(2021年7月19日の放送内容を基にしています)
<スポーツの尊さとは何か? 女子陸上 キャスター・セメンヤの闘い>
杉浦アナウンサー「ここまで、筋肉、腸、そして脳と、超人たちの人体の秘密をひもといてきましたが、科学が進んだことで思いもよらない事態が起き、物議をかもしているんです。運動能力に関わるある物質の解明が進んだ結果、1人のアスリートの人生を揺るがす事態が起きています。南アフリカのキャスター・セメンヤ選手。オリンピック陸上女子800mで、2大会連続で金メダルを獲得。東京オリンピックでの活躍が期待されていました」
最近になって注目されているある物質とは「テストステロン」。主に男性の身体で多く分泌されるホルモンです。筋肉を増強する作用があるため、ドーピングの禁止薬物にも指定されてきました。最新研究で、テストステロンに、これまで知られていなかった別の働きがあることがわかってきました。
そのひとつが骨を作る効果。がっしりとした骨格は強い筋肉を支える足場となり爆発的なパワーを生み出します。さらに、テストステロンが腎臓に作用すると別のホルモンが放出されて赤血球の数が増加。より多くの酸素を運べるようになり、持久力の向上につながるというのです。
テストステロンのこうした働きが明らかになったことで、ある競技に思いもよらない影響が及びました。それは陸上女子、400mから1マイル(約1600m)までの主に中距離。「爆発的なパワー」と「持久力」、両方が必要とされる競技です。
血液中のテストステロン値が基準を超える女性アスリートは、競技への参加が禁止されるという規制が設けられたのです。その結果、陸上女子800mの女王 セメンヤ選手は、オリンピックに出場する資格を失いました。先天的にテストステロン値が高く、基準を超えていました。セメンヤ選手の体質は、彼女に特有のものではありません。最近の科学では、身体の性は明確に定まったものではなく、多様であると考えられています。テストステロンのようなホルモンの量も、性別によらず、人によって様々だということがわかってきているのです。
世界陸連の規制では、セメンヤ選手が800mに出場するためには「薬を使ってテストステロン値を平均的な女性の数値まで下げること」が条件とされています。
陸上 女子800m 金メダリスト キャスター・セメンヤ
「私はこの体で生まれてきたのです。それを変えることはできません。たしかに私の声は低いし、がっしりしているかもしれない。でもそれは、私が選んだわけではありません。それなのに私を責めるの?それとも神様を責めるの?」
葛藤の末、セメンヤ選手はテストステロン値を下げる薬の服用を拒否、大胆な決断をしました。今年になって、規制のかかっていない長距離(5000m)へ種目を変更して、オリンピックを目指すことにしたのです。
陸上 女子800m 金メダリスト キャスター・セメンヤ
「決して簡単な決断ではありません。800mへの思いもまだ引きずっています。5000mは、今までの6倍以上の距離、トラック12周も走るのですから。大変であることはもちろんわかっています。でも、あきらめたくなかったのです」
5月。東京への切符をかけた国内選考レースにセメンヤ選手は出場していました。オリンピック出場の条件は、15分10秒を切ること。セメンヤ選手の自己ベストは15分52秒。40秒以上縮めなければなりません。
他の選手と比べて、ひときわ大きな体は、長距離では重りとなりマイナスになります。それでも、800mで培ったスピードを生かして先頭にくらいつきます。
残り1500m、ついに先頭に。力を振り絞り一位でフィニッシュしました。しかし、オリンピック出場には、惜しくも20秒届きませんでした。
陸上 女子800m 金メダリスト キャスター・セメンヤ
「私はキャスター・セメンヤ。それを変えることはできません。神様に与えられた才能を生かしたいのです。自分が授かった力を信じて懸命に努力すれば、きっと良い結果に結びつくはずです。『自分の才能を世界に届け、他の人にもモチベーションをもってもらいたい』そんな思いが自分を駆り立てているのです。それ以外、なにもありません」
タモリさん「新たな問題。これはあんまり考えたことなかったんじゃないですかね」
山中さん「科学が進んできて、スポーツも科学的な面からも解析が進んで進化している。科学をうまく使えばアスリートたちが限界を乗り越える原動力になります。一方で、急速な進歩に対して考えないといけないことも増えています。例えば、私たちの研究しているiPS細胞のような細胞や、ゲノム編集などの遺伝子を操作する技術で、テストステロン値を増やすことも理論的に可能になっています。新しいルール作りが待ったなしの状態だと思います」
<超人ウサイン・ボルト 金メダリストの肉体の宿命>
陸上短距離世界最速の男、ウサイン・ボルト。彼もまた、生まれながらの肉体の宿命に向き合い続けてきた一人です。
「3D BODY」からは、ボルトと肉体の格闘の歴史が見えてきました。
世界最速のスピードでトラックを蹴り続けた足。その太ももには、大きな肉離れの傷痕が残っていました。横4センチ、高さ6センチもの大きさです。ボルトの陸上人生は、この太もものケガとの闘い。肉離れを引き起こす原因は、鍛え上げられた上半身の内部に潜んでいました。背骨です。
ボルトの背骨は、生まれつき左右に大きく曲がっていました。曲がった背骨は走るたびに不規則に揺れ、その揺れが、骨盤に伝わります。それが、骨盤とつながった太ももを過剰に引っ張ることとなり、肉離れの原因になっていました。
速く走ろうと努力すればするほど傷ついていく宿命を持った肉体。ボルトは曲がった背骨による揺れを押さえ込むための強い筋肉を手に入れようと、自らに激しいトレーニングを課していきました。
ウサイン・ボルト
「『もう限界だ』と感じた時、もう一押し自分を追い込めば、その先に行くことができるんです。自分に言い聞かせました。『よく聞け。世界一になりたいんだろ。オリンピックチャンピオンになりたいんだろ』そう言い聞かせないと耐えられないほど、厳しく肉体を追い込みました」
曲がった背骨の揺れを抑え込むために鍛えられていった体幹の筋肉。限界を超えようとするボルトの強い意志に呼応して「筋肉の鎧(よろい)」が築かれていきました。
オリンピック三連覇というあの栄光は、自らの肉体の弱点を受け入れ、格闘を続けた賜物(たまもの)だったのです。
ウサイン・ボルト
「もし背骨が曲がっていなかったら、あんなにも努力しなかったかもしれません。一緒に乗り越えてきたこの肉体に言ってあげたい。『ずいぶん高い所まではい上がったな。ありがとう相棒、お前と一緒で楽しかったよ』」
タモリさん「先生どうですか」
山中さん「才能も大切だと思うのですが、きょう明らかなのは、あのボルト選手でさえ決して短距離にとって100点の体ではなかったということ。背骨が生まれつき曲がっている、それを乗り越えるためにあんなに努力したんだと。感銘を受けました」
タモリさん「人類が森から出てきて二足歩行始めて、それに適応するように骨格から内臓から全部変えたんですね。それに何万年か、十何万年かかかってるわけですけども。さらにアスリートたちは、個人的に自分の中で10年か20年の間にまたさらに体を変えてるんですよね。その原動力は『意志の力』ということですよね」
山中さん「その結晶がオリンピック・パラリンピックなんだなということを改めて強く感じました。スポーツの力ってすごいですよね」