広島市の原爆ドームのすぐ近くにあるホールに、情感のこもったナレーションが響きわたりました。市民による手作りの朗読劇「蛍火(ほたるび)」。世界の首脳が広島に集うG7サミットにあわせて5月に上演されました。
朗読劇で訴えたかったのは、現在の国際情勢をうつした広島市民の願いです。
(おはよう日本記者 廣川智史)
モデルは“焼け跡に立つ少女”
『水をください』 『火が来よるんじゃ 助けてくれ』 『死にとうないよ』
街をさまよう市民の叫び。死への恐怖。原爆が投下されたまちの惨状が出演者60人以上の声を通して表現されていきました。
朗読劇では、被爆した女性の半生を通じて原爆の悲惨さを訴えかけます。
主人公のモデルは藤井幸子さん。広島平和記念資料館の入り口に展示された写真「焼け跡に立つ少女」としても知られています。
幸子さんは10歳の時、爆心地から1.2キロ離れた自宅で被爆しました。その後、がんを発症し、42歳で生涯を閉じました。
幸子さんの長男で、劇を企画したのが藤井哲伸さんです。
幸子さんからは生前、その経験について多くを聞かされなかったと言います。しかし、幸子さんが亡くなって、その胸の内に思いをめぐらせていました。「二度と悲劇を繰り返してはいけないと願っていたのではないか」と感じていたといいます。
母のような市民の思いを発信する機会を作りたい。そこに飛び込んできたのが被爆地・広島でのサミット開催のニュースでした。「核軍縮・不拡散」が大きなテーマの一つでもありました。
市民から声を上げていこうと、地元の高校で演劇部だった仲間たちに声をかけていきました。
藤井哲伸さん(主人公のモデル幸子さんの息子 被爆2世)「世界に向けて広島から発信したいといった時に、核保有国も含めて来てくれた。この機を逃したら、あとあと無いのではないかということで、やろうと即決した。広島から、市民レベルで声を上げないといけないだろうと呼びかけたら、制作スタッフも入れて100人ぐらい集まりました」
今こそ伝えたい “相互理解の大切さ”
劇の主題は「相互理解の大切さ」です。
主人公・葉子は被爆した当初、アメリカに憎しみを抱いていました。しかし、やけどした手を治療するために援助してくれた米兵との出会いなどを通じ、少しずつ気持ちに変化が生まれます。
『原爆を落としたことは、お母ちゃんも絶対にゆるせんよ。
じゃけどね、アメリカって、ひとくくりにせんほうがええと思うんよ。
アメリカの人にもいろんな人がおってね。
お母ちゃんの右手はひどいやけどで指がくっついてしもうたんよ。
その手を見て、泣いちゃったアメリカの兵隊さんがおってね。
その人のおかげで、お母ちゃん手術を受けることができたんよ』
藤井さんは、現在の国際情勢に通じるストーリーだといいます。世界では力による一方的な現状変更を試みる動きがあるからこそ、相互理解が必要だと強く感じているのです。
藤井さん「いまの時代、武力で国どうしの問題を解決しようとする国があるわけです。互いの立場を理解した上で、互いの立場になって考えた時にどうすればいいのか。そのすりあわせで解決策を見つけていくという流れが、本来の人間らしい解決のしかたではないかと思っています」
被爆者、被曝2世・3世として
ほかの出演者たちにも、それぞれ伝えたいメッセージがありました。
板倉勝久さんは、原爆が投下されたとき生後6か月でした。消息不明の親戚を探そうと、爆心地近くに向かう母親におぶわれる中、被爆したといいます。
劇では、56歳で亡くなるまで懸命に生きた母親と主人公を重ねて役を演じました。被爆者のひとりとして、後世に伝えるべきことがあると考えているからです。
板倉勝久さん「被爆の悲惨さ、核の大変さをアピールすることも大事。しかし、私は生き残った人たちが一生懸命生きてきたことを後世にも伝えたい」
大学生の茶幡彩乃さんは、祖母が被爆した被爆3世です。小学校から高校まで平和学習を続けてきました。被爆者の思いを継いで、次の世代につなげていきたいと考えています。
茶幡彩乃さん「今回、被爆者の方も朗読劇に参加されています。被爆者の方々に私たちが今後、原爆や平和について発信していきますということを届けていけたらと思います」
核兵器のない世界を願って
『歩くだけで額に汗がにじんでくる。動悸がしてくる。
放射能の毒?放射能の毒が出てきたんじゃろうか?すっかり忘れとったのに。
あの日から33年もたっとるのに、なんで?
葉子の病気は、やっぱり原爆のせいじゃ思うとるんです。
33年もかけて、葉子の体をむしばんでいった。
放射能の毒いうもんは、ほんまにおそろしいもんです』
朗読に演奏を交えて1時間半以上にわたって表現された被爆地からのメッセージ。会場を訪れた広島市民の心にも響いていました。
「改めて核や平和について、私たちがふだん忘れていることをズキズキと掘り返されたような気持ちです」
「サミットにあわせてではなくて、サミットが朗読劇にあわせてきた感じがします。皆さんに聞いてほしいと思いました」
市民の手作りで行われた朗読劇で、出演者、観劇した人に共通していたのは「伝えたい」という思いでした。
藤井さんは、被爆した母親を写した「焼け跡に立つ少女」をきっかけに作られた朗読劇を運命と感じています。だからこそ、この劇を通じてメッセージの発信を続けていきたいと考えています。
劇の様子は広島の原爆投下にあわせた8月6日、動画投稿サイト「YouTube」に投稿される予定です。
藤井さん「この公演だけで終えようとは思っていません。長崎でもやりたいし、被爆80年の時もやりたいです。核兵器がどういうものなのか、被害を受けたらどうなるのか、世界の人たちに知ってほしい。最後に犠牲になるのは市民です。劇を通じて、その一端を理解してもらいたい」