こんにちは。森下絵理香です。
おはよう日本のスタジオに、アコースティックギタリストの押尾コータローさんがいらっしゃいました!NHKのニュース番組には初めての出演だそうです。押尾さんは、超絶技巧とも呼ばれるテクニックで1本のギターから多彩な音色を生み出します。大阪を拠点に活動していますが、10年以上続けているのが、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市での無料ライブ。震災から12年となるのを前に思いを聞き、演奏も披露いただきました。
―石巻での最初のライブは、震災から3か月後の2011年6月。どんな思いで始めたのでしょうか?
押尾コータローさん
最初は(震災が起きたことが)ショックだったんですが、何かできることはないかと思ったらギターを弾くことしかなかったんです。ギターを届けて、元気になってもらいたいなという思いでした。
でも、怖かったです。それまで音楽に自信を持っていたんですけれど、音楽は非力だなと感じてしまった。音楽じゃなくても届けるものがあるんじゃないかと、自信を無くしてしまっていた。だから怖かったです。
葛藤の中向かった石巻のライブ からっぽの呉服店で演奏
こちらは当時、石巻市の中心部でライブをしたときの様子です。地元の人や県外からのボランティアなど100人近くが集まりました。
この場所を提供したのは、呉服店を営む米倉さん夫妻です。2月に訪ねると、お店には「お父さん、お母さん」と書いてあるアルバムが飾ってありました。
2011年、東日本大震災の津波は米倉さんの自宅兼店舗の2階近くまで押し寄せました。
店内の着物はすべて泥にまみれ、150年近く続いた老舗も営業再開のめどは立たなかったといいます。
そんなとき押尾さんがライブができる場所を探していると聞き、何か役に立てればと、空となった店舗を貸すことに決めました。
米倉絹江さんは「自分のために弾いてくださっているような気がして、毎日ヘドロの中で暮らして、お風呂も満足に入れなくてという生活がずっと続いていたので、音楽にはすごく癒やされた」と話していました。
音楽にも後押しされ今がある ライブを取材した地元新聞の新人記者
地元新聞の記者、女川出身の横井康彦さんも、押尾さんに力をもらった一人です。
押尾さんの初めてのライブを取材し、記事にしました。
実は横井さんは、実家が津波の被害にあい、大切にしていたギターも流されてしまいました。
「正直羨ましいなと思いながら聞いていた面もありました。ギター弾けていいなとか。でも、いざ押尾さんが弾いて、心の底からこう聞いてもらおうって弾く姿に、羨ましいと思ってる自分がちょっと恥ずかしくなったり。でも、この一週間後にギターを1本買ったんです」
震災が起きる半年前に入社している横井さん。
「記者にはなったものの全然文章も書けないですし、自分は世の中を知らなかったと思います。それが震災があって、押尾さんだったり、いろんな思いを持って活動してるんだなというのを知ることができて、その思いを文字にして伝えるのが仕事なんだなって思うようになりました。ただただ流れていた日常が、1つ1つ意味があるんだなとか、1人1人いろんな役割を果たしているんだなと知れたのは大きいと感じます」
石巻の人にとって特別な曲 「ナユタ」
押尾さんが毎年のようにライブを続ける中で、石巻の人にとって特別な曲が生まれたといいます。
それが「ナユタ」という曲。米倉絹江さんは「私たちにとっては、石巻の応援歌」と話します。
―石巻の応援歌「ナユタ」とは、どんな曲なんでしょうか?
押尾コータローさん
最初は東北の岩手県の遠野物語の応援ソングとして作った曲なのですが、ライブをやっているうちに、東北へのラブソングというか応援ソングに成長していった曲なんです。
―押尾さんの演奏を聴いた横井記者は、音楽に戻ってきた。その音楽の力ってあったんじゃないですか?
横井さんに教えられました。すごいうれしかったです。もう一回ギターをやる、買ってくれたというのがうれしかったです。
―こういう人たちの思いというのは、演奏するとき気持ちにのるものですか?
演奏するとき気持ちにのって、それでまた新しい音楽ができて、音楽って広がっていくかなと思いました。
―最初は葛藤があったと話されていましたが、いま改めて振り返ってみて、自身の活動にどんな意味合いがあったと思いますか?
こっちも勇気づけられたというか。自信がなかったミュージシャンも多かったと思うんですが。やっぱり行ってよかったなと、行き続けてよかったなという、そこで生まれた絆というのがあって、いまではよかったなと思います。
アコースティックの音色は、切なく聞こえる瞬間もあれば、温かく聞こえる瞬間もありました。事前の取材で押尾さんは「この曲を弾くと、きれいだった遠野を、宮城を、呉服店の景色を、石巻の人たちを、(震災後に無料ライブを開催した)大船渡を思い出します。東北への思いが詰まった曲なんです」と話していました。そんな押尾さんの音楽を聴いていると、いつのまにか私自身も自分自身のこの12年を思い出し、切なくも温かく、前へ進む力をもらうように感じました。
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