日本人が描く“等身大の中国人” 日中合作映画の製作から見えたものは

NHK
2022年1月19日 午後0:00 公開

ことしは日中国交正常化から50年。国どうしの関係は、難しい局面が続いていますが、その中国を舞台にした異色の映画が公開されました。

【映画「安魂」より、c2021「安魂」製作委員会 監督:日向寺太郎】

描かれるのは、父と息子の物語。厳格な父がある出来事をきっかけに息子への向き合い方を自問していきます。メガホンをとったのは、映画監督の日向寺太郎さん。原作は中国の小説、俳優は中国人、そして監督は日本人。映画の製作から何が見えたのか?田中キャスターが日向寺監督に聞きました。

※1月14日に放送されたインタビューの動画はこちらから。

◎日向寺太郎(ひゅうがじ・たろう) 1965年生まれ『火垂るの墓』や『爆心 長崎の空』などの作品で悲しみの中を生き抜こうとする人々の姿に焦点

--今回、初めて中国との共同制作に挑戦しましたが、いかがでしたか?

日向寺さん:

中国ではとても有名な小説だそうなんですけれども、残念なことにいままで日本では、邦訳されてなかったんですね。この映画を機会に日本でもこの安魂が翻訳されたところです。

中国語を慌てて勉強

--中国語も勉強されてきたんですか?

日向寺さん:

この映画スタートするので、慌てて勉強を始めたってことです。上海映画祭に行ったときに一言でも挨拶しようと思って、自己紹介の文面を中国の方に書いてもらったんですよ。ところが、文字では分かるのに発音が全くできなくて覚えるのに四苦八苦しました。

わぁ、こんな難しい言葉はもうこれから覚えられないと思って諦めてたんですけど、今回の映画スタートすることになって片言でもしゃべれないと駄目だなと思って、2017年から中国語を勉強し始めました。

映画の主人公は成功した小説家。裕福な家庭を築き、一人息子に厳しく接しています。ある日、交際相手の女性を紹介されますが、貧しい農村の出身であるという理由で結婚を認めません。その直後、息子は病に倒れます。病床で息子が語ったのは。

「父さんが好きなのは僕じゃない。自分の心の中の僕なんだ」

すれ違ったまま亡くなった息子。

ぼう然とする父の前に現れたのは息子とそっくりの若者でした。息子との時間を取り戻そうとするかのように若者の元に通う父。大きな喪失に向き合い、再生していくまでの日々が描かれます。

きっかけは友人のことば

--この映画「安魂」の撮影・制作のきっかけは何だったのでしょうか?

日向寺さん:

日本に住んでいる中国人の田原(でん・げん)さんという方がいらっしゃるんですけど、その方が私の友人なんです。映画に撮ろうよと言ってくださったのがきっかけです。

【田原さん(写真左)と日向寺監督】

中国人の田原さんは千葉の大学で文学を教えています。日向寺さんとは10年来のつきあいだといいます。日本と中国の関係悪化に心を痛めていた田原さんは、原作の小説を読んだとき、家族の物語を通してなら等身大の中国の姿を伝えられると考え、映画化を提案しました。

田原さんは「息子にもっと出世してほしいとか、もっと自分の思い通りに立派になってほしいというところはたぶん日本にもあるでしょう」ということで、日向寺さんに映画の製作を持ちかけました。「文学を通して、本当の交流、実質のある交流をしたい」という強い思いがありました。

撮影を進める中、日向寺さんがこだわったのが日本人でも中国人でも普遍的に抱える父親ならではの“不安”でした。

日向寺さん:

実はその息子のことがよくわかっていなかったんじゃないかという深い悔いというか。息子の死に出会って実は何をしてきたんだ自分はっていう非常に深い悲しみと後悔の念を持つ。そこからどうやって生きていくということがこの映画の大事なところだと思います。

【撮影現場の様子】

そんな父親の葛藤をどのように描くか。日中のスタッフで議論を重ねました。感情ははっきりとことばに出して言ったほうがいいというのが中国側のスタッフの意見。しかし、日向寺さんが大切にしたいと伝えたのは「沈黙」でした。

国が違っても死は同じ悲しみ

--この映画の一番の特徴というのは、日本人である日向寺さんという監督が中国を舞台に、ほとんど中国の俳優と製作していくわけですよね。北原里英さんが唯一日本人の役者で、全編中国語。そこにどんな思いがあったのでしょうか?

日向寺さん:

周大新さんという原作者が自分の息子さんを亡くされて、その悲しみがこの原作の出発点になってるのは確かなんです。その悲しみは、私たち日本人にも十分伝わるわけなんです。その悲しみとともにどうやって生きていくかということがこの小説のテーマだと思っております。

そこは国が違っても、人間としての悲しみ、身近な人の死というのは、人間として同じ悲しみを持つ。そこを起点にして、その悲しみとともにどうやって生きていくかっていうことは、非常に普遍的なものじゃないかというふうに考えたわけです。

【北原里英さん(写真左)は唯一の日本人として出演】

複雑な思いは表情やたたずまいで表現

日向寺さん:

映画で父親は息子を亡くした悲しみと、非常に後悔の念からひとり内省する時間が増えていくわけですよ。いろいろな感情が沸き起こってきて、それが刻々と変化していくことだと思うんですね。そういう非常に複雑な思いはことばではなくてやはり表情とかたたずまいでしか表現できないものじゃないかなと思うんですよ。

撮影の舞台は"灯台もと暗し"

--映画の舞台はなぜ河南省開封なんですか?

日向寺さん:

これはおもしろいいきさつがあります。本当は私は北京で撮影したいと思ったんです。といいますのは、北京というのは古い町並みがなくなったと言いながらも、細かく歩くと、まだ胡同(フートン)と呼ばれてる古い町並みが残っています。一方では非常に巨大なビルが建ち並んでいたりって、新旧入り交じった非常におもしろい街だと思っているんですね。北京で撮ることに最初、中国側も賛成してくれたんですけれど、首都でもあるし、政治の街でもあるのでいろんな許可だとか、金銭的な問題とか、折り合わないんじゃないかって話になりました。

じゃあ新旧混じってる中国の都市は、どこがあるんだろう、と。西安も候補に挙がったんです。しかし、西安は一大観光地なので、撮影には適さないんです、北京とは別な意味で。

この映画の企画者だった田原さんが「開封はどうだ」と叫ぶようにして言ったんですよ。開封は北宋時代の古い都です。私は1993年に初めて中国に行った際に仕事で開封にも行ってるんですよ。私もそれにびっくりしました。

確かに開封は古い町並みが残っていたし、それから20数年行ってないわけですけれど、今も現代の中国の変わりようがすごいので、直感として、「これは開封で絶対いい」と思ったわけです。

開封は、河南省にあるんですけれど、原作者の周大新さん、それから企画の田原さん、それからプロデューサーも出資者の方も偶然にも河南省の出身だったんですよ。本当に灯台もと暗しだと思いましたけれど、めぐりめぐって開封になったんです。

--日本とは違って中国は、プロパガンダに使うということがあると思うのですけれども、制作に当たって統制や検閲はなかったでしょうか?

日向寺さん:

審査という名の検閲は2回あります。シナリオ段階でまず1回、これはすんなり通りました。それから、完成した映像を見ても、日本では「映倫」がありますけれど、中国の場合は政府がやっているものですね。この審査という名の検閲がありまして、それも幸い通りました。しかし、そのことがいいかどうかというのは難しいところですね。

これはないほうがいいに決まっているわけですけれど、これは中国というシステム上、持っているものなので、そこに従わないと上映はできない。もちろん海外での上映はできるわけですけれど、中国国内では上映はできないので、それには従ってます。

【撮影を終えて】

主張しながらも粘り強く話し合いを

--日本と中国の関係がなかなか難しくなっていると思いますが、いまこの映画を公開することの意義はどうお感じになりますか?

日向寺さん:

いろんなことが違うということはもちろんあるんですけれど、その違っていることをおもしろいということも言えると思います。一方で共通している部分も多いんです。私としては、共通しているところを手がかりにしながら、違っている意見をお互いに意見をすり合わせていくというんでしょうかね。

中国人のように、みんながみんな自己主張する世界では私たちはないですけれども、違うことは違う、考え方は違うと思ったら言いながら、粘り強くやっぱり話し合っていくしかないなと感じました。  

※このインタビューは1月7日に行われ、読みやすくするために一部修正しています。