軍によるクーデターから2年となる今も、軍と民主派の抵抗勢力との間で戦闘が続く町があります。ミャンマー北西部に位置するチン州の町・タンタラン。
「家族全員の魂が燃やされたと感じました」
両親が苦労の末に建てた実家が、無残に燃やされたことを目の当たりにした男性は、そうつぶやき、背中を見せて涙を流しました。長引く混乱は、ミャンマーの人々から何を奪ったのでしょうか。
(広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎)
<軍の攻撃後、炎上したと見られる民家>
タンタランの町が“戦場”になったのは、クーデターから半年あまりがたった2021年9月のことでした。軍と民主派の抵抗勢力が衝突し、およそ20軒の民家が焼失しました。私たちが入手した動画には、燃えさかる炎を前に、なすすべなく立ちすくむ住民たちの声が記録されていました。
「火を消すために行った人も、軍が発砲するから逃げてきた」
「もう手に負えない。だめだ。この家まで燃えたら、教会の方まで燃えてしまう。どうしたらいいんだ」
その後も、断続的に戦闘は続き、火災も少なくとも30回以上発生していると見られます。
山岳地帯に位置する人口1万のタンタランの住民は、ほとんどはチン族です。仏教徒の多いミャンマーにあって、チン族の人々はキリスト教を信仰し、独自の言語や文化を守ってきました。それが今、1200軒が焼失。実に町全体のおよそ6割の建物が破壊され、町は廃墟になったのです。
・家は家族の魂
タンタランで何が起きているのか取材を進めるうちに、日本にもタンタラン出身の人がいることが分かりました。その1人、愛知県知立市に暮らすチャンさんです。
<愛知県に暮らすタンタラン出身のチャンさん(42)>
タンタランで大規模な火災が発生した2021年10月29日。仕事先の工場で働いていたチャンさんは、Facebookで友人たちが「タンタランが燃えている!」と次々に投稿するのを目にしました。
<赤い丸で囲まれているのがチャンさんの実家 大きな煙を上げていた>
チャンさん:火事の写真をよく見ると、燃えているのは私の家だったのです。あぁ、自分の家が燃えてしまったんだと思いました。
大きな炎を上げて燃える実家。チャンさんの頭をよぎったのは、今は亡き父親だったといいます。
<タンタランで撮影した家族写真 前列中央が父 後列左がチャンさん>
チャンさん:私の家は、父と母が苦労して建てたのです。父は家を建てた時のことをよく話していました。朝早く起きて、家を建てるために必要な木材を遠くまで取りに行き、森で寝泊まりしたそうです。もし、父が自分の家が燃えているのを見たら、どれだけ悔しいだろうかと思います。
<炎上するチャンさんの実家 この日の火災だけで160軒以上が焼失した>
・戦闘を逃げのびても… 過酷な避難生活
<無人と化したタンタランの町>
今、かつて1万人近くが暮らしていたこの町に住民の姿はありません。戦闘を逃れようと、近隣の村々や、国境を接するインドへと100キロ以上の山道を越えて避難しているのです。
チャンさんの家族も、タンタランから数十キロ離れた村へ避難しました。村にある学校の教室を借り寝泊まりしていますが、生活は過酷だといいます。
<チャンさんの家族が避難生活を送る学校>
チャンさん:電気は通っていなくて、テレビも電話もありません。ご飯はまきで炊きます。シャワーも浴びることができません。多くの困難を抱えながら避難生活を送らねばならないのです。
さらに、追い打ちをかけたのが新型コロナウイルスの感染拡大でした。チャンさんの家族も全員が感染したのです。医療品も不足する中、家族はどうにか回復しました。しかし、高齢の母親の身が心配だといいます。
<写真左:避難生活を送るチャンさんの母>
チャンさん:家族が感染したと聞いた時は、戦闘から逃れても、病気で家族全員が死んでしまうのか…と思いました。母は77歳です。あまり歩けないし、体も弱くなっているので特に母のことが心配です。母に関する悪い知らせが来るのではないかと、毎日が怖いのです。
<戦闘を逃れて近隣の村や森に避難したタンタランの住民たち>
「タンタランでこのようなことが起きて、いま何を感じていますか?」という質問に、チャンさんはこう答えました。
チャンさん:私がかつて暮らしていた町の人々は、自分たちの家で平和に暮らしていたのに、今はインドや山の中に逃げ、寝る場所もなくテントの中で避難しているのを見て、とても悲しくなりました。
ここまで話した後、チャンさんは「ちょっとすみません」と言って、席を外しました。ベランダに出たチャンさん。目に溜まった涙を拭きながら、しばらく遠くを眺めていました。
チャンさんが避難生活を送る母親と電話で話すことができたのは、タンタランから逃げた直後の一度だけです。
チャンさん:母の声を聞くことができなくなって、4か月が過ぎました。本当に母の声が聞きたい。母と話したい。でも今は話すことができません。試してみても、つながらないんです。
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広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎
2021年入局
政経・国際番組部を経て2022年から現所属
ミャンマーをはじめ、アフガニスタンやロシアの少数民族を取材