<イラクの首都バグダッドからリポートする油井キャスター>
油井キャスター:2回のシリーズでお伝えする『イラク戦争20年』。初日は、イラク復興の現状と課題について。私が最後にイラクを訪れたのは、10年ほど前。宗派対立が激しかった当時に比べると、今はだいぶ治安が落ち着いた印象を受けます。
イラク戦争開戦への道は、世界に衝撃を与えた事件から始まりました。
(「国際報道2023」で3月17日に放送した内容です)
・2003年3月20日 イラク戦争が開戦
2001年に起きた同時多発テロ事件。アメリカは、「テロとの戦い」を掲げ、その首謀者らをかくまっているとして、アフガニスタンを攻撃。そして、アメリカが次の標的としたのがイラクでした。アメリカは、「イラクが大量破壊兵器を保有している」として先制攻撃に踏み切りました。
当時取材をしていた油井記者のリポート「ここは、イラクの首都バグダッドの南に150キロ離れた都市ナジャフの郊外です。私が同行している米陸軍第3歩兵師団の支援部隊はここに補給基地を築き、首都バグダッドに向かう最前線の部隊に弾薬や燃料を絶え間なく供給する予定です」
「日夜を問わずライフルの銃声が鳴り響いており、今も激しい戦いが続いていますが、ここでは米軍の相手はイラクの正規軍ではありません。一般市民の格好をしてライフル銃やロケット砲をもつ、民兵組織です」
そして、アメリカは圧倒的な軍事力でおよそ3週間で首都バグダッドを制圧。フセイン政権は崩壊しました。しかし、アメリカが開戦の理由とした、大量破壊兵器は見つかりませんでした。
当時取材をしていた油井記者のリポート「バグダッド市西部です。大量の弾薬と共に毒ガスなどに備えた防毒マスクや防毒スーツも発見されています。ただ、防毒マスクや防毒スーツはすべてが軍事用ではなく一部は化学工場などで使う民生用のものでした」
多くの人命が失われ、巨額の戦費が投入されたイラク戦争。
超大国アメリカの威信は、大きく傷つきました。
油井キャスター:イラク戦争後、アメリカ軍は一度、撤退したものの過激派組織IS=イスラミックステートの台頭もあり、2014年に再び駐留。今もおよそ2000人から2500人のアメリカ兵がイラク軍の訓練や支援のため駐留しています。
20年前の取材で私が印象に残っているのは、アメリカ軍に同行してバグダッドに入った際、多くの人たちが「抵抗の意思がない」ことを示す、白い旗や白い布きれを掲げてアメリカ軍を迎えたことです。何よりも強烈だったのは白い旗を掲げた大人や子どもたちの表情です。笑顔をつくっていても緊張して顔がこわばっていたり、この先、何が起きるのかわからず、不安な目や心配そうな表情でアメリカ兵を見つめたりしていたのを思い出します。
そして、その不安や懸念は結局、現実のものになってしまいました。この戦争を受けてイラクでは、アメリカ軍の占領、国内の激しい宗派対立、そして過激派組織ISが台頭し、この20年、大勢の一般市民が犠牲になり苦難が続いたのです。
いま、イラクの人々は、戦争とその後の20年をどう捉えているのかを聞きました。
「(思い出すのは)占領の日々や空爆、道路の封鎖の日々のことです。繰り返さないことを望みます」
「イラク人という一体感を持っていた国民は、愛国心を失ってしまった。(アイデンティティーとは)祖国に帰属するものだが、それは信仰や宗派に変わりました」
・20年後のバグダッド市内は
油井キャスター:現在は治安が落ち着いているようですが、実は、10年前や20年前に比べると大きく変わっているところもあります。
イラク経済は、今も石油の収入に大きく依存したままで、産業の多角化は進んでいないなど課題は多く残されています。一方で、かつては見られなかった大型のショッピングモールも建設されており、バグダッドでは、国の将来を前向きに受け止めている人たちが多いように感じられました。
復興によってバグダッド市内はどのように変わったのか。車でまわってみました。
油井キャスター:ここは、バグダッドの中心部にある広場ですが、だいぶ変わりました。かつて20年前にはここに当時のサダム・フセイン大統領の銅像がこのあたりに建てられていましたが、今はもう何も残っていません。だいぶきれいになって、憩いの広場のようになっていますね。
油井キャスター:バグダッドでは、かつて自爆テロなどを防ぐため、街のあちこちに高さ4メートルほどのコンクリートの壁がありました。
油井キャスター:今では多くが撤去されましたが、政府機関や大使館が集まる「グリーンゾーン」などの一部では残っています。
油井キャスター:バグダッドでは近年、大型のショッピングセンターもオープン。店内では、市民が買い物を楽しむ姿やフードコートでおしゃべりする姿も見られました。
「食事をしたり、買い物に来たりします。近年ISとの戦いがありましたが、(国は)今は順調です」
「私たちは1~2か月に1回ぐらい、郊外から遊びに来て、1日過ごします。いまはおかげさまで(街も)潤ってきていますし、状況はよい方向に向かっていて、イラク全土は、安定していて安全です」
油井キャスター:市内を流れるチグリス川沿いには、バグダッドの富裕層の間で人気だと言われているレストラン街があります。ことしに入ってオープンしたばかりの日本食とイタリアンの両方を提供する店を訪ねました。
夕方時ですが、多くの人たちが楽しいひとときを過ごしています。
「(このお店は)お金持ちだけが入れます。貧しい人、中流階級の人は入れません。仕事は自動車用のオイルの商人です。順調です」
「(日本食は好きですか?)好きです。日本語も6年生の時学びました。アニメもよく見ていていました。日本の文化が大好きです」
油井キャスター:バグダッドだけ見ていると、確かに復興は一見、進んでいるように見えます。ただ、多くの人が指摘するのは、「首都と地方の格差」です。
イラク国内で“最も立ち遅れた地域の1つ”と言われるイラク南部のサマーワ。ここはかつて日本の陸上自衛隊が派遣された場所です。この町の今を、大橋孝臣記者が取材しました。
・ “最も立ち遅れた地域の1つ” かつて陸上自衛隊が派遣されたサマーワ
大橋記者:首都バグダッドから南に200キロ余りにあるイラク南部のサマーワは、2004年から2年半にわたり、あわせて5500人の陸上自衛隊員が派遣され、給水活動のほか、道路や学校の補修工事などが行われてきました。
大橋記者:現地の人たちを雇用することで、復興支援を通じて地元経済の活性化にもつながると期待されていました。
大橋記者:しかし今、イラクの失業率は16%。当局によりますと、サマーワのあるムサンナ県では、人口90万のうち半数以上の50万人が貧困にあえでいると言います。
かつて日本が行った支援はどうなっているのか?無償援助で建設された発電所を訪ねました。
大橋記者:2008年、深刻な電力不足に悩むサマーワに127億円をかけて建設されたこちらの発電所は、地元の12万人に電力を供給し、復興と生活再建に役立てられると期待されていました。
大橋記者:しかしいま、内部を訪ねてみると、壊れた部品が置かれたままで発電はすべて停止。メンテナンスが行き届かず、4年あまりで稼働停止になりました。長引く混乱の中、外国製の部品が調達できず、修理を行うことができませんでした。
過激派組織ISが台頭して国内の治安が急激に悪化したことも、復旧の大きな足かせになってきました。
発電所所長「部品をそろえようにも買うためのお金を工面するのが困難な状況です」
大橋記者:イラク戦争のあとも、宗派間対立などさまざまな困難に翻弄され続けてきたサマーワ。市民の暮らしは改善されないままです。
サマーワ住民「レストランや工場を作ってほしい。働きたいのです。仕事が必要なのです」
「イラクが立ち直るために、日本でも中国でもどこでもいいから、とにかく支援をしてほしいです」
大橋記者:こうした中、支援を続けることで復興を後押しする新たな動きも出ています。
JICA(国際協力機構)は、サマーワで新たな浄水施設建設への支援に乗り出す計画で、ことし中にもイラク側と合意する方針です。復興支援を通じて、石油などの資源が豊富なイラクが安定することは、日本にとってもメリットになると考えています。
JICAイラク事務所 米田 元所長「日本はインフラを中心とした、国の経済社会の安定化のために支援をしています。国の安定化、引いては地域の安定化につながっていくことを意識し、我々が事業の成果を導くことによってイラクの国が安定・発展し、これが日本に対してもいい形でフィードバックしていくことを意識して取り組んでいくということだと思います」
・ 20年後も残る爪痕 復興への課題は「国の安定化」
油井キャスター:取材した大橋孝臣記者です。現地では、課題も多いようですね?
大橋記者:イラク戦争後も、過激派組織ISの台頭や政治対立などで政府が機能していなかった期間が長く、これまで復旧・復興さえ、ままならなかったのが現実だと思います。サマーワのあるムサンナ県には、大規模な油田などがないうえ、産業にも乏しく、最も取り残された地域の一つです。
地元政府の高官は厳しい現状を次のように話しています。
ムサンナ県・タリブ顧問「中央政府の支援はISとの戦いのために2014年から2019年まで停止してしまいました。2020年に中央政府は支援を再開しましたが、基本的な世界的経済問題により、そしてそれ以前の原油価格の低下などにより、この数年間の支援は限定的なものとなっていました」
油井キャスター:課題をどう乗り越えますか?
大橋記者:やはり「国をどう安定させるか」に尽きると思います。
イラクでは去年(2022年)10月に新たな政権が誕生し、以降は今のところ大きな混乱は起きていません。これをどう持続させるか。世界有数の石油の埋蔵量を誇るイラクが、20年に及んだ混乱から抜け出せるかどうかは、中東にエネルギーを依存する日本にとっても重要な課題です。
ただ、不安要素もあります。散発的とは言え、地方を中心にISによるテロや襲撃もいまだに起きています。また、いまの首相は、隣国のイランに近いとされていますが、現政権がイランとの関係強化を過度に推し進めた場合は、反発する勢力が政治をかき乱すおそれも指摘されています。
ここで安定路線を続けられるかどうかは、今後のイラクを大きく左右することになるのではないかと思います。イラクはフセイン政権時代、クウェートに侵攻にしました。その賠償金の支払いが、長年、成長の足かせとなってきたがおととし(2021年)に終わりました。長い年月をへてようやく、復興への道筋を歩もうとしていると言えるのかもしれません。
油井キャスター:20年前、アメリカ軍がイラクに侵攻した際、アメリカ軍は「軍事施設しか攻撃の対象にしない。戦後復興を速やかに行えるようにするためだ」と繰り返し強調していました。しかし、破壊されたインフラの整備には多くの時間とコストがかかり、今もインフラは不十分で電力不足などに悩まされています。
当時、超大国アメリカの一強時代と言われ、莫大な力を持っていた国が起こした戦争。アメリカは、当初、直ちに戦争は終わると楽観的な見方も示していましたが、それが大きな過ちで、戦争の爪痕がいかに深いのか、20年たった今も、感じざるを得ません。
■後編(2023/3/20放送)
油井秀樹(「国際報道2023」キャスター)
前ワシントン支局長。北京・イスラマバードなどに14年駐在しイラク戦争では米軍の従軍記者として戦地を取材した経験も。各国の思惑や背景にも精通。