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マイトレジャー 平野レミさん
NHK
2021年6月10日 午後6:32 公開

料理愛好家の平野レミさん。大胆かつ自由な発想で、楽しみながら簡単に作れる料理を数多く紹介しています。

(聞き手:柘植恵水アナウンサー)

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柘植:ちょっとインパクトの強いお料理、提案されていますよね

「普通に料理やっててもいいんだけど、テーブルの景色が凹凸がないじゃないですか。凹凸がないと、まっ平らでさ、つまんなくて。魚だって寝そべっているでしょう。

たまにはこうね、おっ立ててあげたら、魚だってさ、喜ぶじゃないかと思って。そうやってブロッコリーを立ててあげたりとか。だから彼らは喜んでると思う、絶対にね」

柘植:そういうインパクト強い料理を家庭でも…

「やってたやってた!ブロッコリーを立てるじゃない?それをみんなで、家族4人で切っていって”誰が倒すかな?”って言って、ナイフとフォーク持って、ゲーム感覚で。で、倒した人が”罰ゲームなにやる?”とかさ。”買い物しなさい””掃除しなさい””庭掃きなさい”とか(笑)そんなことやってた」

柘植:夫である和田さんは「ちょっとそれはないんじゃないの」とはおっしゃらなかったんですね。

「言わない言わない。何も言わないね」

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もともとはシャンソン歌手だったレミさんが料理の世界に進んだきっかけは、夫でイラストレーターの和田誠さんでした。

レミさんは昭和47年に和田誠さんと結婚。

和田さんは雑誌の表紙や本の装丁を手掛ける人気イラストレーターでした。

レミさんは2人の息子の子育てと歌手の両立に追われます。

そんなレミさんの負担を減らそうと和田さんは簡単にできるレシピを教えてくれました。

「一番最初に、私が“なんだ。料理ってこんなんで構わないんだ”って目覚めちゃったのは、牛乳とトマトジュースをコップの中に、ザーッと入れたビシソワーズ。“5秒ビシソワーズ”って言うんだけど」

和田さんが教えてくれたのは5秒でできるビシソワーズ。調理工程はトマトジュースと牛乳を1対1で混ぜるだけ。

「これでいいんだな!って思って、そこからどんどんどんどん、なんだ食べたときにおいしければね、プロセスなんかどうだって構わないんだなって。うちの夫が “いいんだいいんだ”って、“食べたときにおいしければいいんだから”って言って。うちの夫がでっかい気持ちでやってくれたから私もどんどんどんどんそっち方面にいっちゃって」

和田さんの教えをもとに、油で揚げたり、長時間蒸したりするプロセスを省いても、おいしく食べられるレシピを考えるようになりました。

そんなレミさんのユニークなレシピを雑誌で紹介したところ、テレビから出演のオファーが次々と舞いこみます。

しかし、困ったことがありました。

「最初のころ、編集者の人とかテレビ局から“肩書をどうしますか?”って来て。で、“料理研究家ですよね?”って言うから“いや、研究は私したことないし”って言って。それで、うちの夫に相談したら“レミは料理学校に行ってないから『料理愛好家』じゃないの”って言って」

和田さんはレミさんがつくる料理のネーミングも率先して考えてくれました。

例えば、こちらの名前は「台満(たいまん)ギョーザ」。

「みんなでね、ギョーザを作るパーティーがあったの。で、うちにね、30人ぐらい人が来たの。それでさ、これからギョーザパーティをっていうときに、私が30人分全部、何百個ってさ、ギョーザ包むの大変でしょ?」

そこでレミさんは“あん”を小分けにしないで、湯通しした皮を乗せて出しました。

「そしたら、みんなが“怠慢だね!”“怠慢じゃないか!これ”って言ったから、“じゃ、怠慢ギョーザにしようか”って言ったら、うちの夫が怠慢はタイマンでも、じゃあ、ちょっと中華風に『台満ギョーザ』って名前にして(笑)」

「私が今こうやっていられるのは、最初から今まで全部、和田さんのおかげ。本当に。私が作ったものにね、絶対“まずい”って言わなかったからね。

和田さんがどんどん私のことを褒めて “おいしいね レミのお料理おいしいね おいしいね”って言ってくれたの。

だから、私も“じゃあもっとやっちゃおう、もっとやっちゃおう”っていうふうになったと思うのね。女房が料理上手になるか、料理やらなくなるかは夫次第だね。私もとうとう乗せられちゃってこんなになっちゃった」

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そんなレミさんが大切にしている人生の宝ものとは?

和田さんと初めて一緒に作ったという大きな器。

40年以上たった今も大切に使っています。

「私、47年前に結婚したんですけども、2年後にうちの夫と私で笠間焼っていう焼き物を作ってるところがあるの(で作りに行った)。で、私が作るでしょ。そうしたらね、うちの夫がね、絵付けしてくれたの」

「カレー入れたり、スープ入れたり、サラダを入れたり、煮物入れたり、そのときどきで。何にしようかなー?って思うときに必ずこれが出てきて。これはもうしょっちゅうテーブルに乗ってるくらい。これ好きね。大好きね」

しかし、レミさんがこの器で和田さんと一緒に食べることはもうありません。

和田さんは、おととし、肺炎で亡くなりました。レミさんは仕事も手につかないほど落ち込みました。

「和田さんが天国に行っちゃってからどんどんどんどんね。ひしひしといろんなことがね、本当にあの人はいい人だ、いい人だって思っちゃうの。それがつらいのよ。だからいい人と結婚しちゃ、ダメですよね。本当に」

柘植:離れたときに、お互いの大切さっていうのも気づくのもあるかもしれないですね

「みんな世の中の夫婦は、絶対どっちかが悲しい思いするのよね。“せーの”で一緒に、死ぬってことはないんだから。みんなそれを味わってるのよね」

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和田さんが亡くなった直後、レミさんのことを心配して集まってくれたのが2人の息子とその家族たちでした。みんなで食卓を囲んでくれたのです。

そこで活躍したのが和田さんと作ったこの器でした。

「(長男の)お嫁から電話かかってきて“レミさん今日ご飯一緒に食べましょうよ”って言うの。そしたらまた、次男からかかってきて“お母さんどこにいるの?”って言って。みんな誘ってくれるのね、私のこと」

「大皿料理でね、みんなで突っついて食べるとおいしいですよね、本当に。ひとつのものからみんなが突っついて食べると、みんなが同じ気持ちになっちゃってさ、なんかいいですよね。絆みたいなのがね、がっちりできるみたいな感じがして。いいですよね」

「これで盛るのよ、和田さんいなくなっちゃったけどさ。和田さんに囲まれてね。夫がいます、ここに夫が、ね」

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さらに、亡くなってからおよそ1年後、和田さんの仕事場から思いもよらないものが出てきました。

「こういうものが出てきちゃったの。五線譜なのね。五線譜も和田さんが全部書いて。『私の部屋』っていう、作詞作曲、和田さんがやって、これが出てきたの。“えー!私のことを歌ってるな”って思ったの」

和田さんが結婚する前に自分のことを思って作った歌ではないかとレミさんは感じています。

柘植:今まで見たことがなかったんですね?

「ないない。メロディーも知らないし、何にも知らないし、詞も知らないし、これは驚いた。これが出てきたときは眠れなかったな、うん。2日間ぐらい、興奮しちゃって」

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いたずらねこの えほん

のんびりめくる

ロッキンチェア

ひとりだけのパラダイス

わたしのへや

だけど ちょっぴりさむい

なたが かえったあと

ちいさなへやも ひろい

ひとりだけだと

ラジオが そっとながす

あかるい こいのメロディー

かがみのなかの わたし

ちょっと にっこり

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和田さんが残してくれた思い出の数々。そのすべてがレミさんの宝ものになっています。

「和田さんは、私のために、自分が亡くなっちゃっても、そのあと悲しまないようにね、こういうプレゼントを残してくれたのかなと思って」