大迫選手のダイナミックな走りが帰ってきました。
東京オリンピックのマラソンで6位に入賞して、現役を退いた大迫傑選手(31)。ことしの2月に突然現役復帰を表明し、11月に復帰後初めてとなるマラソンに臨みました。
大迫選手が再び第一線で走る決意をした理由とは。単独インタビューで明かしたのは、日本のマラソン界への危機感と「もっと自由に走っていい」という思いでした。
(おはよう日本 德留駿ディレクター)
競技者として再出発したマラソンの第一人者「自由を体現したい」
ー第一線に戻ってきた理由を教えてください。
大迫傑選手
やっぱりもう一回シンプルにやってみたい気持ちが最初。でも、やってみたいだけだと今までと変わらないし、つまらない。自分が何を伝えられるかな、何を還元できるのかなと日々考えながら生活してますね。自分がレガシーとして残せるものは記録じゃないと思う。記録って塗り替えられるものじゃないですか。“自由”を体現していくためっていう感じですかね。
ー大迫選手が考える自由とは何ですか?
大迫傑選手
陸上界に自由な選択肢がこれだけあって、目標に対して進んでいけるのをもっとみんなに気付いてもらって、実際に飛び込みやすい環境を作ってあげることが大切だと思っています。それが僕が今後の活動を通してできることなのかなと。例えばアメリカなど世界に飛び出すチャンスは多くの人にあったと思う。片足だけ突っ込むだけじゃなくて。アメリカじゃなくてケニアでもいいんですけど。ケニアなんて行きたいと思ったらいつでも行けちゃう。そんなにお金(生活費)もかからないし。でも、飛び込まないのには何か理由があるわけです。ちょっとハードルが高かったり。そのハードルを下げてあげることが、一番陸上界が発展する意味では近道なのかなと。自由な選択肢があって、みんな縛りつけられてるようで実は縛りつけられてなくて、「どこに行こうが自分の意思次第だよ」ということを伝えたい。
ーいまの日本マラソン界の課題にもつながっているのですか?
大迫傑選手
日本人は“簡単に受け入れない”、ちょっと頑固なところがあるというか、守りに入る。それは日本人のいいところでもあり弱点でもあると思う。今の若い選手はどの程度の位置にメダルがあるかが分かってないと思う。だから簡単に「金メダルを獲得します」と言っちゃう選手がいっぱいいる。それは閉じこもっているからで、世界を知らないだけ。現実を直視するのは非常に辛いことではあるし、直視したところから挑戦と失敗を繰り返さなきゃいけない。でもそれを見ていかないと、1年に1回、2年に1回、4年に1回の大きな大会で全然駄目だったということに直面しちゃうと思う。難しいかもしれないですけど少しずつ殻を破っていけるようなそんな手助けをしたい。
自由を体現する大迫選手 模索するランナーとしての新しい形
ー先月、実業団チームとの契約を発表し、全日本実業団駅伝への参加を表明されましたね。
大迫傑選手
プロでありながら、所属はナイキでありながら駅伝を走るのは、すごく新しい選択肢だと思う。それでいいの?みたいな。1年に1回いい走りさえすればお金がもらえて自由な活動できるのであれば、枠組みに捉われない活動もその選手によってはできるわけで、選手の活動の幅が広がってくる。よくあるのはチャレンジをしたくてプロになったのに、結果的に日本にとどまってしまう。なぜならそこで稼がなきゃいけないから。そうすると実業団チームで活動するより、挑戦のクオリティーは低いんです。結局新しい活動ができない、挑戦ができないということはそこから突き抜けられない。ただ、年に1回駅伝を走って、いわゆる個人の活動がしっかりできるとなれば、そこの選択肢は非常に広がりやすい。もっと自由な今僕がやってる活動に近いような活動ができる。そんな可能性もある第3の選択肢があってもいいのかなと思いましたね。
<実業団チームとの契約発表会見>
―大迫選手が駅伝参戦を決断したのは意外にも思えます。心境の変化があったのでしょうか?
大迫傑選手
一度競技をひと区切りした去年8月以降、外側から陸上を見て、もうちょっと自由でいいなと思いました。取り組み方とかスポンサーとのあり方とか含めて。目標は変わってないけど、そこに到達するまでの方法がより自由な選択を選べるようになった、その固定概念がなくなったというか、そんなの別に気にしなくていいじゃんということが多くなった気がしますね。今までの僕だったら駅伝に参戦することで自分の価値が下がってしまうんじゃないかとか、外から見られてどうのこうのってありましたけど。うまくそこをちゃんと使う。そして陸上界全体のことを考えて使うことで業界自体はよくなっていくみたいな。それをシンプルに、周りの固定概念を気にせずに、自分の思っている方にスタートできた。
“自由に、ストイックに” 東京五輪以来のマラソンへ
―いま、大迫選手はどこで練習をしているのですか?
大迫傑選手
今はアメリカ・アリゾナのフラッグスタッフという標高2000~2100メートルぐらいの町で、7月からずっと合宿をやっています。
―アリゾナを選んだ理由は?
大迫傑選手
トレーニングに適していて、もう家からすぐ複数のトレイルコースに行けるし、標高が高いのもあるし、ランナーが多い町なので、例えば距離走一緒にやろうみたいなのがあったりと競技的には非常に恵まれてる町だから。
―合宿所を購入したのですね。
大迫傑選手
買いました。アスリートハウスみたいな形で、他のアメリカのチームだったり、僕の知ってるチームだったり、日本の選手もここの家を使ってもらっている感じですね。環境を変えることで自分のスイッチをONにするみたいな。拠点があることで、よりそこに行きやすい環境を自ら作るのは大事かなと思いますね。
<合宿所で過ごす大迫選手>
―復帰後初めてとなるマラソン、調整状況はどうですか?
大迫傑選手
今は練習が順調にできてますね。ワークアウトの量に関しては、東京五輪前と比べて増えたかなとは思いますし、想定された次のステップに向かうための練習も順調に消化できてるかなと思う。期待はあまり僕自身してないけど、やれることはやったなという充実感はある感じですね。
―復帰後のマラソンなので多くの注目が集まりますが、心境は?
大迫傑選手
もちろん不安な要素もありますけど、周りから何か期待されてるところは、あんまりないですね。アメリカにいることが大きいのかもしれないですけど。基本的に競技の部分は自分中心でまわしてるので、誰が何を思うかはあんまり考えないですね。
―マラソンへの挑戦、どんなメッセージを伝えたい?
大迫傑選手
他人の人生を生きないっていうか、自分のインスピレーションに従って自分の好きなように生きていい。繰り返しになりますけど自分の人生ですからね。実際、人生なんてそういうものだなと思いますね。他人の人生を生きていたりとか、僕自身もその一人だったとは思うけど、他人のことを気にしている人が多すぎるような気がしますね。これは陸上界だけじゃなくて色んな世界に通じることなのかなと思っています。
現役復帰後の初マラソン 5位に入る
このインタビューを行ってから10日あまりたった11月6日、大迫傑選手は現役復帰後の初マラソンとして「ニューヨークシティーマラソン」に出場しました。タイムは2時間11分31秒のタイムで5位。大迫選手は2位集団でレースを進め、ペースが上がった中盤で引き離されましたが、粘りの走りで順位をあげました。
今回、大迫選手にパリ五輪を目指すのか質問すると、「ともいえるし、ともいえない」という不思議な答えが返ってきました。それは、あくまで最終目標は「世界との距離を縮めること」であり五輪が全てではないという大迫選手らしい考え方でした。再び始まった大迫選手の競技者としての第2章。次はどんな常識破りの挑戦で私たちをワクワクさせてくれるのか。大迫選手の自由な活動を今後も注目したいです。
【2022年11月5日放送】