1923年9月1日に発生した関東大震災。
死者・行方不明者10万5千人あまりの大災害で、およそ9割が火災によるものでした。8月、新たに見つかった記録映像に映っていたのは津波の被害の様子。地震の直後には相模湾を中心に津波も発生し、神奈川県や静岡県などで深刻な被害が出ていたことが明らかになりました。
(ニュースウオッチ9 村上隆俊)
新フィルム発掘 伊豆を襲った津波の脅威
「100年前の関東大震災で津波後の様子が映っている新たに発掘されたフィルムがでてきた」。
8月、私は関東大震災で津波後の様子、それも国立映画アーカイブなどで保管されていない映像が新たに出てきたという情報を元に板橋区の科学館へ向かいました。フィルムを発掘したのは、東京・板橋区教育科学館の山端健志さん。去年の秋、国内のある場所からフィルムを発見しましたが、加水分解でフィルムが大きく傷んでいた状態でした。そのため、専門の業者に依頼して半年以上かけ映像を高精細化し、8月上旬に初めて映像の内容を確認しました。
(発掘されたフィルムには津波の爪痕が…)
記録されていたのは、関東大震災で津波の被災地となった静岡県東部の伊東町(現在の伊東市)です。橋の上に乗り上げて壊れた船や、津波で破壊された商店街なども映っていました。伊東町では津波や揺れで100人あまりが犠牲になりました。
(フィルムを新たに発掘した 山端健志さん)
板橋区教育科学館 山端健志さん
「新発見部分を確認したときはびっくりしました。今の認識の津波の記録として見るのとはまた違った観点で津波を捉え直す機会になるのではないかなと思います。」
伊東町を襲った津波は、どのようなものだったのか。津波の専門家の東京大学地震研究所の佐竹健治教授に映像の分析を依頼しました。まず注目したのは、商店街の近くにあった電柱です。
(映像に映る電柱 津波の高さがわかる重要な証拠だという)
(東京大学地震研究所 佐竹健治教授)。
「電柱の色が途中で変わっています。これが津波の高さで、3.5メートルぐらいまで津波が来たことがわかります。」
そのほかの映像からも高さ4メートルほどの津波が襲っていた可能性が見えてきました。
さらに、佐竹教授は映像から津波が川をさかのぼり、船などの漂流物を押し流したことが被害拡大の要因と読み取れることを指摘しました。
(川を逆流した津波が船を橋の上まで押し流した)
一方、海に近いにもかかわらず、津波の被害をそれほど受けなかったとみられる地域もあったという意外な発見もありました。
(海に近くても津波被害が少ないところも)
(フィルムを分析 東京大学地震研究所 佐竹健治教授)
(東京大学地震研究所 佐竹健治教授)。
「それほど詳しい被害の分布、浸水分布は分かっていなかったので(今後)現地で確認すると、浸水分布というか被害の分布というのが、かなりよくわかるかと思います。」
100年後の住民の受け止めは
(上映会の様子 どう地元が被害を受けたか解説も)
地元の伊東市では、この記録映像を防災に生かそうという動きが始まっています。8月末にフィルムを発見した山端さんと地元の住民グループが上映会を開きました。参加したのは、消防団や郷土史の研究者など50人あまりで、会場は満席になりました。映像をみた住民は…。
(左:篠原憲さん 右:天野勇太さん)
上映会を主催した 篠原憲さん
「100年を契機にもう一度、必ず震災は、地震は来るんだよと捉えていかないといけない。もっと身近なものだということを常々考えていかないと忘れられてしまう。」
伊東市消防団第3分団 消防分団長 天野勇太さん
「(自分が住む)玖須美地区でも被害が出ていた。1日後とか2日後でもみんな出てきて手作業で復旧作業をやっていて、人さえ生きてれば100年後でも、過去にそんなことがあったんだと立ち戻れるんだなと感じました。」
関東大震災から100年 映像が持つ力
関東大震災から100年となった2023年。
新たに発掘された映像は、100年後の私たちに減災・防災への継続した警戒を促しています。
今後この映像をどういかしていくのか、模索は始まったばかりです。
ニュースウオッチ9 ディレクター 村上隆俊
2016年入局 徳島放送局・おはよう日本を経て現所属