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横綱 白鵬 “孤独”の14年

NHK
2021年10月20日 午後2:08 公開

(2021年10月17日の放送内容を基にしています)

史上最長、14年もの間、角界の頂点に君臨した横綱・白鵬。

優勝45回、通算1187勝。数々の記録を打ち立て、大相撲の歴史にその名を刻んだ。

しかし、横綱としての日々は平坦ではなかった。

野球賭博や八百長問題など、角界を揺るがした相次ぐ不祥事。一人横綱として、重責を一身に背負った。

外国出身力士ゆえの葛藤もあった。

長年付き添ってきたトレーナーが、白鵬のつぶやきを記録したノートには、人知れず苦悩する横綱の姿がつづられていた。

そして問われた、品格。取り口が“横綱らしくない”と、たびたび批判を浴びた。

どんな思いで土俵に上がってきたのか。横綱としてもがき続けた14年。知られざる格闘の日々を見つめた。

<最後の名古屋場所 知られざる舞台裏>

白鵬にとって、現役最後の場所となった、ことし(2021年)の名古屋場所。

なりふり構わず勝ちにこだわる横綱に、世間の目は冷ややかだった。それでも、45回目の優勝をつかみ取った。

優勝インタビュー「もう二度と土俵に上がれないんじゃないかという思いで臨みましたけれど、うん、良かったです」

ここに至るまで、どんな道のりがあったのか。

名古屋場所までの半年間を関係者が記録した映像を、今回特別に提供してもらった。

子どもたち「頑張れー頑張れー!頑張れパパ!」

家族の前でトレーニングに励む白鵬。

このとき、4場所休場が続いていた。ことしで36歳、体の至る所に故障を抱えていた。中でも深刻だったのは右膝。毎日のようにたまった水を抜かなければ、日常生活にも支障が出るほどだった。

“もう一度、土俵に立ちたい”。白鵬の記憶には、入門して間もない頃に見た、ある横綱の姿が深く刻まれていた。平成の大横綱・貴乃花。2001年の夏場所、右膝に大ケガを抱えた状態で、優勝決定戦に臨んでいた。

実況(当時)「気力で上手投げ!やった!貴乃花この顔!」

満身創痍(まんしんそうい)で戦った貴乃花に日本中が熱狂した。白鵬は、その姿と自分を重ねあわせていたという。

白鵬「崖っぷちに立たされたときに、この目つき、顔つき、体つきにも出ている。出し切るっていうのが、あったのかなと思いますね。あの一番は本当に感動したし、あの土俵に立ってみたいというのが、正直ね」

<モンゴルから角界へ “最強横綱”への道>

白鵬が15歳で来日した直後の写真が残されていた。同期の中でもひときわ小柄な少年で、入門した時の体重は62キロしかなかった。

白鵬「上の関取衆とか先輩方が、『力士に向いてないんじゃないか』、『床山にした方がいいんじゃないか』って、言っていた」

それでも、誰よりも稽古に励み、スピード出世を果たしていく。2006年、21歳の若さで大関に昇進。角界の頂点・横綱が見えてきた。

そこに立ちはだかったのが、モンゴル人初の横綱・朝青龍(あさしょうりゅう)。

貴乃花の引退後、圧倒的な強さを誇っていた。

白鵬「目標・照準は、朝青龍関だったと思うんですよね。スピードがあって気迫があって、怖い存在でしたね」

朝青龍は白鵬が幕下の頃から目をかけ、稽古をつけてきた。大関まで一気に駆け上がる白鵬の姿を見て、初めて自分を脅かす存在が現れたと感じていたという。

元横綱・朝青龍「いちばん強いときの朝青龍だったからね、あの頃は。朝青龍しかいない大相撲界だったからね。もうライバルだよ。勝たないといけないって感じになってくる。土俵に上がれば」

2人のプライドがぶつかり合った名勝負がある。白鵬の綱とりがかかった2007年夏場所の千秋楽。

実況(当時)「迫力のあるにらみ合い!壁を越えて全勝優勝か、白鵬!」

実況(当時)「突っ張り合いになっている!白鵬応じている!組み合った!組み合って、朝青龍上手(うわて)!朝青龍が上手!白鵬はどうだ!?白鵬も上手を引いた!胸が合って、館内この拍手!引きつけ合いだ!引きつけ合いだ!どうだ、どうだ!?両者の意地が交錯する土俵中央!」

実況(当時)「まさに新時代を予感させる大相撲!さぁ、上手を切ろうという白鵬!出し投げ~!!白鵬全勝優勝!!壁だった朝青龍を破って、全勝優勝!これで横綱昇進文句なし!」

目標としていた先輩と肩を並べた白鵬。しかし、目指した横綱像は正反対のものだったという。

白鵬「朝青龍関の逆のことをやっていこうっていうね、ある意味それは見本というか」

元横綱・朝青龍「いちばん参考になったのは私だったと思いますよ。白鵬の成長は僕を見ていて、クリアしていったんじゃないかと思う」

当時の朝青龍は、荒々しい取り口や型破りな言動で、批判を受けることも多かった。

一方、正統派の横綱として期待された白鵬。あるべき姿を学ぼうと、横綱になってすぐ、訪ねた人物がいる。優勝32回、昭和の大横綱・大鵬。

自宅で二人きりで話をした。その最後に聞いた言葉に、身震いしたという。

白鵬「5時間くらい二人で話して、しびれたと言うか、怖さが増したと言うか。『わしは、横綱になったときに(負けたら)引退することを考えていました』と。この『引退』という二文字を背負わないといけないという思いにもなったし、綱の重みを知りましたね」

そして、もう一人。戦前、前人未到の69連勝を達成し、“相撲の神様”と呼ばれた第35代横綱・双葉山。相手をしっかり受け止め、勝ち切る横綱相撲。落ち着き払った立ち居振る舞い。その全てに心を奪われた。

白鵬「今から相撲を取るという顔をしていないんです。何で人間がこういう顔になれるんだと。『心技体』っていう言葉を使うのにふさわしい力士は、双葉山関だと思うし、本当にどこに行っても愛される感じだったので、そういう横綱を目指したいという気持ちもありましたね。土俵において強くて、土俵を降りたら優しいお相撲さんになりたい」

白鵬はその後、偉大な横綱たちを彷彿とさせる美しく、力強い相撲で優勝を重ねていった。

<最後の土俵へ 一か八かの手術>

2021年3月。最後の名古屋場所に向けて、ケガとの戦いを続けていた白鵬。ある決断をしていた。

右ひざの手術に踏み切ることにしたのだ。名古屋場所まで残された時間は4か月。一か八かの賭けだった。

手術の6日後には、リハビリが始まった。このとき、番付の最高位・横綱は白鵬ただ一人。これ以上休場を続けることは許されない状況だった。

白鵬の横綱としての14年間は、一人横綱の重責と向き合い続けた日々でもあった。

<“一人横綱”の重責>

2010年。朝青龍が引退し、一人横綱となっていた白鵬。

この年、前代未聞の事態が起きた。野球賭博に関わったとして、幕内力士や親方20人以上が解雇、謹慎などの処分を受けたのだ。

角界の顔として、矢面に立たされたのが白鵬だった。

白鵬(当時)「全国の相撲ファンの皆さまに心から、おわび申し上げます」

直後の名古屋場所。白鵬は全勝で千秋楽を迎えていた。取組の直前、場内にわき起こった白鵬コール。厳しい状況の中でも強さを見せる白鵬に、ファンは希望を託していた。上手投げで全勝優勝を決めた白鵬は、涙を浮かべながら優勝インタビューに応じた。

インタビュアー「15日間を戦い切った今のお気持ちは?」

白鵬優勝インタビュー「うれしいです。この国の横綱として、力士代表として、改めて頑張ります」

この年、白鵬は“相撲の神様”双葉山に迫る63連勝を記録した。

しかし翌年、再び激震が走る。現役力士による八百長が発覚したのだ。複数の力士がメールなどで事前に取り口を決め、星の売り買いをしていた。相撲協会は急きょ本場所の中止を決定。不祥事による中止は、長い大相撲の歴史の中で初めてのことだった。

このときも、白鵬は横綱として対応を迫られた。

白鵬(当時)「力士一人一人が認識を持って、また私自身も、みんなを引っ張って行けるような気持ちで頑張ると(力士たちに)伝えました。私からは以上です」

のしかかる一人横綱の重責。当時の心境を今回初めて打ち明けた。

白鵬「なんで私だけなのかなって、思ったことも実際ありました。『本場所が怖い、嫌』っていうか『人が多い所が嫌』。相撲取るのが、本当に怖い気持ちもあったし、できたらどこかに行ってしまいたい、逃げたいっていう気持ちはありました」

本場所が再開しても世間の目は厳しく、客足は遠のいた。

元横綱の北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)さんは、当時の大相撲は白鵬の存在なしでは成り立たなかったと言う。

元横綱・北の富士「中止になったというのは俺も初めてだから、このまま大相撲がなくなっちゃうんじゃないか、そういう危機感は持っていた。あのとき、白鵬がいなかったら、現在どうなったか分からない」

白鵬はそれから4年間、一日も休むことなく土俵に立ち続けた。

<“日本人に愛されたい” 抱え続けた葛藤>

白鵬は来日以来、日本の文化や社会を理解し、深く根ざそうとしてきた。

東日本大震災の直後には、自ら提案し、多くの力士と共に被災地を訪問した。その後も、住民との交流や義援金などの支援を、毎年続けてきた。

そして、おととし(2019年)、日本国籍を取得し、日本人として生きていくことを選んだ。

白鵬「この日本という国を愛せるんだ。これからまた相撲道の発展のために、一生懸命頑張っていきたいと思っています」

「日本人に愛される横綱でありたい」。その思いの裏には、長年抱えてきた外国出身力士としての孤独があった。

2012年、モンゴル出身力士が番付の上位にならび、隆盛を極めていた。

誰がモンゴル勢を倒すのか。期待を一身に背負ったのが、この年大関になった稀勢の里(きせのさと)だ。

翌年の2013年、九州場所での直接対決。

実況「上手投げ、稀勢の里勝ちました!」

敗れた瞬間、思いもよらないことが起こった。観客から「バンザイ!バンザイ!」の大合唱がわき起こったのだ。

ライバルだった稀勢の里。白鵬が抱えていた葛藤は、日本人力士には計り知れないと語った。

元横綱・稀勢の里「ものすごいプレッシャーの中、精神的にも肉体的にも、いろいろなことが削られていたと思いますし、いろいろなことがのしかかっていたと思いますしね、それはすごいなと思いますし、自分では分からないことがたくさんあると思います」

白鵬を間近で見続けてきた人がいる。9年前に専属トレーナーになった大庭大業(おおば・ともなり)さん。今回、白鵬の日々のつぶやきを記録したノートを特別に見せてくれた。

大庭さん「少しでも横綱の頭の中を知りたくて、横綱の言葉を書き留めていました」

そこには、「日本人から愛されていないのではないか」と自問する、胸の内がつづられていた。

大庭さん「異国の地に来て、やっぱり好かれたい。ものすごく葛藤しながら、苦しみながら、やらないといけないという使命もありながら、進んでいたような感じはありますね」

2014年、昭和の大横綱・大鵬が持つ最多優勝記録32回にならんだ白鵬。この時も、複雑な思いを抱えていた。記録更新がかかった場所中、大庭さんに漏らした言葉がノートに記されていた。

「本当に超えていいのか」

「こわいんよね」

迷いながらも白星を重ね、全勝で迎えた13日目。勝てば優勝が決まる大一番の相手は、因縁の稀勢の里。

実況「土俵際、軍配は白鵬だ!」

稀勢の里の腕が先に落ちたとして、軍配は白鵬にあがったが物言いがつく。場内は取り直しを望む「もう一回!」の大合唱。協議の結果、両者落ちるのが同時と見て、取り直しとなった。押し倒しで白鵬が優勝を決め、大鵬の記録を44年ぶりに塗り替えたが、白鵬に笑顔はなかった。

千秋楽の翌日、白鵬は取り直しとなった一番について語った。

白鵬「盛り上がるどうこうじゃない、こっちは命かけてやっていますから、こんなのは二度とないようにやってもらいたいですよ。ずっとそう思っていましたね」

この発言が、審判への批判だとして激しいバッシングにさらされる。その後、白鵬は取材を一切拒否。世間との溝が深まっていった。

一方、稀勢の里への期待は高まっていく。ファンは、貴乃花の引退以来となる日本人横綱の誕生を待ち望んでいた。綱とりがかかった2016年夏場所で、初日から12連勝。白鵬も白星を重ね、13日目に全勝対決を迎える。

この日の朝、白鵬はトレーナーの大庭さんが耳を疑うような言葉をつぶやいていた。

「今日は日本人みんな稀勢の里を応援するんだろうな」

「休場したら日本中が喜ぶかな」(大庭さんのノートより)

白鵬「自分が勝ったら、国技館に来た人、大相撲のファンに、裏切るというか、嫌われるんじゃないかとかね、そこまで思ったかもしれませんね。なんて言うかな、孤独感っていうのがあったと思うんですね」

白鵬が勝つと、場内は落胆の空気に包まれた。

大庭さん「どこかさみしげな顔、すごく印象に残っていますね。相撲のために、こだわって、歯を食いしばって頑張っているのに、切ない気持ちでいっぱいでしたよね」

<ケガからの再起 最後まで勝つために>

名古屋場所まで1か月を切った2021年6月。右膝の状態は思わしくなく、部屋の力士とは別メニューでひとり調整を続けていた。

ようやく実戦的な稽古を始められたのは、場所の5日前。立ち合いで、これまでにない変わった動きを見せていた。両足で軽く跳んで、当たる。膝への負担を減らすため、新たな形を模索していたのだ。

“勝つためには、手を尽くす”。そうした姿勢は、時に批判の的になることもあった。

<“美しくない” 問われた「横綱の品格」>

20代の頃のような圧倒的な力を失った白鵬。30歳を過ぎた頃から、横綱らしからぬ取り口を見せるようになる。立ち合いの「猫だまし」や強烈な「張り手」、「かち上げ」など、なりふり構わず勝ちにいく相撲が増えていった。

孤独や葛藤が深まるにつれ、白鵬は、記録ばかりを追い求めるようになったという。

白鵬「自分に何ができるかというと、優勝しかできない。優勝するには何が必要か。結果を出さなきゃいけないというプレッシャーの中で、最後まで手を抜かない」

横綱審議委員会・北村正任委員長(当時)「美しくない、見たくない。こういう取り口は、横綱相撲とは到底言えないだろう」

横綱審議委員会からは、たびたび厳しい声があがった。

横綱には、その地位にふさわしい品格と抜群の力量が求められる。 

白鵬が問われたのは、「横綱の品格」だった。

しかし、「横綱の品格」とは何か、明文化されているわけではないという。

取材班「横綱の品格について伺いたいのですが」

元横綱・北の富士「うーん、それはいちばん俺も弱い話だな。まったく曖昧でしょう。俺も『品格、力量抜群に付』という免状をもらった時に、聞きに行ったよ、親方に。『品格ってなんですか?』と言ったら、親方も困っていたよ。『人と同じようなことを、ちゃんときちんとやっていればいいんだ』、それだけだったけどね」

元横綱・稀勢の里「品格の話と相撲の話はね、非常にしゃべりにくい。どうなんだろうね、難しいですね、何を言っても・・・」

白鵬が考える、「横綱の品格」とは何か。

白鵬「鬼のように、気持ちで勝ちにいって、土俵を降りれば優しさ。これが私にとって品格なのかな」

取材班「横綱相撲というのは、どのようなものだと?」

白鵬「横綱相撲・・・。若くても、何歳になっても、優しくても、いい横綱でも、土俵の上で結果を出せなかったら引退だと。“勝つことが横綱相撲”だと、私は思っていますね」

<最後の15日間 横綱としての“執念”>

2021年7月。最後の土俵となる名古屋場所を迎えた。6場所連続で休場していた白鵬。ケガと戦う姿を見てきた家族も、駆けつけていた。

宿舎に飾られた七夕の短冊には、「15日とりきる」という決意が書かれていた。

初日、立ち合いから攻め込まれるが、からくも投げ勝った。

3連勝で迎えた4日目は、薄氷の白星だった。

元横綱・稀勢の里「1年休場すると、若手の実力もだいぶ変わってきていますし、人間が変わっているんじゃないかっていうぐらい実力が変わってくるんですね。それはものすごいプレッシャーだったと思うし、やっぱり体感してすごく分かったと思います、ちょっと違うな…というのがね」

白鵬の右膝の状態は、日を追うごとに悪化していた。一日に何度も大庭さんのケアを受けなければ、土俵に上がることすら難しい状態だった。それでも、なんとか白星を重ねていった。

そして、14日目の一番が物議を醸すことになる。相手は強い当たりが持ち味の大関・正代(しょうだい)。

その立ち合い。白鵬は仕切り線の前ではなく、土俵際ギリギリまで下がって構えたのだ。

実況「どうしたんですか、えっ!?どよめきが起きる・・・。こんなのは横綱白鵬の21年の土俵でも初めて見ます」

実は、考え抜いた末の戦い方だった。

白鵬「実は、前の日眠れなかったんですよ。相撲のシミュレーションをするんです。自分の頭の中に描いて相撲を取るんですけれど、どうやっても正代には勝てないんですよ。そこで何を考えたかというと、立ち合い当たらないことを選んだんです」

膝が限界に近づく中、プライドを捨て勝ちにいく白鵬の姿があった。

元横綱・朝青龍「最後の最後で一か八か。獲物を狙う肉食動物が、最後にやられる時に精いっぱい力を出して返すじゃないですか、まさにそれに見えた」

元横綱・稀勢の里「何をしてでも、やっぱり勝たなきゃいけない、そういう気持ちが全面的に伝わってきた。ちょっと胸を打たれるものが自分はありましたね」

全勝で迎えた千秋楽。優勝がかかった結びの一番。この時すでに引退を心に決めていた白鵬。土俵に感謝の思いを伝えた。モンゴル出身の後輩、大関・照ノ富士(てるのふじ)との全勝対決。

誰も予想しえなかった、全勝での45回目の優勝だった。

白鵬「私は本当に、誰より相撲を愛しています。気持ちがあるからこそ、ここまで来られたのかなと思います」

国民を熱狂させてきた大相撲。時代を彩る横綱たちが、土俵を守り続けてきた。

15歳でモンゴルから日本へ渡り、横綱に上り詰めて14年。

孤独と闘い、歴史に残る大記録を打ち立てた白鵬。

大相撲とは何か。

横綱とは何か。

私たちにも問いかけながら土俵を去った。