「ほおずきの実のある自画像」 1912年 レオポルド美術館蔵
日曜美術館ホームページでは放送内容に関連した情報を定期的にお届けしています。こちらは3/5放送「孤高の“まなざし” エゴン・シーレ」に関連したコラムです。番組と合わせてお楽しみください。
ウィーン分離派からの影響と脱皮
1907年にクリムトと出会ったシーレ。1908〜1909年頃はクリムトの影響が強い分離派様式の絵を描いており、1908年の作品「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」はその典型です。正方形のキャンバス、金箔を暗示するような装飾的できらびやかな背景、デザイン化された色面構成。しかしシーレは変わらずクリムトを崇拝しつつも、1910年頃からはそうした装飾性とは真逆の、無装飾の空間に置くことで描く対象をむしろ生々しくさらけ出すような絵に変わっていきました。
「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」 1908年 レオポルド美術館蔵
裸体と自画像
またシーレが獲得した独自性のひとつは自画像という領域を追求したことでしょう。シーレはクリムトに出会う以前、画家としての経歴の最初期から自己表現ということに執着していました。シーレのアトリエには常に全身を写すことができる大きな鏡が置かれており、アトリエを移るごとにそれを持ち運んでいました。
もうひとつの独自性は、裸体をとても重要な主題であると考えていたことです。1910年以降、裸体が数多く描かれます。自身の裸や裸の少女を描いたデッサンがよく知られています。ウィーンの産婦人科医からそこで素描をすることの許可をもらって、妊婦や新生児なども描いています。
「背を向けて立つ裸体の男」 1910年 個人蔵
ポーズへのこだわり
1910年の作品で「坐る3人の男のコンポジション」というスケッチがありますが、これを見るといかにシーレがポーズというものを重視し研究していたかがわかります。
シーレは1909年に仲間と「新芸術集団」というグループを結成していますが そのメンバーのひとりエルヴィン・オーゼンはパフォーマーでもありました。その恋人のモアもダンサーです。1911年の「踊り子モア」は、シーレのよく知られた作品のひとつです。シーレはふたりの演じるパントマイムからも多くのヒントを得ていたと言われています。シーレの作品には、うずくまったり腰を強くひねっていたりと、ちょっと奇妙なポーズの作品も多くあります。
また、ポーズという点では彫刻家ロダンからの影響も指摘されています。ロダンには「うずくまる女」という彫刻がありますが、1912年の「前かがみの裸婦」にはこの作品からの影響があったと言われています。
「頭を下げてひざまずく女」 1915年 レオポルド美術館蔵
身体と自我
身体をテーマにしたシーレの作品からは、線や量感の表現において深い習熟と探求が伺えます。色彩という点でも、朱色・赤紫・紺色といった色彩を組み合わせつつあたかも腐敗したかのような肉の色を塗っていたり、独自性を伴った絵画の実験を裸体表現の中で発揮しています。
また同じ人体の裸体画でも、クリムトのそれは優美で浮遊感のようなものを漂わせていますが、シーレの裸体画は、むき出しで自我を伴った肉体が強烈に迫ってくる印象があります。
自分の感じた生の印象を
1912年、シーレは少女誘拐などの疑いに加え、猥雑な素描を配布し良俗を毒したという理由から拘束され、3日間の禁固刑を受けました。ノイレングバッハ事件と知られる出来事です。裁判の際に家にかけていた紙の作品が没収されたり燃やされたりしたことに、シーレは大きなショックを受けます。勾留されている間に何点か自画像作品を描いていますが、その一点の片隅には、「僕は芸術と僕の愛する人々のために喜んで耐え抜こう!」(※注1)と走り書きがされています。
「母と二人の子ども Ⅱ」 1915年 レオポルド美術館蔵
ただ、その後クリムトが援助の手を差し伸べ、シーレにアートコレクターのレーデラー家を紹介したことでシーレの暮らしは上向くようになりました。レーデラー家は芸術を愛好していましたが、中でも一家の息子、エーリヒ・レーデラーがシーレを賛美し親しい関係になりました。エーリヒはシーレから素描のレッスンを受け、また数多くの手紙をやり取りしたことがわかっています。その一通でシーレは芸術家になるためにはなにをすべきかということについて記しています。
「もし、画家になりたいというのなら、――きみは全力で弛むことなく真面目に制作に打ち込まなくてはならないでしょう。何年かすれば、自分の精神生活、自分の世界観、自分の感じた生の印象を、絵として表現できるような、自信と腕に到達するでしょう……ひたむきに熱情を注ぐことができますか。」(※注2)
1918年、シーレはスペイン風邪にかかり、28歳という若さでこの世を去ることになってしまいますが、その人生はただひたすらに芸術へと向かっていました。
※注1……『エゴン・シーレ画集』(著=エルヴィン・ミッチ 監修・翻訳=坂崎乙郎 1983年 リブロポート刊)より
※注2……『エゴン・シーレ スケッチから作品へ』(著=クリスティアン・M・ネバハイ 翻訳=水沢勉 1993年 リブロポート刊)より
(記事中の写真すべて 提供=Leopold Museum, Vienna)
展覧会情報
◎展覧会「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」は東京都美術館(東京)で4/9まで開催中です。