私、森田茉里恵は高校生だった10年前にベトナムに2年間留学しました。
新しいビルが次々と建ち、すさまじい変化を肌で感じたあの頃からベトナムの急速な経済成長は続き、去年のGDPの成長率は8%台。社会主義の国ですが市場経済システムを取り入れ、今、最も有望な投資先の一つとして注目されています。
そうしたなか、高度なスキルや知識を持つベトナムの人材も増えていて、いま獲得競争が起きています。
ベトナムと日本、それぞれの現場をチームで取材しました。
(おはよう日本 キャスター 森田茉里恵、ハノイ支局長 鈴木康太、おはよう日本 ディレクター 長尾宗一郎 山内沙紀)
賃金が3倍に 急成長するベトナム
ベトナムには、これまでおよそ2000社の日本企業が進出しています。平均年齢が30代前半と若く、中国よりも賃金が安いことなどから、工場で製造・加工を担う多くの労働者を求めてきました。
しかし急速な経済成長に伴い、日系企業で働くベトナム人の賃金は15年間で3倍近く上昇しています。
森田キャスターが留学していた10年前と比べても…
私は今から10年前の2年間(2013年~2014年)、ベトナムのホーチミン市に留学していたので、ベトナムの変貌を肌で感じています。
<ベトナムに留学していたころの森田キャスター>
高校生だった当時、「ベトナムは今後、経済発展するから、ベトナム語を勉強しておくと将来、必ず役立つ」という先生の話を信じ、語学を勉強しに留学していました。
当時からベトナムの勢いはすさまじく、新しいビルがどんどん建つほか、海外資本の新店舗が次々と出店し、1か月ごとに街が発展していくようでした。当時の物価は日本と比べておよそ5分の1程度で、日本円で5万円あれば1か月は十分に生活できました。
<2014年 ホーチミン>
当時はベトナム料理のフォーは、1杯が日本円に換算すると250円程度でしたが、コロナ前の2020年、ベトナム旅行した際は以前行ったのと同じ店でフォーは400円程度で、1.5倍以上に値上がりしている感じでした。
通りの様子も変わりました。バイクが9割ほどを占めていた道路で、自動車を多く見るようになり、路地裏のカフェがアメリカの大手コーヒーチェーンに生まれ変わっていました。街もすっかり洗練されて、留学していた当時と比べても、目覚ましい経済発展ぶりを感じました。
<今のホーチミン市街地>
IT人材の獲得で急成長する日系企業
そうした中で、従来のベトナムの“安い労働力”というイメージは変わり、今では高度な人材の獲得競争が繰り広げられるようになっています。
ベトナム南部の最大都市、ホーチミン。中心部の高層ビルの一角に、およそ600人のベトナム人エンジニアが働く日系企業があります。
行っているのは設計をはじめとするさまざまなデータの作成で、建物を3次元モデルでコンピューター上に生成する最新技術を用いています。東京の大規模な再開発を始め、全国各地のプロジェクトを手がけています。
高度なIT技術を活用し、取り引きする日本の建設関連企業は150社以上で、売上高は毎年15%以上増加しています。
AUREOLE CSD INC. 三浦秀平会長
「ベトナムの人材の能力は非常に上がってきています。ソフトウエアでいうと日本人以上に能力は高いと思います。非常にモチベーションが高い人たちが当たり前のようにいる国ですから、そういう人たちを採用さえすれば、おのずと仕事のほうにもいい影響が出ると思います」
<三浦秀平会長>
年間10万人のエンジニアを輩出するベトナム
これだけの人材が増えた背景には、「高度人材」を育成するための国家戦略があります。
ベトナムはこれまで積極的に労働者を海外に送り出し収入や技能の向上とともに外貨獲得の重要な手段としてきました。
しかし、近代的な工業国家を目指し、10年以上前から政府予算のおよそ2割を教育に割り当て、特にITやコンピューター工学分野での育成を強化してきたのです。
2015年には年間10万人を超えるエンジニアが輩出されるまでになり、現地ベトナム企業をはじめ韓国や中国、欧米企業も人材の獲得にしのぎを削るようになっています。
日本は“選ばれる”側に・・・
日本の企業は、ベトナムの学生の目にどう映っているのでしょうか。
国内トップレベルのハノイ工科大学の学生に希望する就職先を聞きました。
ハノイ工科大学の学生
「アメリカで働きたいです。労働環境がよく給料も高く、自分に合っているからです」
別のハノイ工科大学の学生
「ベトナムの会社で働きたいです。日本企業の優先順位は低いです」
大学の門のそばで数十人に話を聞きましたが、「日本の企業」を一番に考えている人はいませんでした。
一般的に日系企業よりも欧米の企業のほうが給与水準が高いとされていて、実際に今年の旧正月に1人最高で数百万円のボーナスを支払った外資系企業もあったいいます。
また学生たちからは、日本企業は“英語ではなく日本語を使わないといけない”という言葉の壁があること、欧米の企業に比べてベトナム人社員の裁量権が少ないことなど、閉鎖的な企業文化を懸念する声も聞かれました。
女性の管理職比率が9割 キャリアアップを売りに
いまや「選ぶ側」ではなく「選ばれる側」となった日本企業。
先ほど紹介したIT企業では、女性の高度人材をターゲットに働きやすい環境を整えることで、差別化を図っています。
産休や育児休暇を取りやすくし、リモートワークの環境も整備。ベトナムでも建設業界は男性中心ですが、この会社のエンジニアは7割が女性です。
会社では女性を若いうちから積極的に昇進させ、管理職の女性比率は9割を超えています。
インターンに来た学生には、女性がキャリアアップしやすい環境だとアピールしています。
女性インターン生
「会社は女性の就職を支援し、女性のための条件を整えてくれているので、とても尊敬しています。そして将来、もし機会があれば、またこの会社で働き、自分をより成長させたいと思います」
AUREOLE CSD INC. 三浦秀平会長
「われわれが積極的に働きかけていかないと乗り遅れてしまいます。待っていても向こうからは来ないですよ。メリットを感じ取っていただければ、ベトナム人が日本企業を見てくれるのではないかと思っています」
“日本で長く働いてもらう”ために
ベトナムの高度人材を獲得しようとするのは現地に進出する企業だけではありません。
人手不足などを背景に日本国内で働くベトナム人材の需要も高まっていますが、日本に来てもらうのも簡単ではなくなってきています。
ベトナムから日本へは、働きながら技術を学ぶことを目的とした「外国人技能実習制度」を利用してやってくる人材が今も多くを占めています。
一方、技術や専門知識を持つベトナムの高度な人材に「技能実習」とは別の「技術・人文知識・国際業務」という在留資格で日本に来てもらう方法も最近注目されています。
この資格を持つベトナムの高度人材を獲得し、定着に力を注ぐ企業が現れています。
社員の1割はベトナム人 高度な技術をもつ中小企業
埼玉県に本社がある、社員およそ300人の精密機器メーカーです。
金属加工で国内トップレベルの技術力を誇り、ナノレベルの複雑な加工を行うことができるソフトウエアも独自に開発しています。F1のマシンや航空機のエンジンの精密部品などに使われ、海外からの発注も多く受けています。
この会社では、全社員の約1割にあたる35人がベトナム人で、みな正社員です。
工場内を案内してもらうと、巨大な機械を操作するベトナム人社員の姿や、あちらこちらで日本人社員に操作方法を指導している場面も見られました。
仲良さそうにしていた同期入社の社員2人に話をききました。
女性は日本人社員で、男性はベトナムからきたヒエップさんです。
日本人社員 松本かなえさん
「はじめは言葉の壁があるかも、と思っていましたが、今では日本人とかベトナム人とか特に意識せず、一緒に仕事をしています。私は文系の学部卒なので、大学で理工系を勉強していたヒエップさんが頼もしいです」
この会社がベトナムの高度人材の採用を始めたのは15年前。
採用活動で日本の若者を確保する難しさを感じ、ベトナムの大学生の採用も行うようになりました。
高度な技術を身につけるには最低でも5年はかかるため、ベトナムから日本に渡ってきた社員たちが長く働いてもらえるよう、さまざまな工夫を重ねてきました。
まずは、待遇面です。
正社員として採用し、給料も日本人と同じ水準の平均月収32万7000円です。
日本での生活は寮を準備していますが、家を借りる際には会社が保証人になっています。
さらに、ベトナムに家族を残してきた社員が安心して働けるよう、独自の保険サービスも。現地の保険会社にかけあい、医療保険の制度が整っていないベトナムでも、家族が設備の整った現地の病院に入院できるような保険商品を用意してもらいました。
さらに最近では、社員の配偶者の雇用にも取り組んでいます。
家族を伴って日本に来た社員の配偶者が希望した場合、スキルや専門知識の基準を満たせば、海外輸出の事務やITスキルを持つ高度な人材として雇用しているのです。
夫婦で働くベトナム人の従業員 ニャンさんとザップさん
「2人でやってて給料も倍になり、生活も楽になります。子どもにいい学校も行かせられる。それがいいことです」
しかし、日本で暮らし続けられる環境を整えても、家庭の事情などでベトナムに帰国せざるを得ない社員もいます。
そうした社員が日本で身につけた技術をいかして働き続けられるよう、9年前、ハノイに現地法人を設立しました。今では10人のベトナム人社員が日本の工場で製造する部品の設計などを担っています。
帰国して現地法人で働くベトナム人の従業員
「ベトナムに帰ると、このような高い技術持っている会社はあまりないので、本当にもったいないと思っていました。社長と相談して、ベトナムからプログラム作れるから帰っていいと言われました。本当にうれしかったですね」
小金井精機製作所 鴨下祐介社長
「国を捨てて日本で頑張るんだと。少なくとも60歳、65歳までは頑張るんだというつもりで来てくれている方もいらっしゃるので、私たちはその日本人もベトナム人も対等に扱い、最大限できることはやってあげたいなと。共存共栄、ウィンウィンですね、これがすごく大事だと思います。本当にわれわれの仕事は技術の積み重ねなので、5年、10年、15年と長く勤めてもらいたいと考えています」
<鴨下祐介社長>
取材で感じた“コミュニケーションの大切さ”
取材の中で印象的だったのが、社長とベトナム人社員の距離が非常に近いことでした。
朝ごはんを一緒に食べたり、食堂で雑談したり、ふだんからコミュニケーションをとっていました。
そうすることで「自動車の免許がないと買い物にいけない」といった悩みや、「ベトナムに残してきた家族が心配」、「パートナーの就職先」などの困りごとを具体的にフォローしていました。
ことばの壁も大きい「日本で働くことの大変さ」を社長や日本人の社員の皆さんが理解し、それをサポートしていく雰囲気が感じられました。
厳しい獲得競争…日本にチャンスは?
大学などを卒業した「高度人材」の獲得競争は近年、激しさを増しています。
中国に進出していた各国の企業が、より成長が見込め、政治的にも比較的安定しているベトナムに拠点を移していることも影響しています。
ベトナムで各国の企業の競争が激しくなる一方で、ベトナムの政府関係者や学生からは、日本企業への信頼や憧れの声も少なからず聞かれました。そうした期待が残っている今だからこそ、 単なる安い労働力という意識を変え、高度人材を受け入れる環境を整えていくことが、経済成長を続けるベトナムと向き合ううえで鍵になるのかもしれません。