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追悼 内橋克人さん “働く人の尊厳”訴え

NHK
2021年10月15日 午前9:00 公開

9月1日、経済評論家の内橋克人さんが89歳で亡くなりました。内橋さんは経済や雇用の環境が大きく変化する中で、弱い立場に置かれる人の視点に立って、誰もが安心して暮らせる社会の実現を訴えました。NHKの番組で何度も向き合ったジャーナリストの国谷裕子さん、社会活動家で現在は子ども食堂の支援を行っている湯浅誠さんとともに内橋さんのメッセージに耳を傾けます。

貧困・格差 いち早く警鐘鳴らした内橋さん

今から15年前、NHKの番組に出演した時の内橋さんの言葉です。
「結局、『勤労』働くということにどう報いるかがその国の本質を物語るわけです。このままいくと生活するのに必要な最低限の収入さえ得ることのできない勤労者が多数派になりますよ。こういう状態を社会として放置していたら『貧困の再生産』でしょう。国民を大事にしない国家に繁栄なんかありません」
(2006年放送 NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」より)

当時は今も課題となっている貧困や格差の問題があらわになった時期でした。内橋さんは一貫して働く人が報われない社会のあり方を鋭く批判しました。

内橋さんは1932年に神戸市で生まれ、大学卒業後に地元の神戸新聞社に入社し記者として勤務した後、30代で経済評論家として活動を始めました。会社や工場に足を運んで丹念に取材し、現場で経済を支える労働者を守り育成することの大切さを訴えてきました。

しかし1990年代、バブル経済が崩壊すると労働者の環境は激変していきます。企業は人件費の抑制に乗り出し、国も1996年から労働者派遣法の規制を段階的に緩和していきました。正社員と同等の待遇を得られない、派遣労働者が事務や製造業などに急速に広がっていきました。

内橋さんはこうした流れにいち早く警鐘を鳴らしました。 「規制緩和とは被雇用者にとっては、権利のそぎ落としにならざるを得ない」「新しい雇用は以前あった雇用よりはるかに低い賃金のものになるだろう」
(1995年刊『規制緩和という悪夢』 内橋克人とグループ二〇〇一著 文藝春秋 より)

2002年、内橋さんは当時増えつつあった「日雇い派遣」を追ったNHKの番組に出演しました。若者たちが携帯電話の連絡ひとつで、1日単位で職場を転々とする姿を目にした内橋さんは訴えました。

経済評論家 内橋克人さん 「結局厳しい経済状況の中で働く側の権利がどんどん譲歩させられていると思うんですよ。それはある程度やむを得ないかもしれないけど、いったいどこで立ち止まるのか、その基準を社会全体で考えるときが来ていると思う。その基準は何かといえば『働く』というのは人間の尊厳を守るということなんですね」
(2002年放送 クローズアップ現代「急増 一日契約で働く若者たち」より)

国谷裕子さんが感じた内橋さんの“静かな怒り”

番組のキャスターとして内橋さんと向き合ったジャーナリストの国谷裕子さんは、VTRが映し出す現実を見つめる内橋さんから“静かな怒り”を感じたと振り返ります。

ジャーナリスト 国谷裕子さん 「表情や言葉づかいがぐっと厳しくなる瞬間を改めて思い出しました。規制緩和を行わなければ日本経済は回復しない。国際競争力がつかない。産業のフロンティアもひらくことができない。そういう風潮が一気に広がる中で、内橋さんは規制緩和に対して弱い側の視点に立って抗ってこられた。みんなに知らせて、気づいてもらおうと」

労働者の所得は、内橋さんが懸念したとおり下がっていきました。「世帯所得の中央値」(厚生労働省の「国民生活基礎調査」による統計で、所得の低い方から高い方に順番に並べたときに真ん中に位置する世帯の所得金額)は、1995年の550万円をピークに2007年には100万円以上落ち込みました。

さらに、派遣労働者の立場の弱さが一気に表面化したのが、2008年に起きたリーマンショックでした。世界的に景気が減速する中、企業は一斉に「派遣切り」を行い、5か月間で12万人の非正規労働者が仕事を失いました。企業の寮などに暮らしていた労働者たちは立ち退きを余儀なくされ、仕事と住まいを一度に失った人々が東京の公園などにあふれました。

“北極星のような存在” 湯浅誠さんが見た内橋さん

当時、労働者に食事や寝る場所を提供する「年越し派遣村」の村長をつとめた湯浅誠さんは、内橋さんから激励を受け大切なことを教わったと語ります。

社会活動家 湯浅誠さん 「人として誠実で品格のある方だったことをとても印象深く覚えています。経済が大変になったからどんどんクビを切られて寮から追われてホームレスになってしまうのは資本主義社会で暮らしている以上どうしようもないことなのか。そういう考え方のバックボーンみたいなことは内橋さんからも教わりました。ぶれたり揺らぐことなく『目指すところはここなんだ』と言い続けてこられた、私にとっては北極星のような存在です」

かつて「一億総中流」と言われた日本社会ですが、2000年代に入り「格差」や「貧困」という言葉が定着していきました。その変化を内橋さんはこう語っています。

経済評論家 内橋克人さん 「2000年以降、『改革改革』と言われた時代から勤労者に対する人件費、つまり給与や賃金はほとんど増えていない。非正規雇用その他で削り取ったマネー、資本、余剰、これはどこに行ったかといえば多くは株主配当に回されていったということですね。株式を持っている機関投資家や富裕層に向けてマネーがマネーを呼ぶ、利が利を産むというのが今進行中の姿です。要するに効率至上主義。その結果として労働者、最も弱いところにしわ寄せがいくんですよね」
(2011年放送 「100年インタビュー 経済評論家・内橋克人」より)

近年の日本経済は、企業の業績は回復し、株価も上昇しました。一方で、働く人の所得は伸び悩んだままで子どもの7人に1人が貧困状態にあります。内橋さんは晩年、「弱い立場にある人々がますます追いつめられている」と危機感を募らせていたといいます。

社会活動家 湯浅誠さん 「非常に社会に憤っておられた。『早くなんとかしなければいけない、僕にはもう時間がないんだ』って。自分に残された時間とこの社会が内橋さんの思うようにはなかなか変わっていかないことに焦りを感じておられたのではないでしょうか」

内橋さんに触発された湯浅さんはいま、子どもたちに食事や居場所を提供する「子ども食堂」を支援する活動にあたっています。

子ども食堂支援NPO理事長 湯浅誠さん 「頑張らなきゃなっていう気持ちですかね。子ども食堂はひとつひとつは小さなボランティア活動だけれども、同時多発的に5000か所まで短期間に増えている。人々は、本当に暮らしに必要なものは何なのか、自分たちの地域に必要なものは何なのか、分かっているし行動しているっていう事だと思う。こうした人たちが世の中に増えていくことは内橋さんが望んだ人間中心の地域づくりということにもつながるのではないか。私が内橋さんから学んだものを私なりにいかす方法ではないかと思っています」

ジャーナリストの国谷さんは、コロナ後の経済のあり方を考えるうえでも、内橋さんのメッセージに耳を傾ける必要があると感じています。

ジャーナリスト 国谷裕子さん 「人を豊かにすることが経済であるはずなのに今の経済が人々を非常に苦しめている。いったい誰のための経済なのか、経済は人が人らしく生きるためのものだ、という思いがおそらく内橋さんには非常に強く根底にはあったのではないかと思います。『自己責任』が問われる社会になり痛みを受けている当事者ですら声を上げにくくなる中で内橋さんは常に将来を見通し、全体の構図をみて懸念をおっしゃっていた。今後の持続可能性を考えたときに内橋さんが提起された、市場経済一辺倒ではない、競争一辺倒ではない新しい経済について私たちがより深く考えるべき時期に来ていると思っています」

膨大な資料と書籍に囲まれていた内橋さんの書斎です。ここで書いた原稿を手元に置き、8月1日のNHKのラジオ番組に出演しました。それが内橋さんの最後のメッセージとなりました。

経済評論家 内橋克人さん 「コロナ禍の後の新しい社会理念を構築するときが来ている。倫理ある企業、倫理ある経済活動、それが問われているわけですね。人々がそれぞれに、ふさわしい生き方、望ましいあり方を追求する時期。これが迫られている最も重要なテーマではないでしょうか」
(2021年8月1日放送 ラジオ第1「マイあさ!」より)

特に若い方々の中には、内橋さんのことを知らなかったという人もいるかもしれません。今回、私たちは内橋さんに出演していただいた過去のNHKの番組を見直して内橋さんの先見性に驚きました。格差と貧困の問題、多くの人が豊かさを実感できない現実を見るとき、「働くことにどう報いるかがその国の本質を物語る」という内橋さんの言葉がいま、一層重く響きます。多くの人に内橋さんのメッセージに耳を澄ませてほしいと思います。

(おはよう日本 ディレクター 曽根峰人・村上由和)

【2021年9月29日放送】

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