🆕「負の歴史」と向き合う ウクライナ映画監督

NHK
2022年9月22日 午後8:37 公開

終わりが見えないウクライナ情勢。ある映画が論争を巻き起こしています。映画「バビ・ヤール」。舞台はナチスドイツに占領された第2次世界大戦期のウクライナ。81年前に起きた「バビ・ヤール大虐殺」という事件を扱っています。ナチスに協力し虐殺に加担したウクライナ人の存在も描き出すこの映画。監督はウクライナ人のセルゲイ・ロズニツァ氏です。映画は今回のロシア軍の侵攻が始まる前に制作されたものですが、母国ウクライナが戦火にさらされる中、なぜいま、あえて「負の歴史」に目を向けようとするのか、取材しました。

今月開催された世界三大映画祭のひとつ、ベネチア国際映画祭です。ノンフィクション部門で新作が上映されたセルゲイ・ロズニツァ監督。かつてロシアの侵攻前にインタビューをした縁で、今回、再び話を聞くことができました。

Q「今のウクライナの状況をどのように監督は見ていますか?」。

(ロズニツァ監督)

「現代において、土地をめぐって戦うなど非常に愚かなことです。この戦争は第二次世界大戦の続きだと思います。それは終わっていないのです。先の大戦では、ナチスドイツという1つの全体主義国家が崩壊しました。しかし、もう1つの全体主義国家は生き残り、そしていまだに存在し続けています。その国家(ロシア)は今、ついに正体を現したのです」

今回ロズニツァ監督が公開し、論争を呼んでいる映画『バビ・ヤール』。当時の記録映像のみで作られています。扱ったのは第2次大戦期にウクライナで起きたユダヤ人の虐殺事件。当時、ナチスドイツの占領下にあったウクライナでは首都キーウをはじめ各地に暮らすユダヤ人、およそ3万人が殺害されました。

描いた内容の1つが、ナチスに協力してユダヤ人の虐殺に加担したウクライナ人の存在。戦後ながらくタブーとされ、公に語られることのなかったウクライナの「負の歴史」です。

これに対し、この映画はロシア側を利することになるのではないかと批判の声があがりました。プーチン大統領がウクライナ侵攻の口実として「ナチス勢力からウクライナを解放する」と主張しているからです。

「監督が親ロシア派だとは思わなかった・・・」(SNSの書き込み)

「ロズニツァはロシアが私たちに対して行っている暴力について忘れている」(批判的な記事)

「ロズニツァが言っていることはプーチンと一緒だ」(SNSの書き込み)

「ウクライナの敵だ」(SNSの書き込み)

Q「プーチン大統領はプロパガンダをずっとしている。利用されてしまうんじゃないですか?」

(ロズニツァ監督)

「誰もがプーチンはウソを言っているとよく分かっているでしょう。そうであればなぜ彼の言うことに耳を傾ける必要があるでしょうか。ホロコーストに手を貸した人びとは確かにいました。彼らは悪党です。ただしそれを国民全員に当てはめてはいけません。そうでない人もたくさんいました。一方でプロパガンダに利用する口実をロシアに与えないためにもナチスに協力した人がウクライナにいたことを認めるのは極めて大事なことです」

Q「過去の真実を伝えることが、なぜ今この戦争のなかで未来に繋がるんですか?」

(ロズニツァ監督)

「何らかの問題に直面したとき、まずはそれを描写する必要があります。それができなければ、その後、間違った道を行くことになります。語ろうとしなければ問題はどんどん深刻化し消えることはないのです」

問題を正しく描写しなければ間違った道を行くことになる。実はそれは、監督が一貫して自らの映画で表現してきたテーマです。2019年に公開された映画『国葬』。ソ連の独裁者、スターリンの国葬を記録した、当時の映像で作られた映画です。スターリンは、政治家から一般民衆に至るまで、敵と見なした人数百万人を粛清したとされ、恐怖政治を行いました。ところが、その暗黒時代を送ったはずの民衆は、スターリンが死去すると、多くが無批判にその死を痛み、功績を礼賛。国際社会も十分な関心を向けず、問題はそのまま放置されたと監督は指摘します。

(ロズニツァ監督)。

「スターリンやその後のソビエト政権が国民や他の民族に対して行ったあらゆる犯罪は断罪されていないのが実情です。彼らが犯してきたあらゆる犯罪を検討するプロセスが極めて重要です。何千万もの人々がこの政権の犠牲になりました。(ナチスを裁いた)ニュルンベルク裁判のようなものがソビエト崩壊後に行われず、罪を総括しなかったため、今このような事態になっているのです。悔い改めることなくして何も前に進みません。どんな国の国民であれ、後ろめたいものを抱えている人たちにとって重要なことです」

人間は過去の過ちから学ぶことができるのか。

(ロズニツァ監督)。

「自分の映画を見返してみて、私たちは皆、なんと悲しい運命を背負っているのかと思いました。戦争という災害は、私たちが個人として何を考え、どんな政党や主張を起きてしまうのです。結局のところ私たちは自分たち民族の運命を共有することになるのです。過去から学べなければ絶滅の危険にさらされることになります。その力があるかどうかは分かりません。その力があれば生き続けるでしょうし、力がなければ消えていくでしょう」