■番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2023年10月29日の放送内容を基にしています)
「『ひまわり』って、人みたいに見える。教会の礼拝のときや親たちの姿とオーバーラップする。みんなが同じような理想的な形をして、同じ方向を一心に見ていて」
「自分が信仰の道を行けないんだったら、自分も地獄に落ちるし、親も地獄に落ちる。それが絶対のものと言われて育ってきた」
親が信じる宗教の信仰を強いられ、生きづらさを抱えてきた“宗教2世”。その存在が大きく注目されるきっかけとなったのは、2022年7月、安倍元総理大臣が銃撃された事件だ。事件の被告の境遇に人生を重ね合わせた人たちが、みずから“宗教2世”と名乗り、宗教や宗派を越えてSNS上に苦悩をはきだした。多額の献金による経済困窮。進学や就職をめぐる厳しい制限。そして、家族の崩壊。「生まれながらに自由を奪われ、生き方を選べなかった」と声を上げ始めた子どもたちの苦悩と葛藤の日々を見つめる、シリーズ“宗教2世”。第1回は、長期密着取材によるドキュメンタリー。痛みと向き合いながら、どう生きていくのか。異なる信条を越えた対話の先に、何を見いだすのか。“宗教2世”が紡ぎ出す言葉に、耳を傾ける。
<自分の人生を生きることを諦めた 旧統一教会2世の苦しみ>
旧統一教会2世のまなみさん(30代 仮名)は、この30年、誰にも言えずに抱えてきた苦悩を初めて打ち明けた。
まなみさん「自分は、この問題は個人の問題で誰にも言葉が届かないから、なかったことにしようと思ってフタをしてきたけれども、そういう選択をしたことが、今回の事件を生んだ社会そのものとリンクしているような気がして、声を上げないといけない」
まなみさんが最初に語り出したのは、養子に出された自分の生い立ちについてだった。
まなみさん「養母が病気だったので子どもができないことがわかって、そのときに実父母が『次に自分たちが妊娠する子どもが女の子だったら、養子に出していいですよ』というやりとりがあったと聞いている」
子どもを多く産み育てることが重要だと説いてきた旧統一教会。養子の約束を交わすのは、ささげる側の妊娠前が最も望ましいと、養子に出すことを前提とした妊娠が勧められていた。
物心ついたころから、自分が養子だと知っていたまなみさんは、「2世としての責任を果たしたい」と考えていたという。
まなみさん「神様を中心とした家庭が増えていくことで、地上に天国を実現していく。自分が養子で来たのは、これを実現するため」
幼いころの幸せな記憶に「ひまわりの花」がある。
まなみさん「夏になると、(母親が)ひまわり柄のワンピースを作ってくれて、そのワンピースを着て、いつも一緒にお出かけしていた」
しかし小学生になると、両親は教団の活動などで夜遅くまで家を空けるようになり、まなみさんは強い孤独感に襲われた。親は少しでも収入があれば、献金。家にはいつもお金がなく、ぎすぎすした空気が流れた。家族が幸せだという実感を持つことができず、まなみさんは信仰から離れた。
「2世として、あるべき姿になれなかった」。自分を責める気持ちを重ねたのが、ひまわりだった。
まなみさん「理想とされる姿があって、求められた姿に自分がなれない。違和感を抱いているというところで、罪悪感とか申し訳なさとか・・・。自分が失敗作。自分を消してしまいたい。そういう気持ちがありました」
病気で父親を亡くし、母親とふたりで暮らすまなみさんは、無年金で収入がほとんどない高齢の母親を支えている。
まなみさん「教会のためではく、母自身のために使ってほしいなと思って、生活費とあわせて20~30万円くらいがんばって渡したんです。そうしたら母からLINEが来て、『先祖の特別解怨(かいおん)で全部(献金に)使ったから、今月の生活費がない』と言われてがっかりした」
まなみさん「収入の心配をして、母の心配をして、母が教会に行く通勤費も払ってあげて・・・この状況で結婚してくれる人なんて見つかりっこない。そういう人生なんだなって、毎晩目を閉じる」
まなみさんは自分の人生を生きることを諦め、すべてを一人で抱え込んできた。
<宗教・宗派を越えて広がる“宗教2世”の声>
銃撃事件以降注目された“宗教2世”の存在。複数の専門家はその定義を「特定の信仰をもつ親のもとで、その教えの影響を受けて育った子ども世代」としている。いまSNS上では、宗教・宗派を問わずさまざまな当事者たちが、みずからを“宗教2世”と名乗るようになった。こうした中、支援団体が相次いで発足。福祉や教育、就労など、必要とされる支援は多岐にわたる。
当事者からの訴えが特に多いのが、エホバの証人。1870年代にアメリカで生まれた新宗教だ。「親がむちで打つ」といった体罰や子どもへの「輸血拒否」などをめぐって、児童虐待にあたる可能性が指摘され、ことし3月、国は教団に事実確認を行った。
<母に認めてもらえなかった“信じない”生き方>
エホバの証人の2世たちは、銃撃事件が起きる前から、他の宗教の2世たちとともに、人知れずつながりをもってきた。7年前から続く当事者の集い「芋煮会」だ(上画像)。
エホバの証人2世のゴンさんは、ありのままの当事者の姿を知ってほしいと話す。
ゴンさん「宗教をやめた人たちも、みんな1つ居場所をなくすのだが、また新しい居場所を見つけることができることを感じてもらえるような場になるかなと」
ゴンさんが宗教2世としての思いを語るとき、そこにはいつも母親の記憶がある。
ゴンさん「母が宗教に入ったのは『家族が幸せになる方法を知りたいと思いませんか』と言われて。ちょうど子育てのことや夫婦関係のことで悩んでいたときに、伝道活動で来られた宣教者の方からお話を聞いたと聞いている」
ゴンさんは10歳のとき、母親の信仰の強さを目の当たりにする。
母親が、当時17歳だった兄を家から追い出したのだ。その理由は、教えに反してたばこを吸い、「排斥」と呼ばれる破門扱いになったこと。教えでは「排斥された人とは交流を避けるべき」とされていた。
ゴンさん「母にとっては、宗教のほうが大事なんだと思った瞬間だった。宗教をやめるとか、戒律、教理に反した場合には、私も母から見捨てられるんだなと」
一度だけ、排斥された兄が家を訪ねてきたことがある。しかし、母親が受け入れることはなかった。後に兄は、みずから命を絶った。
「母の望む道を行かなければ、認めてもらえない」と、ゴンさんは懸命に信者として生きようとした。母親は、少しでも教えに反するようなことをすると、むちで打ち、正そうとした。時に涙を浮かべながら、むちを振るうこともあった。ゴンさんは母親を落胆させまいと、じっと耐え続けた。
20歳のとき、ついにゴンさんは宗教の世界を離れることを決意する。しかし、親子の縁までは断ち切れなかった。そしてゴンさんが35歳のとき、母親が病に倒れる。命を救うには、輸血が必要だった。しかし、母親は教えに従って、輸血を拒否していた。
ゴンさん「娘としては『すぐに輸血をして命を救ってください』と言いたい。でも、それをしてしまうことで、母の40年間がなくなってしまう。それを私が決めていいのか」
ゴンさんは悩み抜いた末、母親の意志を尊重することにした。
ゴンさん「自分が生きたいと思う人生を生きることがどれほど大事なのかということは、自分自身が身をもって経験しているので、母が生きたい人生を生きられたことに、まず安どした。そして、もうこれ以上、母を喜ばせるために自分を偽らなくていいんだと・・・」
母親の死から15年。
今も大切にしまっているものがある。母親が亡くなるまで、ゴンさんへ送り続けてきた手紙だ。
ゴンさん「この缶(上画像)は一生開けられないかもしれない。母は、私に宗教に戻ってほしかったという思いを手紙に書いてくれていた。どういう気持ちで書いたのかなと思うと、まだ読めない」
<“宗教2世”の苦しみは千差万別>
厳しい境遇に置かれてきた当事者たちが、声を発するきっかけとなった“宗教2世”という言葉。この言葉を通して語られる苦しみは千差万別だと、長年、宗教を研究してきた専門家は指摘する。
小原克博 教授「自分の内側にとどめざるを得なかったいろんな悩みを、外に出してもいいんだと思い始めることができる。孤立していた1人、2人、3人、4人が、共通のプラットホームを得た。そういう語りの場を与えたのが“宗教2世”という言葉だと考えるならば、“宗教2世”といっても実際には背景や事情、あるいは悩みの深さも違うんだというところに光を当てていく必要がある」
<教団が厳しい批判にさらされる中で 旧統一教会2世信者はいま>
さらに今、みずからの意思で信仰を継承している2世からも、声が上がり始めている。旧統一教会、現役の2世信者たちだ。社会から厳しい目が向けられていることを、どう受け止めているのか。
旧統一教会2世 だいすけさん(20代 仮名)「朝起きたらキョンベ(敬礼)をして、神様と対話するというか報告する」
ことしの合同結婚式に参加した旧統一教会2世のだいすけさんは、高校生のころ、恋愛を禁じる教えなどに反発し、教団の活動から離れた時期がある。しかし心が満たされることはなく、再び信仰の道に戻った。
だいすけさん「団体に関してもすべていいと思っていない。直すべきところはあるし。でも自分のアイデンティティーが統一教会というところ、それありきで僕らも生まれているので、それを否定されることは、自分が否定されるのとほぼ同等。僕にとって」
旧統一教会の解散命令請求をめぐる議論が続く中、2世信者の団体を立ち上げ、動き出した人たちもいる。
この日開催したシンポジウムに招いたのは、教団を擁護する立場ではない宗教学者。外部の視点を取り込むことで、教団内からは見えない課題を明らかにしたいと考えた。
宗教学者「家庭連合(旧統一教会)にとって相当深刻な事態。解散(命令)請求までいったとしたら、学問も宗教の世界も、両方ともこれを認めたということ。やめた2世には同情しても、やめていない2世にはあまり同情がない」
旧統一教会2世 小嶌希晶さん「昔はこうだから解散したほうがいいというのは、何も知らない世代としては納得できない」
宗教学者「それは1世の責任。1世がやってきたことがいったい何なのかが問題。いったい自分たちがやってきたことが何だったのか、検証する作業を果たしてやったのか」
小嶌さん「私たちが世間や批判の声にも耳を傾けながら、分析材料のひとつとして受け入れるべき」
団体の代表の小嶌希晶さんは、教団の職員として働きながら信者たちの声を集め、発信を続けている。
2世信者(女性)「家庭連合の職員で、物件が借りられなかったという話を2人くらい聞いたことがある。保険証などに(教団名が)書いてある」
2世信者(男性)「世間のいろんな目や攻撃にさらされる人が増えるのではないかというのは心配」
小嶌さん「私たちはただ純粋に信仰していて、自分で選んだ道をただ生きているだけなので、それをすべて奪われるような不安を抱えている人たちは多いと思う」
小嶌さんは、信仰を離れた2世とも対話を重ねている。この日訪ねたのは、長年、SNSで2世の苦悩を発信してきた ものさん。
小嶌さん「ご両親が、積極的だったんですか?」
ものさん「ものすごく熱心でした。いちばん大きかったのは恋愛や異性関係。そこの締めつけがかなり厳しかったというのはあります」
10年前に信仰を離れ、信者ではない男性と結婚したものさんは、両親からの猛反対に遭い、親子関係が悪化したという。
小嶌さん「教会の職員もしているので、向き合わないといけないと思うんですけれど、どういう手の差し伸べ方というか・・・教会にこういうことをしてほしかったということはありますか」
ものさん「いちばんは、教会を離れる道を認めてほしかった。『あなたは祝福2世なんだから、教会の道しか許されない』と口酸っぱく言われていて。信じない自由と、今後どうやって教会が向き合ってくれるつもりなのか」
小嶌さん「教会じゃないじゃないですか?親じゃないんですかね?」
ものさん「いや、教会と親だと思います。教祖の言葉とか、結構過激なことも言っていたじゃないですか。それこそうちの親は教義などを読んでやっていたので、教会の責任はまったくないのかというと、個別の家庭の問題にするのは、私は違うと思う」
小嶌さん「宗教だから『愛せ、愛せ』と言われてきた。『傷つけろ』なんて教えられたことはない。愛があるかどうかだと思う」
ものさん「いや、私は違うと思うな。すごく親からは愛されたと思っているんです。昔は両親のことが大好きで、それですごく苦しんだ。私が(宗教から)離れたら、両親を悲しませてしまう。なかなかちょっと、それぞれスタンスが違えば…」
小嶌さん「違いますね」
ものさん「違うなとは思えど・・・」
小嶌さん「ちょっと共通点があると思ったんですけれど」
ものさん「私はあまり統一教会、家庭連合によってプラスだったことがない人生だった。2世でよかったと思ったことがない。教会が必要ない2世もいるんですよ」
その後も小嶌さんは教団の課題と向き合い、社会との折り合いをつけたいと活動していた。
2023年10月13日。国は、旧統一教会の解散命令を請求した。裁判所の審理を経て解散命令が確定すれば、宗教法人格が剥奪される。
小嶌さん「教会を離れた2世たちの意見を一生懸命聞くのも、納得したい。なぜこんなに教会が責められているのか。どうすれば世の中に受け入れられるのか。一生懸命『二世の会』でも話し合うけれど、見つからない」
<初めて背中を押された言葉 「私は私の人生を生きる権利がある」>
旧統一教会の信者の養子として育てられ、苦悩を抱えてきたまなみさんは、自分と同じ境遇の2世がいると知り、話をしたいと考えていた。
旧統一教会2世のようじよさん(20代 仮名)。
養女であることをみずから明かし、SNSなどで発信してきた。
ようじよさん「すごく感じたのは、道具だなって。ただ教義のために、利用されるために、この世に生を受けたと思っていた」
まなみさんは、これまで誰にも言えなかった悩みを打ち明けた。
まなみさん「自分のなかに、物理的にも精神的にも打ち壊せない壁のようなものがあって、どうしたらいいんだろうというのがすごく悩み」
ようじよさんは「自分を変えてくれた言葉がある」と伝えた。それは、みずからの存在に苦しみ、命を絶とうとした4年前、カウンセリングでかけられた言葉だった。
ようじよさん「『私自身には、私自身の人生を生きる権利がある』と。私は『あっ』と思って。『あるんだ、私に』と。今までそういう考えがまずなくて、すごく小さなことだけれど、嫌なことを『嫌』と1回言えるようになると、ちょっとずつできるようになって、そうしたら両親も少し変わった」
「私の人生を生きる」。まなみさんは初めて、自分の背中を押してくれる言葉と出会った。
ようじよさんと語り合ったあと、まなみさんは、20年以上住んでいた家から引っ越しをした。
まなみさん「ようじよさんの言葉を受けて、やっぱり変わりたいなと思っていて、まずはきちんと母を連れて外に出ようと思った」
熱心な信者の母親との生活にも、小さな変化があったという。
まなみさん「もとの家で、母親が玄関に『〇〇家 家庭教会』というようなプレートを掲げていて、それが嫌だった。引っ越し先でもそれをそっと掲げていたので、『全部否定するつもりはないけれど、一緒に生活する者として私はすごく嫌だから、そこは線引きしてほしい』と言ったら、そっと外してくれて。ふだんから冷静にきちんと言葉にしていいんだって」
“信じる・信じない”を越えて、一歩を踏み出した“宗教2世”。自分の人生を生きるきっかけを、つかもうとしていた。
<信仰にとらわれないつながりが心の支えに>
信仰にとらわれない人とのつながりによって、社会に居場所を見つけた人もいる。
エホバの証人の2世、ケンタさんの支えとなっているのが、高校の同級生だ。去年、ケンタさんが“宗教2世”だと明かしたあとも、変わらぬ友人関係が続いている。
ケンタさんは、2歳のころから親に連れられ、布教活動に参加してきた。教団の教えでは、高等教育を受けるより布教活動に専念することが求められていた。高校卒業後は、年間840時間の布教のノルマを達成するため、フルタイムの仕事に就けずアルバイトを転々とした。信仰を離れたあとも、家族が信者だということを理由に、恋人から別れを告げられたことがあった。
ケンタさん「家族がそういうのだったら、結婚まで真剣に考えることはできないと言われてへこんだ。十字架、“十字架を背負う”と言うが、重い昔のこととか。それは消えない」
そんなケンタさんの心の支えとなってきたのが、高校の同級生だった。
同級生「そんなに縛りが多いと思わなかった」
ケンタさん「印象は変わらん?」
同級生「うん。『あっ、そうなんや』ぐらいの感じ。高2、高3で打ち明けられたら、色眼鏡的なものはあったかも。最初に会ってから5~6年たっているから、そこで言われてもあまり変わらん」
ケンタさん「こういう話をしても『印象が変わらん』と言ってくれるのはうれしい。その人自身を見るんじゃなくて、その背景だけで、深くつきあえないと思われることも今までなくはなかったから」
ケンタさん「向こうが理解しきれないところもあるとは思うが、まず話を聞いてくれて、できるところまで共感してくれるのは、すごく大きかった。これからもずっと大事な支えになっていくんだろうな」
<親世代との対話から 母を見つめ、歩み直す>
宗教を信じた母親に従い、自分を押し殺し続けてきたゴンさん。今は、夫と、高校生と中学生の息子、4人で暮らしている。長男は小学5年生のころ、学校に行かない時期があった。
ゴンさん「私が無理やり連れて行こうとして本人が抵抗したので、頭をたたいちゃったことがある。そのときに本人から『ママは俺を思い通りにしたいだけなんだろう』と言われた。頭の上に『どんっ』と何かが落ちてきたかのように『え?』って。私が思い通りにしたいから学校に行かせようとしているのかなと、初めて疑問をもった」
子育てを通して知った、親が子を思う気持ち。ゴンさんには今、改めて亡き母に聞いてみたいことがある。
ゴンさん「母が人生をかけてまでしたものが、母にとってどんなものだったのか、なぜだったんだろうということ。そこがわからないと、どこまでいっても、母と私の関係、親子関係もそうだし、自分の人生もそうだし、腑(ふ)に落ちない」
ゴンさんは、知り合いを通じてつながった母親と同世代の元信者を訪ねることにした。尾崎さん、78歳。夫との関係に悩んでいたとき、信者からの勧誘を受けた。
ゴンさん「尾崎さんはなぜエホバの証人になろうと思われたんですか」
尾崎さん「(信者の夫婦が)いつもお二人で座ってお話もなさっていると、とても平和な・・・すてきに見えた。その中に子どもたちも入れたい。そこにいたら幸せになるのよって。子どもが自分の持ち物みたいな感じになっていて、親に従うものという受けとめ方をしていた。それがいちばんの幸せだと」
そんな尾崎さんが信仰を離れるきっかけになったのは、息子からかけられた言葉だった。
尾崎さん「『お母さん、なんのために宗教をやっているの?家庭が幸せになるためにやっているんじゃないの?』『自分たちは全部もぎ取られちゃって、小さいときから。自分が何かをしようとしても、みんな、だめだめともぎ取られてしまっているのに、どうやって飛び立てると思うの?』と言われたときは苦しいですよね。戻れたらいいですけれどね・・・戻れないのが残念」
ゴンさんは、亡き母の気持ちにもっと近づきたいと考えていた。たどりついたのは、今も信仰を続ける現役信者の雅子さん。
ゴンさん「うちの母と本当によく似ていて」
ゴンさん「うちの母もよく食卓に野の花を生けてくれて。母が奉仕(布教活動)をしながらよく『これはミヤコワスレだよ』とか、いろいろ教えてくれて」
雅子さん「私もミヤコワスレが大好きなの」
ゴンさん「同じです。うちの母も。私、母に聞いてみたかったことがあって、信じるものが親子で違っても、それでも親子のままでいることってできますよね」
雅子さん「そうじゃないかなと思いますけれどね」
ゴンさん「もし私が、例えば『排斥』されていたら、お母さん、会ってくださいました?」
雅子さん「ひょっとしたらね、『排斥』とはっきりわかっていれば、たぶんお会いするのはちゅうちょしたかもしれない」
ゴンさん「それはなぜですか」
雅子さん「排斥されたとわかっていたら、避けるようにと書かれているのは事実ですからね。聖書にね(※エホバの証人の聖書解釈に基づく)」
ゴンさん「お母さんのお気持ちは会いたいと思ってくださっていても会わない。聖書に書かれているからということになるんですか」
雅子さん「難しい質問ね」
ゴンさんは、これまでフタをしてきた胸の内を語り出した。
ゴンさん「私は、母の信じていたものを尊重したかったんじゃなくて、母の生き方を尊重してあげたかったんです。いろんなことを思ったんです。私、冷たい人間なんじゃないかなと思って、自分のことを。母が亡くなって、母の呪縛から解放されたような気がしたので」
雅子さん「大好きなお母さんを、輸血すれば助かるのに、母が望んでいるのでそうしてくださいって、お母さんの信仰を否定するんじゃなくて・・・ものすごく勇気がいったと思う。だって自分の感情は『お母ちゃん生きて』と言っているから。心ではね。でも時がたてばたつほど、本当に母が喜んでくれることを私はしているのだろうかと、いろんなことで責め続けてね。『もう頑張ってるやん』『もういいよ』って、言ってあげたいな。『もう十分してあげたやん。責めなくていいよ』って」
ゴンさん「何十年も抱えてきた思いが、雅子さんの言葉で、母から『もういいよ』と言ってもらったような気がしました」
ゴンさん「開けて読むには覚悟がいりますけれど、いつか(母からの手紙を)読んでみたいなと思えるようになりました」
ゴンさん「これ、野の花ですよね、全部ね。これもよく伝道で歩きながら、母と一緒に摘んだお花。だから私はこの缶を選んだのかな」
ゴンさん「私なりの自分の人生。自分を生きていくという生き方。これから一生かけて、見つけていくものなのかもしれない」
<枯れたひまわりに自分を重ねて>
“宗教2世”として、生きてきた人たち。自分自身を探し求めるなかで、たどりついた思いを言葉にした。
まなみさん「こうやって枯れていくのは、次に種を残す、実りを迎える準備をしていると思うと、満開に咲いているときよりもすごく力強い。自分も、誰かに求められている理想のきれいな形になれなくても、どろどろぐちゃぐちゃに生きていたとしても、これでいいんだ」
自分への許し。そして、今も苦しみのなかにいる誰かに向けて。