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沖縄戦から76年 岐路に立つ“記憶”の継承

NHK
2021年6月30日 午後6:00 公開

太平洋戦争末期の1945年、日米両軍による激しい地上戦が行われた「沖縄戦」。民間人と軍人、あわせて20万人あまりが亡くなりました。6月23日は日本軍の組織的抵抗が終わった日とされ、毎年沖縄では「慰霊の日」として戦没者の追悼式などが行われてきました。しかし、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大によって緊急事態宣言が出されるなかで「慰霊の日」を迎え、例年、遺族など5000人ほどが参加する式典は、去年よりさらに規模が縮小され、30人あまりの参加となりました。

戦争を体験した人が少なくなるなか、ことしは学校の休校などで沖縄戦を知る機会も奪われ、記憶の継承がますます難しくなっています。今も残る戦争の爪痕に向き合い、平和の大切さを訴える人たちを取材しました。

激戦地に今も残る沖縄戦の“記憶”

沖縄戦の激戦地となった本島南部の糸満市。

30年以上ボランティアで遺骨や遺品の収集活動を行ってきた松永光雄さんです。

松永光雄さん 「骨のかけらが、結構出てくる場合もある」

アメリカ軍の攻撃などによって住民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦。戦火を逃れようと多くの人が身をひそめたのが「ガマ」と呼ばれる洞窟でした。ガマの中からは、76年経った今も、遺骨や遺品と思われるものが見つかっています。

松永光雄さん 「(遺骨や遺品を)見るだけでも何か感じものがある。そこから戦争の悲惨さと残酷さを見いだしていく」

岐路に立つ“記憶”の保存・継承

しかし今、遺骨などの収集活動は大きな岐路に立たされています。糸満市と八重瀬町にまたがる5000ヘクタールを超える土地は、1965年「戦跡公園」に指定され、後世に戦争の悲惨さを伝える場所として保全が図られてきました。

ところが近年、採石業者による開発が行われ、場所によっては元の地形をとどめないほど土や岩が削り取られています。

さらにこうした地域の土砂の使いみちをめぐって、いま大きな議論が巻き起こっています。去年、国が作成したアメリカ軍基地の移設に関する申請書。

辺野古沖の埋め立てに、糸満市など本島南部の土砂を使う方針が盛り込まれたのです。これに対して県内では「戦没者を冒とくする行為だ」と非難する声が上がっています。

沖縄戦の“記憶”を未来へ

戦跡公園の指定に、当時、琉球政府の職員として携わった瑞慶覧長弘さんです。瑞慶覧さんは本島南部で父親と姉を亡くしました。2人はアメリカ軍の戦艦からの砲撃を受けたといいます。

瑞慶覧長弘さん 「父は背中から大たい骨を大きな破片でやられて身動きがとれない状況。本当に無念だったんじゃないかと思います」

戦争の悲惨さを伝えるために、この地域をありのままの姿で残すことに尽力した瑞慶覧さん。開発が進む今、改めてその原点に立ち返ってほしいと考えています。

瑞慶覧長弘さん 「大きな戦争の悲惨さを、未来永ごう人類の戦跡として残していきたい。平和への気持ちを共有してもらいたいと願っています」

遺骨収集活動を続けてきた松永光雄さん。ガマの中で、沖縄戦を戦った1人の日本兵の遺品を見つけていました。身元が特定できるようにと身につけていた認識票です。

刻まれていた名前から、持ち主は三重県出身の30代半ばの兵士であることが分かり、認識票は遺族の元へと返されました。

沖縄戦から76年、当時を生きた人々の証は今もこの地に眠っています。

松永光雄さん 「今年も実際に出てきたので、南部の方はまだまだいっぱい遺骨が出る。生きている限り、体が動けば、弔っていきたい」

本島南部の土砂を辺野古沖の埋め立てに使うとした国の計画に対して、ことし沖縄県内では市町村の議会で遺骨が含まれる可能性のある土砂を使わないよう求める意見書が相次いで可決されました。ただ沖縄県は「民間の事業である採掘を規制することは法的に困難だ」としています。これに対し国は「土砂の調達先はまだ決まっておらず、今後慎重に検討する」としています。

糸満市では、去年3月までの1年間でも38人の遺骨が見つかっています。一方、今もおよそ2800人の遺骨が見つかっていません。76年を経て今も残る人々の生きた証とどう向き合うのか、私たちに突きつけられた課題です。

(沖縄放送局 記者 安藤雅斗/西林明秀/村田理帆)

【2021年6月23日放送】