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“原爆の模型”に託された願いは

NHK
2021年5月12日 午後1:37 公開

これは広島に投下された原子爆弾“リトルボーイ”の模型です。広島で被爆した人たちが自らつくったもので、被害を語り継ぐために欠かせないものとして、東京で暮らす被爆者たちの間で長い間、大切にされてきました。

被爆者が年々少なくなっていく中で、模型と、そこに託された願いをどう伝えていけばいいのか。新たな模索が始まっています。

この取材をもとにした番組ができました。放送から1週間はNHKプラスでご覧いただけます

この記事のポイント ▼“原寸大の原爆模型” ある被爆者の壮絶な体験 ▼“原爆は人間がつくった” 模型に込めたメッセージ ▼模型が廃棄の危機に・・・ 受け継いだ被爆者の願い

“原寸大の原爆模型” ある被爆者の壮絶な体験

およそ170人の被爆者が暮らしている東京・江戸川区。
この日運ばれてきたのは、広島に落とされた原爆“リトルボーイ”の原寸大の模型。全長は3.12メートルです。模型は16年間、墨田区の被爆者の会で保管されてきましたが、先日、江戸川区の会が、悲劇の元凶を後世に伝えるためにと、受け継ぐことになったのです。

江戸川区 親江会 会長 山本宏さん 「迫力ありますよね。何十万人もの人に被害をもたらすような威力あるものかということが、ますます実感できますよね」

模型をつくったのは、16年前に亡くなった被爆者、福地義直さんです。
墨田区で雑貨店を営みながら、原爆の悲惨さを、生涯かけて伝えてきました。

1945年、アメリカは史上初めて、核兵器を人間に使う決定をします。そして、8月6日の朝、原爆“リトルボーイ”を広島の上空から投下しました。
その年に奪われた命は、およそ14万。当時14歳だった福地さんは爆心地から800メートルの自宅で被爆し、体にくぎや木片が無数に刺さるなど、大けがを負いました。

福地さんの手記より 「倒壊した家屋の上で、すぐ『お母ちゃん、お母ちゃん』と叫びながら捜しました。すると倒れた家の下の方より、『ここよ、ここよ』と声が聞こえてきました(中略)美しかった母の姿はお化け(中略)ガラスの破片と火傷で血だらけで(した)」

その後も生涯、被爆の影響による体調不良に苦しめられた福地さん。
“こんな悲劇は2度と繰り返してはいけない”と、核兵器の廃絶を強く願っていたのです。

“悲劇を繰り返さない” どう語り継げば・・・

福地さんの強い思いをずっと身近で感じてきた人がいます。
東京で暮らす被爆者の健康相談などを受ける「東友会」で、40年にわたり相談員を務めてきた村田未知子さんです。福地さんは原爆の恐ろしさをどう語り継いでいくか、よく話していたといいます。

東友会 相談員 村田未知子さん 「何が一番具体的にあの被害を伝えられるかっていうこと。核兵器に対する思いだとかっていう、絶対許しちゃいけないっていう思いが強かったと思いますね」

どう伝えていけばいいのか・・・。
考え続けていた福地さんは、あるとき、広島と長崎に落とされた原子爆弾の絵を目にします。
すべての苦しみを生み出したのが、この原爆。悲劇の元凶をいつでも目の当たりにできるように、その姿を残さなければならない・・・強くそう感じたといいます。

福地さんは墨田区の被爆者の会で、原爆の模型づくりを提案。
すると、同じ広島の被爆者、野崎七郎さんが協力を申し出てくれました。
鉄工所を営んでいた野崎さんは、広島平和記念資料館で原爆のさまざまな資料を集め、自らの手で、2か月かけて、しんちゅう製の模型をつくり上げました。

その後、福地さんは他の鉄工所にも頼み、長崎に投下された“ファットマン”の模型もつくったのです。

“原爆は人間がつくった” 模型に込めたメッセージ

東友会 相談員 村田未知子さん 「(原爆は)明らかに人間が狙って、人間の上に落とした物でしょう。天災なのか、人災なのかっていうことですよね。人間が人間に、そういうことをしたんだってことを彼は許せなかった。だからそれをどう伝えるかっていうんで、模型をつくったんだと思いますね」

“原爆は、そして原爆による苦しみは、人間がつくった”

そのことを伝える2つの模型は完成後、自宅のある都営住宅の空きスペースに置きました。写真なども飾り、資料館として公開。地元の小学生などに、原爆の、そして人間の恐ろしさを伝え続けました。
模型の完成から3年後、福地さんは亡くなりました。被爆の影響による病気が原因でした。

その後、模型は墨田区の被爆者の会が引き継ぎました。

墨田区 墨田折鶴会 会長 湊武さん 「せっかく思いがあってつくられた模型ですからね、なんとかこれをね、引き継いでおきたいという思いだった」

模型は毎年開かれる戦争を伝える催しなどで展示されてきました。

模型を見た子ども 「こんなでっかいのが空から落ちてきたら、逃げたくても逃げられない」

模型が廃棄の危機に・・・ 受け継いだ被爆者の願い

福地さんの思いを受け継ぎ、大切にされてきた模型。
ところが去年、墨田区内の保管場所が閉鎖されることになり、大きな模型を置いておく場所がなくなってしまったのです。

このままでは、廃棄処分になってしまう・・・と、今度は江戸川区に住む被爆者、山本宏さんが模型の引き取りを申し出ました。
山本さんは、爆心地から2.5キロで被爆。この模型でしか伝えられないことがあると感じています。

江戸川区 親江会 会長 山本宏さん 「内心はね、見るのも嫌だし、この爆発した下にいたんですからね。だけどこれを、なんていうかな、戦争を知らない、原爆を知らない人たちに、語り継ぐいうか」

山本さんは4月、模型に込められた思いも引き継ぎたいと、被爆者の2世たちを集めました。

長崎の被爆者 「こんなに小っちゃいんですよ、われわれから言わせると。こんな小っちゃな爆弾で、14万人が死んだんですよね。こういう爆弾、今までなかったです」

広島の被爆者 「現実に(核兵器を)持っているところっていうのは何をするか分かりません。つまり核兵器っていうのはいらないんです。(核廃絶を)2世の方、3世の方にお願いするしかない。そのことを本当にお願いしたい」

被爆2世の男性 「こんな小っちゃなもんで、1つの町が潰れるのかと。すごい、恐怖、狂気だと、怖くなりましたよね」

核による悲劇を繰り返さない。
そのためには、人間が強い意志を持ち続けるしかない。模型が発し続けるメッセージです。

江戸川区 親江会 会長 山本宏さん 「もう本当、壊れるまでずっと(模型を)うちの方では利用させてもらおうかと思います。世界で持っている原爆・水爆はね、(これの)1000倍ですよ。そのくらい威力があるんです、どこの国の持っておるやつも。こんなのぜひなくしてもらいたいです」

長崎に投下された原爆“ファットマン”の模型は今も・・・

福地さんたちがつくった2つの模型のうち、江戸川区の山本さんが引き継いだのはリトルボーイの方だけです。

長崎に投下されたファットマンの模型は、まだ引き取り手が決まっていません。現在、墨田区の被爆者の会が、引き取りを希望している人たちと話し合いを進めているということです。

(おはよう日本 ディレクター 三木謙将)

【2021年4月18日放送】