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疫病退散 千三百年の祈り〜お水取り・東大寺修二会〜
NHK
2021年5月31日 午前11:51 公開

番組のエッセンスを5分の動画でお届けします

(2021年5月30日の放送内容を基にしています)

奈良・東大寺二月堂。“お水取り”として知られる東大寺修二会(しゅにえ)は、今年で1270回目。日本で最も長く続く仏教儀式だ。始まったのは奈良時代。以来、今日まで一度も途切れることなく毎年続けられてきた。僧侶たちは仏の前で体を打ちつけ、罪を悔い、わび、そして祈る。コロナ禍の今年(2021年)、修二会は大きな危機に立たされた。疫病退散の願い。闇と炎の中、僧侶たちが全身全霊で祈りに没入する14日間を追った。

<「修二会」始まる>

奈良、東大寺。盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は、疫病退散の祈りも込めて、奈良時代の752年に開眼された。同じ年に始められたのが東大寺修二会だ。国宝・二月堂で毎年3月に行われてきた。

3月1日 午前1時。14日間に及ぶ儀式が始まる。堂内のすべてのあかりが消され、闇の中、火打ち石で新しい火がおこされた。聖なる火とされるこの炎から、灯明や松明(たいまつ)など、すべての火が点けられる。午後7時。巨大な松明が、二月堂の舞台に現れる。火の粉を浴びると無病息災になるという。松明に導かれ、僧侶がお堂の中に入っていく。

白い帳(とばり)の向こう側は、聖なる仏の空間“内陣”だ。中に入れるのは修二会に参加する僧侶のみ。取材班は1か月の隔離生活を送ることを条件に、撮影を特別に許可された。

壇の上に、丸い餅が積んであるのが見える。その奥に、黒い壁のようなものがある。仏を安置する“厨子(ずし)”だ。この中に、絶対の秘仏がまつられている。

二月堂の本尊は、奈良時代に作られた十一面観音菩薩像。その姿は誰も見たことがないため、この絵はいわば想像図だ。

僧侶たちは見えない秘仏の周りをめぐりながら、観音菩薩(ぼさつ)を讃える詩を、歌うように唱える。

「人々の苦悩を除かれる観音菩薩があまねく偉大な力を現わしておられる」「南無観自在菩薩(観音菩薩を祈り敬います)」

願うのは人々の安らかな暮らし。その祈りは修二会が始まった時から全く変わっていない。

奈良時代、修二会が始まるおよそ15年前、天然痘が日本を襲った。流行は九州から始まり、平城京にもまん延。貴族から庶民まで次々に命を奪った。この疫病で人口のおよそ3割が犠牲になったと推定されている。

1989年、平城宮の近くで発掘された大量の皿。なぜか そのほとんどに黒いすすがついていた。

奈良文化財研究所 考古第二研究室 室長 神野恵さん

「これは、黒いすすのついた灯明皿(とうみょうざら)です。千に近い数の灯明皿が出ています。疫病が二度と起こらないようにと、祈ったものではないかと考えています」

千枚の皿に火をともして疫病を追い払う。こうした炎の儀式が原型のひとつになって、東大寺修二会が始まったと考えられている。

3月2日午前1時。秘密の作法を司る咒師(しゅし)が、「宝殿に来て 威力を証明したまえ ここに 来臨を請う」と唱え、内陣に四天王を招く。

咒師が招いた四天王は、東西南北の四方を守る神々だ。強い武力で、疫病をもたらす鬼神の侵入を防ぐという。

午前2時。長い初日が終わった。

<修二会 懺悔(さんげ)の苦行>

修二会に参加する僧侶たちは、会期中、二月堂のすぐ近くで合宿生活を送る。正午、厳密な作法のもと昼食をとり、以後、深夜に行を終えるまで食事はせず水さえもとることができない。

修二会に参加する11人の僧侶は、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる。練行衆は東大寺とその宗派の寺の僧侶から選ばれる。2021年、一番上の和上(わじょう)を務めるのは、東大寺の最高位である別当、狹川普文さん。下の7人は平衆(ひらしゅ)と呼ばれる。その中でも一番下の処世界(しょせかい)、望月大仙さんは鎌倉にある寺から参加した。

処世界は、内陣で掃除や法要の準備をするため、他の練行衆より早く二月堂に登る。

練行衆 処世界 望月大仙さん

「1日も早く(新型コロナ禍が)なんとかなってほしいという気持ちで、観音様にお願いするしかない。必死に祈ることが、結果として良い果報をもたらしてくれると信じてやるしかない」

修二会、5日目。数取懺悔(かずとりさんげ)という行が行われた。懺悔(さんげ)とは仏教用語で、仏に自らの罪を告白し、許しを請うこと。観音菩薩に対し、懺悔を三千回繰り返す。

練行衆 大導師 橋村公英さん

「何か起こった時に、その原因は何かわからないけれども、人間がいろんなことをした結果で起こっているとしたら、それを懺悔しましょうと。平たく言えば、観音様すいません。申し訳ありませんでした。ということを通してコロナウイルスに限らずいろんなことが解消されることを願う」

さらなる懺悔の苦行がある。毎日6回行われる五体投地(ごたいとうち)だ。五体投地とは全身を投げ出して仏を拝むこと。東大寺では板に自らの体を打ちつけ、観音菩薩に祈る。

練行衆 処世界 望月大仙さん

「観音様のことだけを考えて打つ。振動は脳天まで伝わるような感じで、全身がしびれる。呼吸も苦しくなる。自分自身の至らなさを悔い、必死に懺悔をする。そして世の中のいろいろな災禍も合わせて今悔いますと。念じて感じて思って、打って、しびれて、段々と意識がもうろうとしてくることもある」

とりわけ大きな音を響かせるのは練行衆の中堅、筒井英賢さん。全体重を片方の膝とすねに乗せて体を落とす。

練行衆 南座衆之一 筒井英賢さん

「懺悔する。しかも自分たちだけではなく、他の人たちの分も懺悔する。それによって、ひとつでも罪が少なくなればということで五体を打たせていただいている」

二番目に若い清水公仁さんは、軸足を払い一瞬宙を舞う。

練行衆 権処世界 清水公仁さん

「私がワクチンを開発する技術を持っていれば、精一杯取り組む。しかし、私は僧侶。修二会に籠もらせていただく身であることから、奈良時代と同じようなお祈りをすることで、きっと仏様は聞き入れてくださるのではないか」

<新型コロナで存続の危機に>

1270年間途絶えることなく続いてきた修二会。しかし世界を襲ったウイルスによって、断絶の危機に直面した。2020年9月、コロナ第2波が収まりかけた頃、修二会をどのように行うか検討が始まった。感染症対策の専門家、笠原敬さんが感染リスクを調査するため、二月堂を訪れた。

奈良県立医科大学附属病院 感染症センター センター長 笠原敬さん

「素材は木が多い。アルコールで消毒するとか、手をきれいにするアルコールをいろんな所に置くとかが難しい。そもそも火を使います。アルコールと火と木は、最悪の組み合わせです」

笠原さんが特にリスクが高いと感じたのは、参籠(さんろう)、つまり合宿生活することだった。練行衆は、修二会の間、室町時代の参籠宿所で寝起きを共にする。「もし一人でも陽性の人が出たら、練行衆全員が濃厚接触者になる」と笠原さんは説明した。和上の狹川普文さんは、「練行衆の中から陽性が出たら、もう修二会はそこで終わりだ」と覚悟した。

和上(東大寺第223世別当) 狹川普文さん

「中止したくない、延期はしたくないというのが、長老から若い者に至るまで全員の決意。そのために、どういう方策があるかという指導をたまわって、実行させていただいた」

練行衆11人は合宿生活が始まるまでの2週間、事前に隔離されることが決まった。しかし、修二会に参籠するのは練行衆だけではない。練行衆の補佐役である童子(どうじ)や食事の世話役など、28人も一緒に合宿する。こうした人にも隔離生活をしてもらわなければならない。

修二会本番まで1か月半、関係者に対して開かれた説明会で不安の声が上がった。

童子「奥さん子どもほったらかして、自分はホテルで隔離してもらって『お水取り行きます』とは言えない。今説明を聞いている限りでは、今年は辞退させていただかなければならない」

東大寺の庶務執事、森本公穣さんは参加者に訴えた。

東大寺 庶務執事 森本公穣さん

「正直時間がありません。本当に難しいんですよ。でもなんとかそれをやって1270回乗り越えないとしゃあないなという状況になっています」

結局、参籠するすべての人が説得に応じ、練行衆と合わせ39人が一人も欠けることなく、ともに参籠することになった。

平安時代から代々の練行衆が書き継いできた日記がある。修二会は長い歴史の中で、度々危機に襲われた。1181年、東大寺は平家の焼き打ちにあい、大仏が焼け落ちた。一度は修二会の中断が決まった。この時の日記が残っている。

「決してやめてはならない行が断絶しようとしている。そうなったら後悔はいかばかりか」

僧侶たちは反対を押し切り、修二会を続けた。

戦国時代、合戦に巻き込まれ再び大仏が焼け落ちた。その時も決してやめてはならないという言葉で練行衆は奮起した。

昭和20年、大阪大空襲に向かうB29が上空を飛ぶ夜も、二月堂の扉を固く閉じて修二会は行われた。

<現実世界から仏の世界へ 走りと小観音>

修二会7日目の夜。練行衆は現実世界から、仏の世界へと旅する。東大寺だけに伝えられている“走り”の行だ。帳が巻き上げられ、灯明の炎で輝く内陣が姿を現す。それは光り輝く浄土の姿だという。観音菩薩の周りを練行衆が足音を忍ばせて走って回る。

伝説がある。修二会はもともと天上界で行われていた行だったという。それを地上にもたらそうとした僧侶を「天上界の1日は地上の400年に当たります」と言って天人が止めた。僧侶は「ならば走って行いましょう」と言ったという。

内陣を走る練行衆は一人ずつ減る。最後まで走るのは一番若い望月さん。仏の周りを50周も回り続ける。

練行衆 処世界 望月大仙さん

「光と闇が混在する空間。光と闇が明滅するかのようにどんどん目の前に入れ代わり立ち代わり現れてくる。本当に幻想的な風景。仏の世界と現実世界があいまいになりやすい場所。走ることによって、自分自身も高揚し、自分自身もあいまいになっていくような感覚がある」

<シルクロードのタイムカプセル>

炎と闇の合間に、伝説と現実、奈良時代と今が混ざりあう。数々の秘儀に彩られた東大寺修二会。いったいそのルーツはどこにあるのか。

中国甘粛省(かんしゅくしょう)、シルクロードのオアシスにある敦煌莫高窟(ばっこうくつ)。

石窟の中に作られた寺院では、中央の本尊の周りをめぐって拝めるようになっていた。二月堂の内陣と同じ構造だ。1900年、莫高窟から膨大な数の文献が見つかった。多くは修二会が始まった唐の時代(618~907年)に書かれたものだった。この中に莫高窟で行われていた「炎の儀式」を記したものがあった。

そこには、「炎を千の樹のようにともし、銀の盤にお供えをのせて、仏に献じた」と書かれていた。儀式は疫病退散の願いを込めて行われていたという。唐の時代にシルクロードで行われていた炎の儀式が、遣唐使船によって日本に伝えられていたのだ。しかし今の中国や中央アジアには、こうした儀式は残っていない。

広島大学敦煌学プロジェクト研究センター センター長 荒見泰史さん

「中国では時代とともに信仰も変わり、儀礼の仕方も少しずつ変わっていく。お水取りでは唐代以来のしきたりを、そのまま変更されないように意識されて伝えられている。千数百年を超えて伝えられているというのは、ひとつの奇跡だと思う」

練行衆 和上 狹川普文さん

「文化財を守っていくのも大事ですけども、形にならないものを伝えていくのは、さらにエネルギーが必要になります。形に残らないものは、生きた人間が『はいお願いします』というふうに渡す。しかし渡すときに、減っていてはいけません」

シルクロードのタイムカプセル、修二会。それは1270年間の練行衆のたえまない努力がなしえた奇跡なのだ。

<精神と肉体の限界を超えて>

修二会9日目。恐れていた事態が起きた。感染症対策の専門家、笠原敬さんは東大寺から「練行衆とともに参籠する一人が、熱を出した」という連絡を受けた。

笠原さんと連絡を取り合ったのは、帳をまきあげる役を担う堂童子(どうどうじ)の稲垣さん。

稲垣さん「39度、38度8分だったかな、出ていると聞いた。のども痛いということで。結果は陰性だったので、その時は本当にホッとしました。ああ、良かったなと」

心身の限界に挑む行が始まって、10日が過ぎた。練行衆の中に、五体投地のさなかに起きたけがで一部の行に参加できない人がでた。大きな音で五体投地をしていた筒井さんだ。

練行衆 南座衆之一 筒井英賢さん「五体を打って、ああ、いい音だなと思った瞬間に、すごく痛みが走って。立ち上がることができない。ああ、これはちょっとまずいやり方をしたなと」

じん帯損傷の可能性が高いと診断され、正座や激しい動きをともなう行にドクターストップがかけられた。

筒井さん「これだけ腫れているなら、やはり水がたまっているのではないかなということで、抜いていただいたら、すべて血でした。けがをして、逆に、今年は絶対にやりたい、満行をしたい。でも、このけがで満行をするということは、すごく周りに迷惑をかけてしまう。五体が打てない。走ることもできないとなると、その代わりを誰かにしていただかないといけない」

筒井さんがするはずだった五体投地は、東大寺でともに生まれ育った幼馴染の平岡さんが代わりに行なった。

練行衆 南座衆之二 平岡慎紹さん

「13日だけ、1日6回中4回、五体を打つというハードスケジュールになってしまった。さすがにちょっと足痛いなと思いました。これはこれで観音様が『頑張れ』と言ってるのかなと思いながらやってました。僕がよく修二会で好きで使う言葉で『一蓮托生(いちれんたくしょう)』という言葉がある。11人選ばれた段階から、みんな運命共同体。誰かがけがしたら誰かが補佐をするっていうのは当然なこと」

<クライマックスを迎える儀式>

修二会14日間のクライマックス、3月12日。特別大きな松明が上がる。この夜は風が吹き荒れ、炎が舞う嵐となった。

練行衆 中灯 北河原公慈さん

「あの日は、もしかしたら何か不可思議なことが起きているのかもなということは強く感じました」

午前2時、”水取り”の儀式が行われる。すべての病を癒やす水が、儀式に合わせて湧き出すという。その水を井戸に汲みに行く。この儀式が「お水取り」という通称の由来となっている。咒師と堂童子の二人だけが、井戸を覆う建物の中に入る。その中で見たことは、決して他言してはならないという。

病を癒やす聖なる水が、二月堂にもたらされた。

修二会の中で最も謎に包まれた儀式が始まる。 “達陀(だったん)”だ。まず現れたのは聖なる水をもつ水の神。病を癒やす水を撒いた。続いて火の神。火の粉で世界を浄化する。

国宝建築のただなかで、40キロもある巨大な松明に火がつけられる。

聖なる炎を抱えた火の神と、神秘の水を手にした水の神が向かい合い、跳躍する。強烈な炎が、災いを起こす邪悪な力を焼き尽くす。

<満行結願>

3月14日。ついに修二会は最終日を迎えた。観音菩薩への最後の呼びかけは、別れを惜しむかのように、しんみりと「南無観、南無観」と唱える。

午前4時半、満行。14日間の行のすべてが終わった。練行衆11人は災いを払うお札を入れた箱を掲げ、二月堂から下りた。

練行衆 咒師 上司永照さん

「我々のやっている24時間、1秒たりとも、ふさわしくないようなことはなかったのか、やっぱり問うていきますわね、どうしても。満行おめでとうございますと言われても、良かったのかなあという思いは、いつもの年にも増して、今年は厳しくあります」

コロナ禍で行われた1270回目の修二会。僧侶たちは、この行が始まった奈良時代の僧侶と同じ祈りを分かち合った。

練行衆 和上 狹川普文さん

「毎回ゼロとして、毎回リセットして752年の始まったときのように思って行法に接するべきだという決意を、コロナのおかげで自覚させてもろうたというとこはあります。始めるたびに今日は初めての年なんだ、今年は1270回だったけれども、1回目の752年だったんだという意識を持たないとあかんのちゃうかなと」

「お水取りが終わると春が来る」その言葉通り、境内の桜は満開になった。