森下絵理香です。
私は2018年からの2年間を宮城で過ごしました。親交のある漁師さんから「毎年3月になると気分が沈む」と言われたことがずっと気にかかっていました。
震災の記憶を風化させないことは大事だけれど、地元の人にとっては当時を思い出してつらくなる時期です。
そんな気持ちを少しでも和らげる放送ができないだろうか。そう思って、震災から12年間石巻に通い続けて「東北応援ソング」を演奏しているという押尾コータローさんにお願いしたところ、忙しい合間を縫って出演してくださることになりました。
(おはよう日本キャスター 森下絵理香)
石巻日日新聞 手書きの新聞に込めた思い
さて、今回のブログでは、石巻の取材で印象に残ったことをみなさんに共有したいと思います。
こちらは、石巻で押尾さんが石巻のライブの会場として使われている場所です。
壁に貼られているのは、手書きの壁新聞。
震災直後、地元紙の記者が手書きで制作し、避難所などに貼って回ったものです。
石巻日日新聞は石巻市、東松島市、女川町をエリアとして発行している地域誌で、創刊は1912年(大正元年)、震災前は約1万4千部を発行していました。東日本大震災では社屋の1階が津波で浸水しました。
電気も途絶え、新聞を印刷する輪転機も使えない中、なんとかして地元住民に正確な情報を届けたいと、わずか6人の記者が自分の足で地域を回り情報を集めたといいます。
現在、石巻中心部にある施設に展示されていて、誰でも無料で見ることができます。
押尾さんのライブは、この壁新聞にかこまれた空間で奏でられているんです。
震災の翌日の新聞です。
月日がたってかすれていますが、左に大きく赤い文字で書かれた「正確な情報で行動を」という言葉。
津波の被害の大きかった石巻では、情報が錯綜し、不安を抱える人が多かったといいます。
そうした取材実感をもとに、”少しでも安心してもらいたい”と言葉を選び、目立つ色で書いたそうです。
3月13日の新聞です。この日も「正確な情報で行動を」は赤文字で。
それに加えて、一番上の「各地より救難隊到着」の見出しが目立ちます。
実は12日の段階で、もっともっと広い地域での詳細で深刻な被害状況も把握できていたといいます。
それでも「現実に伝えられることは限られている」「見入る人たちの心も探りながら、あえて踏み込んだ表現は避けた」といいます。
震災から3日目の新聞。
コンビニにも張り出されました。
「女川町5千人安否不明」の記事は、女川町出身で、入社半年の記者が取材したものでした。
実際に眺めていると、手書きの文字のぬくもりも感じました。
誰かがちゃんと見てきて、伝えてくれている。人の存在を感じさせるのです。
こちらの壁新聞は普段は撮影禁止ですが、多くの人に見てもらいたいと相談したところ、今回特別に許可をいただきました。感謝いたします。
石巻駅から歩いて10分ほど。
ぜひ立ち寄って、直筆の新聞が物語る”あの日の衝撃”と”人が伝える温かさ”を感じてみてください。
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