(2021年8月22日の放送内容を基にしています)
「Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)」Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)」
東京オリンピックの開会式、会場の外に、母国の窮状を訴えるミャンマー人たちの姿がありました。クーデターから半年が経ち、世界の関心が薄れていることに強い危機感を抱いています。
2月、軍が突如起こしたクーデターに対し、非暴力の抵抗に立ち上がった市民たち。
しかし、軍は容赦ない弾圧を続け、分かっているだけでもおよそ1000人が殺害されました。
さらに軍は、弾圧の実態をSNSなどで発信させないよう、撮影する市民を狙撃。情報統制を徹底しています。いま、ミャンマーのブラックボックス化が急速に進んでいるのです。
そこで、私たちはウエブサイトなどで情報提供を呼びかけ、厳重なセキュリティのもと、現地からの映像を入手。そこから浮かび上がったのは、国連などが注目する、未解明の事件の真相。軍がひとつの町を包囲し、圧倒的な武力で多くの市民を殺害した、というのです。
なぜ軍は市民に対して苛烈な弾圧を続けるのか?
私たちは、軍を離反した元将校の証言や、軍の機密文書などを入手。軍が外国の政府や企業ともつながり、巨大な利権を握る構造が見えてきました。
いま市民たちの一部が武装化し、各地で軍と衝突。さらに多くの血が流れています。
混迷を極めるミャンマー。最新の調査報告です。
<ブラックボックス化するミャンマー>
ミャンマーの首都、ネピドー。クーデターの後、私たちが取材に入ると、街は異様な緊張感に包まれていました。各地に厳重な検問が設けられ、身元や所持品を徹底的に調べ、取り締まっていました。
移動中、目に飛び込んできたのは、警察に連行される市民たちの姿。こうした光景が日常になっています。
ゾー・ミン・トゥン報道官「我々が本気を出せば自動小銃で1時間に500人を殺せる」
40万もの兵力を有する巨大なミャンマー軍は、この半年間、圧倒的な武力で市民による抵抗運動を抑え込んできました。今月(8月)1日には、ミン・アウン・フライン司令官が、「暫定首相」に就任すると発表。軍による支配を正当化しようとしています。
情報統制を強める軍は、弾圧の実態を撮影し、SNSで発信しようとする市民たちを狙い撃ち。手段を選ばなくなっています。
クーデター直後から、市民たちのデモの先頭に立ってきた医療従事者のグループは、軍の動向をリアルタイムでデモ隊に伝えるなど、ネットやSNSを駆使して軍に対抗してきました。しかし、今では軍や警察が電話の盗聴やSNSへの監視を強化。デモはごく短時間でゲリラ的に行うことしかできなくなっています。
デモを行う医師「私たちの最大の武器はスマートフォンですが、プライバシーなど存在しません。電話回線は全く安全ではありません。ハッキングされているのです。私服の軍人や警察官もしばしばデモ参加者の中に紛れ込んで逮捕していきます。もはや自由に声を上げることは許されないのです」
これまで拘束された市民は累計7000人以上。非人道的な取り調べの実態も告発されるようになっています。3か月にわたり拘束されていた現地メディアのジャーナリスト、ネイサン・マウンさんは、アメリカ国籍を持っていたため、自らは解放されましたが、同僚は今も拘束されています。
ネイサン・マウンさん「私はこのように殴られました。2人の男が両脇に立ち、私の鼓膜めがけて、バンバンと激しく殴打しました。同僚は携帯電話の暗証番号を教えなかったため、大きな氷の塊を24時間足に乗せられていたそうです。ついに彼らは服を脱がせ、性的暴行を加えようとしたのです。同僚は泣いていました。『お願いだからやめてくれ』と」
ブラックボックス化が進むミャンマー。
国連では、独自の調査チームが設置され、軍による人権侵害の実態を解明しようと、動き出しています。チームを率いるニコラス・クムジャン氏は、旧ユーゴスラビアやカンボジアの国際刑事法廷など6つの国際裁判に関わってきました。ミャンマー軍が行っている弾圧も、国際法上の「人道に対する罪」にあたるのではないかと、調査を進めています。
ミャンマー独立調査メカニズム・クムジャン氏「現在900人以上が殺され、数千人もの人々が国際法上、正当な手続きを経ていないと思われる拘束や拷問、失踪の被害にあっていると報告されています。軍が真実を隠蔽しようとしているのは、罪の意識がある証拠です。解明する手段は限られていますが、最善を尽くさなければなりません」
<世界が関心を寄せる未解明の弾圧 バゴーで何が?>
国連や世界のメディアが重大な関心を寄せながら、詳細が闇に包まれてきた事件があります。ミャンマー中部の町、バゴーで起きた弾圧です。
首都ネピドーと最大都市ヤンゴンを結ぶ、交通の大動脈に位置する要衝です。人権団体は、4月9日、軍による発砲などで市民82人が死亡したと発表。クーデター以降、一度の弾圧で出た死者としては最も多いと見られます。しかし、犠牲者の身元をはじめ、全体像は明らかになっていません。
軍はこの日、国営テレビを通じて「治安部隊の2人が負傷。暴徒集団側は男性1人が死亡、男性2人が負傷した」と報じていました。
<弾圧の実態を調査するウィン・チョウさん夫妻>
軍はバゴーでの弾圧の実態を隠ぺいしようとしているのではないか。その真相を追うミャンマー人がいます。日本で30年以上暮らしているウィン・チョウさんとマティダさん夫妻です。
2月のクーデター以降、ミャンマー国内外の仲間と連携し調査を進めてきました。
いまも、軍の監視下に置かれているバゴー。ウィン・チョウさんはその網をかいくぐって、生存者にたどり着きました。
(ビデオ通話での会話)
ウィン・チョウさん「もしもし。映像をオンにできますか? 4月9日のバゴーの様子はどうだったのか教えてほしい」
生存者「戦場のように、朝の4時半からずっと発砲が続いていました。軍は見つけた人には、道にいようが庭にいようが、全員に発砲してきたのです」
<デジタル調査報道で独自に解明>
あの日、バゴーでいったい何があったのか。
私たちは、ウィン・チョウさんや海外の調査グループと協力し、現地の映像を収集。市民が隠し持っていたものなど、200枚の写真と100本の動画を入手しました。それぞれ、どの地点で撮影されたのか、衛星写真などをもとに特定。そして、目撃者16人の証言と合わせて、多角的に分析しました。
弾圧直前のバゴーの状況を見ると、デモを行っていた市民たちは、軍の侵入を防ごうと、3本の道路に幾重にもバリケードを築いていました。
主要なバリケードには、20人ほどの市民が24時間、交代で見張りについていたといいます。
事件の3日前、バリケードの内側でバゴー市民は、歌を歌いながら、暴力に訴えることなく、軍への抗議の意思を示していました。それに対し、軍は軍事作戦さながらの攻撃を展開したのです。
<軍事作戦さながらの攻撃>
4月9日。人々がまだ寝静まっている町に突如、ごう音が鳴り響きました。調査で明らかになった、そのときの軍の配置です。町を包囲し、あらかじめ逃げ道を塞いだ上で4か所から一斉に攻撃を開始したのです。
最初に攻撃を受けたバリケードの近くにいた人が見つかりました。ター・ジーさん(仮名)です。市民の多くは仮眠をとっており、まさに寝込みを襲われたといいます。
ター・ジーさん「軍はバリケードを撃ちました。土のうが吹っ飛ぶところを私たちは目撃しました。そのあと、もうひとつのバリケードにも攻撃してきました」
土のうは水をしみ込ませて重くし、簡単に撤去されないようにしてありました。軍はそれを難なく突破したといいます。バリケードから、兵器の破片が見つかりました。40ミリグレネードと呼ばれる弾頭の一部だと専門家は見ています。市民に対し、殺傷能力が高い兵器が使われたのです。
バリケートを守る市民に対し、軍は正面と横の2方向から攻撃を仕掛けてきたといいます。爆発と、その後に続く銃撃でバリケードは次々と制圧されていきました。
市民の一部が、手製の花火で威嚇し、軍の侵入を阻もうとする様子も写されていましたが、軍はここでも40ミリグレネードを撃ち込み、踏みとどまる市民を一掃したと見られています。予想もしていなかった激しい攻撃を受け、市民は逃げ場を失っていきます。
弾圧の目撃者「味方の多くが命を落とし、いくつかのグループでは全員が死亡しました」
弾圧の目撃者ミョー・コーさん「軍は銃弾を受けた市民を捕まえると、ひざまづかせて銃で殴りました。道路は血の海になりました」
ター・ジーさんは脇道を縫って、軍の追撃から逃れようとしていました。ところが軍はドローンを飛ばし、市民を上空からも追い詰めていたのです。
ター・ジーさん「軍が私たちを探すドローンの音が近づいてきました。逃げ道は前も後ろもふさがれていたのです」
ター・ジーさんは、とっさに寺の敷地に隠れて助かりましたが、多くの市民は袋小路に追い詰められ、銃撃を受けました。弾圧は9時間に及んだといいます。軍は一部の市民の遺体を持ち去ったとされ、正確な死者の数は分かっていません。
それから3か月。バゴーでの弾圧を調査するウィン・チョウさん夫妻に対して、夫を射殺されたという女性が重い口を開きました。バゴーは今も軍の監視下に置かれ、夫の死について、周囲に話すことはできないといいます。
遺族の女性「夫は川に出て逃げようとしましたが、川にも大勢の兵士が待ち構えていたのです。私の夫もそこで撃たれました。土手に上がろうとしたけど逃げ切れなかった」
男性には言葉を話しはじめた幼子がいました。男性の遺体にすがりつき、抱っこをせがんだといいます。
遺族の女性「切ない。耐えきれない。軍が憎いです」
ウィン・チョウさん「あなたの気持ちは伝わりました。私たちがあなたに代わって世界に伝えていきます」
この弾圧の真相をウィン・チョウさんたちは、国連に告発するため、調査記録をまとめようとしています。
<なぜ自国民に銃口を?軍内部の実態とは>
自国民に容赦なく銃口を向けるミャンマー軍とは、一体どんな組織なのか。詳しい実態は明らかになっていません。私たちは、クーデターを機に、軍に反発して離反した4人の元将校から証言を得ることができました。
元大尉「軍にいると外とのつながりがとても少ない。政治や国民について触れている記事は読めない。軍隊の中で得られる情報は、軍が統制している新聞やテレビしかないのです」
4人は今も逃亡を続けていますが、この内2人はあえて素性を明かして告発したいとインタビューに応じました。
元少佐ヘイン・トー・ウー氏「権力を握りたい人が軍隊を操っています。軍を離反したのは、やり方がひど過ぎるからです」
軍人とその家族は社会から切り離され、軍が管理する敷地の中で生活します。その行動全てが監視され、仮に逃亡すれば逮捕され、死刑になることもあるといいます。
元少佐ヘイン・トー・ウー氏「もし軍人やその家族が裏切る行為をしたら起訴されてしまいます。軍から逃げることは決して許されません。家族も同様に逃げることは難しいのです」
叩きこまれるのは「軍の思想」。特に「民主化を求める市民は悪だ」という考えだといいます。
軍の独裁のただ中にあった1988年。民主化を求める大規模な反政府運動が巻き起こりました。
軍は武力でデモを鎮圧。千人以上の市民が殺害されたとみられています。しかし、兵士たちは当時、「暴徒化した市民が多くの兵士を殺した」という、事実とは異なることを教えられてきたといいます。
元大尉トゥン・ミャッ・アウン氏「『自分の目の前にいるのは敵だと思え』と常に洗脳されてきました。現場の指揮官から『殺してしまえ』という命令を下されることもあります」
こうして市民に銃口を向けることをためらわない兵士が作られているというのです。
元少佐「軍は国民がどうなってもいいと考え、罪のない人たちを殺したり、市民を痛めつけています。権力を握るためなら何でもやるのが軍なのです」
<クーデターの背景にあったのは“利権構造”>
軍が、民主化運動をそこまで敵視する背景には何があるのか?
それを告発する人物がいます。ミャンマーの国連大使、チョー・モー・トゥン氏です。クーデターに強く反発した大使は国連総会の場で軍を非難。
チョー・モー・トゥン国連大使「この革命を成し遂げなければならない」
軍から反逆罪で訴追され、暗殺計画まで浮上しながら、今も訴えを続けています。
チョー・モー・トゥン国連大使「軍がクーデターを強行したのは、幹部たちの私的利益のためです。軍は軍系企業を所有し、かなりの特権を享受しています。免税措置においても優遇されているのです」
ミン・アウン・フライン司令官をはじめ、軍の高官が経営中枢に名を連ねる軍系企業グループMECとMEHL。130を超える子会社などがあり、金融や通信、エネルギー事業など、あらゆるビジネスに関わっています。しかし、どれだけの利益が軍や軍人に流れているのか、その実態は明らかにされてきませんでした。
こうした中、政府や軍に関する内部文書がハッキングされインターネット上に流出しました。数十万点以上に及ぶ文書には、軍系企業の取引の詳細など、機密情報が含まれていました。いま世界中の報道機関がその分析を進めています。
国際調査報道機関OCCRPのジャーナリスト「軍内部の構造を知るのはとても難しい。だからこの文書は非常に興味深いのです。軍用機から秘匿通信の技術まで、さまざまな装備を集めてきたことも分かります」
私たちが注目したのは、軍系企業から軍に流れる資金についてです。2019年のMEHLの株主リストを見ると、38万人に及ぶ株主の実に9割以上が軍人や退役軍人でした。
そして1700を超える各地の部隊などにも、配当が支払われていることが分かりました。さらに入手したMEHLの内部資料によると、ミン・アウン・フライン司令官は10年前の時点で年間およそ3000万円の配当を得ていたことが分かりました。20年間で株主に支払われた配当の合計は、およそ2兆円に上ります。こうしてMEHLの収益の一部が、軍人や軍組織にわたっていたのです。
この軍の利権構造を崩そうとしていたのが、アウン・サン・スー・チー氏が率いる政党NLDだとされています。軍はクーデターを起こした理由を「NLDが選挙で不正を行った」からだとしています。
しかし、チョー・モー・トゥン国連大使は、真の理由は軍が自らの利権を守るためだったと指摘します。
チョー・モー・トゥン国連大使「NLDの改革によって軍の支配領域が狭められ、幹部は焦りを感じていました。軍に流れるあらゆる資金を直ちに断ち切るべきです。軍による支配を終わらせるために国際社会は、圧力をかけ続ける重要な役割を果たせるはずです」
<足並みが揃わない国際社会 アメリカ 中国は・・・>
市民への弾圧を続ける軍に対して、アメリカやEUは圧力を強めています。軍の高官や軍系企業に対して、資産の凍結や取引の禁止などの制裁を科しています。
しかし、中国は今もミャンマーとの取り引きを続けています。中国が巨額の資金を投じてミャンマーから中国に通した石油と天然ガスのパイプライン。先月、その起点となるチャウピューに向かうと、中国のタンカーの姿がありました。独自に入手した入港記録によると、クーデター後も中国船籍や香港船籍の船が頻繁に入港していることがわかります。
資源の調達のために年間数千億円をミャンマーに払ってきた中国。制裁には反対する姿勢を示しています。
<難しい立場に立たされる日本>
ミャンマーと歴史的に深いつながりを持つ日本は、今難しい立場に立たされています。2011年の民政移管以降、ODAを増やし2019年度にはおよそ1900億円の支援を行ってきました。
政府はクーデター後、ODAの新規供与を見送り、軍の対応次第では継続中のものも停止を検討するとしていますが、制裁は科していません。
茂木外相「ここで制裁がいいんだ、勇ましいんだと。制裁じゃないものは勇ましくない。こういう二律的な議論というのは、国際社会の常識から外れていると思っています」(3月30日の答弁)
日本の政府や企業に対して、軍との関係を絶つよう訴える在日ミャンマー人を中心としたデモ。
在日ミャンマー人女性「軍が強くなるための経済支援を、すべて止めていただきたい。殺された人々が800人以上いました。その中には幼い子どもたちもいることを、あなたたちは知っていますか?」
日本企業の姿勢にも厳しい目が向けられています。ミャンマーに進出してきた日本企業は400社以上。国際的な人権団体、ヒューマンライツウォッチの笠井哲平(かさい・てっぺい)さんは、今も軍と関わっている企業がないか、各国の調査員と共に調べています。
笠井さん「まだ表に出ていてないミャンマー国軍・軍系企業と事業関係がある日本企業というのは、まだあると思うので、それは掘れば掘るほど出てくる」
調査の結果、官民合同のあるプロジェクトから、軍に資金が流れていた可能性があるというのです。
最大都市ヤンゴンで進められてきた「Yコンプレックス事業」。ホテルや商業施設、オフィスが入る大型施設で、今年の開業を予定していました。日本のゼネコンを中心に進められ、政府系金融機関なども融資。総事業費は360億円以上に上ります。
笠井さんが問題視したのはその場所です。軍の博物館の跡地を借りているため、賃料が軍に渡っていたのではないかというのです。合弁相手の現地企業が公開した土地の契約書を見てみると、貸主は「兵站局(へいたんきょく)」と記載されています。専門家によると兵站局は軍の組織で、武器の購入などを行っているといいます。
事業を中心となって進めるゼネコンは、私たちの取材に対して「合弁相手であるミャンマー企業は土地を政府の一機関である国防省から借り受けているが、最終的な受益者は国防省でなくミャンマー国政府であると認識している」と回答。さらに「クーデターが起きた2月1日以降工事は停止し、賃料も支払っていない」としており、「事業の今後については状況の推移を注視していく」としています。
笠井さん「ミャンマーの憲法を見てみると、国防省は実質、軍の支配下にあるので、今後いつまでこれを停止するのか、仮にどういう状況になったら再開するのか。早急に透明性ある形で対応してほしい」
<コロナの感染急拡大 市民にさらなる混乱>
軍による弾圧が続く中、さらなる悲劇が市民たちを襲っています。新型コロナウイルスの感染が急拡大し、先月(7月)1か月の死者は6000人に達しました。社会の混乱によって、医療体制は崩壊の危機に陥り、多くの市民が一切の手当を受けられない状態に置かれています。
母親を失った男性「自宅療養を強いられた患者は酸素も得られず、家で死を待つような状態です」
ミャンマーからの情報発信が制限される中、こうした実態も世界に十分に伝わっていません。
<武器を取る市民たち>
極限まで追い詰められる市民たち。軍に対する抵抗運動は、一線を越えるようになっていました。私たちが入手した映像には、武装し、ゲリラ化した市民の姿が映し出されていました。東部の町では警察署を襲撃。15人を殺害したと主張しています。軍と武装した市民たちの衝突が各地に広がっているのです。
私たちが3か月前に取材した青年に連絡を取ると、少数民族の武装勢力のもとに逃れ、そこで軍事訓練を受けていました。
マーガン青年(仮名)「2か月におよぶ訓練を受けました。とても厳しい訓練でした。銃の扱い方や戦術を学び、市街戦の闘い方も学びました。とても自信がつきました」
もともと町工場で働いていたマーガン青年。軍の暴力に対抗するには、平和的なデモを続けることが重要だと考えていました。しかし、仲間が次々に軍に殺されていく中で、考えが大きく変わっていったといいます。
マーガン青年「戦闘なんて関心もなかったし、やりたくもなかった。軍は銃で撃ってきます。 私たちは犬死にするだけです」
武器で人を殺せば、軍と変わらないのではないか、そう問いかけると・・・。
マーガン青年「最終手段なのです。私たちに選べるものといえば、武器をとって撃ち返すことしかありません」
軍に包囲され大勢の市民が殺害されたバゴー。そこから逃れた生存者たちもいまゲリラ戦に加わろうとしています。ドローンに追われながら、窮地を逃れたター・ジーさん(仮名)もその一人でした。
ター・ジーさん「もしバゴーに戻ったら、おそらく逮捕されて拷問を受けて死ぬことになるでしょう。それならば何かを果たして死にたいのです」
軍事訓練に参加していたマーガン青年。都市部に潜伏し、軍に攻撃をしかけようと準備を進めていました。
マーガン青年「実際に戦闘になったら町が破壊され命を落とすことになるかもしれません。 しかし、そうすることで初めて、私たちは自分たちが望むものを手にすることができるのです」
その後、「手元に武器が届き、攻撃の命令を待っている」という言葉を最後に連絡が途絶えました。
<有効な手を打てない国際社会>
泥沼化する事態を前に国際社会は、有効な手立てを打ち出せていません。
6月、国連総会では、ミャンマーへの武器流入を防ぐ決議が採択されたものの、中国やロシアは棄権。足並みは揃っていません。
国連で、軍による人権侵害の実態を調べている専門家のチーム。40人が調査に当たっていますが、軍の最高指導部の方針で、組織的に行われた犯罪であることを立証するには、まだ長い時間を要するといいます。
ミャンマー独立調査メカニズム ニコラス・クムジャン氏「これまでに個人や団体から20万件以上の通報があり、100万件を超える証拠が集まりました。いまデータベースを作って検証を進めています。今回のような重大な犯罪について、異なる場所や日時に起きた犯罪を、最も責任ある立場の人物と結びつけることはとても困難なことです。これが最大の課題です。緻密で詳細な調査が必要で、時間がかかるのです」
<できる限りの支援を 在日ミャンマー人ウィン・チョウさん>
バゴーでの弾圧を調査し、告発しようとしているウィン・チョウさん夫妻は、ミャンマーが国際的に孤立を深める中、コロナによる人道危機への対応にも追われてきました。医療を受けられない人たちと、医師をつなぐ支援を行っています。軍による弾圧のさなかに生まれた小さな命。この双子の赤ちゃんの母親にも、小児科の医師を紹介しました。
ウィン・チョウさん「この子たちの未来のために、もっともっと頑張らないといけない。早く民主主義の国になるように頑張るしかない」
混迷を極めるミャンマー。
「Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)」Save Burma!(ビルマ(ミャンマー)を助けて)」
国際社会に生きる私たちが、決して見過ごしてはならない事態が今この瞬間も続いています。
<今も泥沼の戦闘が続くミャンマー>
軍は武装した市民らを空爆。今も攻撃を強化しています。それでも市民たちはゲリラ戦を続け、双方で死傷者が増える泥沼の戦闘が続いています。
連絡が途絶えていたマーガン青年からメッセージがきました。
「軍の襲撃を受け1人が殺され、8人が捕まりました。私ともう2人が逃れ、何も持たず゙着の身着のまま逃げています」