「あの日、世界が変わった」学者たちが向き合うウクライナ侵攻

NHK
2022年8月22日 午後8:20 公開

ロシアによるウクライナへの突然の軍事侵攻は、長年ロシアを研究対象としてきた多くの学者たちにとっても想定外の出来事でした。国際政治や平和構築を専門に研究してきた人たちの中には「あの日、世界が変わった」「自分たちのこれまでの研究の意味は何だったのか」と自問する人もいます。 

研究者たちはこれからロシアとどう向き合っていくのでしょうか。2人の専門家に行ったインタビューから見えてきたのは、プーチン大統領という指導者のパーソナリティーの特異性、そして民主主義の国々が突き当たった“矛盾”でした。 

(政経・国際番組部ディレクター 加賀恒存) 

「ロシアの侵攻はこれまでの“常識”を覆した」 

まず話を聞いたのは、長年ロシアや旧ソビエトの国々の政治情勢を研究してきた慶応義塾大学の廣瀬陽子教授です。 

軍事侵攻が行われるまで「侵攻はない」と考えていた廣瀬さん。4月には大学の公式サイトに寄稿し「自分の長年の研究は何だったのか」と軍事侵攻を予測できなかった無力感を率直につづり話題となりました。 

いま、ロシアの未来を考えていくうえで欠かせないプーチン大統領本人への関心を強め、学問的にどうアプローチしていくか模索しているといいます。 

―2月24日のロシアの全面侵攻をどう受け止めましたか? 

廣瀬教授 

「自分のこれまでやってきた研究によれば、やはり攻め込むというのは非常にコストがかかることであって、本来ロシアならやらないと考えていました。今回の場合、ロシアはウクライナをNATOに入れないというレッドラインを示し、関連する提案を昨年12月にアメリカとヨーロッパにしていました。1月にはハイレベルな交渉が行われロシアの主張がだんだん受け入れられる外交状況にあったので、そこはもうロシアの外交的勝利だと思っていました。軍事的なアクションに出るとは考えにくい状況でした。 

また、ウクライナという国に攻め込んだことも非常に驚きでした。ウクライナはロシアと非常に近い同胞であって、民族間結婚も非常に多く、親戚の中にそれぞれウクライナ人がいる、ロシア人がいるというのはごくごく普通の関係でした。そのような国に攻め込んだということが信じられませんでした」 

―周囲の研究者の反応はどうでしたか? 

廣瀬教授 

「いろいろなフィールドでショックが広がっていたようです。ロシア研究の関係者の中で侵攻があるという見解は、日本のみならず海外でもほとんどありませんでした。軍事関係の研究者や、一部の国際政治学者の間では『侵攻する』との見方も出ていましたが、今回行われたようなハイレベルな全面侵攻がいきなり行われるということを想定していた人はほとんどいなかったのではないかと思います。 

『経済的な関係が緊密になっていれば戦争は起こらない』という国際政治の考え方にも影響がありますし、核抑止論も揺らいでいます。ウクライナのバックにNATOがいるという状況では、これまで一定の核抑止は成立していたと思うわけですが、それが裏切られた。今回の侵攻によって、冷戦後の『不安定ではあるけれども何となく保たれていた秩序』というのが完全に壊されてしまった。それぞれに打撃を受けたのではないかと思います」 

“非軍事手段”から全面侵攻へ 方針を変えたのは「プーチン大統領の感情」

―廣瀬さんは旧ソビエト地域の研究の第一人者として、ロシアの行動原理について研究を重ねてきました。今回のロシアの侵攻は、これまでの“常識”とどう異なるものだったのでしょうか? 

廣瀬教授 

「そもそも戦争を起こすと非常に大きなコストがかかります。国内的な安定という意味でも、戦争を起こさないにこしたことはないわけです。戦争を起こすと国際的な反発も非常に大きい。さまざまな制裁を受ける可能性もあります。 

またロシアは、これまで『ハイブリッド戦争』と呼ばれる、サイバー攻撃や情報戦・エネルギー供給などを駆使した戦い方を周辺地域に仕掛けてきました。非軍事的に相手にいろいろと脅迫を続けて自分の思いどおりに相手を動かすことができれば、それで成功だと考えてきたわけです。

もう一つ、ロシアが周辺地域に影響力を持ち続けるために利用してきたのが『未承認国家』です。未承認国家とは、自分達は独立を主張してかなり国家の様相を呈しているけれども、他の国から国家承認されていないような国です。ウクライナにはドネツク・ルハンシクという未承認国家があります。これはウクライナのNATO加盟を防ぐうえでロシアにとっては重要な存在でした。ドネツク・ルハンシクはウクライナの一部ですので、そこが「嫌だ」と言えば、ウクライナ全体としてNATOに入りづらい。またドネツク・ルハンシクで紛争状態が続いていれば、NATOとして紛争を抱えるウクライナを加盟させづらいという状況にありました。 

ロシアは、各地にこうした“紛争の火種”を抱えつつも、大きな戦争は起きていないという『消極的平和』の状況を、これまで一番望ましい状況と捉えてきたはずでした」 

―では、今回なぜロシアはこれまでの“常識”を覆して全面侵攻に踏み切ったと考えますか? 

廣瀬教授 

「まず、今回の戦争は完全にプーチン大統領の感情によって起きていると言えると思うんです。そうなるとプーチン大統領という1人の指導者のパーソナリティを見ていく事が非常に重要なのだと気づかされました。 

さらにロシアという国の新たな一面も見えてきたと感じています。最初は、ロシア人の良心がこの戦争を止めるんじゃないかというようなことも考えました。しかし現実には、ロシア人の半分ぐらいの人は、常に戦争もプーチンも支えている状況です。直近のロシアの世論調査を見ても、国民の6~7割の人たちが、ウクライナ問題の背景にある理由について『NATOとアメリカのせいだ』と考えていて、『ロシアのせいだ』と答えている人は4%ぐらいしかいないんですよ。国民の圧倒的多数が欧米のせいでウクライナの現状があり、ロシアが仕方なく戦争をしている、というたてつけで今の状況を見てるんですね。これは、われわれが見ている今の戦争の情景と全く違うものなわけです。なので、プーチン大統領個人の問題に加えて、実はもっと大きな構造的な問題があるとも思うようになりました」 

今後の研究は「指導者の“アイデンティティー”にどう迫るか」 

―プーチン大統領、そしてそれを支持するロシア人の視点に立つと、今回の侵攻に至る背景にどのような事情があったと見ることができるのでしょうか? 

廣瀬教授 

「恐らくプーチンが一貫して抱いてきた対外的な感情で大きいのは、『欧米との対抗』というところだと思うんですね。プーチンが大統領となってからの20年ぐらいというのは、欧米から自分のプライドをどんどん崩されてきた時代とも翻訳できるんじゃないかというぐらい『自分はひどい目に遭ってきた』と。欧米はずっとロシアを敵対視し、NATOは存続している。しかもどんどん拡大してきている。さらにミサイル防衛システムでもロシアを脅かしている。ロシアにとって大事な旧ソ連諸国にも欧米がズカズカと入ってきて、例えば2000年代前半のジョージアのバラ革命、そしてウクライナのオレンジ革命では、“ロシアの裏庭”が完全に欧米に汚されてしまった。この屈辱の歴史をなんとかしなければいけないということを、もしかしたら去年ソ連解体30年の節目で考えた可能性があるんですよね。その時はコロナの時期とも重なり、1人で考えに及ぶ時間が増えた。この時期に多くの歴史書を読んでいたという事も聞いています。こうしたことが今回の侵攻の伏線として非常に重要になってくるのだと思います」 

―今回の事態をこれからの研究にどのように取り込んでいきますか? 

廣瀬教授 

「今回非常につらい戦争が起きてしまったわけですけれども、今回の事態を新たな研究対象として含め、次の紛争をより長く抑止できるような研究をしていくということが大事なのではないかと思っています。 

そして、これからはプーチン大統領やロシアという国の『アイデンティティー』に着目して研究を深めていきたいとも考えています。例えばプーチン大統領であれば、バラ革命・オレンジ革命やジョージア・ウクライナのNATO加盟をめぐる動きなど、いろんなこうピンポイントで欧米の行動で非常に不信感を抱いた瞬間というのがあったと思うんですね。プーチンが心を揺さぶられたであろう瞬間と、その後のプーチンの行動をもう少し分析すると、『これぐらいのことをされるとこういうことをする』とか、逆に『ここまでされても何も反応は出ない』という見方もできると思うんですね。1つの事件と、それに因果関係があるであろうプーチンのその後の行動を、1つ1つ細かく見て分析していくことは、ある一定の研究の素材にはなるのではないかなというふうに思っています」 

想定外だった「大国の戦争」 先進国の見方に限界があった

もう1人話を聞いたのは、ヨーロッパの国際関係史を研究してきた西南学院大学の山本健教授です。 

山本教授はヨーロッパにおける冷戦の歴史についても研究を重ね、欧米諸国や旧ソビエトなどの大国間の力学がどのように動いていくのか、歴史の視点から見つめてきました。今回のロシアの侵攻は、冷戦後に世界が目指してきた平和への模索を土台から揺るがしていると受け止めています。 

―山本さんは今回のロシアの侵攻をどう受け止めましたか? 

山本教授 

「何と言っても驚きですね。大国がこれほどまでに露骨な侵略戦争を行うというのは長い間なかったことです。時代が遡ったかのような錯覚を抱きました。武力行使をすることのコストの大きさは第2次世界大戦後かなり認識されてきた。要するに、戦争っていうのは得をしない行動だと国際社会は学んできたと思っていました。侵攻の一報を聞いて、ロシアにとってどういう得があるのかと感じました。 

国連の役割についても考えました。国連安保理で拒否権を持つロシアが、今回まさに戦争を起こしてしまった。大国が起こす露骨な侵略戦争を止めるメカニズムというものが、今の世界は依然として備わっていないんだと思い知らされる、そういったインパクトがありましたね」 

―学問への影響はどう受け止めていますか? 

山本教授 

「国際関係論や国際政治学の分野では、大きく『世界は力と力のぶつかり合いであり、その延長で、戦争というものが潜在的に備わっている』という現実主義的な見方と、『経済的な相互依存やグローバリゼーションが進み、民主化が広がり、多くの国が国際組織の中で行動するようになれば平和がもたらされる』というリベラリズムの見方がありました。今回の戦争はまさに露骨な力の行使です。リベラリズムの見方よりも、現実主義的な力のぶつかり合いという世界観を補強するインパクトがあったと言えます。これまでリベラリズムの国際政治を議論してきたのは、先進国が中心でした。アメリカやEUの国々などです。でも、いわゆる発展途上国とか中国とか、ロシアのプーチン政権は、かなり西側の価値観を拒否するような、あるいは距離を取るような対応を取っていますよね。そうすると、先進国の中での『こうすれば平和になる』というような見方や議論が、やはり限界を持っていたと言えるのかもしれません」 

現実の世界で“非民主主義”の国々とどう平和を維持するか

―では、今後の国際関係においてはどのように議論を進めていくことが必要だと考えますか? 

「ここ10年~20年ほどの世界の動きを見てみますと『民主主義が増えれば世界は平和になる』という考えに基づき、欧米中心の国々による民主化支援が積極的に行われ、民主主義国が増えてきました。一方、非民主主義国からすれば、民主主義国が増えれば増えるほど、平たく言えば居心地が悪い。自分の国の味方になってくれない。そうすると、民主化の動きに反発をする。そして、非民主主義国が、民主主義でない国を支援する“権威主義的支援”という動きが目立つようになってきました。中国やロシアや、サウジアラビアなどがそうだと言われています。 

つまり現実の世界では、民主化を進めていくことが正しいとしても、それに対する反作用が起こる。これがより広い意味での国際政治におけるダイナミズムであると見ることができると思います。そうすると、民主化への反作用も含めたうえで国際政治をトータルで考えていく必要があるんだろうなと。反作用もある中で、少なくとも戦争なんてなかなか起こりにくいような世界を作っていくにはどうすればいいのかということを見直していく必要があると考えています」 

―具体的にはどのような議論が必要になるのでしょうか? 

山本教授 

「価値観が異なる国どうしがどのように平和的な関係を維持していくのかというのは難問中の難問だと思っています。でも、その中で共通の部分がどこにあるのかというのも学習していく必要があると思うんですよね。例えば、1945年の国連憲章にある『武力不行使=武力を使ってはいけない』という原則や、『領土保全=国境を力ずくで変更してはならない』という原則とか、そういう最低ラインについてはこれまでも一定程度の合意があったはずです。その辺は再確認する必要があると思います。 

もう1つ、話が大きくなるんですが、今回確かにロシアはウクライナに侵攻しましたけれども、例えば2003年にアメリカはイラクに国連決議なしに武力行使しました。これは領土を取ろうという行動ではなかったけれども、西側といわれる国々やアメリカがこれまで行ってきた好ましくない行動も、きちっともう一度見直す必要があると思います。ダブルスタンダードのような行動を取ると、基本的な価値や国家間で積み上げていくべき基本が失われてしまうからです。『お前もやったじゃないか、じゃあ何で我々は行っちゃ駄目なんだ』と。プーチンが言ってることをよく聞くと、そういうニュアンスが込められているんですよね。 

今後より共通の土台を積み上げていくためには、やはり国際規範として守るべきものを守っていくスタンスが大事だと思うんですね。アメリカだろうがロシアだろうが、価値観が異なる国どうしで守るべきものは何なのかをきちっと明確にして、実際の行動の中で積み重ねていくしかないというのが、世界政府がない国際政治において取らなければならない最低限の部分なのではないかと思います」 

ウクライナ情勢の先行きは依然不透明で、学問の理論を再構築することはまだ容易ではありません。

しかし、多くの人々の命が失われ、日常が一瞬にして奪われる圧倒的な悲劇を前にして、現実を受け止めながら「学問のこれから」を発信する2人の専門家の言葉に、強い覚悟を感じました。

【2022年8月23日放送】