副島萌生(そえじま・メイ)です!
サタデースポーツ・サンデースポーツのキャスターを経て、今年度からおはよう日本でもスポーツをお伝えすることになりました。心が揺さぶられるようなスポーツの一場面を視聴者の皆さんと一緒に堪能するために、コーナーを考えました。
題して・・・「メイ場面」!
スポーツの印象に残るワンプレー・ワンシーンを選手や関係者に取材し、より深く掘り下げていきます!
初回は、先月行われたバスケットボール女子のWリーグ・プレーオフファイナル。ENEOS対トヨタ自動車の土壇場で生まれた“シュートブロック”です。(放送日:5/1(月) おはよう日本)
チーム一人一人がベストパフォーマンスを出し切ったことで生まれたメイ場面。時系列で振り返りながら見てみましょう!
Wリーグ プレーオフファイナル 白熱の延長戦
1勝1敗で迎えた第3戦。勝った方が優勝です。
ENEOSは、キャプテン・渡嘉敷来夢選手を中心にベテラン選手が意地を見せます。対するトヨタ自動車は、エース・馬瓜ステファニー選手を中心に若手が躍動。
両チーム譲らず、試合は2回目の延長に突入する白熱した展開となりました。
2回目の延長 流れつかんだENEOSの猛攻
試合が動いたのは残り1分51秒。ENEOSのスリーポイントシューター・林咲希選手がみせました。
ここまで相手チームのマークで思うように得点を決められていなかった林選手ですが、味方からの鋭い横のパスを受けて勝ち越しのスリーポイントシュートを決めます。
林咲希選手
「“流れウチだな”っていうふうに、そこでやっと自分も思えました。シューターなので、やっぱり持ったらシュートっていうところだけを考えてやってるんですけど、あの試合はほんとに持たせてくれないぐらいのディフェンスをしてきてたので、あの数少ないボールタッチで決められてよかったなって思います」
さらに、その直後の残り1分34秒。ENEOSのチームの司令塔・宮崎早織選手がリバウンドを拾い、そのままゴールまで運んで2点の追加点。
相手のファウルでフリースローを得て、ここも決めます。
宮崎早織選手
「リバウンド取って、取った瞬間にもう行くと決めてたので、もう本当に最後の最後、もう力を振り絞ってスピードを出しました。それまでディフェンスしかやってなかったので最後の最後に自分に託してもらえて、うれしいなって思いますね」
これでENEOSが6点リード。試合の中でもっとも点差がついた場面となりました。
しかし、キャプテンの渡嘉敷選手は、まだ勝負の行方はわからないと考えていたといいます。
渡嘉敷来夢選手
「この場面、得点的にスリーポイント2本分の差。もし1本決められてたらワンゴール差じゃないですか?」
そんな中、渡嘉敷選手が警戒していたのが、トヨタ自動車のスリーポイントシューター・山本麻衣選手。
渡嘉敷来夢選手
「山本選手の得意なプレーってスリーポイントなんですよ。とにかくスリーポイントはやらせたくなかった、山本選手がのってしまうので。そこは絶対に自分が止めてやるという気持ちで思っていました」
そして生まれたメイ場面『シュートブロック』
この試合中、渡嘉敷選手は相手のエース・馬瓜ステファニー選手のマークについていました。ところが、トヨタ自動車・山本選手が抜け出してスリーポイントシュートを打ちに来たタイミングで、マークを切り替えて前に立ちはだかります。
そして、狙いすましたようにシュートブロック。
実況)「わー、ナイスブロック!」
メイ場面を生んだ渡嘉敷選手の勝負勘
渡嘉敷来夢選手
「やっぱりこのオフェンスで(スリーポイントが)が決まってたらまた違う展開になっていたと思いますし、相手も勢いに乗った可能性は十分あるプレーだと思うので、これ仮にパスされたとしても3点じゃなければ正直いいかなと」
馬瓜選手のマークを外して、2点を決められても4点差。相手が逆点するには2本シュートを決める必要があります。一方、スリーポイントを決められるとシュート1本で追いつかれます。
“スリーポイントでなければ逃げきれる”
最後は、渡嘉敷選手のベテランの勝負勘で相手の山本選手の動きを読み、反撃の芽をつんで優勝をたぐり寄せました。
渡嘉敷来夢選手
「一人一人が誰かのためにとか優勝のために最後気持ちを振り絞った。それがしっかりとブロックに繋がったんじゃないかなって。良い試合ですね」
どんなにタフな状況でも、冷静な判断と強い気持ちで臨み続けることの大切さを感じる「メイ場面」でした。
ちなみに・・・私と渡嘉敷選手とは同い年で、ことし32歳になるのですが、”同い年トーク”でも盛り上がりました!
渡嘉敷選手は女子プロバスケット界の中では年齢的に上の選手となる中、「一瞬一瞬を濃い時間にして、まだまだ渡嘉敷できるぞってところをみんなに見せたい」と話されていました。
これから輝き続けるという強い言葉に、同世代の一人として、非常に刺激を受けるインタビューでした。