「バスに乗るのは、100回に1回の勇気を出すくらいのことです」
双子育児中の母親が漏らした声です。
SNS上では、バレーボール元日本代表の大山加奈さんの体験談が話題になりました。
2人乗りベビーカーに双子を乗せてバス停で待っていたら、最初のバスは後ろのドアを開けてもらえず乗車することができなかった。次のバスには乗車できたものの、乗り降りのサポートをしてもらえなかった、というものです。
この路線を運行するバス事業者は私たちの取材に対し、“バス停に隠れて気がつかなかった”、“スムーズに乗車しているように見え運転手のサポートは必要ないと判断した”と回答しています。
国は"2人乗りベビーカーを折りたたまずに乗車できる"との方針を示していますが、なぜベビーカーでの公共交通機関の利用をめぐりこうしたトラブルが絶えないのか。
多胎児育児とバスの運行、2つの現場の実態をひもときながら探りました。
(おはよう日本ディレクター 小田翔子)
ベビーカー利用をめぐるみなさまの体験談やご意見をぜひお寄せ下さい。
バスに乗れない…2人乗りベビーカーを使う親の苦悩
都内に住む関口愛子さん(34)は、2歳の男の子と1歳の双子の女の子、あわせて3人の子どもを育てています。
長男1人のときには1人用ベビーカーで路線バスをよく利用していたという関口さん。しかし2人乗りベビーカーを使用するようになって、バスを利用するのは難しいと痛感する出来事がありました。
ある日子どもたちと外出していたら急に雨が降り出したため、始発で比較的空いている停留所から路線バスに乗ろうとしました。
<2人乗りベビーカーを使用している関口愛子さん>
関口さん
「運転手さんに『乗せたいです』と声かけをしたんですけど、すごくけげんそうな顔をされてしまって、目を合わせてくれなくて、あまり返事が聞こえなかったので。乗車を手伝って下さったのですが、“降りるときにも手を借りられるかな、どうしよう”っていう不安な気持ちでした。やっぱりもう乗るのはやめておいた方がいいのかなという気持ちになりました」
2人乗りベビーカーは1人用に比べて幅が広く、重さもベビーカーだけで10キロ前後あります。子どもを乗せたまま親が1人で持ち上げるのは危険です。
ベビーカーをたたんで乗り込むことも子ども2人を抱えながらでは難しく、また、広げたままだと車内で場所を取るなど周囲に迷惑をかけてしまうという思いもあり、関口さんはそれ以来、双子を連れてバスに乗ることは避けています。
関口さん
「人に頼らないといけない環境の中で、スロープを出してもらったり、運転手さんの時間をとってしまったり。あと車内の込み混み具合ですね。申し訳ないなっていう気持ちがあるので、バスに乗ることを選べないことが多いです」
都内は「2人乗りベビーカー折りたたまず乗車できる」
そもそも2人乗りベビーカーで路線バスに乗ってよいのでしょうか。
実は国土交通省の協議会は2020年3月、「混雑しているなど乗車が難しい場合をのぞいて、2人乗りベビーカーを折りたたまずに乗車できる」という方針をとりまとめています。
それにのっとり、都営バスと東京都内の民間バス事業者などは共同で安全な乗車の手順を検証してきました。
▼乗車手順①前乗りバスの場合、前のドアで運転手に声をかけ後ろの広いドアから乗り込む
▼乗車手順②乗務員がイスをたたみ、空いたスペースにベビーカーをとめる。
▼乗車手順③車輪のストッパーをかけ、専用のベルトで2か所固定。
こうした検証に基づき、今年5月「混雑時など乗車が難しい場合は除き、都内の路線バス全線で2人乗りベビーカーを折りたたまずに乗車できる」としました。
また「利用者からの要望があれば乗降時に運転手がサポートする」という方針も定めていたのです。
“運行ダイヤ・ワンマンの限界” 現役バス運転手が語る限界
しかし現役のバス運転手を取材すると、ルール通り運用することの難しさが見えてきました。
5月以降に2人乗りベビーカーに対応したことがあるという、首都圏で路線バスを運転する40代の男性は「車内が混雑していない限り乗車を断ることはない」と語ります。
ただ2人乗りベビーカーが乗り込む際、車内の乗客に向けてベビーカーが乗り込むことをアナウンスしたものの、その親に声をかけたり、乗り降りのサポートに動いたりはしなかったといいます。
首都圏で路線バスを運転する40代男性
「やはり乗り降りするのが大変だから、心の中では『これは運転席から離れてお手伝いしないと』と思ったんですが、他のお客様が時計を見始めたりですとか、『このバスはまだ発車しないのか』『早く動いてほしいのに』みたいな空気は車内からもうひしひしと伝わってきたりして、なかなか行動に移せなかったです」
都内の路線バスのほぼすべては「ワンマン」と呼ばれる乗務員1人態勢で運行されています。乗務員の男性は、1人でさまざまな役割を担わなければならない現状では、やれることに限界があると感じています。
「私たちは周りの交通を気にしたり、車内の安全を気にしたり、あとは運行時間も気にしなくてはいけなくて。1人でいろんなことを考えながら運転しているので、なかなか気が回らない。ですので私たちに2人乗りベビーカーのサポートも加えてやってくれと言われても、これ以上はなかなか対応しづらいです」
“乗降手順を練習する機会ない” ルール不浸透の実情
2人乗りベビーカーの乗り降りをどうサポートすればよいのかが、乗務員に十分浸透していない実情も見えてきました。
<都内で路線バスを運転する60代男性>
30年以上都内で路線バスの運転をしている男性です。
自身が勤めるバス営業所では、2人乗りベビーカーを折りたたまずに乗車できるというルールが決まってからも、実際に手順を練習する機会がないと語ります。
都内で路線バスを運転する60代男性
「『通達がありました』っていう紙を貼ったり、3か月に1回開かれるミーティングで『こういうルールになりましたので注意してください』と言われたりした程度で、まだ私たち運転手は具体的な手順を分かっていないんです。そういう状態にもかかわらず、急に現場任せに『運転手が乗降サポートをやるのが当然』みたいなことは困るなと。お客さんに対して思いやる気持ちをもっと出していきたいのに、それができない状況が作られているんじゃないかなっていう。年々やりづらくなって来ているなっていうふうに思います」
私たちが都内の主要なバス事業者を取材したところ、各社で研修会などは開かれているものの、全ての乗務員が受けているわけではないことが分かりました。
ある事業者は「今後研修を進めていき全乗務員に浸透するように努める」と回答しました。
2人乗りベビーカーでバスに乗れるようにするには…
バスに乗車できず悩む2人乗りベビーカー利用者、そして対応に苦慮する運転手。
どうすれば、お互いに不安なくバスに乗車できるようになるのか。子育ての移動に関する国の協議会で座長を務める、中央大学教授の秋山哲男さんに聞きました。
秋山さんは、バス事業者による社内教育・研修を充実させる必要性ともに「共生社会の観点から分刻みの運行ダイヤを見直す時期にきている」と指摘します。
<中央大学・秋山哲男教授(国土交通省「子育てにやさしい移動に関する協議会」座長)>
秋山さん
「路線バスは多様な人が利用する。ベビーカーの人も車イスの人も利用する、すると当然数分遅れる可能性があります。そういった面を想定したダイヤの組み方・決め方をルール化することが必要です。そこをもう少し丁寧にやれば、運転手の人はそこまで心配する必要はなくなるし、それから同乗者にとっても教育になる。日本は共生社会の入り口に入ったばかりなので、5年、10年後を見据えて、バスに乗る時にはこういうルールにしましょうというのを行政やバス会社が呼びかけて作っていくというのも一つ大事だろうと思います」
さらに秋山さんは、車イスの使用者や高齢者のためにノンステップバスやスロープ付きバスが開発され普及したのと同じように、将来的には、ベビーカーを乗せやすい自動スロープなどの車両開発を図ることで、運転手の負担を減らしつつ、子育てをする親が不安なくバスに乗れるような環境を整備していくことも必要だと語ります。
“外出できない苦悩”が多胎児の親を孤立させる
取材を進めると、2人乗りベビーカー利用者である親を悩ませているのはバス利用だけではないことが分かってきました。
2019年に全国の約1600人の親を対象に行われたアンケートでは、双子など“多胎児”の育児中につらいと感じたこととして、90%近くの人が「外出・移動が困難である」ことをあげたのです。
アンケートを実施した、多胎育児のサポート活動をするNPO法人のもとには「2人乗りベビーカーで出かけたものの、外出先でさまざま困難に直面して目的を果たせなかった」という事例がいくつも寄せられています。
事例1)電車で出かけたものの、到着した目的地の駅にエレベーターがなく駅から出られなくて、そのまま引き返して帰宅した。
事例2)コーヒーを飲もうとファストフード店に入ろうとしたが、入り口に高さ8㎝ほどの段差が3段あって、ベビーカーを持ち上げることができずあきらめた。
さらに多胎児の親へのアンケートで「気持ちがふさぎこんだり、落ち込んだり、子どもに対してネガティブな感情を持ったことはあるか?」という質問をしたところ、9割以上の人が「ある」と答えました。
子育て支援をしているNPO法人の市倉加寿代さんは、多胎児の親が単胎児以上に睡眠時間が取れず、身体的にも心理的にも追い詰められ孤立していくのを何度も見てきました。
要因のひとつに「子供を連れて自由な外出・移動すらままならない社会環境」があるといいます。
<NPO法人フローレンス 市倉加寿代さん>
市倉さん
「外出して1つの用事を済ませられないということが、もっといろんな事を引き起こしてしまう。悩みごとを他人に相談したりストレスを発散したりもできないので、子育てを孤立させてしまうことにまでつながりかねない。育児の負担が大きい多胎児の外出困難を打ち破るためにも、2人乗りベビーカーで移動しやすい社会にしていかないといけません」
“誰も取り残さない”共生社会へ
社会のさまざまな所に潜む2人乗りベビーカーでの外出を阻む壁を、どうしたら解決できるのか。
中央大学教授の秋山さんは、“誰も取り残さない共生社会”を目指すことが必要だと話します。
秋山哲男さん(国交省「子育てにやさしい移動に関する協議会」座長/中央大学教授)
「バリアフリーの法律が出来て30年ほどという段階に入っていて、駅や大きな施設などは使いやすくなり始めましたが、まだ道半ばです。子育てをしている人たちは数年で当事者でなくなり、子育ての問題への関心が薄くなります。だから吹きだまりのように問題が解決されずに少しずつ蓄積していっている。当事者でなくても、あたたかく見守るという社会の流れがまだ作れていないんです。例えば、多胎育児中の外出が大変ならばタクシーを使いやすくするように、自治体が補助金を出して格安で乗れるようにする。その分、税金が使われるわけですが、国民全員でコストを負担しようというのが真の共生社会なんじゃないか。誰も取り残さないということを考えたときに、ハード面のバリアフリーと、人々の意識という心のバリアフリーを両立させなければいけません」
【取材後記】当事者でない人の役割も
12月20日、都営バスを運行する東京都交通局が主催し、2人乗りベビーカー利用者との間で意見交換会が行われました。
バス運転手と親が、乗車する際の手順を一緒に確認。安全に乗せる方法や、難しく感じる点は何か、どうしたら解決できるのかをそれぞれの視点で話し合っていました。
双子育児中の関口さんの姿もありました。
終了後に話を聞くと、「どこまで自分でやったらいいかとか、乗る側の自分がやるべきことの確認ができた。2人乗りベビーカー利用者でない運転手さんにも分からないこともあるというのも改めて知ることができた」と話していました。
当事者の間ではこうして少しずつ模索が始まっています。
しかし、2人乗りベビーカー利用者の不安や、バス運転手の負担が完全に解消されたわけではありません。
専門家の秋山さんが指摘していた「誰も取り残さない共生社会をめざす」ということは、誰かに任せきりにしないということだと思います。
私を含め、今は直接の当事者ではない人も「いつか私がベビーカーや車イスを使う当事者になったときに、回りまわって“助かった”と思うときが来るかもしれない」と考える、そのような視点を1人1人が持てるといいなと感じました。
【2022年12月27日放送】