チリの軍事クーデター、天安門事件、ソ連崩壊、米国同時多発テロ事件、アジアの津波災害等々、大きな惨事と並行して起こった出来事を一つの視角から徹底的に検証し「強欲資本主義」とも呼ばれる経済システムが世界を席巻した原因を明らかにした著作があります。「ショック・ドクトリン」。カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの代表作です。
市場原理主義を唱える経済学者ミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機的状況によってのみ可能となる」と述べました。ナオミ・クラインはこれを「ショック・ドクトリン」と呼び、先進諸国が途上国から富を収奪することを正当化する最も危険な思想とみなします。近年の悪名高い人権侵害は、反民主主義的な体制による残虐行為と見られてきましたが、実は民衆を震え上がらせ抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、その隙に市場主義改革を断行するのに利用されてきたといいます。
フリードマン率いるシカゴ学派は「大きな政府」や「福祉国家」をさかんに攻撃し、国家の役割は警察と国防以外はすべて民営化して市場の決定に委ねよと説きます。そして、アメリカなど先進国の民主主義下では推進できなかった大胆な市場原理主義的改革を断行したのが、ピノチェト独裁下のチリでした。一般市民の処刑や拷問が横行し社会全体がショック状態になったことにつけこむように、シカゴ学派出身者がブレインとして活躍し市場開放を断行。その結果、チリの産業経済は外資の餌食となり収奪され尽くしました。クラインによれば、チリは「ショック・ドクトリン」の最初の実験台になったのだといいます。
「ショック・ドクトリン」は、その後も世界中で応用され続けます。戦争終結後のイラクで連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は、意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長し、市民を思考停止状態へ。それを好機として過激な市場開放を断行し、イラクはアメリカ企業の草刈り場と化します。人類最古の文明遺産の徹底した破壊と掠奪、既存体制の完全な抹消という発想は、個人をショック状態にして洗脳し言いなりにさせるCIAの拷問手法と驚くほど重なるといいます。
ジャーナリストの堤未果さんは、ナオミ・クラインが明らかにした事実を通して、この数十年の歴史を振り返ってみることは、私たちが今、どんな社会に立っているかを理解する大きな手がかりとなるといいます。番組では、堤未果さんを講師に招きナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を現代の視点からわかりやすく解説。新自由主義が席捲する現代社会の中で、私たちが何をなすべきか、社会の裏側をどう見抜けばよいのかを深く考えていきます。
<各回の放送内容>
第1回 「ショック・ドクトリン」の誕生
【放送時間】
2023年6月5日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2023年6月6日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2023年6月12日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】堤未果(ジャーナリスト)…著書に「デジタル・ファシズム」「堤未果のショック・ドクトリン」など。
【朗読】板谷由夏(俳優)
【語り】藤井千夏
「ショック・ドクトリン」とは、社会に壊滅的な惨事が発生した直後、人々が茫然自失している時をチャンスととらえ巧妙に利用する政策手法だという。最初にこの手法が大々的に行われたのは、70年代に起こったチリ軍事クーデター。徹底した民衆弾圧で社会全体がショック状態にある中、ミルトン・フリードマン率いるシカゴ学派が乗り込み、市場原理主義的な改革を断行。国営企業の民営化、規制の撤廃、貿易の完全自由化で、チリの産業経済は外資の餌食に。空前の格差社会が生まれていく。第一回は「ショック・ドクトリン」の起源を探り、今、世界を席巻している新自由主義がいかにして生まれたかを検証する。
第2回 国際機関というプレイヤー・中露での「ショック療法」
【放送時間】
2023年6月12日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2023年6月13日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2023年6月19日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】堤未果(ジャーナリスト)…著書に「デジタル・ファシズム」「堤未果のショック・ドクトリン」など。
【朗読】板谷由夏(俳優)
【語り】藤井千夏
「ショック・ドクトリン」を国際機関も推し進めることを示したのが1997年の「アジア通貨危機」の事例だ。タイのバーツは暴落、韓国も国家破産寸前に追い込まれる。欧米各国が救済に動かない中、IMFがついに重い腰を上げる。だが融資をするための条件として、貿易自由化、基幹産業の民営化、財政赤字の解消など厳しい条件を課した。その結果、いずれの国も外資系企業の餌食となっていく。中露などの大国も、国家が主導して同様の事態を引き起こしていく。元々弱体化した国々を援助する目的で創設されたIMFや、西側陣営とイデオロギーを異にする大国が積極的に新自由主義政策を導入するのはなぜか。第二回は、アジア通貨危機、天安門事件、ソ連崩壊等の事例を通して、国際機関や大国が特定の利害に追従するように変貌してしまった原因を探る。
第3回 戦争ショック・ドクトリン 株式会社化する国家と新植民地主義
【放送時間】
2023年6月19日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2023年6月20日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2023年6月26日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】堤未果(ジャーナリスト)…著書に「デジタル・ファシズム」「堤未果のショック・ドクトリン」など。
【朗読】板谷由夏(俳優)
【語り】藤井千夏
イラク戦争後、占領政策をまかされた連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長し市民は思考停止状態に。それを好機として過激な市場開放を断行。そこに米企業が群がった。一方で、この戦争の発端である米国同時多発テロによりセキュリティ産業バブルが生じ、国防の主要機能の急速なアウトソーシングが始まった。「コーポラティズム国家」の誕生だ。政府高官は続々とそれら企業に天下り、そこで生まれる利益を欲しいままに。占領下のイラクもこうした米企業に食いものにされていく。第三回は、戦争を利権の巣窟と化す「コーポラティズム国家」の問題性を暴き出す。
第4回 日本、そして民衆の「ショック・ドクトリン」
【放送時間】
2023年6月26日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2023年6月27日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2023年7月3日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】堤未果(ジャーナリスト)…著書に「デジタル・ファシズム」「堤未果のショック・ドクトリン」など。
【朗読】板谷由夏(俳優)
【語り】藤井千夏
「ショック・ドクトリン」は、米南部のハリケーンやアジアの津波災害においても踏襲され、津波で根こそぎにされた沿岸集落の被害をチャンスととらえて、その土地をまるごと民間に売り飛ばして高級リゾート開発へつなげという論理にも応用されていく。堤さんは日本も例外ではないという。だが民衆たちも黙って従っているだけではない。タイでは外資に奪われる前に被災地に「再侵入」。権利を主張しつつ地域ネットワークを使った互助的活動により自力で復興を成し遂げていく。第四回は、日本での事例にも言及しながら、「ショック・ドクトリン」を逆手にとって民衆たちを覚醒するために利用する方法を模索していく。
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「ショック・ドクトリン」を再読したきっかけは、意外なことからだった。作家の五木寛之さんの初期代表作「戒厳令の夜」という作品を学生時代に愛読していた私は、2021年2月1日に起こったミャンマーの軍事クーデターを期に、クーデターをテーマに扱ったノンフィクションや小説をかたっぱしから読み直す中で再び「戒厳令の夜」を手にとったのだった(クーデターがなぜ起こるのか、それを阻止することはできないのか…といったテーマを考えるためのやむにやまれない気持ちからだった)。ご存知の方もいると思うが、この小説のラストに描かれるのは、チリにおけるピノチェトのクーデターだ。五木は、この場面で、アジェンデによる希望の改革がアメリカによる介入によってあえなく潰えていく状況を哀切をもって描いている。胸がしめつけられるようなシーンだ。
ピノチェトのクーデター……そうだ、この背景を徹底的に分析した「ショック・ドクトリン」という本を、私は東日本大震災の余波がさめやらぬときにむさぼるように読んだのだった……そんな記憶が甦ってきた。危機のときにこそ読み返そうと思っていた本……どうして今まで忘れていたのだろう。新型コロナ禍という未曽有の危機にあった当時、今こそ読み返さなければと思って、ページを繰ったのをよく覚えている。
アジェンデ政権は、史上初めて選挙によって成立した社会主義政権だった。とはいっても、ソ連型の社会主義国家を目指していたわけではない。市民的自由を担保しつつ、極めてゆるやかに「コモン」の領域を広げていこうという、どちらかといえば北欧型の社会民主主義的な国家を目指そうというビジョンをもっていた。その支持率は実に66.7%。アジェンデ政権による漸進的な改革は功を奏し、格差の是正、経済の安定、国内産業の発展等々、地道ではあるが成果をあげていた(その成果への高い評価は、2008年、チリ国民がアジェンデを歴史上最も偉大なチリ人に選んだことからもわかるだろう)。
この希望を打ち砕いたのが、アメリカ政府であり、その支援のもとにクーデターを起こしたピノチェト将軍だった。この際に使用された手口が番組で紹介した「ショック・ドクトリン」である。
「ショック・ドクトリン」とは、社会に壊滅的な惨事が発生した直後、人々が茫然自失している時をチャンスととらえ巧妙に利用する政策手法。最初にこの手法が大々的に行われたのが、70年代に起こったこのチリ軍事クーデターだった。徹底した民衆弾圧(反対派はスタジアムに連行され、暴行・虐殺されるといった恐るべきものだった)で社会全体がショック状態にある中、ミルトン・フリードマンの教え子であるシカゴ学派が経済政策を仕切り、市場原理主義的な改革を断行。国営企業の民営化、規制の撤廃、貿易の完全自由化で、チリの産業経済は外資の餌食になっていく。空前の失業率と格差拡大、国内産業の壊滅……その一方で、数パーセントの富裕層や特権階級は、そこで得た暴利をむさぼり、この世の春を謳歌する。二つの世界大戦を終えて、さまざまな反省のもとに再出発したはずの人類社会で、このような恐るべき蛮行が起こるとは……再読する中、怒りと悲しみに震えた。
ジャーナリストの堤未果さんと再会したのは、そんな再読の最中だった。「デジタル・ファシズム」という話題作を世に出したばかりの堤さんと、共通の知人を介して会食の場をもたせていただいた。「100分deメディア論」に出演していただいて以来の再会で話が弾んだ。その勢いもあってか、この鋭い分析手法を堤さんはいったいどこから学んだのか。そんな疑問を率直にぶつけてみた。
「私の原点は、実はナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』なんですよ」
そう語る堤さんの言葉に、あまりにも偶然に一瞬言葉を失った。そう、今、私が再読真っ最中の本が堤さんの原点とは! 堤さんの『ショック・ドクトリン』との出会いのエピソードは番組でも語ってくださったのでここでは詳細は繰り返さないが、彼女がジャーナリストに転身する決意を固めたのは、911同時多発テロ以降、驚異的なスピードで自由を失っていくアメリカという国家の姿を、ナオミ・クラインが見事にこの本で分析してくれたからだという。物事を点でみるのではなく、線でつなぎ一連の歴史の流れや構造としてみること。堤さんは、その手法をナオミ・クラインから学んだというのだ。
久しぶりの再読の中で、「ショック・ドクトリン」こそ、このコロナ禍(更にいうと、その後起こるウクライナでの戦争という状況も含んだ問題意識となっていく)の中で読みなおなければ…と考えていた私は、「私の原点」とまで力強く語ってくれた堤さんに解説をお願いしたい……とこの場で強く思ったのだった。
その後、多忙な東京滞在中の時間を縫って、堤さんと、どのような視点から解説するか、かなり長時間にわたってブレストさせていただいた。堤さんに感謝しなければならないのは、私がその当時及び腰だったテーマを、ご自身で練り直して再提案してくれたことである。実は、このブレスト時には、ソ連崩壊の話題については、ウクライナの戦争が激化の一途をたどっていた只中だったため、最新の事情とのつながりから、どのような視点から論じるか判断が難しい部分もあり、番組の中で取り上げるかどうかは保留しようという結論だった。
堤さんがテキスト制作時に提案してくださった新しいテーマ案では、ソ連崩壊と中国の天安門事件の事例を、「東側の大国の事例」とひとまとめにして、同一の構造を明らかにしようという素晴らしい案だった。「ショック・ドクトリン」は、西欧先進諸国のみが主導して行われるものではない。イデオロギーが全く異なる国家においても、欲望や利害が一致すれば、思想やイデオロギー、体制の異同など関係なく、率先して導入されてしまうものだという構造を見事に浮き彫りにしれくれたのである。これによって、「ショック・ドクトリン」の世界的な広がりが非常にクリアにみえてくるか形になった。気鋭のジャーナリスト、堤未果さんならではの切り口だとあらためて感嘆した。
もう一つ、堤さんに感謝したいことがある。実は、ナオミ・クラインの分析は切れ味が鋭すぎて、事例分析を続けていくと、気持ちが絶望的になっていくところがある。これでは、希望なく番組が終わってしまう……最後になんらかの処方箋や希望を与えるような構成にすることはできないか……そう念じ続けて案を練っていた。
この点も、堤さんの切り口は鋭かった。当時は存じ上げなかったのだが、ちょうど最新刊「堤未果のショック・ドクトリン」を並行して執筆されている最中だったという堤さん。この本の大きなテーマの一つは「ショックドクトリンからどう身を守るか」というものだった。取材を重ねていた堤さんが、その成果も活かしながら、この新刊とは内容がかぶらない形で、原典に即しながら「民衆のショック・ドクトリン」(堤さんの造語である)というテーマを提示してくださったのである。
タイで津波被害にあったモーケン族。彼らは政府の援助を待つことなく、導入されようとした「ショック・ドクトリン」を自分たちの力だけではねのける。自分たちが住んでいた場所からはじかれそうになっていたモーケン族の人たちは、自分たちの手でその場所をロープで囲んで「再侵入」し、野営しながら居座る。そして粘り強く政府と交渉するのだ。最終的に一部地域は放棄するが、自分たちの住んでいた場所を取り戻すのである。そこには地域での相互扶助のあり方、地道な抵抗戦略、草の根パワーの力強さなど、さまざまなヒントが込められている。実際に、ニューオーリンズでハリケーン災害にあい、「ショック・ドクトリン」を導入されて疲弊した被災者の人たちがここを視察し「国に戻ったら、あなたが方をお手本にして頑張りたい」と決意を述べるほどに、勇気づけられたという姿も描かれている。
ショックにただただ茫然とするのではなく、それを自分たちが覚醒するための契機ととられ、政府にたよることなく、自分たちで考え、自分たちで行動し、問題解決をはかっていく力強さ。これが堤さんのいう「民衆のショック・ドクトリン」だ。第四回の解説で、私自身、大いに励まされ勇気づけられた。この解説も、世界各地で、そうした民衆たちの姿を取材し続けてきた堤さんでなければ、できなかった解説ではないかと思う。テキストにはもっと多くの事例が紹介されているので、ぜひ手にとってほしい。
堤さんのおかげで、「ショック・ドクトリン」という著作が自分の体の一部になっていくような思いがした。これからも、何か大きな事件や事故、災害や戦争が起こったときには、この本に立ち還ろうと思う。そして、茫然自失することなく、まず自分の頭で考え、社会や政治の領域で何が起こっているかをチェックし、解決に向けて行動しようと思う。何よりもその教科書として活かしていくことが、この本の最も大事な活用の仕方だと思うのだ。
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