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マイトレジャー 南野陽子さん
NHK
2021年6月4日 午後4:10 公開

南野陽子さんは、1967年兵庫県生まれ。1985年、18歳でデビューすると一躍トップアイドルに。

その後は俳優としても活躍。恋愛ドラマから時代劇まで、ドラマや映画300以上の作品で、幅広い役を演じてきました。

最新作の映画では、重い病気の少女の母親を演じています。この役を演じるなかで大きな影響を与えた、母親にまつわる宝ものを紹介してくれました。

(聞き手:近藤泰郎アナウンサー)


近藤: 最近の南野陽子さん見ていて、すごく自然体で…

「同世代の女優さんってみんな“美魔女”といわれる、摂生されてきれいな人とかがやっぱり多くて、自分も“あー、やっぱりちゃんともうちょっときれいにして、なんかシュッとしてなきゃいけないんじゃないかな”と思いつつ、身近に感じてもらえる存在がいいなと思ってずっと過ごしてきたので、お洋服もサイズを選ばない誰でも着られるもの、美容法なんかも平均的な物がいいんじゃないかなって勝手に思ってやってます。多くの50代の女性の真ん中ぐらいになれたらいいなと思って」

南野さんが理想とするのは、10年前に亡くなった母・久美子さんのような女性だといいます。

「母は関西(出身)なんですけど、関西のおばちゃんのイメージでキャンディ、飴ちゃんを持って、それをなんかこういろんな人にあげるみたいな、ああいうコミュニケーションが取れる人。目指すはそこです(笑)」

「自分の持ってる物でも愛でも、なんかみんなにちょっとずつお裾分けしたいなみたいな、私はそういう人になっていきたい」

母の久美子さんは、よく冗談を言う明るい性格。二人は親友のように仲の良い親子でした。

おしゃれが大好きだった久美子さん。幼い南野さんとペアルックを楽しんだり、家族全員お揃いのコーディネートで出かけることもあったそうです。

「母の着せ替え人形みたいに色んな物着せられてたんですよね。小学校の先生に、“学校はおしゃれをするところじゃありませんよ”って言われたこともあったぐらい、いろんなものを着せてもらっていたので…」

デビューが決まり親元を離れる時には、こんなエピソードも。

「私は17歳で関西から東京に来たんですけど、高校生を送り出すって気持ち的には大変だったと思います。心配していたけど、最後は私の気持ちを感じ取ってくれて、“そこまで言うんだったら頑張ってね。でも、いつでも帰ってきていいよ”って言いながら送り出した2日後には来てました、もう東京に(笑)母と父が心配して。」

その後、寝る間もないほど忙しくなった南野さんを陰で支えたのも、久美子さんでした。

「こういうお仕事だとなかなかお友達とか外の人に言えないようなこともいっぱいあって、それをこう受け皿、ゴミ箱になっていろいろ聞いてもらったこともあったし」

「次の日頑張れないと困るから、ため込まないようにっていうことでいろんな話を母にイライラをぶつけるという感じで」

ところが、デビューから20年ほどが経った頃。久美子さんは心臓を患い、入退院を繰り返すようになりました。

南野さんに支えられ、病と闘った久美子さんですが、2011年11月この世を去りました。

「歳を取ったら一緒に旅行へ行ったりいろんなことができたらなーって思ってたんですけど、かなわなかったので…」


そんな南野さんの宝ものは、最愛の母・久美子さんの思いが宿ったもの。

5歳の頃に着ていたワンピース。母の洋服ダンスの中に、大切にしまわれていました。

「これは私の5歳の時の写真です。見えます?」

近藤:ピアノを弾いてますね

「それがこのワンピース。なんでこれだけとってあるのかな、なんていう風に色々また母のことを思うと、処分できなかったというか。母が私をこの洋服を着せて育ててくれた頃も思ったし、私が成長してこの仕事について、大人同士の会話ができるようになってからも持ってたんだなあと思うと、その頃の母のことも思うし。このワンピースを私は子どもがいないので娘に着せることはできなかったんですけど、もしかしたらそういうことも思ってとってたのかもしれないし」

近藤:そのワンピースが、今の南野さんが生きてく上で人生にどんな力を与えてくれてますか。

「やっぱり母の愛を感じるし、育ててもらったことにもすごく感謝だし、そういう風に自分で感じることができたのならば、今頑張ってる若い人たちのことをもっと理解してあげたいなとも思うし。今本当に、みんな色々大変な思いを抱えてるときだから、近くの人と手を取って、みんなで一緒に越えたいなと思いますね、愛です愛」


南野さんが出演している最新の映画には、在宅医療と向き合う様々な家族が登場します。南野さんが演じたのは、小児がんにかかった少女の母親。

「“長く生きることよりも今を生きることが大事なんだ”っていう風に気付いて、ちゃんと見送ることができるそういう役なので」

愛する人の最期に向き合う役を演じる中で思い出したのは母・久美子さんの姿だといいます。

「母は最後の最後まですごくなんかこう前向き、なんか楽しそうな感じで、最後逝ったんですよ。“手術室に行ってきまーす”ってピースして行ったのが最後の母の姿だったんですけど…なんかこう今を大切にしていると、そして楽しく振る舞っていると、後に残された私たちも、その後の人生を“あ、母はすごく楽しそうな形で人生を終えたんだ”と思うと納得がいって、後悔もすごく少なくなったので」

「今回の役にしても彼女にとっての良い“しまい方”、そういう時間をいっぱいあげたいなっていうふうに、役の途中でなんかそう思えたりもしました」

実は久美子さんは生前、最期の時に備えて、遺影用の写真を撮っていました。

「わざわざ写真館で撮るとかじゃないんですけど、ちょっと旅行に行ったり、みんなと集まった楽しい場所で、少しヨリ目の写真をなんとなく撮っておいて、できあがったら“はいこれは遺影用の写真にしてね”みたいなので」

「向き合った時に母らしい表情の母がそこにいてくれるので、手を合わせながら“今日ねこんなことがあったんだけど、私こういう風に言っちゃった、大丈夫かな”っていうのをブツブツ唱えてみると、写真が笑って見えるように感じたり、ちょっといつもより真顔に見えるように感じたり、色々するんですね。そういうところで母からの言葉を聞いてるような気がします」