ドリフ仲本工事さん 悼む声広がる

NHK
2022年10月24日 午後5:32 公開

突然の別れに、悲しみが広がりました。

「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍したタレントの仲本工事さん。

10月19日、交通事故による急性硬膜下血腫のため、81歳で亡くなりました。

~時代を築いたドリフのバイプレイヤー~

数々のコントで国民的な人気を博した、ドリフの仲本工事さん。

コメディアンとしてだけでなく、ミュージシャンとして音楽活動も行うなど幅広く芸能活動を続けてきました。

~亡くなる5日前のイベント 高木ブーさんと~

亡くなる5日前、10月14日、同じ「ザ・ドリフターズ」のメンバー、高木ブーさんとともに、おととし亡くなった志村けんさんの衣装などを展示する催しに訪れていました。

仲本「やっぱり、ここを訪れると、志村がここにいるような感じがしますね」

仲本さんが「ザ・ドリフターズ」に参加したのは1965年。

その歩みを振り返って…。

高木さん「30代から80代まで、その間ずっと一緒だもんね」

仲本さん「長すぎるよな。これからもお願いしますよ」

高木さん「生きてる間はね」

仲本さん「そんな感じでなかよく、ここに来られたことは幸せです」

仲本さんは、志村さんの人形と一緒に撮った写真をSNSにも投稿。

志村さんへの思いも綴っていました。

「『志村けんの大爆笑展』にブーたんと行ってきました。笑顔も二倍です。楽しかったなァ。志村も喜んでくれたかな」

これが仲本さんの最後の投稿でした。

仲本さんは、10月18日、横浜市の市道で車にはねられ、神奈川県内の病院で治療を受けていました。

所属事務所によりますと、19日、交通事故による急性硬膜下血腫のため亡くなったということです。81歳でした。

人々からは悲しみの声が聞かれました。

「子どものころからドリフをよく見ていて、仲本さんは体操していて、家では布団を敷いて前回りをしていた。どんなときでも気持ちを明るくしてくれる、お笑いの大御所、昭和の偉大なコメディアンを亡くして悲しい」

「来月も舞台で楽しみにしていたので、こんなことが起こるなんて悲しい」

~相次ぐ悼む声 まっちゃんも、ももクロも~

仲本さんの死を悼む声が著名人からも相次いで寄せられています。

「ダウンタウン」の松本人志さんは、ツイッターで「お笑いの人の哀しい終わりはキツイです。ご冥福をお祈りします」と投稿。

インターネット番組で、仲本さんと毎月、共演していた人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」は、「突然のお別れになってしまいとても寂しい気持ちでいっぱいです。これからもその優しい笑顔で温かく見守っていてください。ありがとうございました」などとするコメントを公式サイトに掲載しました。

~茶「突然で早すぎる」 ブー「無念。雷様が僕一人に」~

「ザ・ドリフターズ」の加藤茶さんと高木ブーさんからは。

加藤さん

「仲本が事故に遭ったと聞いたとき、頭が真っ白になりました。本来であれば、今頃は一緒に仕事をしていたのに…突然で早すぎる別れに、ただただ驚いています。音楽もコントも、まだまだ一緒にやりたいことが沢山あっただけに残念です」

高木さん

「無念です。事故に遭う5日前に一緒の仕事で、控室で沢山話をしました。仲本に初孫が生まれ、孫がとても可愛くて、お互いに孫自慢をしたばかりでした。いつかは孫と一緒に暮らしたいと話していました。その時の仲本の笑顔が今も焼き付いてます。仲本が学生時代からの、もう60年を超える付き合いです。家族よりも長い時間です。本当に悲しくて、悔しい。雷様が僕一人になってしまいました。まだ一緒にコントも音楽もやりたかった。あちらには長さん、荒井さん、志村、そして仲本が今1番逢いたいと言ってたお母さんもいます。どうぞ安らかに」

仲本さんは俳優としても活躍しました。

東日本大震災の被災地、宮城県名取市の閖上地区で飲食店を営む佐藤智明さん。

4年前に公開された映画で、ロケ地の一つとして撮影場所を提供しました。

エキストラとして漁師役の仲本さんと共演したといいます。

佐藤さん

「憧れの方だったので、けど全然気取らず、気さくにお話しして頂いてやっぱり人間味があふれていましたね。お笑いのイメージがあったのでギャップが逆にあって、ああこういう気さくな方だったんだと。被災地でよく頑張ってらっしゃるね、なんていうお言葉をいただいたりとか、実際こうやって頑張ってるんだねなんて、励みの言葉をいただいたり。寄り添っていただいている感覚があった。感謝の気持ちをあらわしたいですね」

~“人生というのはやりたいことができなくなったときが出発点”~

近代演劇の研究家で、ザ・ドリフターズを分析した著書もある笹山敬輔さん。

4年前に仲本さんにインタビューした時の言葉が印象に残っています。

笹山さん

「仲本さんのことばとしてですね、『人生というのはやりたいことができなくなったときが出発点だと思う』。仲本さん自身は音楽がやりたくてドリフに入ったけれども、コント中心になった。でもそのコントの中で自分の役割を見つけて、仲本さん自身、存在を発揮された」

そのうえで、仲本さんが果たした役割をこう捉えています。

笹山さん

「特定のファンや世代に特化した笑い、まさに細分化した笑いというのがいまの笑いの状況かなと思います。その一方で、やはりドリフというのは、子どもからお年寄りまでっていう意味で普遍的な笑いはあるんだということ。動きの笑い、身体性のある笑いっていうのがドリフの特徴。仲本さんはもともと体操部だったので非常に運動神経がいい。仲本さんの存在がドリフの笑いの面もまさに支えていたなと。日本人の娯楽というところに仲本さんは貢献されてきたのかな」

日本中に笑いを届け続けた仲本さん。

こんなメッセージも残していました。

仲本さん

「例えば全員いなくなっても、やっぱり思い出してもらえるということが、いちばんいいんじゃないかな。私たちはそれを願っています」