番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
King Gnu・井口理さんに聞く「この分断された世界で、音楽にできることとは」
(2021年11月20日の放送内容を基にしています)
パンデミックによって最も大きなダメージを受けた街、ニューヨーク。最悪だった去年(2020年)4月には、一日平均700人もの命が奪われた。街の魂だったジャズも完全に止まった。仕事を失い、街角に出るしかなかったミュージシャンが盛んに演奏するようになった曲がある。「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」。1967年、黒人差別が吹き荒れた分断の時代に発表された曲で、2021年の分断の世界で再び歌われるようになった。人種を問わず、あらゆる才能を受け入れ、築かれてきたニューヨークのジャズ。街の魂・ジャズが消えた18か月間、差別に苦しんだ二人のミュージシャン、そして、閉鎖されたジャズの聖地は危機にどう立ち向かったのか。これは、失われた素晴らしき世界を取り戻そうとする人たちの物語である。
世界最悪のパンデミックが吹き荒れていたニューヨークの感染者は、今年2月、1日4000人ほどに落ち着き始めていた。この日、州知事のオフィスの前には、仕事を失ったミュージシャンが集まり、窮状を訴えていた。3万人以上いるジャズミュージシャンの7割が失業していた。
「私たちはニューヨークが好きだ。音楽が好きだ。でも今演奏しても、僕らを守ってくれるものはないんだ」
街にある60軒のジャズクラブも、軒並み閉鎖を余儀なくされていた。トランペットやサックスから飛び出す飛まつ。密空間での観客の熱狂。感染が落ち着き始めたこの時期も、再開のめどは立っていなかった。ジャズの聖地と呼ばれてきたこの場所も、去年3月以来、扉が固く閉ざされていた。1935年創業、ニューヨーク最古のジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」だ。マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン・・・。ジャズの巨人たちの名演が繰り広げられ、ミュージシャンなら誰もがこのステージに立ちたいと願う聖地だった。
ヴァンガードが聖地と呼ばれるのは、最高のジャズが聴けるからだけではない。人種差別が横行するアメリカでは、1960年代まで、“黒人お断りの店”が多かった。しかし、ヴァンガードは違った。才能さえあれば誰でもステージに立て、金さえ払えば誰でもジャズを楽しめた。いつしかこの赤いネオンサインは、多様性の街・ニューヨークのシンボルとなった。
ダグラス・パーヴァイアンスさんは、ヴァンガード専属のビッグバンドのバンドマスターとして毎週1度、40年間にわたってステージに立ってきた。
バンドマスター ダグラス・パーヴァイアンスさん「初めてこの店に来たとき、あらゆる人種がいて、とてもうれしかった。あんなのは見たことがなかった。みんなが仲良くしていて、異人種どうしのカップルもいて、音楽も最高だった。ジャズは人種を結び付けてきたパイオニアであり、ヴァンガードはそれを象徴する特別な場所なんだ。このままヴァンガードの閉鎖が続けば、ニューヨークがニューヨークではなくなってしまう」
ニューヨークで花開き、異なる人種を束ねる役割を果たしてきたジャズ。去年3月以来、街の魂とも言えるジャズが消えていた。そして去年9月、事件は起きた。
ニュースキャスター「著名なミュージシャンがマンハッタンで襲われて大けがをしました。(襲われたのは)ニューヨークを拠点に活動する日本人ミュージシャン、海野雅威(うんの ただたか)さん。病院に運ばれましたが、鎖骨が折れ、複数の打撲傷を負ったようです」
日本人のジャズピアニストが、若者8人から「中国人は出て行け」という言葉を投げつけられ、地下鉄の通路で15分間にわたり暴行を受けたのだ。
海野雅威さん、40歳。事件直後、ニューヨークを離れ、東京で治療を続けていた。今年2月の映像である(上写真)。
海野さんがニューヨークに渡ったのは13年前、27才の時だった。つてなど何もなかった。ジャズクラブにアポなしで飛び込んでは、演奏させてもらい、少しずつその繊細なタッチが、ミュージシャン、ジャズファンに認められていく。ジャズ界のレジェンドのバンドメンバーにも迎え入れられ、現役日本人ピアニストとして、トップをうかがう地位を築いていた。
海野さんは、右肩を複雑骨折、鎖骨も折れた。ニューヨークで緊急手術を受けたが、医師からは、「再びピアノを弾けるかどうかわからない」と告げられた。
ジャズピアニスト 海野雅威さん「黒人の若者でしたけど、『チャイニーズだ。やってしまえ』という声を聞きました。目撃者はいっぱいいるんですけど、私が助けを求めても、冷たい人が多くて3、4人くらいに無視されて。いくら自由の国とか、きれい事をいったところで、闇は深いです。本当に」
海野さん「今ちょっとさわる程度しかできていなくて、高い方は腕が開くんで、つらいんですよね。お客さんの前ではまだ弾ける状態ではない」
ディレクター「アメリカに戻る可能性は?」
海野さん「わからないですけど、戻らないこともかなり考えてます。そういうことが、また起きるかもしれない。今度は妻に起きるかもしれない。息子に起きるかもしれないという恐怖がありますので」
インタビューから3か月後の今年5月。海野さんは、家族とともに成田空港に向かっていた。ニューヨークに戻ることを決めたのだ。
妻 清佳さん「やっぱり帰りたくないなって思うときも、もちろんありますし、事件があったときのことを思い返したりすると、やっぱりすごく苦しい気持ちになるし、悲しいし。でもニューヨークでしか会えない人とか・・・」
海野さん「居心地は全然日本の方がいいし、怖いんですけどね。でも、もし日本でだけ復活すると、何か差別とか暴力に屈してしまった感覚もあるんで、どうしても向こうでやらなきゃいけない」
アジア人だけではない。ウイルスが解き放ったヘイト・憎しみの心が標的にしたのは黒人だった。トランペット奏者のキーヨン・ハロルドさん、40歳。「音の魔術師」と称され、ジャズの帝王、マイルス・デイヴィスの後継者とも言われている。5年前には、グラミー賞にも輝いた。去年12月、ハロルドさんは、ある事件に巻き込まれた。14才の息子が、携帯電話を盗んだという“ぬれぎぬ”を着せられたのだ。ニューヨークのホテルに宿泊していたハロルドさん親子は、ロビーで見知らぬ女性から突然、「私の携帯を盗んだでしょう」と詰め寄られた。
ハロルドさん「僕らが黒人だから疑っているのか?」
女性「私の携帯を盗んだまま、行かせないわよ」
後に、この女性はタクシーの中に携帯を忘れていたことが判明した。
トランペット奏者 キーヨン・ハロルドさん「一体何の冗談かと思いました。もし私が白人だったら、彼女はそんなことはしなかったでしょう。息子は見下され、罵られ、泥棒と呼ばれ、非難されました。この事件はたまたまではなく、いつもどこかで起こっていることなのです」
著名なグラミー賞アーティストまでも、差別の標的になったこの事件は、全米で報じられた。その7か月前には、白人警官によって命を奪われたジョージ・フロイドさんの事件が起こっていた。
差別が自分の身にも降りかかったハロルドさんが、演奏するようになった曲がある。「What A Wonderful World (この素晴らしき世界)」。1967年、黒人差別が吹き荒れ、ベトナム戦争への怒りが渦巻く分断の時代に生まれた、ルイ・アームストロングの名曲である。次世代に希望を託したメッセージは、希望なき時代に響いた。
(ルイ・アームストロング)
「♪赤ちゃんたちの泣き声が聞こえる。その成長を見守ろう。彼らは私よりもっと多くの事を学ぶだろう。そしてひとり思うんだ。世界は何て素晴らしいんだ♪」
ハロルドさん「『What A Wonderful World』は願望の歌です。この歌のおかげで私たちはまだ、この世界にはより良いものがあると信じることができます。自然災害、パンデミック、人種差別、性差別など、私たちの心を打ちのめすものがありますが、この曲は私たちを立ち上がらせてくれるのです」
今年5月。ニューヨークの新規感染者は、一日200人を切り、少しずつジャズが戻りつつあった。ニューヨーク州と市は、仕事を失ったミュージシャンのために、公園、駐車場、一般家庭の玄関まで、街の数千か所を開放した。ニューヨークの文化復活に向けた1000億円を超えるプロジェクトである。ニューヨークがジャズの再開に向けて動き出したことを知り、街を離れていたミュージシャンも続々戻ってきた。ベーシストのタル・ローネンさんは、イスラエルから戻ってきた。活動再開にあたり、新たな決意を抱いていた。
ベーシスト タル・ローネンさん「なぜ私たちミュージシャンは不要不急の存在と言われたのか、自問自答していました。そして自分勝手に音楽を作ってきたことが間違いだったと気づきました。私たちは、人々と十分なつながりを持とうとしてこなかったし、みんなを楽しませることをしてこなかったんです」
閉鎖していたジャズクラブにも助成金がおり、5月上旬、客席の50%を上限に再開した。パンデミック前は店のBGM扱いだった演奏を、観客はむさぼるように聴いてくれた。
ローネンさん「お客さんの反応がすごくて、拍手喝采でした。今まで決して拍手なんてしてくれなかった。おしゃべりするばかりでした。今日はお礼まで言われました。びっくりです」
しかし聖地、ヴィレッジ・ヴァンガードの赤いネオンサインは消えたままだった。店は、100年前に建てられたビルの地下にある。ライブの映像のみならず、店内の映像もほとんど公開されたことはない。貴重な映像である。狭い地下空間。換気も悪い。改装しないかぎり、営業再開は望めない。
しかし、オーナーのデボラ・ゴードンさんは、改装に踏み切れないでいた。
オーナー デボラ・ゴードンさん「あの電球も修理できないでいます。あの電球には大事な意味があるからです。思い出やストーリーがつまっています。それが86年ということなのです」
壁や天井、床には、数十年間にわたるジャズの巨人たちの名演の記憶が染みこんでいる。そしてその壁や天井こそが、図らずも最高の音響空間を作り出し、数々の名盤が録音されてきた。これを取り替えることは、デボラさんにとって、聖地が聖地でなくなってしまうことを意味していた。
デボラさん「なぜ変えないといけないの?変える目的とは何なのでしょう?ここには歴史とともに刻まれたたくさんの霊・スピリッツが眠っています。ここに住むスピリッツを大切にしなくてはなりません。失くすわけにはいきません」
海野さんは、帰国して2週間後、ニューヨークに戻って初めてのライブに出演することになった。10年来、つきあいのあるミュージシャンに、ゲストとして参加してほしいと、誘われていた。
「タダタカ・ウンノ!」
ドラマー ウィナード・ハーパーさん「みんな、彼の身に大変な事が起こったことは知っているよね?それでも彼はニューヨークに戻って再び演奏すると決心をした。それがうれしいよ。音楽はすべてを癒やしてくれるはずだ」
事件から8か月。まだ、右腕右肩は痛い。骨をつなげるための金属の板も入っている。それでも11曲、ジャズの再開を待ち望んでいた観客に乗せられ、弾ききった。
一流のミュージシャンがしのぎを削るニューヨーク。テクニックと創造性、ひとりひとりの即興演奏が織り成すアンサンブルが、最高のジャズを生む。海野さんは痛みに耐えながら、懸命にメンバーの即興演奏についていこうとしていた。しかし、暴行事件のトラウマも残っている。覚悟していた以上の現実が、海野さんを待っていた。
海野さん「やっぱり外歩いたりするのも怖い部分がまだまだありますし、まだ地下鉄にあれから乗ってないですし、そういう全部を含めて、体も心も回復するにはやっぱりどうしてもまだまだですね」
海野さんを襲ったのが黒人の若者だったことに、人種問題にナーバスになっていたアメリカ社会はさまざまな反応を見せた。ニューヨークタイムズなど大手メディアの多くが、犯人の人種を伏せた。それに対し、事実を隠蔽しているという声も上がった。当事者である海野さんは、犯人が黒人の若者だったことを明らかにしながらも、憎しみの言葉を口にすることはなかった。
海野さん「僕は黒人のミュージシャンと一緒に演奏しているので本当に心が張り裂けそうな思いで。黒人はひどいみたいな一緒くたにまとめて憎しみの感情は抱くことは、僕はないんです。黒人全体を否定するとかあり得ないと思っていますし、人種で全部くくるのは絶対おかしいので」
海野さんが師と仰ぐ黒人ピアニストがいる。ジャズ界のレジェンドのひとり、ジュニア・マンスさん。アルツハイマー病を患い、今年1月、92歳で亡くなった。13年前、日本からやって来たばかりの海野さんの才能を見いだし、演奏の場を探してくれ、ミュージシャン仲間も紹介してくれた。日本に帰国していた海野さんは、大切な恩師に別れを告げることができなかった。
今年6月、妻のグロリアさんは、海野さんにある話を持ちかけようとしていた。マンスさんがのこしたピアノを、海野さんに譲りたいという。このピアノから数え切れないほどの名曲が生まれた。海野さんは、試しに恩師の大好きだった曲を弾いてみた。
妻 グロリアさん「やっぱりこのピアノは家具みたいに眠らせておくのはもったいないわ。あなた、信じられる?あなたの演奏は私たちをハッピーにするわ」
夢を打ち砕かれたニューヨークから、今度は最高の贈り物をもらった。
海野さん「全部夢のようですね。ニューヨークに来て一番良かった事っていうのは、こうやって人と人とのつながりで、本当に人に恵まれて助けられたり、愛に支えられている。(ピアノを)大切に使っていきたいと思います」
7月のこの日、再開したばかりのジャズクラブのステージに、息子が盗難の“ぬれぎぬ”を着せられたキーヨン・ハロルドさんが立った。
ハロルドさん「ご存じの方も多いかと思うけど、私と息子には、去年12月にとんでもないことが起こりました。私はこの話をめったにしませんし、ステージで話すのは初めてです。人を見た目で判断するような社会を一刻も早く止めなくてはいけない。それでは、次の曲を聞いてください。『When will it stop?』」
新曲「When will it stop ? (いつになったらやめるんだ?)」。分断が進む社会に向けて、融和を訴える曲である。
ハロルドさん「一体いつやめるつもりだ。性差別、ヘイトクライム、同性愛者差別、ホームレス差別、階級差別、昔も今も抜け出せない人種差別。それでもみんな人間なんだ。体の中を見たらみんな同じだろう。音楽は、自分のことを理解してくれない人たちに近づくためのパイプ役になります。音楽は、無知を正し、憎しみを溶かし、単純な言葉では解決できない問題を解決することができるんです」
その演奏を、食い入るように見つめている人がいた。海野さんだった。ふたりは、数年前、共演したこともある。
海野さん「僕の事件の事は聞いてる?」
ハロルドさん「もちろんだ。君の話はよく耳にしていた」
海野さん「君の息子の事も残念だ。同じ頃に起きたんだったね」
ハロルドさんが、ライブに来ていたひとりの男性を、海野さんに紹介した。
白人警官に命を奪われたジョージ・フロイドさんの弟、テレンスさんだ。テレンスさんは、海野さんの事件のことも知っていた。
テレンス・フロイドさん「あなたの気持ちが痛いほどわかります。肌の色なんて関係ない。俺たちみんな人間という同じ色をしているじゃないか」
兄の命を奪われたにもかかわらず、憎しみを口にしなかったテレンスさん。事件に遭った海野さんが、自分もそうありたいと願ってきた姿だった。
この日、海野さんは、テレビ局CBSのインタビューに応じた。海野さんは、ひとつき前に出会ったテレンスさんのことに触れながら、音楽家としての新たな覚悟を語った。
海野さん「人々はいつも非難し合っています。黒人は乱暴だとか、白人はいやだ、汚いとか。もう耐えられません。私はまだ人々が互いに愛を持って尊重し合えることを信じたいんです。テレンス・フロイドがお兄さんをなくしても、お互いを愛することを忘れなかったように。ミュージシャンである私は、それを音楽で表現するつもりです」
海野さんも、この頃、あの曲を演奏するようになった。「What A Wonderful World」だ。
世界が、決してすばらしいものとは言えない時代だからこそ、この歌は響く。
8月半ば、ニューヨーカーが待ちに待ったニュースが届けられた。多くのジャズクラブが再開する中、ただ一軒閉じていた「ヴィレッジ・ヴァンガード」が、9月14日に再開すると発表されたのだ。オーナーのデボラさんは、再開にあたり、店の全面改装に踏み切った。しかし、一見何も変わっていなかった。初代オーナーの父、2代目の母も座っていたこの仕事場も、以前のままだった。
デボラさん「私たちがしたことを改装とは呼ばせませんよ。掃除です。永遠に持つものばかりではありませんからね。だから改装なんてばかげた言葉は、使いたくないわ」
歴史を刻んだ壁や天井はそのままに、その内部をまるごと作り替えた。配管を取り替え、強力な換気設備を整えた。とりわけ神経を使ったのは、ジャズの巨人たちの写真が並ぶ壁の改装だった。工事の前に壁の写真を撮り、工事が終わると、写真を寸分たがわず同じ位置に戻した。この場所に住む巨人たちの霊・スピリッツを大切にするためだった。
デボラさん「まさに歴史なのです。そのおかげで私たちは前に進むことができるのです。今のミュージシャンたちも、その重みを感じるのでしょう。ステージに上がったとき、この店の歴史におびえることもあるそうです。もうすぐ再開。ようやくスピリッツたちもステージに戻れるわ。彼らはステージにいるほうが幸せよ」
8年前、海野さんは、バンドメンバーのひとりとしてヴァンガードのステージに立ったことがある。
海野さん「ヴァンガードは手書きでミュージシャンの名前を書くのが恒例なんですけど、デボラ・ゴードンさんが書いてくれて、デボラさんに、『タダタカ これスペルあってる?』とか言われて。僕はジャズ小僧だから、信じられない思いなんです。非常に緊張して。僕にとっては本当に忘れられない。ジャズの神様が降りてきて、自分の持てるすべてを出しなさいと言われているような。またヴァンガードのステージに帰れたらうれしいですね」
ニューヨークが、その魂、ジャズを取り戻そうとしていた。
海野さんに創作意欲がみなぎっていた。自らがリーダーとしてバンドを結成し、新しいアルバムを作ろうとしていた。
海野さん「うまくいけば、かなり曲が生まれそうな予感があるんです。不安だったり、焦りだったり、怒りだったり。父親になるうれしさというのもありましたし」
レコーディングの日。海野さんが準備していたのは12曲。この1年の苦しみと喜びを、作品に変える。しかし、レコーディングに入っても、まだ完成していない曲があった。
海野さん「『Life』という曲なんです。歌詞をつけたい曲で、それを含めていろいろ考えている」
海野さんはこれまで、歌詞つきの曲は作ったことがない。しかし、自分の1年を振り返ったこの曲「Life」には、言葉をつけたいと考えた。
ドラマー ジェローム・ジェニングスさん「すばらしいメロディーだ。彼に今起こっていることがすべて凝縮されている。そんな音楽だよ、すばらしいよ」
音楽プロデューサー クリフトン・アンダーソンさん「彼は強くなって戻ってくると信じてましたよ」
海野さん「完全に腕の痛みもなくなったときに、必ずしもいい音楽が生まれるとも限らなくて、そういう気持ちを持っている今だからこそ、動きが悪くてもポジティブな気持ちでできる音楽があると思ったから。今だと思って」
トランペッターのキーヨン・ハロルドさんも、こん身の一曲を作ろうとしていた。音楽を奪われ、差別に苦しんだ、パンデミックの1年半を作品で表現する。
ハロルドさん「新曲の『ジップロック』。黒人は空気を抜かれて窒息するって意味さ」
息ができずになくなったジョージ・フロイドさんの姿を、コロナに閉じ込められたすべての人間に重ねている。
すでにハロルドさんのトランペット以外の音は完成している。残る自分の演奏は、“一発どり”と決めている。自分の中にその時が来るのを待っている。
ハロルドさん「この曲は、自分の持っているものをすべてぶつけるような演奏をしたいと思っているので、演奏は、たった一度だけと決めています。願わくは、この曲が誰かを癒やし、新たな視座を与えられればと思います。誰かの心に触れ、考えさせ、感じさせ、私たちに共感できなかった人には共感を、すでに共感している人には希望を与えることができればと思っています」
海野さんは、歌詞つきの新曲「Life」の制作を続けていた。この日は、ボーカリストを呼んでの試しどりである。海野さんが最も信頼するシンガーのレネーさんは作詞家でもある。
海野さんは、ある特別な方法を試そうとしていた。
海野さん「感じることをそのまま詞にしたいんだ。歌詞の即興演奏なんだ」
シンガー・作詞家 レネー・ニューフビルさん「言葉がすぐに降りてくるはずよ」
あらかじめ詞を用意するのではなく、演奏を聴いて、こみ上げてきた感情をそのまま歌詞にする。
海野さん「この曲のアイデアは、人生は続いていくということです。人生にはいろいろなことが起きます。いいことも悪いことも全部含めてそれが人生。それが僕の表現したいことです」
3時間にわたる作業の末に、キーワードとなるフレーズにたどりついた。「私たちは曲がる。揺れる。しかし、壊れない」
レネーさん「♪太陽の光の中で、私はコーヒーを飲んでいる♪これがいつか壊れてしまう事も、心の中では知っているの♪でも、私の人生は壊れないわ♪」
事件は不運だった。しかしそれで強くなれた。この1年の苦しみをくぐり抜けた先にたどりついた曲「Life」が完成に近づいていた。
レネーさん「♪時に揺れ、時に曲がる♪でも私たちは壊れない♪One Life♪私たちは一度きりの人生を生きていくの♪タダタカ、生き抜いて」
9月14日。ジャズの聖地「ヴィレッジ・ヴァンガード」、再開の日である。
赤いネオンサインに18か月ぶりに灯(あかり)がともった。
デボラさん「興奮しているかもしれないけど、今朝起きたら、長い間感じたことのない感覚がありました。それが何なのか理解するのに時間がかかりました。しばらくして、それは、希望だということに気づいたのです。今朝初めて、小さな希望が芽生えたのです」
金さえ払えば、誰もがジャズを楽しめる場所。聖地は、聖地のままだった。ニューヨークの魂は、危機をしぶとく生き抜いていた。
40年間ここで演奏を続けてきたダグラスさん率いるビッグバンドがステージに立った。
わずかな例外を除いて、ヴァンガードの演奏の映像は、公開されたことがない。86年間守ってきたジャズの聖地の掟(おきて)は、この日も変わらなかった。
今もニューヨークの街角にはこの曲「What A Wonderful World」が流れていることだろう。「この素晴らしき世界」。どうか、この歌が願望ではなく、いつか、現実のものとなることを。