『阪神・淡路大震災から28年 “伴走”しながら被災地支援』

NHK
2023年1月30日 午後3:07 公開

阪神・淡路大震災から28年。
当時、神戸市の避難所の運営に携わったことをひとつのきっかけに看護師の資格などを取得。
西日本豪雨をはじめとした国内各地で支援を続ける山中弓子さんに“被災地支援”について伺いました。
(もぎたて!キャスター 勝呂恭佑)

「時間が経つのが早い気もするけど、“まだ28年”という気もする。やるべきことが出来ているのか…。すごくもやもやした感じがする」
今の気持ちを教えてくれたのは親子支援・災害看護支援に取り組む山中弓子さん。
看護師や防災士の資格を持ち倉敷市真備町を拠点にしながら各地の被災地などに出向いています。

ことしの1月17日には追悼のつどいが開かれた神戸市の公園に出向き手を合わせたと言います。
「阪神・淡路大震災で友人の弟が亡くなっている。慰霊碑の銘板には、その子をはじめたくさんの犠牲になられた方の名前。その方たちの無念を感じた。“犠牲者を出さないための備え”や“大切なものをなくす人が増えないような取り組み”、また“いまだ苦しい思いをしている人へのケア”など、そういうことを考えさせられた」と語ります。

災害関連死を含め6434人が亡くなった阪神・淡路大震災。
山中さんは神戸市内の避難所のひとつとなった小学校で約半年間ボランティアとして運営に携わりました。

「避難所は混とんとしていた。停電が続いていたので真っ暗。校舎の廊下も運動場も人だらけ。さらに寒い中、物もない。どうしよう…と思ったのが第一印象。けが人や病人・体調の悪い人もたくさん。聞き取りをして医療機関につないだり、巡回している保健師に報告したりしていた。
そのほか不足している物資について支援してくれる人たちに伝え大阪やほかの地域から買ってきてもらい、それを必要な人に渡すなどしていた。」

その避難所で山中さんが必要性を強く感じたのが『看護の力』でした。

「ひと月たったくらいのとき、もう無理と思ったときに新潟からリュックひとつ背負ったちょっと年配の看護師が1人来てくれて“水回り”や“換気”、“高齢者のケア”など、あらゆる健康にまつわるケアをしてくれた。
どうしても目の前で起こることのケアに集中してしまいがちだが、看護の観点から予測をしながら状況が悪くならないように対応していた。その『看護の力』はすごいと思ったし被災地に必要な力だと強く感じた。」

その後看護師の資格を取得するなどし、被災地支援の道に入った山中さん。
これまで活動してきたのは熊本地震や九州北部豪雨、西日本豪雨など。
避難所の環境を改善するなどしながら運営のサポートをしたり
ぬいぐるみを使いながら被災した人たちのストレスを少しでも軽減しようという取り組みを行ったりしてきました。
今は倉敷市真備町を拠点にしながら、去年発生した福島県沖地震の被災地での支援を行っています。

心がけているのは“伴走”しながら行う中長期的な支援です。

「どうしても支援する側はわーっといろいろやりたくなり・やっちゃうことが多いが、そうすると地域の人たちが置いてきぼりになったり、支援チームが引き揚げてしまうとぷっつり活動が終わったりしてしまう。
だからこそ地元の人たちが継続的に活動できるようにサポートしていく。困ったことがあったらどうするか一緒に考えるなど“ともに活動する”ような支援になるべくしたい。
これまで避難所の運営支援をしていたとき“陸の孤島”というか“取り残された感”を感じて途方に暮れることあった。
誰かがずっとそばについていてくれて、ああしたら・こうしたらと言ってくれる人がいると助かると私自身は思っていた。だから、私が支援に入るときはなるべく根気強く、丁寧に支援をしていきたいなと思っている」

地域で行われる防災教室の講師などもつとめる山中さん。
災害が起きたとしても被害を少しでも減らせるよう取り組みを続けます。

「被災後の生活を整えるためには看護の目と手がすごく大事。そういった看護の目と手が届けられるような支援の体制をつくっていきたい。
そして、地域の皆さんがけがせずに避難できるよう・安全が守られるように整えていくべく、訓練やセミナー・講演などを提供していき地域などの防災力の向上に繋げていきたい」