メルトダウン File.8 事故12年目の“新事実” 【前編】

NHK
2023年4月21日 午後7:00 公開

(2023年3月19日の放送内容を基にしています)

<事故12年目の“新事実”>

2011年3月11日、巨大地震と津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所。

3つの原子炉で、核燃料が溶け落ちるメルトダウンが次々と発生。1号機と3号機が水素爆発を起こした。

現場を最も追い詰めたのは、最後にメルトダウンした2号機。消防車が停止し、原子炉への注水に失敗。メルトダウンし、大量の放射性物質が放出されると、現場での事故対応が不可能になる。

東日本一帯が汚染される、最悪の事態まで頭をよぎっていた。

事故対応にあたった東京電力幹部「日本の国がおかしくなるんではないか、というところまで思い詰めたので、死ぬまで忘れることはないと思います」

「我々のイメージは、東日本壊滅ですよ」(吉田所長の証言記録/政府事故調)

ところが、事故の後に行われた調査で明らかになった2号機の実態は、現場の危機感とはかけ離れたものだった。

注水に失敗し、被害が大きいとみられていた2号機。しかし、メルトダウンした核燃料の量は、ほかの号機と比べて大幅に少なかったのだ。

この謎に迫るため、世界の専門家たちを取材。指摘したのは、水が持つ二面性。冷却に使う水が、かえって温度を上昇させ、事態を悪化させることもあるという。

取材を進めると、3号機でも事故対応の根本を揺るがす事態が起きていた。格納容器を冷やすことができたのは、人の操作ではなく、ある偶然の結果だったというのだ。

世界が原発への依存を再び強めようとしている今、浮かび上がった原発事故の新たな謎を検証する。

NHK原発事故取材班/大崎要一郎デスク「事故から12年。福島第一原発の周辺の地域には、徐々に営みが戻り始めています。しかし、いまなお2万人以上の人たちが、避難を余儀なくされています。 未曾有の被害をもたらした原発事故。この数年、内部の調査が進むことで、事故の真相に迫る手がかりが、次々と見つかっています。当時、3つの原子炉がメルトダウンするという、かつてない事態に直面した現場。最大の危機と感じていたのが、東日本の壊滅も頭をよぎったという2号機の状況悪化の局面でした」

NHK原発事故取材班/大崎要一郎デスク「しかし、溶け落ちた核燃料デブリの調査から分かったのは、1号機3号機に比べて2号機の被害が少ないという、予想外の実態でした。事故の進展を食い止めるはずの『水』が、思いもよらない結果をもたらしていたのです」

<最大の危機 2号機 水をめぐる“意外な”事実> 

事故対応を指揮した、吉田昌郎所長。電源を失い、原子炉の冷却手段もなくなる中、ある「奇策」に打って出ます。

2号機と3号機で共通して行われたのは、消防車を使って、建物の外から水を入れる方法でした。配管をつなぎ合わせ、原子炉への注水ルートを構築。3号機では、原子炉の圧力が下がった後、狙い通り時間をおかずに注水を開始しました。

一方の2号機。作業が難航していました。

当時、東京電力は、SR弁と呼ばれる弁を開け、原子炉の圧力を下げてから、消防車で水を注ごうとしていました。

しかし、この操作にはリスクが伴います。SR弁を開けると原子炉内の蒸気が放出されて水が減り、核燃料が露出してしまいます。

事故対応にあたった東京電力幹部「仮にSR弁が開いて、開いたはいいけど、その状態で水が入らないようなことになれば、今度はもっと早く悲惨な状況になってしまう」

吉田所長が指揮をとる免震重要棟から中央制御室に、SR弁を開けるよう指示。この操作によって、原子炉への注水が可能になるはずでした。しかし、原子炉の圧力は下がったものの、水位が上がりません。頼みの消防車は、燃料切れで止まっていたのです。

このときの危機感が、東京電力のテレビ会議に記録されていました。

(東京電力テレビ会議より)

福島第一 復旧班「消防車(注水)がいま止まっている可能性があります」

福島第一 発電班「えっ、いまポンプ回っていないんですか」

福島第一 復旧班「と思います」

本店 高橋フェロー「これは水は入ったんですか」

福島第一原発「入ってない」

福島第一 発電班「入っていると思っておりましたが、入っていないようなので」

本店 高橋フェロー「それ、どういうこと。起動はしたんだよね」

福島第一 吉田所長「この圧力になると当然のことながら、入っているはずなんですけども、水位が回復しないということは、入っていない可能性があるんで」

福島第一 発電班「ダメじゃん。最後これかよって感じだなあ」

事故対応にあたった東京電力幹部「本当に怖かったです。この世の地獄だなというか。チェルノブイリみたいになると思った、最悪は」

注水に失敗し、核燃料が完全に露出してしまった2号機。

しかし、事故後の原発内部の調査から見えてきたのは、意外な事実でした。見えているのは、格納容器の床に溜まった核燃料や構造物。原子炉から溶け落ちた、核燃料デブリとみられています。

その厚さはおよそ70センチ。ほかの号機に比べ、大幅に少なかったのです。

メルトダウンの状況を分析してきた専門家たちも、この映像に衝撃を受けたといいます。

原発設計の専門家(元東芝技師長)/宮野廣さん「こういうところに構造物が残っている。溶けずに残っているというのは、すごい驚きです」

原発設計の専門家(元東芝技師長)/宮野廣さん「(高温であれば)長い時間置いておくと、金属はみんな溶けちゃいますから。炉内(原子炉)にあるものがそんなにないので、多分(核燃料の)損傷もそれほどひどくなかったんだと」

最新のデータやプログラムで2号機を解析した結果では、核燃料が露出した後、1時間以上たっても、温度はあまり上がらず、メルトダウンは始まっていなかったことを示しています。

ところが、消防車による注水が再開されたあと、原子炉の状態が悪化します。なぜか、核燃料の温度が急上昇。メルトダウンが始まりました。

水を入れるとメルトダウンが進む、それはどういうことか。

ドイツの専門家への取材から、答えが見えてきました。核燃料のメルトダウンに関する研究で知られるドイツの施設では、世界に先駆けて実験を行ってきました。

シュテインブルク博士は、12年前の事故を固唾を飲んで見守っていました。懸念していたのは、原子炉に入れる「水の量」。少ないと、むしろ事態が悪化する恐れがあるというのです。

カールスルーエ工科大学/マーティン・シュテインブルク博士「冷却のための水の供給が少ないと、逆効果になってしまいます。つまり、温度をさらに上昇させてしまうことになるのです。核燃料が出す熱に、この効果が加わり、もはや太刀打ちできなくなります」

水と核燃料の間で起こる反応を、長年にわたって分析してきた研究者たち。

これは20年以上前に行われた実験の映像です。中央に見える棒が実験用の核燃料。

1000℃以上にまで熱し、下から水を入れます。注目したのは温度の変化。条件によっては、水を入れた直後に核燃料の温度が、急上昇していたのです。

カールスルーエ工科大学/ユリ・シュトゥッカート博士「水が入ります。そして、ここで温度上昇が始まります。水ジルコニウム反応が起こっているのです」

核燃料を覆う金属・ジルコ二ウムが、高い温度となった状態で水と触れて起きる、「水ジルコニウム反応」。

ジルコニウムが水に含まれる酸素と結びつくことで、水素が発生。同時にこの反応で、膨大な熱が生まれます。そのため、この水ジルコニウム反応による熱を冷やせる量の水が入らないと、核燃料の温度は加速度的に上昇してしまうのです。

カールスルーエ工科大学/マーティン・シュテインブルク博士「事故の際、1000℃以上になると非常に反応が速く進み、大量の熱と水素が発生し、事故の進展を左右するのです。おおよそ1600℃を超えると、止めることができないほどエスカレートしてしまいます」

推定されている2号機で起きた現象です。消防車からの少量の水で水位が徐々に上昇。核燃料に触れると、水蒸気が発生。水ジルコニウム反応が促進されて、メルトダウンに至ったというのです。

東京電力は、ほかの可能性も提示。原子炉の底にたまっていた水から水蒸気が発生し、水ジルコニウム反応が促進された可能性もあるとしています。

いずれにしても、水ジルコニウム反応が致命傷となったのです。

NHK原発事故取材班/大崎要一郎デスク「メルトダウンをくい止めるために原子炉に注いだ水が、中途半端な量だった場合、かえってメルトダウンを進めてしまう。2号機では、こうした事態が起きていた可能性が見てきました。しかし、事故に影響していたのは、水の『量』だけではありませんでした。水を注ぐ『タイミング』も、メルトダウンに大きく影響していた可能性が浮かびあがっています」

<3号機 水ジルコニウム反応との闘い>

2号機に比べ、大量の核燃料が溶け落ちたのが3号機です。

原発設計の専門家(元東芝技師長)/宮野廣さん「2号機と3号機、全く違う状況だと思います。(3号機で)これだけたくさんの物が落ちているというのは、これは損傷が非常に進んだと。圧力容器(原子炉)の損傷がひどいんじゃないかと思います。高温の状態で、大きく穴をあけてしまったということじゃないかと」

3号機では、原子炉の圧力を下げたあと、すぐに消防車による注水を実施。2号機に比べ、現場は速やかに、かつ、十分な量の注水が行われたと感じていました。

なぜ、3号機の損傷は大きかったのか。専門家と共に、最新データを元にシミュレーションを行うと、厳しい結果が示されました。

核燃料が持っている熱は、3月13日のこの頃、ほぼ一定でした。消防車による注水の開始は、午前9時25分。これに対し、午前8時前から、水ジルコニウム反応による熱が急増。核燃料が持つ熱に比べ1.8倍以上に達します。

原発事故解析の専門家(アドバンスソフト)/内藤正則 理事「このグラフから分かるように、7時50分から8時、9時ごろにかけては、(水ジルコニウム反応の)酸化反応熱の方がはるかに大きいので、ここの影響で温度は上昇していることになります。水ジルコニウム反応は、反応が起きると熱を出して温度が上がって、温度が上がると、ますます反応する」

水ジルコニウム反応は、どれぐらいの影響を及ぼしたのか。核燃料の温度の変化を解析しました。

温度が上昇し始めるのは、原子炉の冷却装置が停止した午前2時42分。午前8時前には、水ジルコニウム反応によって急上昇。メルトダウンが始まる目安の2500度に達してしまいます。原子炉の圧力が下がり、注水が始まったのは、その1時間後。つまり、注水のタイミングが間に合っていなかったのです。

冷却停止後、炉内にまだ多くの水を抱えていた3号機。減圧までにかかった時間は、およそ6時間半。その間に、水ジルコニウム反応が活性化し、メルトダウンが始まっていました。消防車による注水は時すでに遅く、溶け落ちた核燃料が原子炉の底を突き破り、大量のデブリが発生したと見られます。

では、いつ注水を開始すれば、3号機を救えたのか。冷却装置が停止した時間まで遡り、検証します。

3月12日夜、3号機では冷却装置が稼働し、原子炉は冷やされ続けていました。3号機を冷やしていたのは、HPCIと呼ばれる非常用の冷却装置。しかし3月13日、長時間の運転によって、状態が不安定になっていました。運転員は、消火ポンプによる注水に切り替えようとします。

検証すると、水を注ぐタイミングによって、その後の事態が大きく変わることが明らかになりました。

実際に注水が開始された時刻より、およそ6時間早く、つまり、冷却を停止した直後に原子炉に水が注げた場合の解析結果です。

一旦は温度が低下するものの、その後、上昇。核燃料のメルトダウンが始まる温度に達しました。

メルトダウンを防ぐには、運転員が冷却装置を停止するよりもさらに前、午前2時から注水を開始することが必要でした。

原発事故解析の専門家(アドバンスソフト)/内藤正則 理事「HPCI(原子炉の冷却装置)が動いているのに、動いているものを意図的に止めるって、なかなか判断は難しい。だけどその後、いろいろな検討した結果ということであれば、動いていても止めた方がいいとなれば、それはやるべきでしょう。ただ、何を指標にして止めるかと」

原発設計の専門家(元東芝技師長)/宮野廣さん「実際のこういう事故時の水位を測るって、すごく難しいです」

通常、原子炉の水位は、核燃料の上端・TAF(タフ)よりも高く保たれ、燃料は十分に冷やされています。

ところが水位がTAFよりも下がると、注水の遅れも、量の不足も許されないという厳しい現実を専門家は、指摘したのです。

原子炉安全工学の専門家(東京工業大学)/二ノ方壽 名誉教授「要は入れるタイミングにおける炉心(核燃料)の温度と、どれぐらいの量の水を注入するか」

炉心設計の専門家・元東京電力社員(東京都市大学)/高木直行 教授「(東京電力では)『TAF(燃料の上端)は死守せよ』と言われる。これは運転員は、みんな知っています。1F(福島第一原発)の事故では、そうはいかなかったってことですよね」

原発設計の専門家(元東芝技師長)/宮野廣さん「その通りですね。TAFを維持しようとしていたと思うんですけど、それより水位が下がってしまうと、かなり難しいんですよ」

炉心設計の専門家・元東京電力社員(東京都市大学)/高木直行 教授「ちょっとでも超えると、もう厳しいってことですね、今回は」

NHK原発事故取材班/大崎要一郎デスク「いったん制御を失った原子炉で、メルトダウンを食い止めるためには、注水の『タイミング』と『量』の、両方がそろう必要があるということがわかってきました。専門家はそのタイミングを『針の穴を通すようだ』とも語ります。事故後、電力会社は対策として、ポンプの給水能力を高めたり、多重化を進めたりするなどしています。一方で、タイミングをはかる物差しとなる水位計は、事故の際に機能を失い、今も改良が続けられるなど、課題は残されたままです。今回、取材で明らかになってきた、もう一つの重要なポイントがあります。それは、放射性物質を外部に漏らさないための“最後の砦”、原子炉を囲むように設置された“格納容器”を破壊から守るための対応です。ここでも事前の想定を超える、難しい事態が起きていたことが分かってきました」

(後編へ)