中東情勢が緊迫する中、ガザ地区の人々の暮らしはどうなっているのか。今も連日、ガザの現地のスタッフと連絡をとりあっている日本人がいます。
長年、ガザ地区など現地でパレスチナ難民を支援している国連機関・UNRWAの保健局長、清田明宏さんです。
2023年10月16日、滞在中のエジプト・カイロのホテルからインタビューに応じ「犠牲者の数が多く前例のない事態に、住民は焦燥感を募らせている」と現地の様子を語りました。
(おはよう日本 ディレクター 落合洋介)
―現地の状況はどうなっているのでしょうか?
<画像提供:UNRWA UNRWAが運営する現地の小学校(Al Ma’a amonia prep. Girls school)の様子>
今まで見たこともない、聞いたこともない、本当に前例が全くない、そのような戦争になっていると思います。全く先の見えない“戦争”で、今後どうなるかということが全く読めない。そして(ガザ地区の外に)避難することもできない。もともと(壁に囲まれているため)監獄のような状況ではあったのですけれども、それが本当にどんどん厳しくなってきて、今後どうしていいのかということは分からないとみんな言っていました。
今回もガザの北部で空爆が行われているので、多くの人が南のほうに避難してきました。(南部に自宅がある)ある私の仲のいい同僚は、普通のアパートにいるんですけれども、そのアパートに50人60人と、どんどん親戚が集まってきて、そこで避難していると言っていました。そういう例が大量にあります。本当に厳しい状態です。
<UNRWAが運営する学校 現在は避難場所になっている>
2023年10月15日時点で大体60万人の避難民がいて、そのうち38万人が、UNRWAが運営している学校に避難しています。その中で食料が足りない、水が足りない、電気が足りないということで非常に厳しい状態になっています。どうやって避難所を維持していくのかが1番の課題です。水や食料は、ガザ内部である程度は調達できるのですけど、やはり人数が非常に多いですし、今まで200万人いたところの半分が南に移ってきたもので、南部が抱えられる人口の容量を超えているし、インフラストラクチャーの容量も超えていますので、非常に厳しいです。
ある程度まだ物が買えるとは思うのですけれども、やっぱり在庫がなくなると、食料や水や電気の不足が起きるのが非常に心配で、状況が悪化すると思います。
<UNRWAが運営する学校 現在は避難所になっている>
避難所になっている学校は非常に混雑していて、校庭で寝ているような形です。衛生環境も悪く、ゴミの整理もきちんとできない状態です。公衆衛生的にこのままでいくと大きなアウトブレイク(感染爆発)、疾病が広がるおそれがあります。
唯一の救いは、今10月中旬ぐらいで、日中は暑いですけども夜は涼しい。そうとは言えやはりこの状態が続くと、いわゆる下痢とか、感染症が広がる恐れが非常に強いですね。
われわれもそういう避難所に、お医者さんとか看護師さんを置いて、ある程度の薬は確保しているのですけれども、やはり人数が非常に多いということ、衛生状態が悪いということ、そして食糧が不足しているので、体の免疫を維持するという部分でも環境が良くないということで懸念しています。
―現地の医療機関の状況はどうなっているのでしょうか?
UNRWAが運営している診療所はガザ全体で22か所あるのですけれども、現時点で機能しているのは8つだけで、北から逃げてきた人を含めて全体の治療をしています。 それから今われわれが理解している限りでは他の医療機関も非常に厳しい状態で、病棟の使用率が8割9割で、重症患者を入れるICUはすべての病院で100%を超えていると聞いております。
また医薬品も不足しています。ガザにあるUNRWAの一番大きい倉庫は、ガザの北側にあります。そこに薬剤・医薬品の全部を保管していて400個以上のアイテムがあるんですけども、北部は危険ですので避難することになり、保管していた6.7億ドル相当のものを全て失ってしまいました。
今8つのクリニックにある薬剤で、ガザの全部の要求を満たすとすると、1か月以内に薬が全部なくなるおそれがあります。
特にインシュリン、糖尿病の治療に一番大事な命に関わる薬なのですけれども、現状では1週間か2週間でなくなるというのが2023年10月16日の計算で判明しました。
あと、妊婦さんも心配です。
やはりハイリスクの方、お医者さんにきちんと見てもらえない方、それから医療にアクセスしにくい方がどんどん出てきていますので、そこも非常に大変なところですね。
そういう方がどこで分娩をするのかということが今一番の課題の1つで、もともとガザでは分べんはすべて病院でやっているのですけれども、その病院にアクセスできるかということも含めて、非常に医療状態は厳しいです。
―現地では、電気やガスも止まっている状態(202310/16時点)と聞いています。診療所では、どのように対応しているのでしょうか?
<画像提供UNRWA UNRWA Compound 10月13日撮影>
もともとガザのUNRWAの診療所の多くは、太陽光パネルがあって、電池もあります。それが働いている限りはある程度の仕事ができますし、検査機器も動きますし、コンピューターも動いています。エアコンとか、非常に電気を消費するものは動かないのですけれども、それ以外はある程度動きます。
ですから、太陽光がある診療所は運営できている状態です。またすべてのクリニックに発電機も付いていますので、それが続くかぎりは太陽光あるいは発電機の電熱で続いていくと思います。ただ問題は、その発電機の燃料がいつまでもつかです。今日聞いたところによると、このままいくとあと数日ですべての燃料がなくなるかもしれないということで、今節約をしながら、どうやって燃料をガザ国内に入れるか、それからガザ国内でどうやって調達するかということを現地の方が一生懸命検討してくれています。
―現地のUNRWA職員とはどのようなやりとりをしているのでしょうか。
現地の職員とは毎日会議で話をしています。現地の職員の多くはUNRWAの施設に避難していて、そこに電気やネット回線はまだあるので、それを使って意見を交わして、どういう状態かを把握しています。
一般職員も家に太陽光のパネルがある場合は、まだ電気があり携帯が使えますので、それでなんとか話をしています。ただ家に太陽光がないとか、あるいはもう避難先に行って電気がない人というのはコミュニケーションが厳しくなっていて、非常に心配しております。
1人、毎日数回話をしている人がいて、彼がUNRWAのガザの保健の重要人物なのですけれども、とにかくまず最初に聞くことは「昨夜どうでしたか」とかですね、「今どういう状況ですか」ということを聞いています。
非常に仲がいいので、「まだ頑張っている」とか「ちゃんと寝ているの」とかいう話はします。 向こうも笑って「眠れなかった」とか言っています。
あとはクリニックがいまどうなっているのかとか、いくつ開いているのかとかという話を聞いて、彼が教えてくれます。しかし避難所は非常に厳しくて、避難所に入れない人も周りにいるし、その中で何とか支援をしようとしている。
時には彼の話が長くて止まらなくなるのですけど、聞いてあげることも私の重要な仕事だと思いますので、そういうことをやっています。
―衝突が始まってから時間が経ちましたが、現地のUNRWA職員の方たちの気持ちの変化は感じますか。
長い衝突になってきていますので、焦燥感を募らせているのは感じます。この先どうなるのだろうという不安感も感じます。こんな戦争は今までで見たことがない。こんなに人々が移動しているのは見たことがない。ものがどんどんなくなっている。食料が減ってきている。燃料がない。当然ですけど、電気がない。そういう生活の圧迫感がどんどん増えているので、そういうところで焦りを感じているのだなと感じます。
あとですね、前だと毎日連絡できた人が、連絡できなくなるケースが増えてきています。無事は確認しているのですけれども、電池がないと携帯が使えないのでそういうケース状態がどんどん続いています。
一方で、ガザ地区にいる中でも毎日仕事しているんですね。いろんなことを調べて教えてくれるし、いろいろな報告もしてくれて非常に感動しています。
―UNRWAの職員にも死傷者が出ているようです(2023年10月16日時点で14名)。
非常に残念ですし、つらいです。そのうちの1人は、シュリーンさんという産婦人科の専門のお医者さんで、本当に一生懸命いろいろな仕事をしていて、非常に感じのいい、非常に優秀なお医者さんでした。彼女が亡くなったということは、本当にみんな聞いて悲しい思いをしました。
彼女はガザ市内に家族と一緒に住んでいて、ガザ市内が危なくなったということで南側の実家のある難民キャンプに戻ったところで、爆撃にあって亡くなったと聞いております。本当に残念です。本当につらいですけれども、彼女のために、われわれももっと頑張って仕事をしないといけないなとは思っております。
―清田さんは、これまで何度もガザ地区の紛争を目の当たりにしているが、今回の衝突について、どう感じていますでしょうか。
<画像提供:UNRWA>
今回と今までと全く違うと思います。その規模自体も非常に大きいですし、犠牲者の数も多いですし、ハマスのロケットの攻撃自体も前例のないものです。
端的に言って、全く先が読めないというのは今回の衝突の特徴だと思います。ですから非常に悪い予感がしています。
ガザ北部は、人々がいなくなって、これから激しい空爆や地上戦が起こるのかもしれませんけれども、最終的にこの衝突が終わって、ガザがどういう形になるのか、ガザの人々の生活がどういう形になってどういう形で復興できる形になるのか、そして、我々UNRWA、国連機関がどういう形でそれに携わって、難民の方を守っていけるのかというのは全く本当に正直いって分からない。今は本当に現状の人々の命を守っていくこと、人々の生活それから命を守るということに集中していますけれども、将来を考えると本当にどうなるかわかりません。
―ガザ地区で暮らす人たちにとって、今回の衝突は予想外のことだったのでしょうか。
<南部へ避難する人々>
私が話をしている人の間では非常に驚いたという人が一般的です。
今私はエジプトにいるのですけれども、エジプト国内にガザ地区で働いているUNRWAの職員は4人います。一人は個人的な家族の理由で来ていて、残りの3人はエジプト国内で研修があったのでそろって出てきていたら、戦争になりました。これは非常に象徴的なことで、ガザのようなところですと緊張が高まっている時期は(境界の)外に出られない状況にあるんですが、今回は(直前でも)みんな外に出ることができて、そうしたらいきなり衝突が始まったということで非常に驚いていると思います。
ただ、ガザの状況は非常に厳しかったので、いつかこういう大きな戦争がまた起こるのではないかという危惧はみんな持っていました。
―現地の方たちは「ハマス」についてどう考えているのでしょうか。
非常に複雑な思いだと思います。先ほど言いましたように、いつか何か起こるとみんな言ってましたけれども、これほどの規模で起こるかという点では驚いている人が多かったと思います。
とにかく今一番のみんなが思っているのは、衝突が起こった背景よりも早く戦争が終わってくれ、ふだんの生活に戻してくれ、ガザの封鎖を解いてくれと思っています。そして、食料物資をちゃんと入れてくれということだと思います。つまり、自分の命をどうやって守るかが今一番の火急の課題ですので、みなさんの考えはそちらのほうに向いているとは思います。
―ガザ地区の人たちのために今後どのようなことが必要でしょうか。
<UNRWAの施設に避難してきた人々>
今一番大事なのは人道回廊。きちんと設置して、それに必要な薬剤、その他をきちんと入れるということですね。ただそれまでは、今在庫がある薬、今在庫があるものでなんとかしのいでいくという感じです。ですから時間との戦いで、一日でも早く、人道回廊を開けていただいて、WHOやUNRWAの薬がきちんと入ってくるようになるべきだと思います。
―人道回廊が開いたときのための準備はどのように進めているのでしょうか。
まずエジプトで、空輸した薬剤をきちんと保管していて、人道回路が開いたときにはすぐにガザ地区に持ち込めるようになっています。
もし中に入っていければ、エジプトの赤十字社あるいはわれわれUNRWAが、そこからきちんと受け取って必要な施設に送れるようになると思います。ただそのためには燃料や車のガソリンなどそういう物資もきちんと入ってこないと、支援物資を持ち込めても配れないという状況に陥りかねません。
また、ガザ地区に入ったときに空爆がない、ということをきちんと保障していただかないと活動はできません。
―清田さんは、日本がUNRWAの支援をはじめてから70周年となることに関連した催しのため、2023年10月7日までガザ地区の中学生3名と日本を訪れていたと聞いています。いまその中学生はどうしているのでしょうか?
<ガザ地区の中学生と広島平和祈念資料館を訪れた清田さん>
ガザ地区内に入ることができなくなってしまったので、いまはヨルダンにあるUNRWAの事務所にいます。
空港まで迎えに行ったんですけれども、笑ってはいましたけど、悲しい顔はしていて、車でアンマン市内に移動中に涙ぐんいる人もいました。
アンマンについてから、とにかくみんなで彼らを励ましたいということで、うちの事務所に来てもらって、みんなでごはん食べたりとか、あるいはある人は乗馬に連れていったりとか、そういう事をしながらなんとか励ましていて、きょう学校に行ったそうです。3人とも学校に行く事によって、厳しい状態の中でも、何とか普通の生活を続けてほしいというふうに思っています。
彼らがヨルダンに残る時に、われわれのほうでご両親の承諾を得ないといけないんですが、「いま非常に危険なのでなんとかそこできちんと生活をして生き延びろ」というふうにいわれたと言っていました。彼らを支えるのがわれわれの仕事の1つだと思っています。
今のところ彼ら3人の親御さんは、きちんと連絡がついていて、大丈夫なんですけれども、彼らが無事に自分のいたガザにきちんと帰れるよう、支援を続けていきたいなと思っております。
―最後に、日本の人たちにお伝えしたいことはありますでしょうか。
日本の支援は1953年から始まっていて、日本が国連に復帰する3年前なんですね。
日本はパレスチナ難民の支援を国連に復帰する前から続けていて、今年70周年になる。 いま非常に厳しい状態であるガザの人の方たちのためにもぜひ今後も支援を継続していただければと思っています。
今回、お話を聞いた清田さんが所属するUNRWAへの寄付は