“地域に根ざしたオーケストラを” 指揮者・佐渡裕の挑戦

NHK
2023年5月8日 午後2:00 公開

ヨーロッパと日本を拠点に、世界各地のオーケストラを指揮してきた佐渡裕さん。4月から、東京・墨田区に本拠地を置く新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任しました。新日本フィルは、指揮者の小澤征爾さん・山本直純さんのもとで創立され、昨年で50周年を迎えた歴史あるオーケストラ。 近年、若者のクラシック離れやコロナ禍によって観客数の減少などに直面しています。佐渡さんは「音楽の力で墨田区を盛り上げるとともに、オーケストラの魅力を知ってもらいたい」との思いから、地域に根ざした活動を始めています。

  佐渡さんが目指しているものは何なのか、三條キャスターがインタビューしました。 

(おはよう日本 三條雅幸アナウンサー、三宅響ディレクター)

新日本フィルハーモニー交響楽団・音楽監督に就任

―音楽監督に就任し、4月に定期公演も行われた。率直に今の心境はいかがですか?

観客の皆さんとはいい関係でスタートできたと思います。自分がどういうことをやりたいと思っているかというと、オーケストラの音を良くしていくということは当然僕の役目ですが、街の中でオーケストラというものが社会的な意味を持つようにもしていきたいです。墨田区は文化事業としてすごく音楽に力入れているので、街の人が少しでも豊かな心を持てるように音楽を届けられる場として貢献していきたいです。そういうことに力を入れるんだという表明はできたと思っています。

定期公演の前に行った公開リハーサルには、たくさんの方が来てくださりました。今までも公開リハーサルはやってきたんですが、これまでに比べればかなりの来場者数になったんですね。でも、僕は兵庫県立芸術文化センターの芸術監督も任されているんですけれど、兵庫県の劇場で公開リハーサルをやったら800人・900人と会場を閉め切らなきゃいけない状態になります。墨田区ではまだそこまではなっていないので、スタートでしかないと思っています。

―音楽監督の打診が来たとき、頭に浮かんだことは何ですか?

2つあります。

オーケストラの魅力というのは、たくさんの人数で演奏することじゃないですか。ジャズやロックに比べて圧倒的な人数で演奏する。つまり、そこにはたくさんの人間がいて、この「すみだトリフォニーホール」(新日本フィルの本拠点)という空間で、空気が振動するということなんです。例えば、弦楽器は圧倒的に人数がいます。木管楽器は一人一人の個性を発揮しなきゃいけないし、金管楽器あるいは打楽器の人たちは圧倒的な音量を支配する。そういう音量を持っているからこそ、静かな美しい部分も作ることができる。それがオーケストラの魅力でしょうし、それを作らなければいけないことは、これからも課題になっていきます。

もう1つ、新日本フィルの音楽監督を引き受けた時に思ったことは、“身近な存在”です。子どもの時に「オーケストラがやって来た」という山本直純さんが司会のテレビ番組がありました。たまに小澤征爾先生がゲストに出て、音楽の裏話だったり、指揮者コーナーがあったり。このオーケストラがすごく身近なものに感じられる番組を見て、僕は育ちました。僕は京都で生まれ育ちましたが、東京のオーケストラであり、小澤征爾さんが指揮する新日本フィルハーモニーのすごいファンになりました。だから、そうしたオーケストラが身近にある存在、そういうオーケストラでありたいなと思いました。

―音楽監督を引き受けるにあたって、決め手となったことはありますか?

これはもう本当、運命的としか考えられないですね。断る理由がないというか。新日本フィルは、僕が子どもの時からすごく憧れたオーケストラでした。小澤征爾さんがいたオーケストラだったし、小澤先生がいなかったら僕は指揮者になってなかったと思います。子どものときから自分にとってはアイドルみたいな存在で、かっこいいなと思って小澤征爾さんに憧れて指揮者になりました。一方で、山本直純さんはオーケストラってこんなにも身近なもので感動的なものだと教えてくれました。その新日本フィルで自分も本格的にデビューし、初めて指揮者というポジションを30代の前半のころにいただいて、オーケストラの一員、指揮者の一員としてすごく大きな経験を積みました。そこからもう30年という時間がたち、ここに戻ってこられたという感覚と、音楽監督としてスタートを切るんだということで、自分の中で新日本フィルの音楽監督に就任することは運命的に思うわけです。

―新型コロナの影響で音楽業界全体が厳しい状況に置かれたかと思いますが、それが決断を後押ししたという思いもありますか?

それもありますね、もちろん。どこのオーケストラもそうでしょうけど、メンバーやスタッフの給料だとか経営的なことを改善しなきゃいけない。でも、そのためには観客動員数を増やさなきゃいけない。僕らが何をするのか、ビジョンをはっきり持たなければいけません。このビジョンとミッション、そしてそれを実際行動に出すというのは全部1つの歯車みたいなものです。墨田の街にはっきり文化的な活動を展開し、貢献する。それは具体的には、次の世代や高齢者の施設に僕自身やオーケストラのメンバーも出かけて、音楽の面白さを伝えることです。あるいは吹奏楽部やママさんコーラスを指導に行くことかもしれないし、もう少し墨田区の行事に参加することかもしれない。そうしたところが今、具体的に始まったという感じです。

新日本フィルの地元・墨田区とつながる

―音楽監督就任にあたり、墨田区内に部屋を借りたそうですが、その理由は?

その辺は単純なんです。僕が20代の前半ぐらいの時に大阪に「ザ・シンフォニーホール」というクラシック専用のホールができました。その舞台に立ちたいと思って何をしたかというと、そのホールのすぐ裏に引っ越したんです。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で指揮者を務めた時もそうですね。そこに住んで裏の道を歩いたり、そこの近くのレストランで食事をしたりというところで、その街にどうしたものがあるのか、あるいは自分自身がそこに立ちたいって思う意思やモチベーションが上がったり、何か映像が見えてきたり、予測できたり、そうしたことがあるような気がしています。自宅が兵庫とウィーンにあって、今は住んでいるところが3か所もあります。実際、墨田区に住んでみるとこれがないとか、あれがないとかあります。でも、やっぱり来てよかったなと思います。買い物に行ってここにクリーニング屋さんがあるとか、お客さんたちはこうして駅からトリフォニーホールまで来るんだとか、墨田の人はどう感じているのかとか…そんなことを肌で感じることはすごく大事だと思っています。

―それはホテルで過ごすのとは違うものですか?

僕は違うと思いますね。墨田の街とものすごく密接につながっていきたいと思っているので。墨田区に自分の基地を持っていることは重要に思います。

墨田区の人たちに「良い街ですね」って言った時に「そうでしょ!」って答えが返ってくるんです。墨田の街に対してすごい愛情を感じたし、それがこの街の魅力だなと思います。

オーケストラの敷居は無くさず、しかし身近な存在に…

―観客と距離を縮めようと、何か工夫をされていますか?

それは自分で意識的にやっているというか…。舞台がお客さんよりも高いところにあって、さらに指揮台の上に立って、威厳を持つということも必要なんでしょうけど、それはそれで自分の中で指揮者としてやっていかなきゃならないこと、あるいは、楽団のリーダーとして演じなきゃならないということも自覚しています。でも、お客さんにとって指揮者が身近に感じられるものになることは、意識しているわけじゃないけれど、取り組みとしては確かに考えてやっていますし、僕自身がそういう性格なんでしょうね。

―それは、恩師のレナード・バーンスタイン氏の影響もありますか?

それはありますね。彼のそばにいてものすごい才能だなと思いましたし、たくさんのことを彼から学びました。バーンスタイン先生に「何があなたにとって一番大事な演奏会でしたか」と質問したことがあります。その時に返ってきた言葉が「子供たちのために作った音楽会」でした。『ヤング・ピープルズ・コンサート』という、1950年代からカーネギーホールでのニューヨーク・フィルの演奏を生中継しアメリカ全土に放送された番組なんですね。ただ、子どもたちのための音楽教室なので、はじめはジョークを言っているのかと思いました。だって、ウィーン・フィルとやったベートーベンだとか、ニューヨーク・フィルと作った数々の歴史的な演奏だとか、そうしたものを言ってくると思っていたのに、子どもたちのために作った演奏会って…そう最初、僕は思っていました。

彼が亡くなって、バーンスタインのご家族から「裕(佐渡さん)も日本でこのヤング・ピープルズ・コンサートをつくったほうがいいよ」という話をもらいました。それでいろいろ研究していくと、確かに彼が作ったこの番組はものすごい影響を与えたと思いました。それを見た子どもたちが将来プロの音楽家になりたいとか、カーネギーホールに立ちたいだとか、指揮者になりたいだとか、あるいは今もたくさんの方がクラシックファンになったとか。次の世代に残した、1つの証しでした。

だから僕も『ヤング・ピープルズ・コンサート』を日本で作るんですけれど、ただ同じものを作っても全然意味がないし、どこかで僕自身が僕自身のやり方で、次の世代とつながっていく方法を見つけなければと思いだしました。

指揮者というのは、歌謡曲とかのアイドルとはまた違う、街の文化のシンボルみたいなところにいなきゃいけないし、でもやはりクラシックって何か敷居が高いじゃないですか。この敷居を全部取り払ってしまうのは、よくないとは思っているんです。落語の世界と一緒でね、舞台があって縁台があって座布団があって着物着てなきゃいけないし、僕らもこうした本番の衣装を着るし、指揮棒を持つし、指揮台の上にあがるし。だから、そうした格式がある中で、本当に人の心に響くものを、いかに身近に届けるか。コロナ禍で僕らもネット動画やSNSの力を借りましたしそういうものの重要性を認識しましたが、コロナ禍が収まってきて、やはり生のコンサートホールに座って空気が振動することの喜びを伝えていきたいと僕は思いますね。

次の世代にもつながり、音楽の魅力を伝えたい

―墨田区内の中高生などにも指導されていると聞きましたが、どういう理由でしょうか?

この墨田の街にオーケストラがあり、そこの音楽監督が自分の学校に来てくれたっていうのは、やっぱりうれしいと思います。あと、吹奏楽部やオーケストラ部の先生(顧問)が一番苦労しているわけですよ。だから、その先生に何かアドバイスをすることも大事だと思っています。そして何より、子どもたちが夢中になって音楽をすることが大事です。質疑応答の時間を作ったり、人生相談みたいなことを話したり。そういう場を持つというのが、次の世代と具体的につながっていくことだと思います。

一番大事なことは、次の世代とどうつながっているかということだと、僕は思っています。日本のだいたい8割ぐらいの学校は吹奏楽部あるいはオーケストラ部・合唱部があるんですよ。ものすごい数の子どもたちが音楽に接しているわけです。これはもう世界的に考えても日本ぐらいです。せっかくクラリネットやフルート、トランペット、そうした楽器に中学ぐらいから接しているわけだから、何が喜びなのかというものを次の世代に伝えることが、僕にとっては大事なことだと思っています。

次の聴衆をつくっていくことでもあるし、演奏会に来てほしい。そのためにはやっぱり吹奏楽の部活に行って具体的に指導して、こんなに面白い世界があるんだって子どもたちを動かさないと。あるいは、先生や保護者の方たちも動かさないと、オーケストラを聴くことにつながっていかないと思っています。

佐渡裕が目指す“オーケストラ”とは

―新日本フィルを将来的にどんなオーケストラにしていきたいですか?

オーケストラというのはたくさんの人数で演奏することが一番の魅力です。そして、たくさんの人間が1つの創造物を作っていく過程で、100人がいたら100分の1になるのではなくて、一人一人がやっぱり主人公になって100人の集団になっていってほしいし、集団が立体的に一人一人の顔が見えてくるようなオーケストラにしたいです。これは海外と日本のオーケストラの違いかもしれないですが、新日本フィルに限らず、何か“自分の個性を抑えてはみ出さないほうがいい”と思っている。一人一人の個性がさく裂するような魅力のあるオーケストラになっていってほしいなと思うんですけどね。

墨田区の街との関係でいうと、ホールとオーケストラが街の宝物であり、自分たちの誇りであり、だけれども決して上に飾られたものではなくて、すごく身近に来てくれるし、団員さんにしろ僕にしろ、街で声かけたらいろんな答えが返ってくるような関係でありたいなと思いますね。