ゲルハルト・リヒター 作風の解説

NHK
2022年9月4日 午前9:00 公開

Photo: Dietmar Elger, courtesy of the Gerhard Richter Archive Dresden

9/4「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」放送詳細はこちら

日曜美術館HPでは放送内容に関連した情報を定期的にお届けしています。こちらは9/4放送「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」に合わせたコラムです。HPでは、60年に及ぶリヒターの画業における作風の変遷について、その中からいくつかをピックアップして紹介します。こちらも合わせてどうぞ。

フォト・ペインティング

ゲルハルト・リヒター 「モーターボート(第1ヴァージョン)(CR: 79a)」 1965年 ゲルハルト・リヒター財団蔵

リヒターがその名を知られるようになった最初の作品シリーズが「フォト・ペインティング」。作家自身がつくっている作品目録によれば、写真を描き写した作品の最初は1962年です。写真をただ描き写すことが絵画になるのか当初は迷いがありましたが、アメリカのポップ・アーティスト、リキテンスタインの作品を見たことがマスメディアのイメージを絵画に転換することへの自信を深めるきっかけになったと語っています。フォト・ペインティングを始めた当初、リヒターは新聞、雑誌、広告などから見つけてきた写真イメージを用いました。たとえば1965年の「モーターボート」もフィルム会社の広告イメージから取られたものです。リヒターはフォト・ペインティングを始めた当初、無名の人々や平凡な生活の一部分といったモチーフを使いました。同じく写真イメージを用いたウォーホルが有名人や時代のアイコン的なモノをモチーフとして用いたのとは対照的です。リヒターは「あらゆる固定化から逃れたかった」と語り、できるだけイデオロギーや感情的な結びつきから解放され、スペクタクルなシーンも排除した「つまらない日常写真」を使用しました。「そんな写真を芸術と見なす人はいません。でもそれを絵画という芸術に転換すると、そこに一種の威厳が生じて、人はちゃんと見るようになります。」(1984年のインタビューより)

カラーチャート

ゲルハルト・リヒター 「4900の色彩(CR: 901)」 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵

フォト・ペインティングが認知されることによってキャリアを前進させていったリヒターでしたが、1966年、それまでとはまったく異なる作風の絵画を世に出しました。それがカラーチャートのシリーズです。きっかけは、自身が通っていた画材店に置いてあった色見本帳に目を留めたこと。フォト・ペインティング同様、既存のものを「描き写す」ことによってできあがりました。最初は油絵の具を使って描きましたが、それだと伝統的な絵画のように見えてしまうという理由から、その後工業用ラッカーを用いるようになります。何年もフォト・ペインティングを集中的に制作してきたリヒターは行き詰まりを感じ始めていましたが、写真を使用することなしに感情的な表現を帯びない中立的な絵画を完成できたことに手応えを感じました。もっとも最初は躊躇があったようで、信頼する友人の画家に見せたときに感激してもらえたことで自信を得たようです。なおカラーチャートの作品は、その後もたびたび制作していて、その代表的なもののひとつが2007年に完成したドイツ・ケルン大聖堂の南翼廊のステンドグラスです。

アブストラクト・ペインティング

ゲルハルト・リヒター 「アブストラクト・ペインティング(CR: 946-1)」 2016年 ゲルハルト・リヒター財団蔵

1976年、リヒターはまた作風の大転換を行います。それまでとは対照的に、思いつくままに色と形が置かれて、遠近感や奥行き感といったイリュージョンもある、カラフルな抽象絵画。「単色ないし非色の絵画の後で、絵を続けることはかなり難しくなりました。(中略)そこで全く正反対のことを始めたのです」。自分自身もまだよくわかっていないとしながら、「新しい扉を開いたかのよう」と1977年のインタビューで語っています。以来、気づけばアブストラクト・ペインティングはリヒターの全作品の中でももっとも作品点数が多く、また長きにわたって続くシリーズになりました。また、偶然を制作に引き込むための道具としてスキージを1987年頃から取り入れるようになりました。

ガラスの作品

ゲルハルト・リヒター 「8枚のガラス(CR: 928)」 2012年 ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵 Photo: Takahiro Igarashi

かつてリヒターは展覧会のカタログのテキストでこう綴りました。「窓から外を眺めれば、外の風景はそこに、様々な色調や色彩との関係性において表れている通りにあるわけで、それは一つの真実であり、そこには正当性がある。窓外の風景、あるいは自然のどのような切り取りであろうと、それは私にとって常に追い求める存在で、私の作品の手本である」。リヒターは、1967年の「4枚のガラス」という作品を最初に、以来定期的にガラスの作品をつくっています。そこにはフレームで切り取られた世界が映り込みます。また2002年には「スタンディング・グラス」という、ガラスが何枚も立ち並んだ作品を発表しますが、この周りを自ら動いてみることによって、観客は絶えず変化し、現れては消えるイメージを経験することができます。

リヒターは、芸術とは現実に存在しているものの類似物であり、描き写すとはそれを把握しようと努めることだと語っています。「絵画がこの不可解な現実を、比喩においてより美しく、より賢く、より途方もなく、より極端に、より直感的に、そして、より理解不可能に描写すればするだけ、それはよい絵画なのです。」(1982年のコメントより)

*文中の画像はすべて
© Gerhard Richter 2022 (07062022)

展覧会情報

◎「ゲルハルト・リヒター展」は10/2まで、東京国立近代美術館(東京)で開催中。10/15からは豊田市美術館(愛知)に巡回します。2023/1/29まで。