東京オリンピック 熱狂のあとに残された"ARIGATO"(井上二郎)

NHK
2022年7月26日 午前11:30 公開

あれから1年――。私が体重計に乗って一喜一憂するのをやめた時から1年。ようし勉強しようと高価な本を買って背表紙を眺め続けて1年。…いや、そんなどうでもいい「1年」ではありません。そう、東京オリンピック・パラリンピックから1年なのです!

コロナ禍で賛否が分かれる中での開催となった東京オリンピック・パラリンピックは、史上初めて1年延期され、多くの会場が無観客になりながらも開かれました。もうあれから1年なのですね。

あの大会が何をもたらし、何を学ぶべきなのかを感じるため国立競技場に行ってまいりました。

楕円の空、緑の芝…国立競技場を包む不思議な"空気"

ようやくたどり着きました国立競技場。

いや、電車に乗ればすぐに来られるのですが、そういう意味ではなく…。

実は私、東京オリンピックを観戦するためチケットを持っていたのでした。

国立競技場での競技は当たらなかったのですが、やはり人生でなかなか味わえない瞬間を目撃したいと購入していました。

しかしご存じの通り無観客、払い戻しによりその夢はかないませんでした。

1年越しで、そのオリンピックを感じる機会を得たのです。

取材チームが申し込んだのは、「国立競技場スタジアムツアー」です。

音楽やスポーツイベントなどが開催されていないときに開かれ、チケットを購入すれば誰でも参加できます。

通常は見ることが出来ないエリアにまで入って、あのオリンピック・パラリンピックの記憶をたどることができるというものです。

高まる緊張を押さえながら、いよいよ…入場!!

まず目に飛び込んでくるのは、緑の芝生とそれを囲む赤茶色のトラック、そしてそのステージを 6万7千の観客席が取り囲みます。

頭上にはぽっかりと楕円形に切り取られたような東京の空。

一歩入ると競技場の空気に溶け込むような不思議な感覚でした。

その空気は“オリパラ”が開催されていた特別な時間には、さらに濃密なものになっていたのだろうと想像します。

アナウンサーの仕事は酷なものです。

本当に感じ入ると言葉でなく息が出るものですが、言葉でしゃべらなくてはいけない。

とはいえ出てくるのは、「壮観ですね」「大きいですね」「リレーが行われていたのを覚えています」と、アナウンサーにあるまじきつまらない感想ばかり。なんとかかんとか言葉をつないでリポートしながら、降り立っていいと言われていたグラウンドに向かいます。

アスリートの勝負の舞台に自分が立っていいのかどうか、ちゅうちょはありましたが、気づくともう走っていました。

しかし「ああ、なんて足が遅いんだ自分」という以外には言葉も出ません。

はあはあ言って感動よりも情けなさが込み上げながらも、ぜいたくな時間でした…。

世界中が目指す"数十センチの高み"に背筋が伸びる

バックヤードにも入ることができます。ロッカールームに至る通路にて。

まず目にしたのはオリンピックではありませんが、サッカー日本代表とブラジル日本代表がことし6月対戦した試合の際のサインです。

こっちにはネイマール選手が、コウチーニョ選手が…。ああこっちには三笘選手が、南野選手が…。

ミーハー心を抑えてうろうろしていると、目の前に現れたのがオリンピックの本物の表彰台でした!

この数十センチの高みに登るため世界中のアスリートがしのぎを削るのかと思うと、自然と背筋が伸びる思いがしました。

そして、この数十センチに登れなかった何百何千という敗者がつむぐ物語もまた、私たちに様々なものを届けてくれるのだということも感じながら。

こちらのイベントにはさまざまな人が参加していました。

陸上のチケットを持っていて、1年越しで夢がかなった人。

子供にパラリンピックを見せたかったという人。

選手村のボランティアをしたカップル。いろいろあったけど、やっぱりやって良かったと言っていました。

一方で、近くの商店街の店主さんたちは、無観客で経済的な効果はなかった、関心は低かったという人もいましたし、それでもやった意義はあったのではと言う人もいました。

立場や関心の度合いによってもちろんスタンスは様々だと感じました。

アスリートたちが残した無数の"ありがとう” 私たちはどうつなぐ

ツアーの終盤。

何よりも私の心に響いたものがありました。

オリンピック期間中、選手の荷物が運ばれた駐車場の壁に書かれた、オリンピック・パラリンピックの各国陸上選手の寄せ書きです。

世界各国からやってきた選手たちが、およそ300のさまざまなメッセージを書き残しています。

日本語はもちろん、英語、スペイン語、フランス語、中国語などなど、さまざまな言語が一つの壁に書き記されています。

栄光をつかんだ選手、力を出し切れなかった選手、成績以上のものを胸に刻んだ選手…。

いろいろな思いが交錯するのかと思ったら、多かったのはこの言葉でした。

ありがとうの言葉。ありがとう、ARIGATO、Thank You。選手たちのつづった、感謝の気持ち。

さまざまな意見の中で、自分たちの4年間を発揮する場ができたこと。

くじけそうな気持ちを支える人がいたこと。

オリンピックの意義や何を引き継ぐべきかをみんなで考えたこと。

しっかりとした批判を真剣にしてくれたこと。

多様性への理解を後押ししてくれたこと。

楽しかったと言ってくれる人がいたこと。

ありがとうと言ってくれる人がいたこと。

あの環境で頑張れた自分。

何への「ありがとう」なのかは皆書いていないけれど、あの異例のオリンピック・パラリンピックが何をもたらしたのか、自分自身に問いかける空間になっていた気がしました。

世界各国のアスリートが残していった「ありがとう」をどう次につなげていけるのか。

受け取った私たちがどうその意味を解釈するのか。

オリンピック・パラリンピックのレガシー(遺産)を生かすためどうするのかを考えていかねばと思った取材でした。