あなたの家族は逃げられますか? ~急増“津波浸水域”の高齢者施設~

NHK
2022年3月18日 午後6:08 公開

(2022年3月12日の放送内容を基にしています)

<震災の教訓は生かされてきたのか 急増する“津波浸水域”の施設>

宮城県の高齢者施設の玄関に59体の木彫りの地蔵が並べられています。11年前の東日本大震災で、亡くなったひとりひとりを悼み、作られました。

島田久照さん「お世話になっている職員の方がいて、私の顔を見て『すいません、助けられませんでした』って」

この施設で母親を亡くした、新聞記者の島田久照さんはあの日、職場にとどまり、被害を伝え続けていました。母は、職員とともに避難し、無事だと思っていました。

しかし、海沿いにあった施設は、9メートルの大津波に襲われ、母は施設の2階で遺体となって見つかりました。

海が好きだった母。津波のリスクがあるとは考えず、海沿いの施設に預けたことを、今も悔やんでいます。

島田久照さん「結果論として言うのは簡単ですけど、ああいう立地に入所させる際には、みじんにも思いませんでしたからね。それはもう最後、すまないっていうのはありますね」

東日本大震災では、74の高齢者施設が被災。自力では逃げることが難しい高齢者、そしてその避難を手伝った職員、合わせて638人が犠牲になりました。

高齢者施設で多くの命が失われた教訓は、この11年、生かされてきたのか。私たちは全国各地の施設を回り、その現状を取材し、独自に全国の高齢者施設のデータを分析すると、思わぬ事実が明らかになりました。

震災後、津波の浸水想定区域に1892の施設が新たに作られていたのです。

施設に緊急アンケートを行うと、災害リスクを覚悟で建てざるをえなかった事情や、命を守ることへの不安を抱えている実態が浮かび上がってきました。

その一方で、様々な模索を続けている高齢者施設があることもわかりました。常識にとらわれない発想で行われている避難のための試行錯誤。命をつなぐためのヒントも見えてきました。

高齢化が進む時代に、見過ごされてきた命の課題。その調査報告です。

<失われた638人の命 高齢者施設であの日何が…>

あの日、高齢者施設で何が起きていたのか。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県気仙沼市で、59人の利用者が亡くなった施設の元施設長が、教訓を伝えたいと取材に応じました。11年たった今も、あの日の行動を問い続けています。

高齢者施設 施設長(当時)猪苗代盛光さん「あの場所にいてよかったのか、もっと、ああすればよかったんじゃないかとか、そういうところの葛藤ですよね」

この施設では、震災前から津波に備え訓練も重ねていましたが、被害を防ぐことはできませんでした。海から400メートルの場所にあった2階建ての施設。震災当日には、要介護度の高い寝たきりや認知症の人など、133人の利用者と53人の職員がいました。

地震直後、大津波警報が出たため、職員たちは避難マニュアルに従い、すぐに2階へ移動を始めます。防災無線で伝えられた津波の予想高さは6メートル。地上から7メートルある2階ならば助かるという判断でした。

この時、利用者の避難にあたった職員の小山健人さんは、避難訓練は重ねていたものの、足の不自由な人の誘導に時間がかかったといいます。

地震から40分。利用者と職員が2階への避難を終えた頃、津波は堤防を越えて町へ流れ込みます。当時、施設の隣の3階建ての建物は地域の避難場所だったため、多くの人が避難していました。

しかし、猪苗代さんたちは、それまでの訓練の経験から間に合わないと考え、施設に残ることに決めていました。

猪苗代盛光さん「1人を隣の建物の3階まで上げるのに、訓練では15分から20分ぐらいかかったんですね。それを考えると、津波が到来するまでの時間を考えたときに当然無理だなと」

その後、津波は想定を超え、水位が上昇。避難していた、2階にも流れ込んできました。職員は車椅子の人たちを抱え上げました。水位は胸の辺りまで迫り、周りでおぼれる人が出ました。しかし、身動きがとれず、それ以上手を差し伸べることはできませんでした。

あの日、高齢者施設では、多くの職員も犠牲になりました。

岩手県山田町で施設のあった場所に11年間、毎日通い続ける五十嵐良雄さんは、施設の職員だった娘を亡くしました。娘の聡子さんは専門学校を卒業後、助けが必要な人の力になりたいと介護の仕事を選びました。

聡子さんのいた施設は、海の目の前にありました。地震後、すぐ裏にある高台へ避難を始めます。自力で歩ける人であれば5分ほどの距離ですが、96人いた入所者の大半は、寝たきりなど、要介護度の高い人たち。職員たちは、車椅子やベッドごと、ひとりずつ押して上がるしかなく、時間をかけて何度も往復せざるをえませんでした。

そのさなか、津波が押し寄せ、入所者74人と、職員14人が犠牲になりました。

聡子さんの遺体は施設の近くで見つかりました。入所者を置いては逃げることができなかったとみられています。

母・恵美子さん「年寄りと一緒に働いていればね、自分1人だけ逃げられないもんね」

父・良雄さん「逃げられない。そういう子ではない。よく頑張ったって、それしかねえべ」

<独自調査 震災後に「津波浸水域」に1892施設が作られていた>

高齢者施設が、海の近くにあることのリスクが突きつけられた東日本大震災。

それから11年。教訓は、生かされているのか。

今回NHKは、全国5万5000の施設に関する詳細な情報を入手し、施設が抱える津波リスクを独自に分析しました。入手したデータには、施設の位置情報や、開設時期、入所者の数や要介護度が含まれています。

こうした情報をもとに、全ての施設を地図上に落とし込み、都道府県などが発表している津波の浸水想定区域と重ね合わせました。すると思わぬ結果が浮かび上がってきました。

赤い丸は、浸水想定区域にある高齢者施設。全国に3820あります。これらのうち、明るく光ったのが、震災後に開設された施設。半数近い1892にのぼることがわかったのです。

さらに黄色に変わったのが、1メートル以上浸水する施設。国の想定で「巻き込まれるとほぼ助からない」とされる高さです。震災後にできた施設の6割にのぼりました。

1892施設の入所者数は5万人。自力で歩くことが難しい要介護3以上の人は3万人を超えていました。

※全国の施設の分析マップはこちらへ(特設サイト/高齢者施設の「津波で浸水リスク」は?)

<なぜ”津波浸水域”に急増? 「そこに建てざるをえなかった」事情>

なぜ、震災後も津波のリスクがある場所に、施設が作られ続けているのか。私たちは、新たに浸水想定区域にできた1892施設に、アンケートを行いました。

浸水が想定される場所で開設した理由を複数回答で聞いたところ、「近隣住民のニーズがあった」、「広い土地がほかになかった」、「浸水想定が公表される前に建てた」などが上位を占めました。一方で、「建物を高くするなどの対策で、安全を確保できる」と答えた施設も一定程度ありました。

大阪市此花区に2017年にできた特別養護老人ホームが取材に応じました。

施設は海抜マイナス2メートルの低地にあります。およそ100人が暮らすこの施設では、南海トラフ巨大地震では、津波が2時間あまりで2階まで到達するとされています。30人以上の利用者を上の階に避難させなくてはなりません。

高齢者施設 理事長 沼谷勝之さん「もちろん海沿いですから、地震が起きれば津波が来るエリアだというのは、承知していました。ただやはり多いんですよ、高齢者が。昔ながらの街ですからね」

津波の浸水想定区域に、この施設が建てられた理由のひとつに、近隣住民の高いニーズがあります。

施設に88歳の父親を預ける米田吉枝さんです。認知症が進行した、ひとり暮らしの父のために施設を選ぶ際、米田さんが最優先にしたのは、家族が頻繁に会いに行ける距離にあることでした。

米田さんは、津波のリスクは認識していますが、父にとっても、家族がそばにいることが、いちばん大切だと感じています。

米田吉枝さん「父ね、たぶん寂しがり屋なんですね。だからやっぱり顔だけでも見せたら安心かなと思って。やっぱり、いちばん近くが安心ですよね」

津波の浸水想定区域に建てざるをえなかったもう一つの理由は、土地取得のコストです。

高齢者施設 理事長 沼谷勝之さん「大阪市内で1000坪の土地を探すのって、すごく難しいんですよね」

3年探した末に見つけたのが、海沿いの此花区。地価は、津波のリスクが比較的低い中央区の7分の1でした。土地を取得するのにかかった費用は5億円。経営を考えると、これが上限の金額だったといいます。

特別養護老人ホームの介護事業をめぐる平均的な収支です。収入の7割以上は、サービスの対価として自治体から得る介護報酬。それに利用者が支払う居住費や食費が加わります。いずれも、国の基準で金額が定められ、施設の判断で増やすことは困難です。

一方、支出の半分以上を占める人件費は、介護人材の不足から、年々上がる傾向にあります。

厳しさを増す経営環境の中で、初期投資の土地代を安く抑える必要があったのです。

高齢者施設 理事長 沼谷勝之さん「収入は、どのエリアであっても一緒なんですよね。だからそれが、いちばんの決め手。(地価が)高い土地での建設というのは、事業的には難しいところがあるんじゃないですかね」

<“リスクのある場所に建てるなら、「避難計画」の策定を”/厚生労働省>

国は浸水想定区域に施設が増え続けている現状をどう見ているのか。高齢者施設を管轄する厚生労働省の担当者に聞きました。

厚生労働省 高齢者支援課担当者「絶対建てさせないと決めてしまえば、行政としては、いちばん楽なのかもしれないですね。ある意味、災害リスクゼロということで。日本の土地にそんな余裕ないですし、その代わりものすごく値段がすると、そうすると経営が成り立たない。そうするとその地域の高齢者の方々にサービスも提供されない。これは本末転倒になってしまう」

国は震災を受けて、浸水想定区域に高齢者施設などを建てることを規制できるよう、「津波防災地域づくり法」を作りました。特に深刻な被害が想定される区域を自治体が指定し、建築の制限をかけられるようにしたのです。

しかし、住民との合意形成の難しさから、建築制限にまで踏み切る自治体はほとんどありません。同じ法律で、津波のリスクが高い区域の施設に対し、避難計画の策定などを義務化。それが今、高齢者施設の津波対策の中心となっています。

厚生労働省 高齢者支援課担当者「(リスクのある場所に)建てるにしても、しっかりと避難所なり、避難上の措置、安全上の措置をしっかりと行っていく。そのために意味のある避難確保計画が作ってあるとか、そういうところに要点というか、焦点を当てて、ちゃんと見ていくべきなのではないかな」

大阪市此花区の施設でも、甚大な被害が想定される南海トラフ巨大地震に備え、避難計画を作っています。半年に一度訓練を行い、課題を見つけて改善してきました。

しかし、訓練を重ねても不安を解消できないのは、夜間の対応です。100人の入所者に対し、夜間の職員は昼間の6分の1の7人。国が定める基準を満たしていますが、災害時の対応には大きな不安を感じています。

高齢者施設 防災担当 川見和人さん「地震が起きたら、みんなびっくりして起きてくるので、その対応もせなあかんし。フロアの老人さんを落ち着かせて・・・って言うてたら間に合わないでしょ、やっぱり。助けられない命というのも正直、こんなこと言ったらだめなんだけど、そこはあるかもしれない」

<“屋上まで浸水” 命をどう守ればいいのか…懸命の模索>

今回NHKが行った独自の調査では、より避難が難しい施設の存在も明らかになりました。建物が水没したり、最上階まで浸水したりするおそれのある施設が、震災後、167作られていたのです。

そのうちのひとつ、高知県の施設が取材に応じました。

南海トラフ巨大地震で大きな被害が想定される高知県中土佐町。海沿いに建つ特別養護老人ホームです。2階建ての施設に、70人ほどが暮らしています。

震災の前の年、建設を始めた新館。当初は屋上を避難場所にする計画でした。しかし完成後の2012年、東日本大震災の被害をふまえて、県が浸水想定を見直しました。最大で5メートルだった想定が、15メートルに引き上げられ、建物すべてが水没するおそれが示されたのです。

高齢者施設 防災担当 清岡幸平さん「本当に絶望でしたね。こちらの建物を建てたばっかりでしたので。私もこの町に生まれ育ったので、海も大好きですけれど、こういうことに直面すると非常に難しいなと感じております」

津波が最初に到達するのは、地震からわずか20分後。その間に全員が避難できる場所は周囲にありません。ひとりでも多く助かるために、施設が頼ることにしたのが、この白い箱形の乗り物、「津波救命艇」です。

屋上や駐車場など、敷地内に7台設置し、避難計画の柱としました。津波が来る前に逃げ込み、海上などで助けを待ちます。がれきなどとの衝突に備え、強度のある素材で作られていて、転覆しても、元に戻ります。

この施設では津波救命艇を使った訓練を、2か月に1度、行っています。津波到達までの20分を目標に、入所者を救命艇に避難させていきます。職員が急いで乗せようとしますが、足腰の弱い人は姿勢を保つことが難しく、座るまでに時間がかかります。がれきなどにぶつかった衝撃に耐えられるかも不安です。

この日はなんとか13人を8分で避難させることができましたが・・・

高齢者施設 防災担当 清岡幸平さん「(訓練の参加者は)動きの軽いといいますか、お元気な方が多かった。ここにさらに重度の方が入ってきますので、やはり20分30分では(約70人の入所者)全員を避難させるというのは非常に困難だと思います」

津波救命艇は一人でも多くの命を守るための苦肉の策です。施設は安全な場所への移転を真剣に検討しています。

土地代なども合わせると、総額でおよそ13億円から16億円かかります。新館の建設費用の返済も続く中で、新たな借り入れをするのは、容易ではありません。それでも、移転を目指すのは、東日本大震災の被災地を訪れて抱いた危機感が、今も心に強くあるからです。

高齢者施設 防災担当 清岡幸平さん「ここまで水位が来ましたよっていう、こういうのを目の当たりにして、今われわれの施設では、ここまで水が来たときに、どういう対応ができるだろう、ということも考えましたし、『本当に1日でも早く高台移転をしなさい』と、『これがいちばんの解決方法です』と教わりました」

施設は金融機関などにかけ合い、資金の調達を目指していますが、めどはまだ立っていません。

NHKが浸水想定区域に新たにできた施設に行ったアンケート。「移転したいが難しい」と回答した施設が半数近くにのぼりました。津波のリスクがない場所への移転について複数回答で聞いたところ、「高いコストがかかり現実的ではない」、「適切な用地を確保することが難しい」などが上位を占めました。

国は、施設の土地取得など、私有財産に公的資金を投じるのは理解を得られないとしています。一方で、避難用スロープの設置など、ハード面の補助をおととしから行っています。

厚生労働省 高齢者支援課担当者「国の公の支援というのは、本当に困っている部分にお出しするという一方で、税金をベースにした国のお金ですので、公平性というのも考えないといけないなか、防災減災に効くから、何でもかんでも国のお金というわけにもいかない」

<“できることは まだある” 全国の取材から見えた3つのヒント>

公的な支援に限界がある中、あの日の悲劇を繰り返さないために、今できることは何なのか。私たちは全国各地での取材から、3つのヒントを見つけました。

ヒント①:自治体の知恵と工夫

南海トラフ巨大地震で、大きな被害が想定されている三重県南伊勢町。施設の移転を少ない負担で実現させていました。

施設長の山本茂さんは、東日本大震災で三重県のこの湾にも津波が押し寄せ、養殖いかだが流されるのを目の当たりにしました。危機感を抱いた施設は、移転を模索。7年かけて、元の場所から10キロ離れた内陸に移転を実現させました。費用負担は6400万円。大幅に抑えることができました。可能にしたのは、施設を支援した自治体の知恵と工夫でした。

そのカギのひとつは、廃校の活用です。中学校のグラウンドだった土地を町が無償で貸与したのです。多くの施設が課題としてあげる土地代はゼロ。さらにグラウンドを使うため、土地の造成が必要なく、工事の期間も短縮できました。町は土地の確保だけでなく、建設費も補助しています。

およそ9億円にのぼる建設費は、町が9割補助し、近隣の自治体も援助しました。施設の移転を支援する国の制度がない中、なぜ町は9割も補助できたのか。南伊勢町は地域の特性をふまえ、さまざまな国の支援メニューで活用できるものを探しました。

そこで目を付けたのが「過疎対策事業債」でした。過疎地域の要件を満たす、およそ800の自治体が利用できる制度です。沿岸の自治体も多く含まれています。地域の発展につながると認められれば、産業の振興や、福祉・教育など幅広い目的で使うことができます。国が実質7割を負担するため、町の支出は少なくてすみます。

安全な場所への移転は、住民の暮らしやすさにつながると、町が申請したところ、この制度の利用が認められました。

南伊勢町 医療保健課 係長 中西宣裕さん(当時)「南伊勢町は(優先順位の)上位に防災対策が常にあるので、避難しなくて済む、そういった環境をつくっていくというのは、行政として必要なことだと考えております」

ヒント②:地域住民と”Win-Win”の関係

移転という方法を選ばなくても、今の場所で、全員が助かるすべを模索する施設もありました。静岡県焼津市、海から800メートルの場所にある3階建ての高齢者施設。この周辺には、津波が最短20分ほどで到達し、命の危険があるとされる1メートル以上浸水するところもあります。

毎年行われている施設の避難訓練。高齢者の避難を手伝うのは、地域の住民です。職員と協力して、上の階に避難させていきます。

住民と施設の協力関係ができた、きっかけがあります。震災後、施設が新たに作った「津波避難階段」です。

周囲に高台がなく、避難場所に困っていた住民の要望を受け、市から2千万円近い補助を得て設置しました。

前自治会長 渡邉徹さん「津波が来たらどうしたらいいのかと。避難階段がここにできたときの喜び、安心感はかけがえのないものだった」

屋上に続く避難階段に集まってくる住民はおよそ400人。このうち町内会の役員などと入所者の避難を手伝ってもらう約束を交わしたのです。施設と住民が、いわばウィンウィンの関係を作ることで、互いの命を守る手だてを編み出しました。

前自治会長 渡邉徹さん「私たちが上に上がるだけ、自分たちの命だけじゃなくて、入所者さんをなんとかしてあげたい。何人かに声をかけたら、『ぜひ取り組みたい、応援したい』という人たちが集まってきて」

施設では、職員の命をどう守るかも課題と感じていました。住民に手伝ってもらうことで、職員が逃げ遅れるリスクも減らせると考えたのです。

高齢者施設 施設長 奥川清孝さん「私たちも、どうしたらこの問題を解決できるのか、日頃から本当に悩んでいたんです。東日本大震災の津波を見たとき、これは施設だけじゃだめだ、どうしたら避難を上手にできるか、ということを地元の皆さんの協力をいただいて、やらなければ何もできないなと思っています」

ヒント③:未来を見据えた 町ぐるみの議論

未来に向けて、今からまちづくりを根本的に見直そうという地域もありました。最大で10メートル近い津波が、最短6分で到達する想定の静岡県伊豆市、土肥地区です。

伊豆市 土肥支所長 山口雄一さん「津波で3400人のうち1400人、40%以上の方が亡くなる想定が出ています。地域がどうなってしまうんだろうと。消滅する危険性が高いなとは思います」

市が活用したのが震災後にできた法律、高齢者施設などの建築を制限できる「津波防災地域づくり法」です。建築制限に踏み切る自治体がない中、4年前、全国で唯一、導入しました。

法律では、自治体が津波災害特別警戒区域、通称オレンジゾーンを指定。この中では、高齢者施設や保育所などを自由に建てることはできず、新築や改築をする場合には、居室の床を想定される津波の高さ以上にすることなどが求められます。自治体は、防災を強化するまちづくりを、法律に基づいて推し進めることが可能になるのです。

建築制限の効力は早速、現れています。老朽化し始めていた、ある高齢者施設。同じ場所で建て替えるには、居室の高さを大幅に引き上げなければなりません。熟慮の末、ゾーンの外側へ移ることを決めました。

土地の使い方を大きく制限することになる規制が、なぜ住民に受け入れられたのか。

元区長の西川賀己さんは住民の代表として、市と議論してきました。町ぐるみの議論は1年半で50回以上。当初は、指定に慎重な住民が多かったといいます。

元区長 西川賀己さん「危険な所ですよって、みずからうたっているわけだから、それは人が来なくなるよね。『地価価値が下がるだろう』とか、『観光客が来なくなるじゃないか』とか、『そんなことやったって』という話が結構あった」

転機となったのは、将来の世代の安全に議論が及んだ頃。「危険な区域」と後ろ向きにとらえるのではなく、「防災に力を入れている区域」とプラスに考えることで、未来を見据えて安全なまちにしていこうと考える人が増えていったといいます。

元区長 西川賀己さん「これは土肥が変わるには、いい話かもしれない、“かもしれない”から始まって、会議とか参加していくうちに、『ああこれはやっていったほうがいい』と」

オレンジゾーンの呼び方は、住民のアイデアで「安全創出エリア」に変えました。未来を見据えた議論を経て、住民全体の防災意識が高まっています。

元区長 西川賀己さん「今の人間が未来の人間のために何かをしてあげる。未来の人間が、過去の人たちがやってくれたことを受け継ぐみたいな。伝統じゃないけど、そんな感じで発展していったらいいんじゃないのかな」

津波のリスクが高まる中、懸命に命を守ろうと取り組む高齢者施設や自治体、そして住民。

見えてきたのは、あきらめずに、我が事として、ともに向き合っていこうとする姿でした。

<震災11年 被害を繰り返さないために>

宮城県気仙沼市。海から2キロ、東日本大震災でも浸水しなかった内陸の場所。あの日、59人の利用者が亡くなった高齢者施設が、ここに移転して再開しています。当時の施設長、猪苗代盛光さんは仕事の合間を縫って、全国の施設に震災の体験や教訓を伝えています。

移転した今も、災害への備えを怠りません。施設をくまなく点検するのは、毎月11日の月命日です。

正面玄関に並べられた59体の地蔵。猪苗代さんはいつもこの前で足を止めます。

猪苗代盛光さん「助けることができなかった、むなしさ、悔しさ。そういう思いを忘れてはいけない。安心して生活できるような環境を築いていかないとね。そういう使命が俺たちにはあるんじゃないかな」

高齢化が進む中で、老後の暮らしを託す場所に広がり続けていた命のリスク。

この現実に私たちは、どう向き合い、変えていくのか。

あの日逃げたくても逃げられなかった多くの命が問いかけています。