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伊藤美誠 再生の旅

NHK
2021年7月19日 午前11:34 公開

(2021年7月17日の放送内容を基にしています)

<中国遠征38日間 全記録>

卓球 日本代表 伊藤美誠(いとう・みま)20歳 世界ランキング2位(7月6日時点)。

1週間後に開幕する東京オリンピック。

卓球の伊藤美誠は、日本初の金メダルを狙い、開会式の翌日からコートに立つ。

勝負の時が、近づいている。

世界を驚かせてきたその独創的な卓球。

2016年、15歳で出場したリオデジャネイロオリンピックでは団体銅メダルをつかんだ。

底抜けに明るく、怖いもの知らず。周囲の期待を、笑顔で背負ってきた。

しかし、新型コロナの感染拡大で状況は一変した。

東京オリンピック 1年延期。

国際大会もすべて中止。世界の頂点に届こうとしていた伊藤の前から、卓球が、消えた。そして、スポーツやアスリートに対するあまりにも厳しい視線。それは伊藤にも向けられた。

伊藤「何のために頑張ればいいのか、本当に分からなくなってしまって、素直に笑えないというか。自分は、強くなっているのに出す場所がないから」

そんな伊藤を変えた、ひとつの旅があった。

2020年秋。コロナで厳戒態勢の中国へ、異例の長期遠征。

厳しい隔離生活や1000キロにわたるバス移動。ラケットさえ握れない日々。

そこまでして、求めた相手は、オリンピックで金メダルを争う、中国の若きエース。

思いがけない展開で、ライバルと打ち合った120分。

敵味方をこえて、つかんだものは・・・。

<パンデミックのさなか厳戒態勢の中国へ 異例の遠征が始まった>

それは、世界からスポーツが失われた2020年。

伊藤美誠は中国へ旅立とうとしていた。

取材班は伊藤への感染リスクを避けるため、母親や同行する人たちにカメラを託した。

上海の空港。現地で待つ中国人通訳が、異様な光景に戸惑うほどの厳戒態勢が敷かれていた。

そして、防護服の男たちに囲まれて、赤い服の伊藤がやってきた。国外からのウイルス侵入に、警戒感は非常に高く、通訳は近づくことさえできなかった。

38日間の中国遠征。2週間の隔離期間を経て、8か月ぶりに開催される2つの国際大会に出場する。

そこで待ち受けるのは・・。

歴代のオリンピックでメダルをほぼ独占してきた、卓球王国・中国の選手たちだ。中でも伊藤が強く意識する、ライバルがいた。同い年、二十歳の孫穎莎(そん・えいさ)。

この1年で卓球王国の勢力図を塗り替えた選手だ。孫はリオの金メダリスト・丁寧を過去の存在へと追いやった。この孫と戦うことが、旅の大きな目標だった。

だが、戦いまでの道のりは長かった。空港から連れられたのは、上海のホテル。隔離生活の厳しさは想像をこえていた。親子でも一人ずつの部屋に分けられ、常に監視員が見張る。厳しい行動規制も課せられた。

許可なく部屋から出たり、他の人と接触したりすると、隔離は1からやり直し。場合によっては大会の参加資格を失う。

母「扉の向こうに美誠の部屋があります。ご飯を一日3回運んでくれるんですが、そのときにドアを一緒に開けて『元気かい』と声かけして、顔色を見ています」

中国遠征4日目 10月21日。

伊藤は、ひとり20歳の誕生日を迎えた。

伊藤「いま私は中国で隔離期間中なので、誰とも会えない日が続き、少しさみしいですが、卓球王国・中国という場所で二十歳を迎えて、運命感じてます」

中国に来て6日目。早朝6時に、上海から移動すると告げられた。

母「今から上海隔離施設から威海に12~13時間かけて移動します。大きなバスに5人だけです」

車内でも近くに座ることは許されない。会話のために渡されたのは、トランシーバー。バスに隔離された状態で、1000キロ先にある試合会場へと向かう。

母「2時間ごとにマスクを替えてください、と指示があります。マスクを替えます。救急車が一緒に走ってくれています。パトカーもいます。大ごとです」

窓を開けることも、エアコンを付けることも許されず、車内の温度は30度に迫った。

伊藤「肘ぶつけて、膝ぶつけました。トイレで」

母「トイレがとても小さいので大変です。体の向きが変えられません」

外に出ることが許されたのは、一度きり。

日本卓球協会が公式派遣を見送ったこの遠征。なぜ伊藤は、身を投じたのか。

<目標を見失った伊藤 五輪1年延期は金メダルに手をかけた矢先の出来事だった>

コロナの前まで、伊藤は独創的な卓球で世界を席巻してきた。

「なんだこれ!クレイジーだ」「いったいどうやって打っているんだ?」と国際大会では、実況担当が感嘆するプレーを見せてきた。

伊藤「楽しくなかったら強くなれないから、楽しいのが一番最初」

そのオリジナルな卓球は、絶対王者・中国にさえ、風穴を開けた。

2018年5月には世界選手権でリオ五輪団体金メダリスト劉詩雯に勝利。11月にはスウェーデンで行われたワールドツアーで、中国トップ選手3人を立て続けに破り優勝。中国メディアから付けられたあだ名は「大魔王」。最大の脅威とされた。

そして、世界を驚かせたのは、去年、2020年3月。卓球界の頂点に君臨していたリオ五輪シングルス金メダリスト、中国の丁寧にカタールオープン準決勝で4-0のストレート勝ち。

金メダルは、もう夢ではない。そんな時に。

世界は止まった。

すべての国際大会が中止に。

伊藤「試合に向けて頑張ろうって思いがすごくあったんですけど、全部、延期だったり中止になったりして、何のために頑張ればいいのか、本当に分からなくなってしまって。うーん。なんか、素直に笑えないというか、本当に自分も、強くなってるのに出す場所がないっていうのがすごくあって」

母親にとっても初めて見る娘の姿だった。

母「これまでは戦うパワー、アドレナリンを放出する場所があったんですけど、そこを失われて、それがどんどんたまっていって。練習の中で自分を追い込み過ぎて、手が卓球台の角にぶつかって、流血して。流血しても、その血を見て痛いとかじゃなくて、それ見ながらティッシュでちょんちょんって拭いて。まだ出てるし、爪も取れちゃってて、もうやらないほうがいいんじゃないかって。でもまた、真顔で、痛いとか何も言わずにまたやり始める。壊れちゃうんじゃないかなと思って」

伊藤が12歳の時から専属で教えてきた松﨑太佑コーチも、異変を感じていた。

松﨑コーチ「2020年のオリンピックを目指してずっとやってきてたので、それが目標を見失ったじゃないですけど、頑張ってはいるんだけど、どこを目指して頑張ればいいのかっていう迷いがありながら、頑張ってる感じでしたね」

周囲は一度卓球と距離を置くことを勧めた。

それでも、卓球への思いは行き場を失ったままだった。

伊藤「ふだんは結構言うんですけど、卓球のことって、あまりマイナスな言葉を発したくなくて。卓球のことだけはなんかあまり言えなくて。ほかのことは言えるのに卓球のことだけはため込んじゃって」

そんな中でもたらされた国際大会の知らせ。この機会を逃したら、いつ試合ができるか分からない。渡航の判断が選手に委ねられる中、伊藤は中国行きを決断した。

<いつもそばにいた卓球と母、そして実戦の場>

試合会場へ向かう、1000キロのバス移動は続いていた。

大会会場に到着し、再びホテルでの隔離が始まった。支給される弁当はすべて冷めていた。さらに連日行われたPCR検査。伊藤は耐えた。

中国遠征10日目。待ち続けた日がやってきた。他の選手と接触しないことを条件に練習が許された。

中国に来て初めてボールを打ち合う。自然と笑みがこぼれる伊藤、卓球は楽しかった。

母「やっと炊飯器が許されました」

伊藤「はふはふ。久々に熱々のご飯食べた。白ご飯うま」

練習場で伊藤が食べていたのは、母が日本から持ってきた炊飯器で炊いた温かいご飯。

オリンピック延期後の娘の異変を目の当たりにしてきた、母。壁は自分で越えるしかないと考えてきた。

伊藤が卓球を始めたのは2歳のころ。

夢中になる娘に、母は卓球の厳しさを伝えた。毎日7時間の猛特訓。

母「そんなんじゃ取れないぞ。サイドに来たボールなんて。ここに来たボールなんて取れて当たり前だよ。何やってんの美誠。しんどい?やめる?やめたらどうなるか、分かってるよね?どうなる?」

伊藤「負ける」

母「あんたが泣いても私なんとも思わないからっていうのは、本当に毎日のように言っていましたね。自分で立ち直ってと、言いましたね。試合は本当に一人、自分一人で戦うものだし、泣き出してしまった自分、感情をさらけ出してしまった自分に対して、自分で責任を持たなきゃいけないし。自分で泣き止んで、じゃあ、やるぞっていうのも自分だし」

そして伊藤は、自分の道を歩むようになる。セオリーにない技をいつも探す。

壁は自分で乗り越える。母の教えは、常に伊藤の根っこにあった。

中国に来て23日目。

コロナによって失われた大会がいよいよ幕を開ける。オリンピック、世界選手権に次いで価値のある「ワールドカップ」。

初戦は、韓国のエース、チョン・ジヒに4-1で勝利。続く準々決勝も4-1で勝利し、相手を寄せ付けなかった。試合が終わるとミックスゾーンに走ってきた伊藤。笑顔がはじけていた。

伊藤「試合はすごく楽しいです。やっぱり8か月ぶりの試合だったので、とにかく楽しもうっていうのが一番で、あしたも自分も楽しみですし、楽しみにしててください」

<国を背負う中国のライバル 突きつけられた力の差>

中国遠征24日目。

そして、最大のライバル・中国代表チームがやってきた。

準決勝で戦うのは、いま最も勢いのある世界ランキング3位(7月6日時点)、20歳の孫穎莎(そん・えいさ)。

国際大会で、常に接戦を繰り返してきた。孫はパワーを生かした超攻撃的なプレーが持ち味。対する伊藤も、激しい打ち合いで応じてきた。

孫「伊藤選手は実力があり、年齢も同じなので、これから何年もライバルになると思う」

伊藤「孫選手は自分のプレーをすると決めたら、とことんしてきますし、怖いもの知らずと言うんですかね。自分の卓球を貫いてくる。すごく私と似ている」

迎えたワールドカップ準決勝。伊藤vs.孫穎莎。待ち望んだ、自分の実力を試す舞台。この日のために、中国に来た。

しかし試合は思わぬ展開に。孫が戦い方を大胆に変えてきた。チャンスボールにも、あえて攻撃をしない。これまでとは正反対の、粘って伊藤のミスを待つ戦術。想定とは違う戦い方に伊藤はペースを乱され、失点を重ねる。かと思えば一転、孫は持ち前の攻撃に出る。

結果はゲームカウント2-4で孫の勝利。伊藤の弱点を、中国はしたたかに研究していた。

バックヤードにはコーチと話し合う伊藤の姿があった。

松﨑コーチ「1本返したら勝手に美誠はミスしてくれるから。孫選手は本当は打ちにいったほうがいいけど、我慢しろって言ってた」

伊藤「孫選手があんなに打たないと思ってなかった」

松﨑コーチ「それであえて探ってるんだよ」

ライバルの中国、パンデミックの混乱の中でも確実に先に進んでいた。絶対王者・中国の選手が背負うのは、国家の重み。特に女子シングルスは過去一度も金メダルを逃したことがない。

中国卓球協会 劉国梁会長「中国政府は卓球をとても重要視している。卓球は中国では国技です。オリンピックの金メダルは国のために勝ち取る栄光で名誉。オリンピックに出場する選手は自分のためではなく、国のために戦います」

丁寧など強豪選手の練習相手から、トップに這い上がってきた孫穎莎。東京五輪で失敗は許されない。

<異例の合同練習 金メダルを争うライバルが無心でピンポン球を追った120分>

国家の威信を背負って戦うライバル。自分は、何のために戦うのか。

次の大会に備えた練習。自問自答を続けていた。

中国遠征28日目。

思いも寄らない出来事が伊藤を待ち受けていた。突然、孫が近づいてきた。

「練習をしないか」との申し出だった。

孫「ストロング」

伊藤「あなたも強いよね(中国語)」

片言の言葉を交わしながら打ち始める2人。その様子を中国女子代表の李隼監督はスマートフォンで撮影している。伊藤の手の内を探る中国側のもくろみなのか。

李監督「チームメイトはこの映像を見てどう思うかな」

記者「動画を誰に送ったのですか?」

李監督「みんなに送っています。孫選手の先輩に見てもらいます。見てもらうことで孫選手を育てます」

しかし、伊藤にとってもライバルを知る、願ってもないチャンス。

伊藤「あーーー!いいボール。いいボール(中国語)」

孫「伊藤の球は低くて返しにくい」

伊藤「水でも飲まない?(中国語)」

孫「すごく中国語うまいよね」

孫「私より足ががっちりしてるよ。ストロング!」

伊藤「練習をたくさんして、それがトレーニング」

ピンポン球を打ち合ううちに、2人のライバルは打ち解けていく。お互いの腕や足の筋肉を比べて無邪気にはしゃいでいた。

孫「私より美誠の腕の方が断然固いってー!!足は同じ固さだ!セイム、セイム、セイム」

伊藤「なんの勝負(笑)」

そして再び、打ち合いが始まる。すると・・・。

李監督「腕を大きく振らないで。打つときは息を止めなさい」

中国チームが、次第に熱くなる。練習を始めて2時間。もう終わろうかという、その時だった。

孫「ねえ、通訳さん、伊藤選手と練習試合をしたいんだけど、伝えてくれる?他に何を練習したいか聞いてくれる?それかお互いにサーブの練習する?」

通訳「美誠ちゃん、いまからやりたいことがなければ、自由に試合しましょうって」

伊藤「試合??」

なんと孫が、練習試合をしようと言う。

金メダルを争う2人の勝負が始まった。そこに敵味方はない、2人は笑いあっていた。まるで卓球を始めた幼いころのように・・・。

孫「お互いに秘密の技を漏らしあっているよ」

李監督「本当にそうだな(笑)」

練習試合を終えると、傍らで見ていた母親のところに駆け寄り、おにぎりを手にした。そして。

伊藤「ママが作ったおにぎり」

孫「サンキュー」

伊藤が大好きな肉が入ったおにぎりを孫に手渡した。孫にとっては初めて食べる日本のおにぎり。

伊藤「コーロー(中国語)、お肉入ってる、おいしいかな」

孫「うん」

笑顔でおいしいと指を立てる孫。

伊藤「おいしい?おいしい?ほんと?よかった!!」

孫「サンキュー」

その後も自分を追い込む孫の姿を見た。

監督が繰り出すボールを孫は打ち返し続けていた。

孫「ボールはあと何球ある?」

李監督「あと30球やるぞ。やるしかない」

背負うものは、自分とは違う。でも卓球にかける気持ちは、同じ。

「負けたくない」

2020年11月24日、中国遠征から帰国。伊藤の表情は晴れやかだった。

伊藤「久々だったので、すっごい楽しいっていうのが強くて、勝ち負けがあるから自分は楽しいんだ、卓球やってるんだって思いました、今回。何か起きても、全然大丈夫、平気だって言えるぐらい強い選手になりたいなって思ってます」

<自分にできることは卓球でしかない 伊藤美誠の覚悟が定まった>

年が明けても、オリンピックは揺れ、アスリートの存在さえ否定する言葉が溢れた。

その声を受け止めながらも、伊藤は卓球に集中する日々を送っていた。

あの過酷な中国の日々につかんだ確かな思いがあった。

伊藤「本当に選手が妥協したら、何のためにやってきたの?っていうふうに私自身は結構なります。もちろん選手によって、選手の中でも意見が違うかもしれないんですけど。私はオリンピックまで死ぬ気でやってきた」

2021年3月、伊藤はオリンピック前、最後の遠征に向かった。中国勢は出場を見送ったこの大会。2週連続で優勝を勝ち取った。

そして、伊藤美誠の東京オリンピックが、やってくる。

伊藤「我慢してきたものを全て出し切りたいし、オリンピックでは。自然と楽しむのがついてきて、そして、自然と勝利がついてきて、そして最後に自然とまた笑顔がついてくるっていう感覚でやりたいなって思うので。爆発できる自分を楽しみにしながら頑張っていきたいなと思います」