<イラクの首都バグダッドからリポートする油井キャスター>
2回のシリーズでお伝えする『イラク戦争20年』。
2日目は、「今なお残る戦争の爪痕と世界に与えた影響」についてお伝えします。
(「国際報道2023」で3月20日に放送した内容です)
油井キャスター:私の後ろにあるのは、かつてのフセイン大統領の宮殿です。20年前のイラク戦争で、アメリカ軍が占領し、一時は、部隊の司令部として使用されていました。現在はアメリカン大学のキャンパスになっています。2年前に開校し、アメリカ式の教育でイラクの将来を担う若者たちの育成を目指す場所となっています。いわば20年の変遷を象徴する場です。
20年前、アメリカの武力行使により、独裁的だったフセイン政権が倒され、民主化にむけて、市民の期待が高まった時期もありました。しかしその後、もたらされたのは、
・アメリカによる占領への反発・イラク人同士が殺し合う激しい宗派対立・過激派組織IS=イスラミックステートの台頭
でした。そうした混乱で常に犠牲となってきたのが市民です。
油井キャスター:イギリスに拠点を置く民間団体「イラク・ボディ・カウント」によると、イラク戦争が始まった2003年からこれまでに、戦闘やテロに巻き込まれるなどして命を落とした民間人はおよそ20万人にのぼっています。
民間人の犠牲者の数は、近年、減少傾向にあります。しかし、20年たった今も、戦争の爪痕が至るところに残っているのがわかります。
人口およそ700万の、イラクの首都バグダッド。
いまは、店がたち並び、多くの人が行き交っていますが、かつてイスラム教スンニ派の武装組織の拠点で、激しい戦闘が行われた場所で、今も銃弾の跡が多数残っています。
・バグダッド市内に今なお残る 戦争の爪痕
油井キャスター:バグダッドの中心部を通るハイファ通りは、かつてイスラム教スンニ派の武装組織の拠点で、激しい戦闘が行われました。“死の大通り”とも呼ばれ、テロが頻発。建物の壁には今も銃弾の跡が多数残っています。
当時のことを知る地元の住民に聞いてみました。
「孫が撃たれ今も障害があります。 衝突があったときにあの建物から撃たれました」
2009年、ハイファ通りでイラク人同士の衝突が起こり、車に仕掛けられた爆弾が爆発。100人以上が死傷したといいます。
すぐ近くにある貧困層が暮らす地区で、この爆発が原因で夫を亡くしたという女性に出会いました。ナドゥア・ハマッドさん(64歳)です。
「(夫は)爆発で足をケガし、視力も失いました。あらゆる治療を受けても足は腫れたままで腎臓も肺も侵され亡くなりました」
油井キャスター:バグダッド市内には、今も後遺症に悩まされている人もいます。フセイン・アリさんです。
15年前、10歳の時に自転車に乗って遊んでいたところ、テロ対策にあたっていたアメリカ軍の兵士が放った銃弾が、背中にあたったといいます。
一命はとりとめたものの弾が背中から腹部を貫通し、4回にわたる手術を受けました。
以前は、外でよく遊ぶ活発な少年でしたが、銃撃を受けたあとは、言葉を発することが少なくなり、家にこもる生活になったと言います。
「外に出てもすぐ疲れてしまうから毎日ずっと家にいます。唯一の友だちは大好きな父親だけです」
「(アメリカは)イラク人の、人としての感情を破壊しました。 息子は青年としての願望や精神を奪われました」
油井キャスター:こうした状況に、民間団体「イラク・ボディー・カウント」はアメリカによる軍事侵攻がイラクの治安状況を根本的に変えてしまったと指摘します。
「開戦から約15年で1000を超える自爆テロがあった。 侵攻前にはテロなど起きなかった国なのに、 突然、テロが大きな問題となる国になってしまった」
油井キャスター:まちの復興は順調に進んでいても、イラク戦争、そしてその後の宗派対立による混乱と悲劇はイラクの人たちの心に大きな傷を残している、それを今回の取材でも痛感しました。
・米軍使用の劣化ウラン弾 影響は戦争を知らない世代にも
さらに、イラクでは、深刻な影響が指摘され続けてきた問題があります。
それが、アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾の問題です。
スレイマン・アーデル記者が取材しました。
スレイマン記者:圧倒的な軍事力で、バグダッドを3週間で陥落させたアメリカ軍。その後も、一部の地域では武装勢力が抵抗し、激しい戦闘が続きました。これらの戦闘の際、アメリカ軍が大量に使用したのが、劣化ウラン弾です。
スレイマン記者: 劣化ウラン弾は、天然ウランを濃縮する際に出来る劣化ウランを使った砲弾で、鉄よりも密度が高く、戦車などの厚い装甲も貫く破壊力があります。しかし、さく裂した際に飛び散る放射性物質が人体に取り込まれると、がんなどを引き起こす恐れがあると指摘されています。
イラク政府は、2004年には、放射性物質を除去するためのセンターを設立し、国内におよそ70か所あるとされる、汚染地域の除染作業を行ってきました。しかし、イラクでは宗派対立の激化や、過激派組織IS=イスラミックステートの台頭による治安の悪化で、作業は思うように進んでいません。
イラク環境省・放射線除去センターのサバハ・フセイニ センター長は、市民の健康への被害を防ぐため、除染作業を急ぎたい考えです。
「イラクでは大量の劣化ウラン弾が使用され、多くの地域が汚染されました」 「がんという形で人々の健康をむしばんでいると考えています」
影響は、戦争を直接知らない世代にも及んでいるという指摘もあります。
イラク中部、カルバラにある民間病院です。
イラクでは子どものがんが増えていると報告され、原因のひとつとして劣化ウラン弾の影響をあげる医師も少なくありません。
スレイマン記者:バグダッド郊外に住む、9歳のハザル・ハファジさんは、この病院に2週間に1度、10日間の治療を受けに通っています。去年(2022年)12月、右腕に、骨にできるがん、骨肉腫が見つかりました。
診察の結果、すでに肺にも転移。最も進行した状態の「ステージ4」と診断され、抗がん剤による治療をうけています。
ハザルさんは学校が大好きで、成績は常にトップでした。
いまは、治療に専念するため学校に通うことはできません。
「早く今までの生活に戻りたい。友だちと遊んで、いっぱい食べて、学校に戻りたい」
母親のインジラさんは、娘のがんの原因は自宅の近くに、放射性物質で汚染された場所があったからではないかと考えています。
「(がんになった原因は)戦争以外に考えられない。環境汚染も砲弾のせいでしょう」 「こうなったのはアメリカ人のせいです。子どもたちの病気はアメリカ人のせいです」
家族は、病気の発覚で、落ち込みがちになったハザルさんを元気づけようと、小鳥を飼うことにしました。ハザルさんは、将来の夢のために病気と闘う決意です。
「(将来は)お医者さんになりたい」 「病気の人を治療する。がんの人たちを治療して、元気にしてあげたい」
油井キャスター: アメリカ軍の使用した劣化ウラン弾。ここからは、取材したスレイマン記者とお伝えします。
アメリカ軍はイラク戦争のほかにも、湾岸戦争でも劣化ウラン弾を使用してきましたが、どのくらい使われのでしょうか?
スレイマン記者:IAEA=国際原子力機関によりますと、イラク戦争だけでもおよそ2000トンもの劣化ウラン弾が使用されたしています。
この問題をめぐっては、国連が劣化ウラン弾が使用された地域での影響について、調査を求める決議が2007年に国連総会で採択されました。その後も調査は続きましたが、国連は劣化ウラン弾による環境汚染への影響は考えられるとしながらも、いまだ武器自体の規制などには至っていません。
そのため、イラク政府も引き続き因果関係を証明するための調査の必要性を訴えています。
油井キャスター:今後必要になることはなんでしょうか?
スレイマン記者:やはり、イラク社会の安定です。
イラクではアメリカによる侵攻以降も、宗派対立や過激派組織ISの台頭で、医療機関が破壊されたり、十分な医療物資が患者に届かなかったりするケースが相次ぎました。取材した医療関係者の中には、長引く混乱で、イラク国内の正確ながんの患者数は分かっておらず、もっと多くのがん患者がいると指摘する人もいます。
因果関係のほか、患者を把握するための調査や治療が行える環境整備のための支援が求められています。
・アメリカとイラン 2つの大国の狭間で揺れ動くイラクの姿
油井キャスター:なによりも「安定」が、求められるイラクですが、フセイン政権が崩壊した後、大国が、影響力を広げようと争ってきました。その主な大国が、アメリカと、隣国イランです。
アメリカは、イラクの民主化を推し進め、親米政権の樹立を目指しました。
一方、隣国のイランは、反米で知られるシーア派の大国です。
イラクを足がかりに中東での影響力拡大をはかろうとし、フセイン政権後の選挙では台頭したシーア派の後押しをしました。
アメリカとイランの思惑、そして、その間で揺れ動くイラクの姿を取材しました。
油井キャスター:バグダッド国際空港の近くに展示されている、こちらの黒く焼け焦げた車。実はこの車、隣国イランのソレイマニ革命防衛隊司令官が乗っていた車です。3年前、アメリカ軍の空爆によって殺害されました。
空爆の激しさを物語る2台の車。3年前、イラク国内を訪れていたイランの司令官を、アメリカ軍が殺害した現場です。近くには追悼の記念碑も設置されていました。
油井キャスター:道路の壁に描かれていたのは、殺害された司令官と部下、そして、イランと連携していたイラクの軍人、あわせて10人です。こうした展示によって、イラク政府はアメリカに対する抗議の意思を示しているとみられています。
ソレイマニ司令官を描いた看板は市内の中心部にも。生前イラクをたびたび訪問していた司令官は、この地域から、アメリカの影響力をそぐことを目指して活動していたとみられています。生前イラクをたびたび訪問し、この地域からアメリカの影響力をそぐことを目指して活動していたとみられているソレイマニ司令官。
これに対して、当時のトランプ大統領は、殺害の指示は正当だったと主張しました。
「ソレイマニ氏は、アメリカの外交官や軍人への卑劣な攻撃をすぐにも起こそうとたくらんでいた」
イラクを舞台にした、アメリカとイランの駆け引きや衝突。
こうした事態は前年の2019年、すでにイラクの市民の反発を引き起こしていました。
油井キャスター:ここ、タハリール広場では、2019年にフセイン政権崩壊後、最大とも言われる抗議デモが行われ、大勢の死傷者が出ました。
連日、数千人の抗議デモが行われたタハリール広場。この時、人々が訴えた一つが、アメリカとイラン、両国の影響力の排除でした。
「イランは出ていけ!バグダッドは自由だ」
油井キャスター:イラクの当時の政権が両国の対立の狭間で難しい政権運営を強いられていたほか、イランの影響を受けすぎていると受け止められていたのです。
その後もイランは影響力を強め、一方、アメリカの存在感は、相対的に低下しています。
油井キャスター:イラクに駐留するアメリカ軍は、ここに司令部を置いて活動しています。イラクには現在、2500人のアメリカ兵がいるということです。
部隊の幹部、ピーターズ准将です。
アメリカ軍の任務は戦闘ではなく、イラク軍の育成に向けた助言や支援だと強調しました。イラクにアメリカ軍はまだ必要か聞いてみると…
「過激派組織ISはまだ存在するし、その過激派思想もまだ存在する。 イラクが安心で十分だというまで、我々はイラクを支える」 「治安状況は改善しているが、ISは罪のない市民への攻撃を続けている」
大国のはざまで翻弄されるイラクの人々。どのような思いを抱えているのでしょうか。
「アメリカもイランもイラクの国益を望んだことはありません」
「アメリカは独裁者から、イラクを救ってくれましたが、復興のために何もしてくれませんでした」「経済や農業にしても、この国のお金はすべてイランに流れています」
イラクで民主化や人権問題について政府に政策提言するシンクタンクの代表、メズヘル・サーディ教授は。
「アメリカは(民主主義の)形を作ったが魂を入れることを忘れた」 「アメリカとイランによって、いま国民は分断されている」 「イラクの利益を最優先に考え、イラクを舞台として利用しないでほしい」
・イラク戦争が変えた国際社会
油井キャスター:イラク戦争は、国際社会の勢力図を大きく塗り替えました。
20年前は超大国アメリカの一強時代とも言われましたが、アメリカは政治的・経済的、そして人的に多大な犠牲を払いました。何よりも、大量破壊兵器という誤った情報で軍事侵攻に踏み切ったことで、アメリカの国際的な信頼は失墜し、「世界の警察官」という役割は果たせなくなっていきます。
イラク戦争は「世界の警察官」なき国際秩序混乱の出発点となったのかもしれません。
そして、イラク戦争は同時多発テロ事件で結束した国際社会、特に欧米の同盟国の間に大きな亀裂を生みました。
私は当時、ワシントン駐在の記者でしたが、ブッシュ政権がイラク戦争に踏み切った背景には、力に対する過信、そしておごりから、軍事力によって、自分たちに都合の良い国際環境を作り出そうという考え方があったと思います。
それは、今のロシアによるウクライナでの戦争にも通じるものがあります。
核保有国で、国連安保理の常任理事国でもある大国は、国際社会の平和と安定への責任があるはずですが、自国の利益を軍事力で追求した結果、軍事侵攻を受けた国々では否応なしに多くの犠牲が強いられています。
21世紀に入って続く大国の暴走をどう止めるのか、イラク戦争の爪痕を見ると、その難題が今も私たちに重くのしかかっていると改めて感じました。
■前編(2023/3/17放送)
油井秀樹(「国際報道2023」キャスター)
前ワシントン支局長。北京・イスラマバードなどに14年駐在しイラク戦争では米軍の従軍記者として戦地を取材した経験も。各国の思惑や背景にも精通。