(2021年4月4日の放送内容を基にしています)
「世界に実情を知らせたい」
軍や警察の弾圧にさらされながら、市民たちが決死の覚悟で撮影した映像が、次々とインターネットで発信されています。
流血の惨事が続くミャンマー。国際社会が有効な手を打てない中、死者は今も増え続け、事態は悪化の一途をたどっています。
それでも、軍に対し命がけの抵抗を続ける市民たち。
10代20代の若者たちはネットやSNSを駆使して武力に立ち向かおうとしています。
軍の最新の動向を収集し、デモを行う市民たちと情報を共有。さらに、軍とつながりのある企業をリストアップし、不買運動に繋げるアプリを開発したりしています。
そして海外のミャンマー人たちもネット上で連携。軍の一方的な主張を覆そうとしています。
焦点となったのは、デモのさなかに銃弾に倒れたある女性の死。
『殺害したのは自分たちではない』と主張する軍。現場で撮影された映像や証言を辿り、真実を暴き出そうとしています。
市民たちがネットやSNSを駆使して闘う“デジタル・レジスタンス”は、強大な軍に抗えるのか。
緊迫のミャンマー情勢。2か月間の記録です。
泥沼化の一途を辿るミャンマー情勢
2月1日。突如起きた軍事クーデター。
アウン・サン・スー・チー氏が率いる政党の議員が軍によって次々に拘束。その瞬間が撮影されていました。
軍「私たちについてくるように」
議員「あなたたちが何者かを言いなさい。どういう理由で来たか言いなさい」
議員の家族「フェンスを乗り越えて侵入してきたな!部隊番号を言いなさい!」
軍「ついてくるのか?こないのか?」
議員の夫 「断ったら銃で撃つのか?」
拘束されたのはスー・チー氏をはじめ、少なくとも45人。軍はその日のうちに全権を掌握しました。
長きに渡る軍の支配ののち、この10年でようやく民主化が進んできたミャンマー。
しかし軍は、民主派が圧勝した去年の総選挙で不正があったとして突然クーデターを起こしたのです。
これに対し、市民たちは、抵抗の意思を示す3本指を掲げ、立ち上がりました。
その中心を担ったのが、民主化が進む中で育った10代20代の若者たちです。
掲げたのは暴力に訴えない平和的な抵抗でした。
クーデターから3週間後には、抗議活動への参加者は数百万人にまで膨れあがりました。
2月28日。事態は一変します。
軍が本格的な弾圧に乗り出し、この日だけで少なくとも18人の市民が亡くなったのです。
国営テレビは、きっかけを作ったのはデモ隊の側だったと伝えました。
しかし現場を捉えた映像には、軍側の主張とは異なる実態が映し出されていました。弾圧の現場のひとつ、最大都市ヤンゴンの一角です。
午前9時、携帯電話の位置情報から、多くの人が、一か所に密集していることが分かります。
この場所で撮影された映像を見ると、市民たちが治安部隊によって一か所に追い詰められていたのがわかります。
デモ参加者「デモの準備を始めてから、たった5分後のことです。部隊の上官が『解散させろ』と叫ぶと、すぐこちらに向かってきました。同時に、閃光弾や催涙弾を撃ってきました。デモを始めてすらいなかったのに」
この日は全土で弾圧が激化。市民に銃口を向ける部隊の姿が捉えられていました。
目撃者「実弾を使ってる。人でなし。実弾だ。人でなし。」
なぜ軍は、無防備な市民に対して武力行使に踏み切ったのか。
背景のひとつには、警察官や公務員なども職務を放棄し、統治の根幹が揺らぎかねないという危機感があったとみられます。
軍のトップは演説の中で、事態を収拾できない焦りをにじませていました。
ミン・アウン・フライン司令官「職務を離れている者は、感情にとらわれることなく、国や国民の利益のために、ただちに職務に復帰することが求められる」
武力に対抗する市民たちの“デジタル・レジスタンス”
それ以来、市民に対する武力弾圧はエスカレート。死者が増え続けていきます。
SNSに、撃たれた市民を警察官が引きずっていく動画が投稿されました。命を奪われたのは18歳の医学生カン・ニャー・ヘインさんでした。
父親「息子は貧しい人に医療を届けるという夢がありました。でももうその夢が叶えられることはありません」
こうした中、一部の若者たちの間で新たな抵抗の動きが広がっています。亡くなった医学生が所属していた医療従事者たちのグループです。そのひとり、マウン・マウンさん(仮名)。
マウン・マウンさん「抗議デモに対する弾圧はとても暴力的で残酷なものになってきました。実弾を使うなど、市民の命が奪われています。市民を守るために何か手を打たなければなりません」
若者達のグループは、デジタル技術を駆使して、軍に対抗しようとしています。
少数のメンバーを市街地に配置。軍や警察がどこに展開しているか情報を収集しマッピング。デモを行う上で、危険な場所を避けるようリアルタイムで伝えています。
市民が必要とする情報を動画で編集し、SNSを通じて拡散しています。
マウン・マウンさん「ミャンマーでは民間のメディアの免許が取り消されました。しかし国民ひとりひとりがメディアになれば、国民が知らない情報はなくなるでしょう。国民に正しい情報を伝えるためここで頑張っているのです」
さらに、軍の資金源を絶とうと、アプリを独自に開発する若者も現れました。軍とつながりがある企業の商品をリストアップして、不買運動を呼びかけています。
アプリ開発者の20代のプログラマー「軍が関係する商品へのお金の流れを止められれば、私たちを撃つ銃弾も止められます。私たちは彼らを支持しないし、打倒したい」
世界に広がるデジタル・レジスタンス
こうした〝デジタル・レジスタンス〟の広がりを前に、軍は連日インターネットを遮断。抵抗運動を抑え込もうとしています。
そこで動き出したのが、海外に暮らすミャンマー人たちです。
タイに住むあるミャンマー人の男性は、タイの携帯電話のSIMカードをこれまでに600枚以上、ミャンマーに送っています。これを使ってミャンマー国内でネットの遮断をかいくぐることが目的です。
活動は、同じタイに住むミャンマー人、1000人以上に支えられています。
支援者Aさん「かつての民主化運動の時は、軍に勝てなかった」
支援者Bさん「あの時はメディアがなかった。世界は何が起きているか分からなかった」
支援者Cさん「できるだけ支援します」
支援者Aさん「また来ます。毎月寄付します」
アメリカからも市民たちを支える動きが。 ニューヨーク在住のプログラマーのピー・ソー・ヘインさんです。
ミャンマー国内に暮らす友人たちと連携し、犠牲者の情報をまとめるウェブサイトを立ち上げました。
ピー・ソー・へインさん「最優先しているのは死亡者数です。たくさんの人が殺されているので、死亡者数を絶えず数え、まとめています。ネット遮断のせいで現地の市民たちの声は届きにくくなっています。その時は私が彼らの声を代弁するのです」
日本にもデジタル・レジスタンスに加わるミャンマー人がいます。ミミさん、29歳です(仮名)。
ミミさん「これは軍のウェブサイトにみんなで一斉にアクセスして、アクセス数が多すぎてそれ以上アクセスできないようにしています」
ミミさんはITに強い仲間と共に軍のサーバーへの攻撃に加わっています。ひとりひとりがクリックすることでアクセスを集中させ、サーバーをダウンさせるのが狙いです。
別の市民は情報省のサイトに侵入し抵抗の意思を示す3本指を載せ、『クーデターを拒否する』と書き込みました。
ミミさん「自分のできること、デジタルでも、家でも、台所でもみんな闘ってるし。できることを少しでもやろうとしてます」
ミミさんにはネットを通じた抵抗に身を投じる理由があります。
現地で弟や妹がデモに参加しているのです。
ミミさん「今みんな撃たれた時のために、手に自分の血液型とか連絡先を書いてデモに出て行きます。自分が死ぬかもしれないっていう気持ちで参加してるんですね。夜になって『帰って来ました。着いたよ』っていうメッセージが来るまですごく息苦しいんですよ。大丈夫かな、とか心配で心配で。でも『行かないで、外に出ないで』とも言えないんですよ。これは私たちの将来のためですから。もし私がミャンマーにいたとしても、死んでもいいって思ってデモに出ると思うから、若者たちの気持ちがわかるから」
ミミさんが見せてくれたシバザクラの写真。自分たちの姿を重ね合わせ、連帯を呼びかけていました。
ミミさん「小さい花のひとつひとつは何の影響も無いんですけど、たくさんあると絶対に力になるというのを例えていて、軍事政権を終わらす方法であれば、デジタルで、海外で自分ができること、小さくてもやっていく」
動き始めた日本に暮らすミャンマー人たち
この日、ミミさんは日本に暮らすミャンマー人たちの集まりに参加しました。
若者たちは、連日SNSで送られてくる映像に強い衝撃を受けていました。
Aさん「殺されているのをみんな見て、毎日ストレスで、結構泣いている人も多いと思います。仕事も集中できない」
Bさん「私も仕事に集中できない。3月1日は最悪だった」
Aさん「朝起きたら5時くらいからスマートフォンを使ってる」
この日の会合を呼びかけたのは、日本に30年以上暮らすウィン・チョウさんです。若者たちに、ある提案をもちかけました。
ウィン・チョウさん「今私たちにできることは?君たちにはITスキルがあるよね。夕方、家に帰ればフェイスブックを見る時間もある」
市民がネットに投稿した大量の動画や写真。
ウィン・チョウさんは軍や警察の暴力が撮影されたこうしたデータを集めて検証しようと提案。国際社会に証拠として提示するためです。
ウィン・チョウさん「例えばこの写真なら、拡大すると腕の部隊章からどこの所属か探すことができる」
ウィン・チョウさん「軍を認めないために、私たちには犠牲者の命を無駄にしない責任がある。亡くなった人のデータも集めたい。どこで亡くなったのか、弾がどこに命中したのか、なぜかとか…。どう思う?」
若者「いいと思います」
ミミさん「ミャンマー国内にいると、正確なデータを知らない。国内の番組では、10人死んでるのに1人だけとかウソの情報を放送してる。だから今回こそ、ウソをつけないように私たちはちゃんとした正確なデータを作る」
ウィン・チョウさん「頑張りましょ」
若者たち「頑張ります。頑張りましょう。ありがとうございます」
ウィン・チョウさんと妻マティダさんは、遠い祖国で、連日のように若い命が奪われていく事態に心を痛めていました。ウィン・チョウさん夫婦はヤンゴンにいる若者とビデオ通話で状況を聞きました。
マティデさん「泣かないで」
ヤンゴンにいる若者「たくさんの人が軍に撃たれて死んでいます。中には19歳の女の子もいました。みんな若者です。こんなの耐えられません」
ウィン・チョウさん「殺されたのはほとんどが19歳、20歳、そういう人たちなんで、これはもう国を壊したっていうのと一緒じゃないですか。国の宝物、若者というのは国の宝物だから」
「88年」という負の歴史 ウィン・チョウさんの後悔
祖国の人々とネットやSNSでつながり、支援を続けるウィン・チョウさん。かつて自身も民主化を求めて闘っていました。
軍の独裁のただ中にあった1988年。民主化を求める大規模な反政府運動が巻き起こりました。当時、大学院生だったウィン・チョウさんもデモに参加しました。
軍は武力でデモを弾圧。ウィン・チョウさんの友人も撃たれて亡くなりました。
しかし、軍はその死の責任は自分たちにはない、と主張したと言います。
ウィン・チョウさん「私の友達が亡くなったニュースを軍が発表したが、民間人と学生がケンカして殺されたって。本当は銃で撃たれて死んだんです。デタラメなニュースがいっぱいその時流された」
その後も軍による市民たちへの暴力が検証されることはありませんでした。それが今回の軍の暴走につながっていると考えています。
ウィン・チョウさん「私たちが力不足だった。88年で終わっていれば今みたいになっていなかったと思う。殺した人たち、命令した人たちのことを私たちは残さないといけない。彼らを絶対裁判にかけないといけない。彼らの犯罪を認めてもらって、彼らにちゃんと自分の罪を分かってもらわないと意味がない」
ネット動画から真実を。若いIT戦士たち
ウィン・チョウさんの呼びかけに応じたミミさんは、早速作業に取りかかっていました。
ミャンマーでは今、各地で放火の被害が相次いでいて、軍は『市民が火をつけた』と主張。ミミさんは、その主張を覆す証拠がないか、探していました。
バリケードの横に治安部隊の一人とみられる人物が映っている動画。
その後、白い煙が立ち上り、数十秒後には、火の手も上がりました。
ミミさん「ミャンマーの国内テレビ番組では、『国民が火をつけてる』というニュースが流されているので、この映像は絶対にウソの証拠になるものなので」
投稿の中には、詳細がわからないものも多く、1つ1つ情報を確認していきます。
ある動画は、撮影された場所が示されていなかったため、すぐに投稿者にメッセージを送りました。
ミミさん「みんながこっそり撮ったものだから。しかもみんなニュースの専門家じゃないので。『これどこです』とか『いつどこで』とか忘れる人もたまにいます。そういうのを私たちが見つけたら、すぐその人に聞くなり、これ本当かどうかを、その町にいる他の人とかを確認して、『それは本当ですよ』っていうふうになったら、それを集めています」
目を背けたくなるような悲惨な映像の数々。ミミさんはひたすら向き合い続けていました。
ミミさん「血まみれとか見ると頭痛くなるし、めまいみたいになるので。もう毎日くらい痛み止めを飲んでるんですよ」
取材班「それでも作業をやめないんですか?」
ミミさん「いや、やめちゃダメですね。『いや』って思うんですけど、やめちゃダメです。もう二度と軍事政権にならないように、できることをやって終わらせるんですね」