池江璃花子 新たな挑戦 (前編)

NHK
2021年4月22日 午後7:21 公開

(2021年4月10日の放送内容を基にしています)

<池江選手×和久田アナウンサー>

和久田アナウンサー 「きょう(4月10日)夕方にレースを終えたばかりのこの人、競泳の池江璃花子選手にお越しいただきました。池江さん、東京オリンピックの代表選考会となった日本選手権、4つのメダルが輝いていますが、4種目で優勝とすばらしい結果でした。これはご自身の予想以上の結果だったでしょうか?率直にいかがですか」

池江選手「そうですね、試合前にも言ってたとおり1種目優勝を目標としてたので、まさか4種目すべてで金メダルが取れるとは全く思ってもいなかったですし、まさかリレーで内定が決まるとも思ってなかったので、すごくうれしいです」

和久田アナ「レース後のきょう(4月10日)のインタビューでは、『大会が始まる前、日本で負けるのは今年で最後だと決めていた』とおっしゃいました。この大会を通してレースをするたびに、池江さんの表情が変わっていきましたよね。『勝負師・池江が帰ってきた』っていう感覚があったんですけれども、ご自身の心持ちの変化って大会通していかがでしたか?」

池江選手「正直なところ100m自由形も不安はあったんですけど、一番自信がなかったのが100mバタフライだったので、そこで優勝したおかげですごくいい流れができて、気持ちもすごく前向きになって『あ、これ、もしかしたらいけるかもしれない』っていうふうに思えました」

和久田アナ「泳ぐたびに体の面、気持ちの面で手応えというのは増していきましたか?」

池江選手「体はやっぱり泳ぐたびにすごく疲れは出てきてはいたんですけど、気持ちの面はどんどん前に出てる感じでした」

和久田アナ「見ていてもそれが伝わってきたという方、多いと思います」

きょう(4月10日)まで8日間の日程で開かれた日本選手権。池江選手は『女子100mバタフライ』『女子100m自由形』『女子50mバタフライ』『女子50m自由形』の4種目で優勝し、メドレーリレーと400mリレーの五輪代表に内定した。

中でも印象的だったのはやはり、100mバタフライ。かつて池江選手の代名詞といわれた種目で、体への負担が大きく最も復活が難しいとの声があった。

3年ぶりの日本選手権、池江選手がつぶやいたのは『ただいま』という言葉。

メドレーリレーの代表をつかみ取った池江選手。

しばらくプールから上がることができなかった。

(レース後のインタビュー)

「ずっと自信もなかったし、自分が勝てるのはずっと先のことだと思ってたんですけど、本当に優勝を狙ってなかったので。でも何番でも、ここにいることに、幸せを感じようって思って、最後も仲間たちが全力で送り出してくれて、いますごく幸せです」

<池江選手×和久田アナウンサー>

和久田アナ「池江さん、ご自分のインタビューをご覧になりながら、ちょっとウルッとされましたけど、こみあげるものがありますか?」

池江選手「そうですねえ、本当に優勝できるとも思ってなかったですし、まさか57秒を出して、リレーの派遣記録を切るとも思ってなかったので、ちょっと想像以上のうれしさが込み上げてきましたね」

和久田アナ「レースの前というのは泳ぎに対して、そこまでの手応えというのはなかったんでしょうか?」

池江選手「そうですね、でも100mの練習はしっかりやって来ましたし、『3位以内に入るのが目標くらいかな?』っていうふうには思ってたんですけど、思ってたよりも予選、準決勝でまあまあいいタイムを出せていたので、あとは『決勝はとりあえず3番以内に入って、笑顔で控えに戻りたいな』っていうふうに思ってました」

和久田アナ「想像を超える結果だったわけですね。そして入場したとき、つぶやいたのは、『ただいま』という言葉。これはどういう思いから、出てきた言葉でしょうか?」

池江選手「3年ぶりの日本選手権で、一番自分の中ではメインの種目でもあったので・・・やっぱり、一番自信のない種目でもあったし、でもまた強くなって戻りたいとも思ったし、とりあえず、日本選手権に出ること、決勝に残ることを目標としてやってきたので、しかも得意な種目で、その決勝という舞台に戻ってくることができてすごく幸せで、なおかつ、ずっと私のことを待っててくれた方たちにも『ただいま』っていう言葉を届けたくて言いました」

和久田アナ「改めてですけれども、ゴールした瞬間、トップでゴールされましたときのこの瞬間の思いって、どんなものでしたか?」

池江選手「このときは、確か先に順位を見て、その後にタイムを見たんですけど、順位を見たときはやっぱり、隣(のレーン)も見えるので『勝てたかな?』くらいの感じで、電光掲示板見たら一番で、そのあとすぐタイムを見たら、『あれ?リレー(の派遣標準記録)切っている』って思って、それで初めてグッとくるところがありました」

<100mバタフライ 勝利の秘密は?>

見事、復活優勝を果たした池江選手。

今回のレースを詳しく見ると、これまでとは違う変化も見えてきた。

競泳日本代表 平井ヘッドコーチ「年がいもなく感動しました。テクニックの面だったりね、疲労もあるなかね、メンタル面も含めてよくあそこまでね、ああいうようなレースができるように、きのうから持ってきたなと思って感心させられました」

競泳日本代表の平井ヘッドコーチをも唸らせた、池江選手のレース。

勝利の秘密はどこにあるのか?

病気になる前、池江選手の武器の1つはスタート直後のスピードだった。1m71cm57キロ、体格を生かした飛び込みが推進力をうみ、一気に加速。初速の速さを生かし、そのまま逃げきるのが勝ちパターンだった。しかし、池江選手は闘病中、体重が18キロ減少。体格を生かした速いスタートが切れなくなっていた。

今回の日本選手権100mバタフライ決勝。スタートでリードを許した池江選手。しかし、ある秘策を用意していた。腕で水をかくストローク、そこに変化をつけたのだ。

前日の予選ではスタートでリードを許した池江選手。前半の50m、ストロークの回数は19回だった。ところが決勝、池江選手はストロークを1回減らし、18回に修正した。

<池江選手×和久田アナウンサー>

和久田アナ「ストロークを1回減らしたということですけれども、これ実際のところ、どんな狙いがあったんでしょうか?」

池江選手「ワンストローク少ないだけでもう結構、腕の最後の疲労ってだいぶ変わってくると思うんですけど、予選、準決勝でターンの動作が合わなかったんです。それで結構体力を奪われてしまってたので、2回とも合わなかったし、多分2回とも飛び込んで浮き上がりのドルフィンキックの回数は一緒なんですけど、どっちも合わなかったってことは、とりあえず1回か2回ドルフィンキックをふやしてみようと思って。そしたらターン動作のタッチもあって、そのまま勢いよくラスト50mにつなげられるかなと思って、そこを決勝では意識しました」

和久田アナ「それで1回減ったっていうことだったんですね。そのターンがぴったり合うと後半の泳ぎはどう影響するものなんですか?」

池江選手「ターンがうまくいくと勢いよくそのまま折り返しができるので、勢いがないまま折りかえしするよりも、ある程度のその体力を残したままラスト、15m、10mを伸ばせるかなっていう感じです」

和久田アナ「予選ではターンが合わずに、後半やはり疲れっていうのを感じましたか?」

池江選手「予選、準決勝ではターンが合わずに最後バテてしまってたんですけど、最後はドルフィンキックの回数も改善して、ラストはバテずに泳ぎきることが出来ました」

和久田アナ「でもそれを予選から決勝までの大会の中で対応されたわけですよね。柔軟にいまの体に合った新しい泳ぎ方を追求してるっていうことなんでしょうか?」

池江選手「やっぱり以前の自分の泳ぎと比べることもありますし、前はドルフィンキックが何回で上がってたんだろうっていうのを振り返ってみても、やっぱりそれと同じようにはいかないっていうことは練習中にも分かりました。この試合の中でもよく分かったことなんですが、以前と一緒じゃ駄目だから、逆に『昔の自分と比べて、足りないところは何だろう』っていうのを考えて、そこを補うようにレースに臨みました」

和久田アナ「池江さんのこの100mバタフライのタイムを見ますと、この2か月で急速に伸びているんですよね。こちらが今回の決勝に出場した8人の選手のタイムです。実は池江さんが復帰後初めてこの種目を泳いだ2月のタイムが59秒44でした。8位の選手よりも下になるわけですね。短期間での1秒67もの劇的な伸び、そのストロークの修正ということもありましたけれども、それ以外にもやっぱり秘密はあるんですよね?」

池江選手「そうですね、予選、準決勝はラスト15mくらいでもう手が回らなくなってたんですけど、最後の決勝では『しっかりお腹から足、キックを強く入れる』っていうところを意識したことによって、最後ふんばりがきいたっていうレースができました。あと一番の要因としては、とにかくバタフライの練習を多めにやるようにして、きっと、いままで頑張って積んできた練習は、今回の57秒77が出るための練習をしっかり積んできたからこそ出たタイムなのかなって思います」

和久田アナ「きょうのレースのあと、これからタイムを上げていくための課題も見つかったっておっしゃってましたよね。具体的にどんな部分を改善していこうと思ってらっしゃるんですか?」

池江選手「一番はやっぱりスタートですね。そこが一番、目に見えて分かる差なので、そこを改善していくっていうことと、今日の50mのバタフライもそうなんですけど、以前の自己ベストから0秒4遅れくらいのタイムだったと思うんですけど、完全に体が戻ったわけではない中でのその記録っていうのは、ものすごくいい記録だったと思うので、そうですね、あとは、体力・筋力をもう少しずつ戻していければいいかなって思ってます」

和久田アナ「体重も18キロ減ったということで、いま9キロほど戻ってきているんですよね。体重を増やすためにどんなことをされてるんですか?」

池江選手「とにかく、無理してでもごはんを食べる、っていうことをやってますね。あとはコーチに言われてたのは、なるべくお腹が空いてる時間を減らすっていうのだったり、練習中にゼリーを飲んだりしてなるべくエネルギー補給を多めにするとか、結構細かくやるようになりました」

和久田アナ「夕食のあとにラーメンを食べに行かれるって聞きましたけど」

池江選手「そうですね。おいしいラーメンだと夜ごはん全部完食してても、ラーメン食べに行けちゃったりしてました」

<白血病との闘い 知られざる日々の記録>

改めて驚かされるのは、1年前まで池江選手が闘病中で泳ぐことさえできなかったという事実。

おととし2019年2月、池江選手の病の知らせは、あまりにも突然だった。

東京オリンピックでのメダルが期待されながら、自身のツイッターで白血病と診断されたことを明らかにした。血液のがん「急性リンパ性白血病」だった。

病を公表した翌日、私たちのもとにメッセージが届いた。

『まだまだこれからのはずでした。でも、必ず戻ってきます。待ってて下さい』

私たちが池江選手の取材を始めたのは6年前、中学3年生のとき。

翌年の2016年に出場したリオデジャネイロオリンピック。初出場にして5位入賞。しかし、その結果に満足することはありませんでした。

(2017年のインタビュー)

「競泳はタイムの競技なので、それをどんどん更新していくのが、自分にとっては絶対に必要なことだし、そう思えるからこそこれからも記録を塗り替えたいなって、自分が一番になって金メダルを取りたい」

東京オリンピックを見据えた2018年のアジア大会では日本史上最多の6冠を達成。打ち立てた11の日本記録はいまも破られていない。

しかも100mバタフライの世界ランキング(2018年)は、年間通して一位。東京オリンピックで輝く姿を誰もが思い描いていた。

白血病の症状は一進一退を繰り返し、高校の卒業式は1人、病室で迎えた。

10か月に及んだ入院生活のあと、私たちが池江選手と再会したのは去年2020年1月だった。

白血病は寛解したが、再発を防ぐため1日20錠もの薬を服用しなければならなかった。

復帰を目指して自宅でトレーニングを始めた池江選手。鍛え上げてきた筋力は失われていた。

退院後も先が見えない日々。そんな中、池江選手は東京オリンピックについて意外なことを口にした。

「夢は絶たれたって分かった瞬間に、もう頑張る必要ないんだって思っちゃったっていうか。うん、それはちょっとありました。言い方悪くすれば、オリンピックに出られなくてよかったっていう、自分が。そのプレッシャー、メダルを取るっていうプレッシャーがのしかかった状況の中で、逆に自分自身にプレッシャーをかけてたんですよ、メダルを取りたいっていうふうに。そのプレッシャーから解放されたっていうか。背負ってたんでしょうね、こんなふうに思うってことは。だって絶対アスリートとしてよくないことを言ってますもん、いま。だってオリンピックに出なくてよかったなんて、普通誰も言えないじゃないですか」

かつて抱いた、東京でのメダルという夢どころか、泳ぐことさえままならなくなった。

「水泳を始めてから、積み上げてきたものっていうのは、この1年ちょいで完全に失われた気がしたというか。いままでの努力の意味が分からなくなった。何もない・・・泳いでいなければ何もない人間なのかな」

<池江選手×和久田アナウンサー>

和久田アナ「『泳いでいなければ何もない人間なのかな』って、いま改めてご自身で聞かれて、どんなふうに響きましたか?」

池江選手「うーん、やっぱり『水泳をやってるからこそ自分がある』っていうふうに、そのときは多分思っていて、自分のことに必死で周りのことに耳も傾けられない。すごくたくさんの方に『退院しただけでもすごく励みになった』っていう言葉もいただいたりしたんですけど、でも逆に自分は周りの声が聞こえないから『泳いでない自分って、何の意味があるんだろう』みたいな感じで、多分当時は考えてたと思います」

和久田アナ「いまは変わったとういうことですか?」

池江選手「そうですね。いまは泳げるようにもなりましたし、本当に少し心に余裕ができたというか、退院して1年以上たったので、すごく周りにも耳を傾けられるようにもなりましたし、本当にたくさんの方に支えていただきながら、逆に自分がほかの方にもパワーを与えられるような存在に少しなれたかなって思います」

和久田アナ「闘病中のあまりの苦しさに『死んだほうがいいと思ったときもあった』っておっしゃいましたよね。入院中はどんなことを考えて過ごしてらっしゃったんですか」

池江選手「そうですね、やっぱりほんとにしんどかったときはいまのような言葉を、心のなかで本気で思ってたこともありましたし、本当に一度だけ、『死にたい』っていう言葉を家族の前で発したときがあって、そのとき近くに母がいたんですけど『そんなこと言わないで、一緒に頑張ろう』っていう言葉をかけてもらって、お互いすごく涙したのを思い出して、いまそばに支えてくれる人がいるのに、何でそんな言葉を発してしまったんだろうって、のちのちすごく後悔はしました」

和久田アナ「競技、水泳のこと、ましてやプールに戻るってことは考えられない日々もありましたよね」

池江選手「やっぱり入院してすぐのときは、感覚が消えないように、自分が泳いでる感覚だったりとかをイメージトレーニングしてたんですけど、やっぱりそういう余裕もなくなってきて、だんだん水泳から離れていったっていうときは、やっぱり、『戻りたい』っていう本心はものすごく強くあるんですけど、でも少し『戻れるかな』っていう不安も若干持ちながら、病気と闘ってました」

和久田アナ「いまも治療というのは続いているんでしょうか?」

池江選手「一応、薬も飲んでますし、通院もしています。5年間は再発のリスクがあるということで、病院には通ってるんですけども、いまここまで自分は戻ってこられてるし、『もう絶対病気になんかならない』っていう、そういう強い意思を持っているので、きっと大丈夫だって信じたいです」

和久田アナ「白血病と診断されたときに、池江さんはこんなふうに語っていました。『もう頑張る必要ない。東京オリンピックのプレッシャーから解放されたと思った』。私も聞いていて本当にドキッとしたんですけれども、この気持ちにご自身が気付いたとき、どんなふうに思いましたか?」

池江選手「無理してたのかな?っていうふうに思いましたし、やっぱり本気で東京でメダルを取りたいって思ってた自分もいるけど、でもいま、そんな自信、本当にあるかって言われたら、もしかしたらなかったかもしれないし。多分、そのときにしか分からなかったプレッシャーっていうのがものすごくあったんだと思います」

和久田アナ「挑戦できない悔しさっていうのは一方でなかったんですか?」

池江選手「2019年の世界選手権をテレビで病室から見てたんですけど、『いままでの流れで自分が行ってたら、きっとメダル取ってただろうな』っていう、そんな考えを持ちながら試合をテレビで観戦しましたし、逆にシンプルに水泳が好きっていう気持ちもあるので、一ファンとしてその世界選手権を見て、ほかの選手を応援するっていうのは、すごく楽しかったなっていうふうに、そう思います」

和久田アナ「トップアスリートにいま戻った池江さんにこう伺うのが正しいか分からないんですけれども、いま池江さんを私自身全力で応援したいという気持ちと、でもこうしてメディアやみんなが期待することが、どこか池江さんの負担にならないかっていう気持ちが、ふと入り交じるときがあるんです。私たちどんなふうに池江さんを応援すれば心地いいでしょうか?」

池江選手「私的には、プレッシャーがほんとに分からないタイプで、やっぱり東京オリンピックを期待されてたときも、『絶対取りたいし、結果を残してみんなに報告したい』って気持ちはもちろんあって、すごい声援とか応援って自分の力になってたと思うんですけど、病気をして初めてそのプレッシャーを感じてたっていうのが分かったんです。いまここまで戻ってきて、『応援されて、そのプレッシャーがない』イコール『応援されてることで、自分のパワーにすべてなっている』っていうふうに考えてもらって大丈夫なので、たくさん応援してもらえればもらえるほど、強くなっていくんじゃないかなと思います」

和久田アナ「ほっとした視聴者の方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。退院後これまで目標は2024年のパリオリンピック出場と繰り返しおっしゃいましたね。今回の日本選手権の前にもおっしゃってましたけれど、もしこの東京大会を意識する機会があったとしたら、それはいつごろから意識されましたか?」

池江選手「個人ではさすがに厳しいと思ってたので、『もし行けるとしたら100mの自由形でフリーリレーのメンバーに入れるかな?』っていうくらいの感じで、やっぱり100mの自由形のレースが始まる前はもちろん優勝を狙ってもなかったですし、『3番に入れない・・・だろうな』って思ってて、『4番に食い込めたらいいな』ぐらいの気持ちだったので、それがまさかの予選からすごくいいタイムだったので、泳いでて『これイケるかもしれない』ってそういう自信に変わっていきました」

和久田アナ「じゃあ、大会に入ってからだったんですね」

池江選手「そうですね」

(後編へ)