プロ野球、パ・リーグの最年長42歳のソフトバンク・和田毅投手。今シーズンも先発投手として勝ち星を積み重ね、6勝をあげています。この年齢でシーズン6勝以上というのは、パ・リーグでは初の快挙!
どうしてこんなに活躍ができるのか、副島萌生キャスターがインタビューしました。
(放送日:2023年9月1日)
40歳を過ぎて球速が増す
ことしでプロ21年目をむかえた和田投手。持ち味の伸びのあるストレートは、40代になってからスピードが上がっているんです。
-副島萌生アナウンサー
失礼を承知で、あえてお聞きしたいのですが…。ご自身の中で老いを感じることというか、年齢を感じることはない?
和田毅投手
きっとあるんでしょうけど、自分で感じないようにしているのか、感じていないだけなのか、鈍感で感じていないだけなのか。“何か変化はありますか?” って言われると、そこまで大きな変化は感じていないですね。逆にトレーニングは、変えるというか、増やしてるわけじゃないんですけど、強度は年々上がってるんですよね。
-ええー!そうなんですか!例えば?
例えば、持てるダンベルの重さが20キロだったのが、今は25ぐらいになってたりとか、スクワットを上げる量とかも、若いときよりは上がっていますし。やる量、そのボリュームだけを考えてもやっぱり増えてるので。自分の中で、無意識にあらがおうと思ってるから、そういうふうにできるのか…わからないですけど。
昔よりは今のほうが楽しいですね。アメリカから戻ってきてからの方がやっぱり楽しいというか、考え方も変わりましたし、年齢も上がって40超えてから、さらに楽しくなりました。
後輩とのコミュニケーションは、アメリカでの経験がきっかけ!
衰えを知らない和田投手のもとには、一緒にトレーニングを行って、直接学びたいと多くの若手選手が集まってきます。キャリアを重ねても偉ぶらない姿勢が後輩たちから慕われる理由のひとつです。
≪自主トレで多くの若い選手たちに囲まれている和田投手≫
-(和田投手が2016年にソフトバンクに復帰してからチームメートとなった)栗原陵矢選手は、和田投手のことを“死ぬほど優しくて、後輩の面倒見がよくて、何でも話を聞いて、答えてくれて仏のような存在”って話してましたけれども。
やっぱどうしても年上になってしまいますし、かなり離れてるので、自分が上から話すようなことはしないようにしています。どちらかというと、若い子たちと同じ目線で話すようにというか、なんでしょうね。これこそアメリカに行って僕は変わったんですけど。
≪2013年2月 MLB・オリオールズでのキャンプ期間中の和田投手≫
和田投手は2012年から4年間、オリオールズやカブスといったアメリカのメジャーリーグのチームでプレーしました。年齢にかかわらずフランクにコミュニケーションを取り、お互いを高め合っていく大切さを感じたといいます。
和田投手
アメリカで若いマイナーの選手と話してるとき、当然、日本語じゃないので敬語もありませんし、話し方的にね、向こうもフランクに話してくれるし、自分も話しやすかった。
年齢にそういう(コミュニケーションの)壁はいらないなと自分は思ったので、一切いらないと思う。自分は別に偉くもないし、話しかけやすい空気を出すこととか、何回か会話を重ねていくごとに“和田さんってこんな感じなんだ”みたいなふうに思ってもらったら、こっちの勝ちなので。話しかけやすいじゃないけど、話しやすい先輩ではいたいなと思います。
10年ぶりのフォークボール きっかけは後輩からのことば
そうした後輩との会話から、思わぬアイデアが生まれたことも。
今シーズン、8月10日の楽天戦。2回の先頭バッターで、最も警戒している4番・浅村栄斗選手と対戦しました。フルカウントからの7球目、キャッチャー・甲斐拓也選手のサインはチェンジアップでした。
しかし、投げたのは…「フォークボール」。なんと10年以上、投げていなかった球種だったんです。
投げようと思ったきっかけは、チームの後輩で、現在パ・リーグの打点トップの近藤健介選手と交わした何気ない会話だったそうで…。
和田投手
登板の2日前かな、近ちゃん(近藤選手)に“チェンジアップとフォークって、やっぱり投げ分けられると打ちにくいの?”って聞いたら、近藤選手は“いや本当それは嫌です”っていう話になって。
今、日本だったらオリックスの宮城投手もそうだし、昔は(松坂)大輔もフォークとチェンジアップを投げ分けていましたし、やっぱ回転が違えば、同じスピードで落ちたとしても、回転が違うだけで嫌だっていうふうに言ってたので、あれだけの打者が嫌だっていうことは、他の打者も嫌なんだなと思って。
サインはチェンジアップだったんですけど、“そういえば、近ちゃん、あんなこと言っとったな”と思って。(捕手の甲斐)拓也なら捕ってくれるだろうっていう。
-(フォークボールを投げると)言っていなかったんですか?
言っていないです。ブルペンでも投げていないですし。後日、拓也に“あれ、フォークって分かった?”って聞いたら、“ですよね~”って(笑っていました)。
-すごく今が楽しそうですね。
これから先(自分自身が)成長する可能性があるのか、ないのか。成長するためにどうしたらいいのか、自分を実験題材にしながら、あれこれ試すことができるし。
若いときはリスクもありますし、それで失敗したら、やめなきゃいけないってなると、怖いので。今はそれをしても怖くないので。それが自分の中でいい方向にいってるから、まだプロ野球選手としてやれてるのかもしれないです。
目標は、自己最速の150キロ!
-最後に目標、例えば何歳まで投げたいとかはあるのでしょうか?
それはないんですよ。何歳までっていうのなくて。人間生きようと思って“何歳まで生きますか”って言ったら、生きられるだけ生きたいと思うんです。自分が野球選手として寿命が来たなって思えるところまでやりたいなと。
それが、自分でその寿命をどう感じるかは、投げられなくなるときなのか、けがをするときなのかとか、いろいろあると思うんですけれど、自分の中で“ここが自分にとっての寿命だな”って、野球選手として終わりのときかなって思うときまでは、続けたいなっていうのはあります。
-それまでに達成したいことは?
150キロ出してみたいですね。今年はまだ147までしか出せてないので、何が足りないんだろうなとか、あと3キロを出すために、どうしたらいいのかなとか。年を重ねて衰えていってるのかもしんないけど、それを覆すじゃないけど、乗り越えられるだけの3キロ分をどうしたらできるのかなとか、考えてるだけでも楽しいので。
今回のインタビューを通じて、“年齢=老い”とか“年上だからそれらしくふるまわないといけない”といった、なんとなくある意識にしばられてはいけないと感じました。
インタビューさせていただく前は食べ物や身体のケアに秘密があると想像していたのですが、それ以上にあらゆることをしなやかに受け入れる器と、自分で限界を決めないマインドが和田投手の長年の活躍につながっているんだと思います。
和田投手が150キロを出すシーンが是非、見たいです!