農民工 故郷に帰る 〜埋まらぬ都市と農村の格差〜

NHK
2021年12月14日 午後4:31 公開

(2021年12月11日の放送内容を基にしています)

夜ふけわたる中国内陸部の農村。

農家の夫婦が頭を悩ませていた。

妻「兄からは136万円、友達からは90万円」

夫「借りられるところはもうない」

農業だけでは暮らしが成り立たず、親戚や友人から借金を重ねていた。

疲弊する中国の農村。GDP世界第2位となった今も、発展から取り残されたままだ。

中国にとっての新世紀が始まろうとしている。

創立から100年を迎えた中国共産党。毛沢東は農村の解放と平等社会の実現という理想を掲げ、建国した。その後、豊かさへの飽くなき欲望が劇的なまでの繁栄を実現させた。

軋轢や矛盾を抱えながら、類をみない大国となった中国は、次の100年、どこへ向かうのか。

急速な経済成長を遂げ、豊かさを謳歌する中国の都市。

その一方で衰退に歯止めがかからない農村。埋まらない格差は、中国共産党にとって最大の課題のひとつだ。貧しさから抜け出すため、都会へ出稼ぎにやってきた「農民工」と呼ばれる人々。1億5千万人が中国の経済成長を下支えしてきた。

その農民工たちが、いま、故郷に戻り、農業などに取り組み始めている。背景にあるのが共産党の政策。農民工などに、農村活性化の役割を担うよう呼びかけている。

習近平国家主席「今こそ農村の振興に皆さんの力が必要です」

しかし、彼らが直面しているのは、荒廃しきった農村の厳しい現実。

貧しい農村の解放を謳い、革命を成し遂げた中国共産党。その原点が、大きく矛盾で揺らいでいる。

中国新世紀、第4回。ある農民工一家の姿から、中国社会の理想と現実を見つめる。

<故郷に帰る農民工たち>

2021年7月、共産党創立100年の祝賀式典。党の成果として習近平国家主席が最初に挙げたのは、貧困問題の解消だった。

習近平国家主席「歴史的な絶対的貧困問題を解決し、いま意気軒昂として近代的社会主義強国の全面完成という第2の100年の奮闘目標に向けてまい進している」

食べるものにも困る絶対的貧困の人口は、ゼロになったとされている。しかし、毎月の収入が1万8000円に満たない人口は、いまだ6億人。その多くが農村の人々だ。

そこで共産党が打ち出したのが「郷村振興(ごうそんしんこう)」というスローガン。

農村の発展のために、農業や商売を始める人々に対して補助金を出したり、無利子の融資を行ったりして、所得向上を目指している。

内陸部、内モンゴル自治区では、発展から取り残された村を多く抱えている。東部に位置する紅石砬村(こうせきらそん)では、30世帯が農業を営み、細々と暮らしている。

この村で畜産業を営む張建平(ちょう・けんぺい)45歳。長年、農民工として出稼ぎを続けてきたが、2年前、村に戻った。

育てているのは20頭の牛。肉牛の需要が高まるなか、大きく育てて売れば、故郷の新たな産業になると考えた。元手にしたのは、出稼ぎで貯めた金や、政府による無利子の融資あわせて350万円。村人1人も手伝いとして雇った。張のように農村に移り、農業や商売を始めた人は、中国全土で去年1000万人に上るとされている。

この日、張が訪れたのは、耕作放棄地になっていた畑。この土地を借りて、牛のエサとなる牧草を育てたいと、高齢で働けなくなった村人に持ちかけた。

張「畑は広ければ広いほどいいです。牧草を買わなくて済みます。牧場の規模を大きくして、村に雇用を生み出したい」

これまで小規模農家が多く、利益が上がりにくい構造だった中国の農業。張は少しずつ牧場の規模を大きくしたいと考えていた。

手書きに拇印の契約書。3ヘクタールの農地を年間5万円ほどで借りることにした。

張「今は規模が小さくて牛の数が少ない。牛の数をもっと増やし、規模を拡大しようと考えている」

土地の所有者「お前がうまくいって儲かれば、おこぼれにあずかれるな」

この村で生まれ育った張。14年前の冬、都会に出稼ぎに出なければならない事情を抱えていた。

2007年当時、世界の工場として、急成長を遂げていた中国。しかし農村は貧しさに喘いでいた。31歳だった張は、一人息子・新雨(しんう)のことで、頭を悩ませていた。

新雨は機械に腕を挟まれ、複雑骨折。村には治療費を稼げるような仕事はなく、新雨の世話は両親に頼み、妻と2人、故郷を後にした。このとき張が向かったのは、沿海部の大都市・天津。都会の繁栄がまぶしく映った。

張「1、2、3、4…32階だ。住めるわけない」

2008年の北京オリンピックを前にした開発ラッシュ。各地から集まった農民工200万人が仕事を奪い合っていた。夫婦は日々、焦りを募らせていた。

妻「もっと頑張って仕事を探してよ」

張「探してるよ。探していないと言うのか」

張「働いてないってブツブツ言うなよ。探しているけど、人余りなんだよ」

妻「働いてくれれば文句は言わない」

張「うるさい!またこれだ」

妻「出稼ぎに来ないとお金がない。出稼ぎに来ればケンカばかり・・・」

それから14年間、いいときでも月10万円ほどの給料で、家族のために過酷な労働を続けた。

張「石炭運び、汽車の荷おろし、道路工事、土木工事、何でもやりました。出稼ぎはもうしたくありません」

故郷へ戻った張。ささやかながら、落ち着いた暮らしを手に入れていた。貯めていた150万円で建てた新しい家。

ケンカが絶えなかった妻とは別れ、再婚した妻との間に次男が生まれた。両親にはシャワーをプレゼント。父親の長祥(ちょうしょう)は80年近い人生で初めてシャワーを浴びた。

父・長祥「使ったことがないので、まだ慣れません。よい時代になりました。幸せです」

長男の新雨(しんう)には、腕の治療を受けさせられた。その後、何とか都市部の大学にも進学させることができた。

張「俺みたいにならないよう、立派になってほしい。息子には安定した仕事に就いて、ゆとりある生活を送ってほしい。それが何よりの願いです」

張の長男・新雨が大学生活を送るフフホトは、人口350万、内モンゴル自治区の中心都市として成長著しい。

新雨「農村にはこんな光景はありません。飲食店もたくさんあります。都会はいいところだと思います」

大学の専攻は、建築のコスト管理。アルバイトをする余裕もなく勉強に励む。都会の建設会社に就職したいと考えている。

2007年、当時7歳の新雨は授業で将来の夢を語っていた。

新雨「僕の夢は大学を出て、たくさん稼いでパパとママに苦労させないことです。車を買って、出稼ぎ先に行って、旧正月を両親と過ごしたいです」

今の新雨の夢。それは大都会で暮らし、父親には手が届かなかった高層マンションを建設する側になることだ。

新雨「もっと豊かになりたい。そして幸せな家庭を持ちたい。都会に暮らし、定住したい」

一方、帰郷した張が直面したのは、14年前よりも、さらに過疎化が進む故郷の現実だった。かつて80世帯いた住民は半減。残っているのは高齢者ばかりだ。どの家も働き手の不足に困っていた。かつていた、たった一人の医者も、村から出て行ってしまった。

いまも村の高齢者の拠り所になっているのは、建国の父・毛沢東。貧しい農村の解放を掲げ革命を成し遂げた。

共産党員の男性は、熱弁を振るう。

党員の老人「毛主席が武装兵力によって政権を奪取した。軍事戦略は諸葛孔明よりすごい」

革命の余韻、いまださめやらない。

♪インターナショナル、必ず実現できる。これは最後の戦いだ。明日に向かって団結せよ♪

「インターナショナル」。共産主義革命を志した世界の若者が、かつて熱唱した歌だ。農村に生きる人々の多くが、今も、革命の理想を信じている。

<格差解消できずにきた中国共産党>

毛沢東が掲げた平等という理想。しかし、共産党は、深刻な格差の問題を解決できずにきました。

農民「お前(地主)は俺たち貧乏人の肉を食って、俺たち貧乏人の血を飲みやがって」

建国前から共産党が推し進めた「土地改革」。地主の土地や財産を貧しい農民に分け与え、農村での支持を確固たるものとしました。

しかし、朝鮮戦争でアメリカと対峙し、急速な国力増強の必要性を痛感。工業重視へと一気に舵を切ることになります。

当時のソビエトを参考に「計画経済」を導入。農地も個人所有から集団所有へと改め、農村から吸い上げた資本を、工業を担う大都市へ集中投下したのです。

30年にわたって、中国の農村を研究する同志社大学・厳善平(げん・ぜんへい)教授です。

植民地からの搾取によって、工業化を進めた列強諸国と異なり、中国では農村が成長の土台にされたと指摘します。

同志社大学・厳善平教授「農業から工業へ、農村から都市へ、いかに資本を調達するか。そういったなかで、農民たちは国家工業化のために働いて、農産物を拠出し、一方で自分たちが非常に低い生活を余儀なくされる」

70年代以降、「改革開放」が始まると、都市と農村の格差はさらに拡大していきます。市場経済の導入で、急速な発展を遂げた沿海部の都市。農村からの出稼ぎ農民工は、安い労働力として使われました。

その間、農村は人手の流出が止まらず荒廃。共産党は2000年代から、農業税の廃止など農家の負担軽減に乗り出しますが、抜本的な解決には至っていません。

そしていま。共産党にとって、都市に残る農民工への対応も悩みのタネとなっています。

北京の近郊では、行政が火災対策を進めるとして、農民工に立ち退きを命令。それに反対する抗議デモが起きました。

開発ラッシュが下火になるなか、居場所を失った一部の農民工が、社会の不安定要因になりかねないのです。

厳善平教授「都市の中の格差も大きいし、そういう階層社会があって、その階層間の固定化も最近問題視されている。都市・農村間格差、そして階層間格差、その文脈で都市・農村格差を縮めていく必要が、やはりあるんだというふうに思われます」

<進まぬ「郷村振興」>

共産党が推し進める郷村振興。しかし、現実は理想通りに進んでいない。

出稼ぎから戻ってきた張建平も、問題に直面していた。牛のエサとして育てていたトウモロコシが、洪水で壊滅。村人から牧草を分けてもらっているが足りない。

張「これで数日分です。一見多いようですけど、実際には大した量ではありません」

子牛が育つまで収入はほとんどない、と覚悟していたものの、エサや農場の整備に想定以上に金がかかり、借金が500万円にまで膨らんでいた。

この日、手伝いの男性が給料の支払いを求めてきた。妻がガンになり、治療のために金が必要だという。しかし、張のもとには、長男の新雨から学費を催促するメールが届いていた。給料を用意できず、手伝いの男性は仕事をやめてしまった。

張「当然焦っていますが、時間をかけて稼ぐしかありません。困難はありますが、一歩ずつ進んでいきます」

焦る張建平に78歳の父・長祥が声をかけた。長祥は、小作人として黙々と働く父の背中を見て育ち、大飢饉など中国の苦難の歴史を経験してきた。

長祥「お前の祖父の代からもう百年になる。当時はずっと地主の家で肉体労働をしてきた。あの頃は貧乏で何もなかったが、今は昔と比べれば、だいぶマシになったものだ」

ある晩、張建平の家を親戚が訪ねてきた。張延軍(ちょう・えんぐん)46歳。彼も3年前に出稼ぎから戻り、農業を始めた。言いづらそうに話を切り出した。

延軍「ジャガイモを収穫するために金がかかる。50万円ほど貸してもらえませんか?助けてください。近所の人からも借り尽くして、もう借りるあてがない」

収穫の時期が迫っているが、手伝いを雇う金もないと言う。

張「俺も金がない。牛のために金がいる。ネット金融で借金もしている。見てみろ。2日前に3万5000円、この日は4万円・・・」

2人とも、それ以上、言葉が出なかった。

30年にわたって出稼ぎ生活をしていた張延軍。共産党が打ち出す郷村振興の理想に共鳴して、妻と共にUターンを決意した。70ヘクタールの土地を借りて、穀物やジャガイモなどを育てている。長年の出稼ぎで、農業の経験を積めなかった2人。見通しの甘さが次々と露呈していた。

延軍「このジャガイモは廃棄する」

妻・美玲「どうして」

延軍「緑色になっている」

美玲「緑色になると食べられないの?」

延軍「食べられない。市場で緑色のジャガイモを見たら買わないだろ」

この夏の大雨で土が流され、日にあたったジャガイモが変色していた。健康食ブームをあてにして植えたアワの畑でも、問題が起きていた。除草剤がきかず、アワの畑に売り物にならないキビや雑草が大量に茂っていた。

長年、出稼ぎに依存してきた農村。農業の担い手が育たない深刻な問題が生まれていた。

美玲「私たちは畑仕事を全く分からなかったし、教えてくれる人もいませんでした。たしかに国の政策はいいです。しかし、私たちは理想を美化し過ぎました。現実が追いついていません」

夫婦には大きな誤算があった。大規模農家に対して国から数百万円の補助金が出ると聞き、それをあてに、親戚や友人から金を借りた。しかし、補助金の窓口である地方政府からは、畑が隣村にまたがっているという理由で支払いを拒否された。

延軍「先日、村の上層部に全部説明して、『国の政策に基づいて支払ってくれ』とお願いしたが、ダメだと言われた」

美玲「たばこをやめて、いらいらする。たばこにも金がかかるでしょ。まったく・・・」

延軍「俺を追いつめても金は出てこない」

美玲「それなら借金をしてきて」

延軍「借りられるところはもうない。どこで借りろって言うんだ?銀行やネットでも借りた。近所の人や親戚にも借りた」

美玲「じゃあどうするの?」

延軍「俺も方法を考えている」

美玲「今の言葉を聞いて、考えているとは思えない」

延軍「俺にはもう打つ手がない」

インターネット上にあふれる農家の苦境を聞き、自分を慰める。

ネットの動画音声「ここはわが村の貧困対策のために作られた養鶏場です。しかし、今は休業状態です。コネ・人脈を持っている人以外は、補助金をもらうことは至難の業です。なぜならこの社会は『コネ社会』だからです」

延軍「まったく同感です。Uターン農業はみんな大変なようです。課題山積ですね。あちこちでうまくいっていない」

村の行政にも、Uターン農家を支えきれない事情があった。

この日、張建平のもとにやってきたのは、この地域の共産党支部の責任者である、書記だった。書記はこれまで、Uターンした農民工を支援するため、無利子の融資の紹介など、できることはやってきた。しかし、国からの補助金は他の地域との奪い合い。小さな村の書記には、補助金を多くの村人に行き渡らせる力はないと言う。

村の共産党書記「支援ができないのに役所に来られても何もできません。自分の力でやってもらうしかありません」

<夢を持てない若者たち>

息子の新雨が、大学の休みを利用して半年ぶりに帰省した。

張「どれくらい乗った?」

新雨「20時間以上。白髪が増えたね」

張「悩み事があるからな」

治療の跡が残る右腕は、今も重いものを持ったり、激しく動かすことはできない。それでも苦労する父親を助けたいと、手伝いを買って出た。

張「勉強頑張って、いい仕事を見つけろ。その腕では農業は無理だ。お前が帰ってくるのを期待していたけど、きつくて無理だろ」

新雨「無理だ」

体力が必要な仕事はできない新雨。仕事は限られている。

新雨「先輩の中には卒業後、仕事が見つからなかった人もいます。機械工学専攻の卒業生が配達員になったり。そういうのを見ると、ますます焦ります。自分に向いている仕事を見つけられるのか」

厳しい環境で育った農村出身の若者たち。共産党の政策が、その境遇から抜け出すことを難しくしてきました。

共産党は都市への急激な人口流入防ぐために、都市と農村で戸籍を厳格に区別。そのため農村出身者は、出稼ぎで都市に住んでも、年金や医療などの社会保障を十分受けられませんでした。近年、戸籍制度の改革が進んでいますが、今も生活水準の高い大都市で戸籍を取得するには、専門性の高い職業に就くなど、狭き門を通る必要があります。

しかし、待ち受けているのは、厳しい就職戦争。大卒相当の学歴を持つ人は、10年で倍近くに増えた一方で、多くの若者が希望するホワイトカラーの仕事は限られているのです。

こうしたなか、若者の間に広がっているのが、競争から降りて、最低限の生活で満足する「寝そべり族」という生き方。共産党は社会の発展を阻害するとして問題視しています。

さらに若者たちは、将来、大きな負担を抱えることにもなります。一人っ子政策の反動で急速に進む少子高齢化。2000年代まで高齢者の割合は10%以下、莫大な数の生産年齢人口が、「人口ボーナス」として、成長を支えてきました。

しかし、高齢者の割合は急増し始めています。2050年にはおよそ30%となり、医療、年金などの社会保障が、重い負担となる「人口オーナス(負担)」の社会へ。

とりわけ農村では、医療や介護など公共サービスが不足しているため、深刻な問題です。

共産党が進める郷村振興は、そうした社会保障の問題を解決するためにも、急務となっているのです。

この日、新雨は、高校時代を過ごした街に出かけた。農村出身の同級生たちと久しぶりの再会だった。多くが新雨と同様、大学生だ。

同級生「一日も早く、ファーウェイみたいに成功できるよう乾杯しよう」

同じような境遇で育ってきた仲間たち。将来への不安を語り始めた。

同級生「かなり大変だ。いつか両親は年をとる。自分の給料で親と子どもを養わなければならない。そんなの無理だよ」

同級生「勉強をしながら、家族のことまで考えると、負担もプレッシャーもとても大きい。自分のために生きていないような気がする」

投げやりに語る同級生もいた。

同級生「今が楽しければ、それでいい。休みになったら家で寝そべるだけ。毎日、スマホやパソコンを見て、ゲームで遊ぶ」

ずっと仲間の話に耳を傾けていた新雨も口を開いた。

新雨「いつか国や社会のために貢献できる人になりたいと思っていました。しかし、自分にはそんな実力がないと分かってきました。せめて安定した職につくことが希望です」

仲間たちが歌い始めた。若者の間でヒットした「平凡な道」という曲だ。

♪僕はかつて何もうまくいかず 全て投げ出していた 僕は無限の闇に墜ちて もがいても抜け出せなかった 僕はみんなと同じように 野原の草花でしかなかった 絶望のまま 渇望のまま 泣くも笑うもただ平凡でいる♪

これからの中国を背負う若者たち。いまを生きることに精一杯だった。

「理想はいっぱい、現実は空っぽ。がんばろう!」

新雨が村を離れる日。

張「学費はいくら必要なんだ?」

新雨「3万6000円だけど」

張「とりあえず1万8000円だ。残りはまた今度にしてくれ」

張は手元に残っていた金を学費としてすべて渡した。

祖母「7000円あげる」

新雨「おばあちゃん、自分のためにとっておいてください」

祖母「持って行ってちょうだい」

新雨「自分のために使ってください」

祖父・長祥「持って行け」

祖母「持って行きなさい。交通費も食費もかかるでしょ」

祖母は2か月分の年金を手渡した。

<賭けに出た張建平>

帰郷してすでに2年。張建平は、賭けに出ようとしていた。

この日、訪れたのは、子牛の販売業者。

張「大きな牛4頭、子牛を6頭買いたい」

新たに300万円を借りて、牛の数をさらに増やす。大きなリスクを背負うが、うまくいけば一気に借金を返済できる。

販売業者「小さな牛は34万円でどう?」

張「33万円」

販売業者「無理だ」

張「1万円の違いだろ」

販売業者「あの牛を他の人にいくらで売っていると思う?36万円だぞ」

必死の交渉が続く。

張「どうか負けてくださいよ。また買うから」

販売業者「お前も俺もまじめな人間だから、大きな牛はその値段でいい。子牛は・・・」

張「兄さん、いいだろう。今度俺のところに来たら、ご馳走しますよ」

家族の将来がかかった大切な牛。トラックに乗せ、12時間かけて村へ帰った。

<「理想」の実現を待ち続ける人々>

10月1日、国慶節。72回目の建国記念日を迎えた。

格差という課題を抱えたまま、急速な発展を遂げた中国。いま、政治・経済あらゆる分野で、世界のトップに立つことを目指している。

フフホトで国慶節を迎えた張建平の長男・新雨。深刻な表情で、あるニュースを見ていた。不動産開発の巨大企業、恒大(こうだい)グループの経営危機だ。

新雨「恒大だけでなく、不動産業界全体が将来どうなるか分かりません。建築関係を専攻している自分の未来がどんな影響を受けるのか、心配です」

きらびやかに掲げられる国家の夢。一方で、新雨は自らの夢の行方を、まだ見通せずにいる。

紅石砬村では、張建平を父親の長祥が黙々と支えていた。

張「もう80歳近いのに申し訳ない。助かっています」

長祥「これからお前も、俺みたいにここで年をとる。『落ち葉は根に帰る』ということだ。俺たちは苦労することだけは得意だからね。苦労に耐えなければ、生活はよくならないのだよ」

冬に備えて牛舎を整備する張。最低気温はマイナス20度、草木も凍る。

張「もうじき冬です、とても寒いよ。でも冬が来れば、春も近くなる」

中国共産党が掲げた平等という革命の理想。

その実現を待ちわびながら、今日も人々は、広大な大地と向き合い続けている。