こんなはずでは…熊本地震7年 どうなる復興計画

NHK
2023年4月17日 午後4:39 公開

4月16日は震度7の揺れに2度襲われた熊本地震の本震から7年となります。

私は、NHK熊本放送局でディレクターとして働き出して半年たった時、この地震に遭いました。熊本の実家も2度の揺れで一部損壊になり、電気と水道もダウン。人生で初めて給水車に3時間並ぶ経験をし、どこか他人事だった大地震が自分の身にも降りかかった瞬間でした。

そうした中、特に甚大な被害が出た益城町がどう復興していくのかが気にかかり、取材を始めることになりました。2019年の春まで熊本放送局で仕事をしていましたが、このころ益城町では、区画整理事業が立ち上がり、大きな議論になっていました。そこで、2018年夏に区画整理事業で揺れる町民をテーマに地域番組を制作。その後、しばらく熊本を離れることになりましたが、ずっとこの話題が気になり、取材を再開することにしました。

(おはよう日本ディレクター 橋本亮)

取材で出会った小嶺隆さんの変化

久しぶりに益城町の取材に訪れたのがことし3月。益城町では熊本県内最後の仮設住宅が閉鎖されましたが、復興が進み活気がある熊本市内と比べて工事や更地もまだまだ目立ち、自分にはあまり変わってないように見えました。

<空き地が目立つ益城町の中心部>

訪ねた先は、震災直後の取材で出会った小嶺隆さんです。現在73歳。

震災から2年になろうとしていた時、元の場所に新しい家が完成間近になっていて、「やっと家族一緒に暮らせる」と話していた明るい表情が印象的でした。もともとあった小嶺さんの自宅は、震度7の2度の揺れで全壊しました。1階にはラジコンやプラモデルなどを扱う店舗が併設されていました。

被災後、夫婦ふたりは仮設住宅に入居しました。重い障害があり車いすの生活をしている娘の典子さんは、仮設住宅では暮らしにくいことから町外の施設に避難。家族は別々に暮らしていました。こうした事情から、一刻も早く一緒に生活するため小嶺さんは家の再建を急いでいました。当時を振り返って小嶺さんは「仮設ではなかなか娘をケアできる状況ではない。とにかく早く連れて帰りたかった」と話してくれました。その小嶺さんが自宅を再建したのが2018年の6月。この頃、小嶺さんのように元の場所で再建を急ぐ人も多く、100軒近くの家が建ちました。

しかし5年ぶりに会った小嶺さんの表情からは、完全に笑顔が消えていました。話を聞くと、その原因は気になっていた「区画整理事業」にありました。

<小嶺隆さん(73)>

<壊れた小嶺さんの自宅 撮影:2016年4月>

区画整理事業とは何か

益城町の区画整理事業は、2018年の10月に国から土地区画整理法という法律に基づいて認可されました。小嶺さんが自宅を再建した直後のタイミングです。

熊本地震では唯一、益城町中心部がこの事業の対象となり、対象範囲は28ヘクタール、総予算は約140億円。国が半分、残りを県と町が負担します。事業完了は2018年から2028年までの10年間の大がかりなものです。

区画整理の目的は、地震の際に住民の避難や救助活動が滞った教訓から、狭い道路をつくり直し、公園などを新たに整備することです。同時に、地権者である住民1軒1軒の区画を確定していきます。道路や公園を整備する際、地権者から土地の一部を提供してもらうこともあります。阪神淡路大震災や東日本大震災の際など、災害時の復興でしばしば実施される事業です。

2018年10月に認可が下りたこの計画ですが、実は地震の翌年の2017年4月、住民に対して素案は示されていました。しかし具体的な内容までは決まっておらず、認可が下りるまで、行政と市民の間には不信感が広がることになりました。

<区画整理前のイメージ>

<区画整理後のイメージ>

区画整理事業 一度ストップ!時間だけが過ぎていった

素案が示されてから8か月後の2017年12月。住民の代表が議論する町の審議会で、一度事業は否決されます。事業が終わるまでどれだけ時間がかかるか分からず、住民の合意形成が不十分だ、と言う理由からでした。審議会に参加した人からは「行政が上から押さえてくるから反対。全てが反対ではないが、自分たちの意見を聞いてほしい」という声が上がったのです。

行政も対応に苦慮していました。審議会のあと、県と町が共同で地権者全てに説明を行いました。それでも、事業が認可される前に家を建ててしまったほうがいいと考え、家の再建を急いだ人も少なくなく、先にも書いたように100軒以上が自宅を再建していました。

このような状況だったので、決まった事業計画では、公園や道路などにすべき場所に新しい家が建ってしまうケースが頻発しました。計画どおりに進めるには移転などが必要なケースもあり、これが復興の足かせとなり、今も問題は解決できていません。

熊本県益城復興事務所の田村伸司所長はNHKの取材に対し「家を再建されたにもかかわらず、再度、移転や再築をお願いするのは非常に申し訳ない。とにかく事業の必要性をご理解していただくしかないと思っている」と語ります。

住民それぞれの選択 そして小嶺さんは… 

区画整理を待てずに家を建てる人、待つ人。中には、東浩一さん(59)のように、土地を離れる決断をした人もいます。家族4人で暮らしていた自宅は全壊。その間、熊本市内のみなし仮設に暮らしていました。区画整理事業の説明会などにも何度か参加しましたが、「進んでいるような状態じゃない話し合いだった」といいます。2028年の事業完了まで待てないと考えた東さんは、早々に元の場所での再建を諦め、別の場所での再建を選びました。中心部から人がいなくなることは、町のにぎわいがなくなることにつながりかねない、そんな懸念も出始めています。

小嶺さんも自宅の移転を求められている一人です。事業計画によると、小嶺さんの敷地である庭のほとんどが道路にかかることになっています。小嶺さんのもとにはこれまで、県の担当者が10回以上訪問し、移転の交渉を続けていますが、事態は平行線のままです。小嶺さんは「精神と肉体的にも、もう70を過ぎたので本当に厳しい。こんな形になることは、もっと早く教えてほしかった。スピード感、説明が足りない」と語ります。

移転を求められたのは、小嶺さんのように事業認可前に家を再建した約100軒のうち19人。これまで移転などに応じたのは6人にとどまっています。

益城町の例から得られる教訓は…

どのように事業を進めていくのがベストだったのか。災害後の土地利用計画などに詳しい、東北大学災害科学国際研究所の姥浦道生教授は、次のように指摘しています。

東北大学災害科学国際研究所の姥浦道生教授

事業認可が遅れれば遅れるほど再建したい人は増えてきます。最大のポイントは事業認可なり、事業のスタートをどれだけ早められるか、ということです。被災者と町づくりのスピードはどうしても違ってくるもの。生活再建、住宅再建といった個人の意思決定と公の決定をどううまくバランスをとっていくのかが非常に重要だと思います

また複数の専門家に取材すると、今回のようなトラブルは過去の震災では比較的見られなかった現象だといいます。阪神淡路大震災では行政の対応が迅速で、地元自治体の審議会が区画整理事業による復興を決めたのは、震災のわずか2か月後。その後、速やかに事業の具体的な議論が始まりました。東日本大震災では、津波による被害が甚大でした。津波で被害を受けた地域は、自治体から住宅再建に制限がかかったため、別の場所への移転が一般的でした。

とはいえ、災害による区画整理事業は、復興の際にとられる手法として比較的知られているものであり、うまくいった例なども含め、過去の事例を生かした事業の進め方ができなかったのか。疑問は残ります。

<東北大学・災害科学国際研究所 姥浦道生教授>

4年ぶりに現地を取材して

久しぶりの現地の取材で感じたのは、外からは見えなくなりつつある熊本地震の姿です。「カメラの前で何を言っても、ごねている人に見られるのではないか」というのは、久しぶりに話をした時の小嶺さんの言葉です。そんな思いからか、いったんはカメラでの映像取材を断られました。

時間の経過とともに、被災された方々は小嶺さんに限らず、困難に直面していても周囲に助けを求めない傾向があるように感じます。「自分が悪い」と思い込んでしまう人も少なくありません。今後はさらに、その窮状や思いを聞き取り、多くの人たちに伝えることが大切だとも感じています。熊本地震で起きたことは、今後、首都直下地震や南海トラフ巨大地震、さらには最近頻発している水害などでも繰り返される可能性があります。熊本地震の教訓を伝えて共有していくことで、次の災害に備えることが大切だと思います。

益城町での区画整理事業の完了は2028年、あと5年かかります。この先どうなっていくのか、事業の完了まで見つめていきたいと思います。