“あの夏を取り戻したい” 動きだす元高校球児たち
私たちは、コロナ禍で、日常やつながり、そして青春も…。
多くの変化をしいられました。
この夏、甲子園では熱戦が繰り広げられましたが、「夢の舞台」を、突如、奪われた元球児たちが、あの夏を取り戻そうと動き出しました。
“あの夏を取り戻す”
都内の大学に通う大武優斗さん(20)。父親の影響で幼いころに始めた野球。高校はスポーツ推薦で入学し、野球漬けの毎日を送ってきました。
最後の甲子園を目指していた3年生のとき。
(大武さん)
「最初は正直なんか、うそなんじゃないかなっていうふうに思って。何を目指して次から生きていけばいいんだろうという、すごい虚無感に襲われました」
(2020年5月20日/日本高等学校野球連盟)
「今大会の中止を決定しました」
戦後初めて、甲子園の中止が決まった2年前のあの日。
多くの球児の“夢”が奪われました。
あれから2年。大学に進学しても、心のわだかまりは消えませんでした。
(大武さん)
「大学に入って、それから1年たった、2年たった今でもやっぱり何かやりきれなかった思いとか。目標が消えた、一瞬でなくなったんで、切り替えるのが難しくなっちゃってっていうのは多分ある」
動きだす新たなプロジェクト
その大武さん、新たなプロジェクトを立ち上げました。
甲子園がなかったあの年、各地で行われた「独自大会」の優勝校など49チームを集めて、元球児による全国大会を開くという計画です。
8月4日からネット上で募集を始めたばかりですが、全国のチームから次々に手が上がっています。取材中にも…。
「青井アナウンサー)えっ!きょう、まさにいま、参加の申し出が来たんですか?」
「大武さん)そうです、本当に10分前くらいとかです」
参加を表明した沖縄県八重山高校の当時のキャプテン、内間敬太郎さんです。
「青井アナウンサー)着ているのは、八重山って書いてありますけど、それはどんなシャツなんですか?」
「内間さん)これは優勝した時にチャンピオンシャツということで作ってくれたもので」
(内間さん)
「みんなやろうってなって応募させていただきました。もう一度みんなで野球ができるという楽しさというか、うれしさを発揮したい」
大会の実現は簡単ではありませんが、大武さんの思いに賛同する輪が広がり始めています。
電話の相手は、参加を決めた岩手県の優勝校、一関学院のキャッチャーだった、佐々木春磨さんです。SNSを使って広報活動に協力しています。
「佐々木さん)甲子園が開かれている時期が、より多く知ってもらえる時期だと思っているので、集中して、何本か、投稿を増やした方がいいなと」
「大武さん)マジで助かります。負担的には重くないですか?」
「佐々木さん)全然大丈夫です」
そして、大会の運営費。友人の力を借りながらクラウドファンディングでまかない、参加者の負担をできるだけおさえたい考えです。
「大会を実現させる」と、意気込む大武さん。
実は、自身は東京都の独自大会でベスト16で敗退したため、今回、出場できません。
「青井アナウンサー)大武さんはプレーしなくていいんですか?」
「大武さん)同じ代で野球をやってた全国の選手っていうのは、自分からしたら仲間だなって思っている部分がすごく強いので。野球もベンチ入りは20人で、出場が9人で、それ以外は選手のサポートとか縁の下の力持ち的なことをやるので。本当に甲子園に出る切符を持った人たちのために野球をやるのが、自分の役割として一番正しいのではないかなと」
「青井アナウンサー)コロナ世代みたいな呼ばれ方をされるときもあると思いますが、なんかちょっと損した2年みたいにとらえられがちだと思うんですけど、そのあたりはどうですか?」
「大武さん)まあ仕方ないことなので、誰のせいでもないですし、この状況下で何ができるのかっていうのが、多分、一番大事だと思います。あのときの思いっていうのをぶつけることによって、この頑張っていたことに対して1回終止符を打って、また新しい人生を歩み出そうみたいなきっかけになればいいと思います」
青井アナウンサー取材後記
これまでは、甲子園が開催できなくて、かわいそうな世代だと勝手に思っていました。
しかし、大会がなかったことは残念ではありますが、決して、誰もコロナの状況を恨んだりしている様子はありませんでした。
そして、高校野球だけでなく、さまざまな分野で大会の開催が中止に追い込まれた学生たちが全国にいます。
それぞれ、その時、自分の人生というものに真剣に向き合ったのかもしれません。
大武さんは、今後、12月ごろに向けて大会を検討しているそうです。
まずは開催に向けて頑張ってほしいですし、実現したときにどんな感情が芽生えるのか、取材を続けたいと思います。