目撃!にっぽん
「悲劇のゼロ戦 痕跡を探して〜終戦の日に散った若者たち〜」
初回放送日: 2021年11月21日
終戦の日、本土防衛のためゼロ戦が出撃し、若者たちが命を落とした。しかし、誰がどこに墜落したか、不明のまま。当時の目撃証言を探し、痕跡を発掘する活動に密着する。 今年、千葉県で戦闘機の機銃が発掘された。それは終戦を伝える玉音放送の数時間前、本土防衛のために出撃して撃墜されたゼロ戦の残骸だった。まもなく戦争が終わると知らず命を落とした若者たち。誰がどこに墜落したのか、記録はなく、遺骨も見つかっていない。そこで、千葉県の住民たちが、当時の目撃証言を探し、墜落の痕跡を求めて調査を続けている。76年前、無念の死をとげた若者たちの埋もれてきた命の証しを掘り起こす。
出演者
語り (麻生久美子)
番組ディレクターから
番組ディレクターから
【この番組を企画したきっかけは】 去年8月「首都圏情報 ネタドリ!」というNHKの番組(一部地域)を見ていた時。内容は、終戦の日の空中戦で散ったゼロ戦の痕跡を探す遺族について。撮影中に、偶然近所の人に声をかけられ、当時の墜落の詳細が書かれた日記が見つかったのです。私は、このシーンに衝撃を受けました。軍の記録がほぼ残っていない中、一市民の日記がゼロ戦発掘のヒントになったのです。早速、取材していた千葉局の尾垣記者に声をかけ、一緒にこの番組に提案することにしました。しかし、その際はすぐ採択には至りませんでした。あきらめず取材を続けると、次々と新事実や発掘品、そして別の遺族が見つかります(詳しくは番組で)。まるで、遺族や地元の捜索隊、そして亡くなったパイロットに対して、伝える責任を感じ、再提案し企画が通りました。 そもそも1年間、取材させていただいた原動力として、自分の原体験があります。私は生まれた時から18年間、曾祖母と同居して、空襲や戦時中の生活について話を聞いていました。しかし、自分から積極的に質問しないまま、曾祖母は亡くなりました。NHK入局時も、“戦争”や原爆のことを伝えたいと意気込んだものの、10年以上関わることはなく後悔していました。そんな中、2年前「天才てれびくん」で戦争に関するドラマを制作し、今度はドキュメンタリーとして伝えたいと思っていました。 【制作でこだわった点、苦労した点】 苦労した点は、編集の当初、「藤岡弘、探検隊シリーズ」というテレビ朝日の番組に影響を受け、幸治昌秀さんをリーダーとするゼロ戦探索隊を中心に構成していました。しかし、番組本編をゼロ戦パイロットの遺族から始まった方が良いという指摘を受けました。事実、75年以上も亡くなった兄のことを思い続け、手掛かりを求めた遺族の姿。その思いに応えるべく、ボランティアで活動し、調査がうまくいかず遺族と会って泣いたり、金属探知機を持ってかけずり回るゼロ戦捜索隊の人たちの姿。そんな方々の姿を思い浮かべ、原点に立ち返り、遺族の思いを番組の原動力にしました。 こだわった点は、今回、番組の語りに千葉県出身の女優・麻生久美子さんにお願いしたことです。NHK千葉局が制作し、舞台は千葉県、「房総半島の上空で戦闘があったこと」を麻生さんに託したかったのです。麻生さんの落ち着いたナレーションに秘める感情の起伏が、大変素晴らしいものになっています。加えて、今だからこそ撮れる映像にこだわり、ドローンを使い、上空から撮影することにも挑戦しました。 【取材をする中で印象に残った言葉】 ゼロ戦探索隊の学芸員の方がおっしゃった「遺族にとって戦争は終わっていない」という言葉です。76年間、兄が墜落死した場所を探そうと、静岡から千葉まで通っている杉山栄作さん一家の姿を見ると、切に感じます。戦争だけでなく、現代の事件・事故にとっても、同じことが言えるのではと感じました。そして、戦後生まれである私にとっても「戦争は終わったことという認識ではいけない」と思い直しました。 【番組の見どころ】 いわゆる“戦争”の番組ですが、次々と手掛かりが発見されるオンゴーイングのドキュメントが見どころです。本土空襲を一方的に受けていたわけではなく、防衛のため、日本のパイロットが連合国と本土上空で戦闘を行っていたこと。しかも、玉音放送の直前で亡くなった人がいたこと。恥ずかしながら、取材で初めて知りました。そのことを知ってもらうとともに、現代で公文章の改ざんが問題となる中、市民たちの手で「記録を掘り起こし伝える」ことの素晴らしさや大切さが伝われば幸いです。 【番組では入りきらなかったこと】 30分には入りきりませんでしたが、機銃の他にも多くのものが見つかっています。ゼロ戦のエンジン、焼け焦げたバックル、そして人骨です。人骨は、DNA検査をしましたが、遺族を特定するまでにはいきませんでした。また、亡くなったパイロットの墓も見つかりました。墓碑の表には「故海軍一等兵曹 茂原航空基地 勇士之墓」、側面には「昭和二十年八月十五日 於大多喜泉水戦死」と書いてあります。埋めたのは、地元住民で、代々その地域で掃除を続け、大切にまつっていたそうです。 また、ゼロ戦捜索隊の学芸員・久野一郎さんは、POW研究会の一員として、連合国軍側の墜落も調査しています。こちらの活動も取材させていただきました。千葉県在住のバートンさんが、友人の親戚が搭乗していたB29が房総半島に墜落した話を詳細に知りたいとやってきました。地元住民に話を聞いていくと、墜落死した搭乗員が地元の寺に埋葬されたという証言が得られたり、捕虜となった搭乗員が脱走し殺された場所を示されたりと、新たな発見があったのです。本土で両軍の搭乗員が亡くなったという事実、そしてその墜落の詳細を知りたいという遺族の思いは、万国共通であるということを感じました。