦闘が続くミャンマー。
「住民を守るどころか、大変な目に遭わせてしまって申し訳ない」
軍の攻撃から住民を守るために、銃を手に抵抗勢力に加わった男性の言葉です。戦闘が激化した結果、ふるさとの村から住民が避難せざるを得ない状況に追い込まれてしまったことに心を痛めています。
※現地の実態を伝えるため、記事中に遺体の写真を含みます。
(広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎)
・長引く戦闘で町が廃墟に
軍と抵抗勢力の戦闘は、国境地域で特に激しくなっています。ミャンマー北西部、インドと国境を接するチン州では、戦闘が長期化した結果、1つの町だけで、民家など1200軒以上の建物が焼け落ちました。抵抗勢力だけでなく、町そのものが軍の攻撃の対象となり、住民が殺害されるケースが相次いでいます。
<木製の銃の模型を手に訓練を行うマトゥピの抵抗勢力>
チン州の南部に位置するマトゥピでは、軍との戦闘に備え、自衛のために組織された抵抗勢力が、町を自らの手で守るため武装して戦うようになりました。入手した訓練の様子を撮影した映像には、女性たちも訓練に参加する様子が映し出されていました。
<訓練に参加するマトゥピの女性たち>
2021年11月、生まれ育ったこの土地で抵抗勢力に加わった20 代の男性です。軍の攻撃に対し、狩猟用の銃や手製の武器で反撃していますが、火力の差は歴然だといいます。
<マトゥピの抵抗勢力に加わった20代の男性>
抵抗勢力の戦闘員となった男性:僕たちが1発撃って次を準備する間に、軍は20発くらい撃ってくる。手製の銃は使い捨てで、4~5発連射すると捨てないといけない。撃ち合いでは、どうやってもかなわない。
・抵抗勢力はゲリラ戦を展開 軍側にも多くの被害が
<山岳地帯でゲリラ戦を展開する抵抗勢力>
圧倒的な軍事力を誇る軍に対抗しようと、抵抗勢力は山岳地帯の森に潜み、各地でゲリラ戦を展開しています。
<ミャンマー軍の車列>
チン州南部で撮影された軍の車列です。抵抗勢力はこの車列に対して、12回に渡ってゲリラ戦をしかけ、軍側に大きな損害を与えたといいます。
<赤く囲んだ部分に軍の兵士2人の姿が確認できる>
抵抗勢力が撮影した映像には、道路を警戒しながら歩く軍の兵士たちが映し出されていました。
抵抗勢力のメンバー:静かに。軍の兵士がこっちを見ている。銃を構えろ
<発砲する抵抗勢力のメンバー>
隠れていた抵抗勢力が一斉に攻撃を開始。軍の兵士およそ70人を殺害したと発表しています。マトゥピの抵抗勢力の戦闘員となった男性は、はじめは恐怖しかなかった銃撃戦にも次第に慣れていったといいます。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:毎晩、軍は攻撃してくる。1週間に少なくとも5日くらい砲撃がある。僕たちは住民を守りたくて武器を取り、森で暮らしながら軍に抵抗しようとした。兵士がやってくると、僕たちは物陰から発砲したり、兵士が陣取っている場所で爆弾を爆発させたりする。軍が通りそうなルートを予想して、森の中で物陰に潜んで攻撃するしかない
・軍の攻撃は次第に無差別に 巻き込まれる住民たち
各地で続くゲリラ戦によって、見過ごせない損害を被るようになった軍。国境地帯で活動する抵抗勢力を「テロリスト」と見なし、大規模な掃討に乗り出すようになりました。軍は次第に、抵抗勢力と住民を区別せず攻撃するようになっていきます。マトゥピでも2022年1月、衝撃的な事件が起きました。10人の住民が、無残な姿の遺体となって相次いで発見されたのです。
<軍に殺害されたマトゥピの住民>
住民が殺害されていることを最初に発見したのは、マトゥピの抵抗勢力の戦闘員となった20代の男性でした。みな、自分の親戚にあたる人たちだったといいます。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:平常心を保てなかった。亡くなった人たち全員と何らかの血のつながりがあるので。憎しみが湧いてきた。怒りもこみあげてきた。悲しいのか、怒っているのか、自分でもよく分からなかった。
<男性が最初に見つけたのは下着だけの姿にされた遺体だった>
男性が最初に見つけたのは、服をはぎ取られ、道の脇に投げ捨てられた遺体でした。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:喉がナイフで切られていた。服をはぎ取られたら、生きている人ならどれほど恥ずかしいことか。亡くなった人の名誉を無視するかのような形で殺されていたので、言葉では表現できない。
<犠牲者のひとりは13歳の少年だった>
犠牲者の1人は、まだ13歳の少年です。後ろ手に縛られ、目隠しとさるぐつわをされている状態でした。殺された10人は抵抗勢力のメンバーではなく、武器も持っていなかったといいます。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:13歳の子どもが殺されたのを見ると、恐怖を感じた。死ぬのが怖いという気持ちもあった。遺体を見ているうちに、戦う気持ちがめらめらと湧き上がってきた
・ふるさとを離れざるをえない住民たち
10人の住民が軍に殺害される事件が起こったあと、およそ3000人のマトゥピの住民たちは、軍の攻撃を恐れて町から避難しました。その一部は国境を越え、インドに向かいました。
<インドに逃れた女性と2人の子ども>
夫が、殺害された10人のひとりだった女性です。事件直後、3歳と1歳の子どもを抱えて、100キロ以上離れたインドの避難民キャンプにたどり着きました。今も夫の死のショックから立ち直ることができずにいるという女性は、涙を流し言葉に詰まりながら、胸の内を明かしました。
夫を殺害された女性:殺された夫は服も着ておらず、胸や腹、そして腕も深く切られていました。人間らしい死に方をしていませんでした。この気持ちをどう表したらいいのか分かりません。残された子どもとどうやって生きていけばいいのか。さまざまな困難をどのように乗り越えていけばいいのか。子どもたちの将来はどうなるんだろうか…。これからがとても不安です。
・無人となったふるさとの村
<無人となったマトゥピの村>
いま、マトゥピの村に人の姿はありません。ひっそりと静まりかえっています。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:避難民となっているのは、僕たちの父親や母親たち。住んでいた村を見るともう人がいない。まるで墓地のようだ。(殺された住民の)遺体を埋葬するために自分の村に戻った時、涙を流さない仲間はいなかった。
・終わりの見えない戦い 住民の苦しみは今も
クーデターから2年。銃を手に取った若者たちは今なお森に潜み、軍に対する抵抗を続けています。軍による攻撃は、かつてなく激しいものになっています。
<軍によるチン州の軍事キャンプへの空爆>
2023年1月10日と11日の2日間に渡って、軍がチン州の軍事キャンプを空爆したのです。その空爆で戦闘員5人が死亡したといいます。
付近の村に住む住民は空爆に驚きパニックとなり、着の身着のまま、森の中へと避難しました。その後も軍の空爆を恐れ、森の中で過酷な避難生活を送っているといいます。避難民には高齢者や女性、子どもたちが多く、中には生後5か月の赤ちゃんもいました。
<空爆を逃れようと避難した住民たち 中央右の女性が赤ちゃんを抱いている>
住民10人が軍に殺された事件の後も、マトゥピでは悲劇が続いています。2023年1月15日、マトゥピの村に軍が押し入り、住民2人が処刑され、4人が焼け焦げた遺体となって見つかる事件が起きたと、人権団体や現地のメディアが伝えています。
・戦い続けるべきか… 逡巡する抵抗勢力の男性
<マトゥピの抵抗勢力の戦闘員となった男性>
住民たちが軍の攻撃の犠牲となっていることに、マトゥピの抵抗勢力の戦闘員となった男性は大きなショックを受けています。
クーデターが起きる前、男性はメディアの仕事についていました。職を捨て、長く続く戦闘に身を投じたことは、果たして誰かのためになっているのか―。住民をも巻き込む終わりの見えない戦闘を前に、このまま戦いを続けるべきなのか、男性は自問自答していました。
<抵抗勢力に加わる前 メディアの仕事をしていた男性>
インタビューの最後に、「軍に対抗するために抵抗勢力が戦闘を続ければ続けるほど、無関係の住民までもが犠牲となっていく現実を、どう受け止めているか」と問いました。男性は少し間をおいてから、あくまでも個人の考えだとして、こう話しました。
抵抗勢力の戦闘員となった男性:住民を守るどころか、彼らを大変な目に遭わせて申し訳ない。心が痛むし、役目を果たしていないと感じる。自分にも責任があると思う。それでも、独裁者のもとで暮らすくらいなら、大変かもしれないけれど戦うしかない。軍を倒せないことは分かっている。しかし、独裁者のもとで生きることは絶対にないと決めている。
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広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎
2021年入局
政経・国際番組部を経て2022年から現所属
ミャンマーをはじめ、アフガニスタンやロシアの少数民族を取材