※インタビューは7月4日に行いました
来年結成35周年を迎える人気ロックバンド「LUNA SEA」でコンポーザー・ギタリスト・バイオリニストとして活躍するSUGIZOさん。
7月10日、ウクライナの国民的バンド「KAZKA」を招きコンサートを開きました。
戦火が続くウクライナにとどまりアーティスト活動を続ける人たちとともに作り上げた音楽とは。SUGIZOさんの思いを伺いました。
林田キャスターがSUGIZOさんに聞く “僕はリストが好き”
―はじめまして、NHKの林田と申します。
SUGIZOさん)
リンダ(林田)さん、よろしくお願いします。
―あ!ありがとうございます。
SUGIZOさん)
音楽の話ができるのがすごくうれしいです。どのへんだったんですか、特にお好きだった時代とか。
―私はショパンがすごく好きなんですけれども。
SUGIZOさん)
僕はリストが好きで。(ショパンの)ライバルね。
僕の感覚だとリストが初代ロックスターなんですよ。
格好つけてステージに立ったり、ステージでの一挙手一投足に観衆の女性が悲鳴を上げたりする。そういういわゆるロックコンサートのあり方の源流は、どうやらリストらしいんですよね。
ウクライナで大人気「KAZKA」と共演
今回、SUGIZOさんが招いたのがウクライナの国民的バンド「KAZKA」です。2017年にデビューし、首都キーウを拠点に活動。ロシアを含む近隣各国で人気を集めています。2018年にリリースした楽曲「プラカーラ(英語タイトル:CRY)」が大ヒットし、YouTubeでの再生回数は4億回を超えています。
(右から順にSUGIZOさん KAZKAのオレクサンドラ・ザリツカさんとドミトロ・マズリャクさん コーラス2人を伴って来日した)
ロシアによる軍事侵攻後もメンバー全員がウクライナ国内で生活しながら音楽活動を継続。避難場所にも使われるキーウの地下鉄などでコンサートを開き、国民から幅広い支持を得る一方、アメリカやヨーロッパ各国で精力的に公演を行っています。
―ウクライナのバンドをステージにゲストとして呼ぶのはなぜ?
SUGIZOさん)
今のこの時代だからこそ、ウクライナのアーティストと日本人のアーティストが共演することに意味があると思ったんです。
彼らのすごいところは戦時中でも音楽を止めないんですよね。
今だからこそ平和のメッセージを発信しなきゃいけないというアティチュード(姿勢)で 活動している。彼らの生き方というか、音楽に対するモチベーションに、おこがましいけど、自分に近いものを感じました。
もうひとつは、やはりどこの国もそうですけど、紛争は長引くと世の中の注目度が少し落ちる。もちろんニュースを目にして状況を知ることはできるけれど、当人たち以外の他の国々や他の社会がだんだん疲れていって注目度が落ちていく。それが見ていて辛くて・・・。
自分たちが気持ちよく生活している同じ時間、同じ瞬間に、地球の別の場所では殺し合っていたり飢えていたりする。僕はそれが耐えられない。じゃあ僕らはどういうサポートをすればいいのか、どういう意識でふだん安全な場所で生きていけばいいのかと、もう一度自問自答する必要があると思ったんです。
難民支援の原点は娘の誕生
音楽活動と並行してSUGIZOさんが長年力を入れてきたのが、難民への支援です。
これまでにヨルダンやイラク、パレスチナにある4か所の難民キャンプを訪れて、ギターやバイオリンの演奏を披露してきました。
その原点は家族ができたことだったと言います。
(2019年イラク北部のダラシャクラン難民キャンプにて 撮影:田辺佳子)
SUGIZOさん)
親になったことがすごく大きかったですね。
―お子さんが生まれて・・・。
SUGIZOさん)
娘が生まれて1年、2年たっていくうちに、自分の娘だけに対する愛情ではなくなってきて、気がついたら娘世代の子どもたち、世界中の子どもたちに意識がいくようになって。子どもたちこそが僕らの社会の次なる担い手であって、世の中を良い方向に変えてくれる希望だということをすごく強く認識したんですね。もう25年ほど前の話ですけど。
子どもたちが大人になったときによりよい社会になっていたらいいなと、そうさせる歯車のひとつになりたいなと思ったんですよね。その思いは25年間、みじんも変わっていないです。
(難民支援の原点は26歳のとき 娘が生まれたこと 提供:SUGIZOさん)
難民キャンプで気付いた“ミュージシャンができること”
当初は、ミュージシャンとしての音楽活動とは別に、あくまで一個人として寄付を通じた難民支援に取り組んでいたSUGIZOさん。転機は2016年、UNHCR=国連難民高等弁務官事務所を介して訪れた、ヨルダンにあるシリア人難民キャンプでの体験でした。ミュージシャンとしてできることに気付かされたと言います。
SUGIZOさん)
僕はいち支援者として難民キャンプの様子を見に行きたかった。ところが、「ぜひ演奏してほしい」と言われたんです。「えっ」と思って・・・。
「日々生きることに必死な難民の方々の前で、音楽は不謹慎じゃないか」と思ったんです。
「いやいやみんな求めているからぜひやってくれ」と言われて。半信半疑ながら現地で楽器を用意して、現地の仲間たちと難民キャンプで演奏したんです。
もうびっくりしたんですけど、みんなものすごく喜んでくれるんです。楽曲によっては踊ったり歌ったり手拍子したり。
命からがら国を追われて生き延びて難民キャンプまでたどり着いた。そこでは、ある意味衣食住は保証されているんですね。ギリギリですけど、まず命を守ることをやり遂げた方々。次に何が必要かというと心の潤いなんです。芸術が必要なんです。音楽も映画も芝居もスポーツも。全てそういうものは、明日食べるものがない人には無意味なものかもしれないですけど、命が保障された状態では最も大切なものになるんです。それが身をもってわかりました。
それ以降、難民キャンプに何度も演奏しに行くようになりました。みんな、例外なくものすごく喜んでくれる。その方々のある意味、精神の解放になるってことを実感して以降は、僕は180度変わりましたね。音楽が不謹慎なものじゃなくて、そういう方々にとっては、心の救いになるのだとわかった。
(2019年イラク北部のダラシャクラン難民キャンプにて 撮影:田辺佳子)
ウクライナから避難してきた人たちとの交流も
去年、ウクライナ侵攻が始まってから、SUGIZOさんは日本に逃れてきたウクライナ人をのべ数百人、自らのコンサートに無料で招待しています。
(ことし4月 コンサート終演後にウクライナの人たちと 撮影:田辺佳子)
SUGIZOさん)
やっぱりみんなものすごく喜んでくれる。故郷を追われて日本に来たお母さんが、おばあちゃんが、音楽を聴いて涙を流してくれるんです。それって今の僕にとっては、少なくとも自分が奏でる音楽の最も重要な意味、存在意義だと思っています。そこはもう収益とか、権利とか、“のし上がる”とか、そういうレベルのことではなくて。心に痛みや闇を背負った方々が、少しでも“救い”とか、“希望”とか、“癒やし”とかを感じてくださるのであれば、くさい話ですけど、それが僕の音楽の意味だなということを、細胞レベルで感じていますね。
―今回KAZKAとのコラボレーションを通して、ウクライナから避難して日本で暮らす方々に伝えたいことはなんですか。
SUGIZOさん)
世界中のみんなが、日本のみんなが、僕らが、ウクライナの平和・平穏を心から望んでいます。一刻も早く紛争が終わって、いま避難しているみなさんが安全に国に帰って故郷を立て直す。そういう平和な未来を望んでいます。なので、痛みをもって日本で生きることを強いられてしまった人たちに、少しでもサポートや、思いやりや、愛情をプレゼントしたいという気持ちです。
先に戦争を吹っかけたロシア政府に対しては、良しと思えません。一刻も早くやめるべきだし、罰せられるべきだと思う。しかし、同時に多くのロシア人たちが今の戦争に反対していて、自分の国が行ったことをすごく恥じている。僕は彼らもウクライナのみなさんと同じように被害者だと思っています。多くの平和を唱えるロシア人が拘束されたり、迫害されたりしていますよね。実はどちら側にも、平和を願っている人はしっかりいるので、僕はそこを見極めたいというか、見失いたくない。
実はSUGIZOさんは過去にウクライナとロシアの両国でコンサートを行った経験があります。2006年、多国籍のミュージシャンからなるテクノ・トランスユニット「JUNO REACTOR(ジュノ・リアクター)」に加入。2008年以降、ツアーや音楽フェスでヨーロッパ各国を回る中で、キーウ、モスクワ、サンクトペテルブルクなどで繰り返しステージに立ちました。
SUGIZOさん)
ウクライナでは2回、ロシアでは最低4回は公演しました。キーウはごはんがおいしく、いい思い出がいっぱい。あんな美しいまちが破壊されているのが自分としてはあまりにつらい。自分が訪れたことのある場所、好きな場所が戦争で廃虚になるのは初めての体験です。いたたまれない気持ちになります。
(キーウで泊まったホテルから見えた朝日 撮影:SUGIZOさん)
(2009年 ウクライナでのステージ上で 撮影:SUGIZOさん)
―最後に日本の方々に伝えたいことはなんですか。
SUGIZOさん)
ウクライナで起きている紛争を一刻も早く、みんなの声で止めたいということ。そして、平和を望んでいる人たちと意識を共有したい。音楽だけで紛争が止められるとか、世の中が変われるとは思わないけれども、音楽を通じてみんなの意識を高めたり、みんなの意識を鼓舞したりすることはできる。今だからこそ、共存や共生を最優先にしたい。
世界中どこでもまだまだ、紛争や内戦や迫害が起きている。それを忘れるべきではなく、極力コミットして、生活や人生に少しでも余裕がある人は、困っている人に手を差し伸べてあげてほしいということですね。
平和の実現を祈る楽曲を共作
“戦火の続くウクライナで活動するミュージシャンの思いを広く共有したい”と考えたSUGIZOさんは、KAZKAとともに共同で楽曲を作りました。それが、10日のコンサートのアンコールで披露された「ONLY LOVE, PEACE & LOVE」です。
KAZKAがウクライナ語で書いた詩がこちらです。
感じて 心の触れ合いを 自由な息吹を
これからもっといい時が来る
ただ知って欲しい 太陽が昇るように
私たちにとって もっといい時が来る
戦争が終わる日を待ち望む人々の気持ちを曲に込めたと言います。
曲の締めくくりは、聴衆と共に平和を願うコーラス「ONLY LOVE, PEACE & LOVE」。
「愛と平和が最も大事なことなんだ」と祈るように繰り返しました。
(7月10日 SUGIZOさんはKAZKAとステージで共演した 撮影:田辺佳子)
SUGIZOさん)
音楽の役目、できうることは、人々の心にポジティブなともし火を与えることができる、そう僕は実感しています。人々の心にメッセージやヒントや、具体的なことばでもいい、精神性でもいい、何かをともすことができれば、その人たちは行動してくれるはず。
その人たちの人生が、地球や世界や社会に対しポジティブな方向に向けば、それがきっかけとなって具体的な結果に必ずつながる。それは例えば、選挙に行くでもいい、難民の人に寄付するでもいい、もっと言うとゴミを拾うでもいいんです。
近い将来、終戦、停戦したら、次はウクライナでこの続きをやりたい。
(撮影:田辺佳子)