名著129「精神現象学」ヘーゲル

NHK
2023年4月27日 午後4:50 公開

19世紀初頭に活躍した哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770 - 1831)は近代哲学の完成者ともいわれます。彼が確立した哲学は「ドイツ観念論」と呼ばれ、現代思想にも大きな影響を与え続けてきました。そんなヘーゲルが、人間の実践のアンサンブルとして歴史、社会、文化をとらえ直し、解明しようとしたのが主著の一つ「精神現象学」です。哲学史上、最も難解な名著の一つといわれるこの著作をわかりやすく読み解き、現代に通じるメッセージを掘り起こします。

「精神現象学」が書かれた19世紀初頭のヨーロッパは、未だフランス革命の余波の中にあり、まだ領邦国家に分裂し統一国家の体をなしていなかったドイツはナポレオンに蹂躙されつつありました。時代が激動する中、どうしたら理想的な共同体を実現することができるのか、その共同体の中で人間はいかにして真の自由を獲得できるのかを考え抜いたヘーゲルは、哲学の立場から、人類の営みの総体をとらえうる理論を生み出そうとして主著「精神現象学」を執筆します。それは、これまでの哲学とは異なり、文化全体、社会全体を視座に入れ、それらをダイナミックに生成・発展していく運動として記述する革新的な試みでした。

哲学研究者、斎藤幸平さんは、価値観や世界観が厳しく分断し、対立を深めつつある現代社会でこそ「精神現象学」を読み直す価値があるといいます。ヘーゲル哲学には、互いの差異を認め合い、自身も変容しながら、新しい次元での対話の可能性を拓くために何が必要なのかを考えるための大きなヒントがあるというのです。

番組では、斎藤幸平さんを指南役として招き、哲学史上屈指の名著といわれる「精神現象学」を分り易く解説。ヘーゲル哲学を現代につなげて解釈し、「自由とは何か」「互いに認め合うとはどういうことか」「多様で自由な共同体を築くには何が必要か」を学んでいきます。

<各回の放送内容>

第1回 奴隷の絶望の先に ―「弁証法」と「承認」

【放送時間】

2023年5月1日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

【再放送】

2023年5月2日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2023年5月8日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

※放送時間は変更される場合があります

【指南役】斎藤幸平(東京大学大学院准教授)…著書『人新世の資本論』『大洪水の前に』等で知られる哲学研究者。

【朗読】八嶋智人(俳優)

【語り】目黒泉

フランス革命の余波がさめやらぬ19世紀初頭のヨーロッパ。既存の価値観が大きくゆらぐ中で、どんな共同体を築いていくのが理想的なのか、その中でどのように自由を実現したらよいのかといった問題に人々は直面した。ヘーゲルはこうした問いを深める中で「精神現象学」を執筆。「精神」というユニークな概念を提示し、歴史全体、社会全体を射程に入れた理論を展開する。それらが矛盾・対立を乗り越えつつダイナミックに生成・発展していくプロセスを「弁証法」というロジックで描き出そうとするのだ。それは「主-客図式」に固定した近代哲学にはなしえなかった壮挙だった。第一回は、「精神現象学」の執筆背景やヘーゲルの人物像も紹介しながら、ヘーゲルが「弁証法」といった概念で何を伝えようとしていたのかを読み解いていく。

第2回 論破がもたらすもの ―「疎外」と「教養」

【放送時間】

2023年5月8日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

【再放送】

2023年5月9日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2023年5月15日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

※放送時間は変更される場合があります

【指南役】斎藤幸平(東京大学大学院准教授)…著書『人新世の資本論』『大洪水の前に』等で知られる哲学研究者。

【朗読】八嶋智人(俳優)

【語り】目黒泉

与えられた秩序をただ受け容れ人々の役割も固定されていた前近代社会。それに対して、近代社会は、伝統や既存のルールから距離を置き、物事を自立的に考えはじめた社会だ。人々は今までにない自由を得るが、絶対的基準は存在しなくなり、社会が分断と対立に陥っていく危険性も出てくる。ヘーゲルは「疎外」「教養」といった独自の概念を使って、そうした状況を克明に分析していく。それは「なんでも論破したがる人」が蔓延する現代にも通じる事態だ。第二回は、小説「ラモーの甥」や「国権と財富の対立」の分析を通して、社会が分断と対立に陥るメカニズムを明らかにし、私たちがそれを避けることはできるのかを考察する。

第3回 理性は薔薇で踊りだす ―「啓蒙」と「信仰」

【放送時間】

2023年5月15日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

【再放送】

2023年5月16日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2023年5月22日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

※放送時間は変更される場合があります

【指南役】斎藤幸平(東京大学大学院准教授)…著書『人新世の資本論』『大洪水の前に』等で知られる哲学研究者。

【朗読】八嶋智人(俳優)

【語り】目黒泉

社会の分断や対立に対して私たちはどう向きあえばよいのか。ヘーゲルは、「啓蒙」と「信仰」という概念を使って、分断していく社会の問題点を明らかにしていく。理性によって迷妄を一刀両断し「信仰」を批判する「啓蒙」。だが、「啓蒙」は「信仰」にも人々を豊かにする側面があることを見落としている。ヘーゲルは、いきすぎた科学主義や啓蒙がないがしろにしがちな芸術・宗教といった「人生を豊かにするもの」を、「薔薇」というメタファーで表現しそれをも取り込んだ新たな理性のあり方を模索する。第三回は、「啓蒙」「信仰」という概念を通して、人々が互いの差異を認め合い、豊かに共存していくためには何が必要かを考えていく。

第4回 それでも共に生きていく ―「告白」と「赦し」

【放送時間】

2023年5月22日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

【再放送】

2023年5月23日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2023年5月29日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

2023年5月29日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

2023年5月30日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2023年6月5日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

※放送時間は変更される場合があります

【指南役】斎藤幸平(東京大学大学院准教授)…著書『人新世の資本論』『大洪水の前に』等で知られる哲学研究者。

【朗読】八嶋智人(俳優)

【語り】目黒泉

ヘーゲルが到達するべきゴールとして提示した「絶対知」は長らく誤読されてきた。「絶対知」は全てを知りうる神の視点などではない。相互承認によって対立がなくなるのではなく、緊張関係から生じる対立を相互承認で調停して問い直していくというプロセスは永遠に続いていく。この「新たな知へと開かれた始まり」こそ「絶対知」なのだ。第四回は、ヘーゲルが到達点として求めた「絶対知」の現代的な意味を明らかにし、オープンで多様な知や社会のありようがどんなものなのかを考えるとともに、それが実現するためには何が必要かを考察する。

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きっかけは、いつも不思議なところから始まる。

「100分deパンデミック論」のムック本化に向けての打合せのとき。NHK出版の編集者・Fさんがスタート前の雑談のとき発した一言。「そういえば、斎藤幸平さんの卒論ってヘーゲルなんですよね」。

え?……と一瞬、思考が停止する。斎藤さんの卒論がヘーゲル? たしかに、斎藤さんの専門であるマルクスは、ヘーゲルから大きな影響を受けた哲学者とはいえ、当のヘーゲルを厳しく批判もしている。マルクスは、いわば、ヘーゲルを乗り超えることで、自らのオリジナルな思想を紡ぎあげていったはずだ。それから、ヘーゲルの哲学は、現代思想の陣営からは甚だ評判が悪い。いわく「国家と癒着した哲学」「全体主義の芽の一つ」「個を圧殺する体系哲学」云々。私が80年代に学んだフランス現代思想の文脈でいえば、ドゥルーズもデリダもヘーゲル的思考を厳しく批判している。「弁証法こそ悪の権化」といわんばかりに。

ただ、一方で、私が修論を書いたフランスの哲学者、メルロ=ポンティは、ヘーゲルの影響をもろに受けていた。フランスにヘーゲル哲学を積極的に紹介したコジェーヴの有名な講義に参加して後期の思想に積極的に取り入れている。この講義には、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、アンドレ・ブルトンら、その後、巨大な影響をふるう思想界の重鎮たちも参加していた。フランス現代思想の震源地の一つになったといっていい。

そんなこともあって、「100分deパンデミック論」のムック本の打合せを聞きながらも、心のどこかで「斎藤さんだったらヘーゲルをどう論じるんだろう?」という妄想がうごめき始めていた。そんな気配を感じ取られてしまったのだろうか、Fさんが打合せ終了後、「もし秋満さんが番組でやらないのなら、私が別の企画で本にしちゃいますよ」と笑いながら言う。このときばかりは焦った。「ちょっと待ってください、一度、斎藤さんとしっかり話をしてから決めますから」と咄嗟に言ってしまったのをよく覚えている。

それからが苦闘の始まりだ。ヘーゲル「精神現象学」は手元にあった。比較的読みやすいことで知られる長谷川宏訳だ。苦労しながら読み続ける。「意識章」「自己意識章」「理性章」まではつっかえながらもなんとか読み終えた。ここは大学時代にゼミで読んだことがある部分ということもあった。ところが、「精神章」「宗教章」「絶対知章」については、全く歯が立たない。言葉の使い方が特殊すぎて何をいっているのかがさっぱりわからなかったのだ。結局、斎藤さんと約束していた打合せ日程までに読み終えることができなかった。だが、この後半は扱っても短くだろう……と高をくくっていた自分がそこにいた。文章の端々や出てくる概念から、ここはおそらくヘーゲル流の「キリスト教擁護論」みたいなイメージだから多少読み飛ばしてもいいだろうと思ったのだ。まことに甘い考えであったことをあとで思い知ることになる。

打合せの場では、いつものように驚かされることになる。すでに斎藤さんがプロット案のたたき台を作ってくれていた(通常は自分が作ることが多い。念のため)。それだけでも驚くのに、斎藤さんから、「今回は『精神章』を中心に読みたいです」との言葉が。私が軽くみていた後半の主要部である。ちょっと、ぶっ飛びそうになった。しかも、長谷川宏訳は長谷川さんの色が出すぎているので、より中立的でプレーンな熊野純彦訳(実は、私が苦手としていた翻訳だ)でいきたいという。

だが、斎藤さんから整理されて解説される「精神章」は、実に見事だった。現代社会に起こっているさまざま分断の問題をまるで写し取っているかのような論点と、それを避けるにはどうしたらよいかといったヒントにあふれている。ヘーゲルがこんな風に読めるなんて! おそらく番組をご覧になった方は、この興奮をわかってもらえるのではないか。

細かい論点を再びここで繰り返すことはしないが、あらためてヘーゲルのいちばんの面白さ、偉大さは、「矛盾」「対立」「否定」について徹底的に突き詰めて考えぬいたことではないかと気づかされた。ヘーゲル哲学は、ともすると「融和」「調和」「同一性」の権化と捉えられがちだ。これは弁証法が、「正」と「反」を統合する、妥協的なロジックと誤解されて捉えられがちなところからくるのだと思う。だが、ヘーゲルの弁証法はそんな単純で生易しいものではない。対立はなくならない。個がばらばらに対立した、避けられない厳しい分断の中で、それでもどうやって共存することができるのかを考えぬいたものなのだ。そのことを斎藤さんと一緒に学びながら、私は、今立っている足元を大きく揺さぶられるような思いを抱いた。

ときに、圧倒的な「否定性」をつきつけられ大きく傷つきながらも、自らが大きく変わってしまうことを恐れることなく、学び続け成長していくこと。今の自分を否定して、今の自分でないものになることの大事さを、ヘーゲルは教えてくれているのではないか。

そう考えたとき、私には、ある知人たちの姿が思い浮かんだ。俳優で映画監督の須藤蓮さんと、脚本家の渡辺あやさんである。彼らは、商業ベースに頼らない、新しい形での映画作りに取り組んでいる。低予算の中、ボランティアの力、地域の力を糾合しながら、手作りに近い形での映画制作。映画宣伝も自ら全国を行脚しながら応援してくれる仲間を増やし、東京からではなく、地方から波を起こしていくという手法をとった。一見、徒手空拳とも思えるこの方法で、第一作の「逆光」は、粗削りながらも鮮烈な印象を残す作品となり、予想を超える動員を成し遂げ、大きな成功を収めた。そして、彼らは、今、第二作に挑む。須藤さんは、背水の陣をひくように、所属していた事務所を辞めた。映画制作の現場でも、周囲の制作陣から厳しいダメ出しを食らいまくったという。映像編集はすべて自身の手で行った。おそらく、これまで積み上げてきた自分の存在をばらばらにされてしまうような体験だったろう。圧倒的な「否定性の体験」。

試写会の場で挨拶に立った須藤さんをみて、私は確信した。「今の自分を否定して、今の自分でないものになること」。その姿は、圧倒的な「否定性の体験」を自らの身に受けて、それでも当初の映画への情熱、思いを全く失うことなく、新しい人間に生まれ変わったような鮮烈な印象を残した。第二作『ABYSS(アビス)』は、その成長を色濃く反映するかのように、前作をはるかに超える、深い陰翳に富んだ、ひりつくような青春時代の焦燥感をフィルムに焼き付けた作品だった。

奇しくもヘーゲルの読解と並行して起こった出来事だったが、わが身に当てて思った。私自身は、果たして、これほどまでの熾烈な「否定性」を体験しているのか。そして、その「否定性」を真正面から受け止めているのか。どこかで今の自分の位置に安住してしまっている「甘え」のようなものを痛感した。少なくとも、番組の企画・制作の場の中で、自分を脅かすような「否定性」から逃げずに、真っ向から受け止めて自分のものにしていこうと深く決意した。

振り返ってみると、講師の斎藤幸平さんも、番組収録までのプロセスの中で、悩みぬいていた。トークイベントでご一緒した際(最初の打合わせのかなり前である)には、「精神現象学」執筆時に起こった「ハイチ革命」についての分析も論点にいれるという構想を示していた。また、最初の打合せの際にも、「再読を始めたものの、本当にこれを解説できるのかと何度も断念しかけたんですよ」と苦笑交じりに語っていた。そして、最初の打合せのプロットからも構想が変更になっている。当初はアンティゴネーのエピソードなども盛り込む予定だった。おそらく、斎藤さん自身も、何度も壁にぶつかりながら、自分の論を変容させていったのだろう。斎藤さんの思考プロセスそのものも、ヘーゲルが言うような「否定性の体験」だったのである。番組では、楽しく軽快に解説しているように見えるかもしれないが、斎藤さんの中にも「今の自分を否定して、今の自分でないものになる」という体験があったに違いない。であればこそ、説得力のある解説になったのだと思う。

斎藤さんは、その後もヘーゲルの理論を深め続けている。「NHK現代ジャーナル」というラジオ番組で、「G7広島サミット」をヘーゲル哲学を使って分析するという見事な試みを行っていた。このサミットは、大国同士の利害調整については一定の効果はもったかもしれないが、市民の活動、被爆者たちの思い、グローバルサウスの問題、環境問題やアフリカ諸国の経済破綻の問題など、重要な問題をきちんと取り込めていないのではないかと、鋭く疑問を呈していた(まさに「否定性の契機」をどう取り込んでいけるかという問題提起だ)。

現代社会は、理解できない出来事や他者に対して、容易くレッテル貼りしてわかったつもりになり、単純に否定し切り捨てて終わりするという風潮に覆われている。番組で取り上げた「なんでも論破する在り方」などもその一つだ。だが、それだけではあまりにも不毛であり、社会の発展も自己の成長もありえない。司会の伊集院光さんも、番組ラストで、「ヘーゲルのいうような回路を自分ももっていたい」と語っていた。私も、今後の番組作りの中で、ヘーゲルに学んだことを活かしていきたいと、心から思っている。

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