番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2022年3月26日の放送内容を基にしています)
シリーズ「新・映像詩 里山」。自然の猛威と向き合いながら豊かな恵みの世界を生み出してきた、日本の里山を見つめます。今回の舞台は熊本県・阿蘇地方。人と牛がともに生きる、日本最大級の草原が広がっています。でも、ここは荒ぶる活火山が支配する火の国。人々を噴火の脅威にさらし、やっかいな火山灰を降り積もらせます。阿蘇は、大噴火でできたくぼ地「カルデラ」の底に5万人ほどが暮らす、世界でも珍しい場所です。火山灰が覆う不毛の大地を手なずけるには、特別な力が必要でした。それは、火の力。火山の猛威に、火で立ち向かったのです。遠く縄文時代から、こつこつと豊かな土を積み重ねてきました。人が守り育てる恵みの草原では、多様な生き物が暮らし、輝く命の輪が回り続けています。そして、荒ぶる自然を恵みに変える知恵が、脈々と受け継がれてきました。火山とともに悠久のときを歩んできた阿蘇の里山、命の物語です。
3月。カルデラの底に、春が来ました。阿蘇では昔から、牛や馬を育てることが重要な生業(なりわい)です。今でも600軒以上の農家が牛を育てています。
ここで代々続く農家の一人、坂梨哲朗さんが育てているのは、ほとんどがメスの牛です。子牛を産ませ、それを売って、生計を立てています。
坂梨哲朗さん「小さい頃からずっと山に行ったり、牛の世話をしたりしよった。草原を守っていって、牛や馬をそこに放牧するのが、一番魅力があるんじゃねえかと思います」
去年産まれた子牛は、まもなく坂梨さんの手元を離れます。市場に連れていく前、毛並みを美しく整えます。こうして売られる子牛は、阿蘇全体で年間5000頭近く。牛は、阿蘇の里山になくてはならない存在なのです。
人々が牛を大切にする理由は、火山とも深く関係しています。立ちこめる湯気。運ばれているのは、牛や馬のフンを発酵させた堆肥です。田起こしの前、田んぼにすきこみます。火山灰が積もってできた土地には、リン酸などの栄養が乏しく、作物がよく育ちません。人々は、作物に合った土にしようと、試行錯誤を続けてきました。
坂梨哲朗さん「火山灰だから、ここら辺は。土を肥やしてやる訳たいな。堆肥を入れて。土を作るちゅうことだけんね」
火山のふところで生きる阿蘇。その歴史は、豊かな土を求める営みそのものなのです。
カルデラを囲む斜面は、牛を養う草原として利用されてきました。3月。草原は一面、枯れ草に覆われています。そこへ、大勢の地元の人々が続々と・・・。1年で最も大事な1日が始まろうとしています。
野焼きです。起伏のある草原を縦横無尽に走る炎。一説には、1万年以上前の縄文時代から行われてきたといわれています。野焼きは、一歩間違うと火事になりかねない、危険な営みです。斜面の枯れ草だけを燃やすよう、地形や風向きを見極めます。毎年1万6,000haもの枯れ野が、焼かれます。
野焼きは、不毛の大地を恵みに変える「火の魔法」。全てが死に絶えたかに見える焼け野原に、その秘密が隠されています。草原を住みかにするカヤネズミです。土の中で火をやり過ごしたようです。野焼きの炎は地表を素早く走るため、命を根絶やしにすることはないのです。
それから10日ほど。いよいよ、火の魔法が威力を発揮します。
このかれんな花が、始まりの合図。
土の中の茎や種も、野焼きの炎を生き延びました。地表が焼かれて上が開けたため、多様な植物に芽吹きのチャンスが訪れるのです。その数、実に600種類。野焼きの灰は、土に戻って栄養となります。黒かった草原は、ひとつきもたたないうちに緑に染まります。植物に生命力の爆発を促す。これこそ火の魔法の力です。
さあ、準備は万端。草原が、牛を迎え入れます。
坂梨哲朗さん「野焼きが終わって、青々出たなら、春を感じる。広々とした所に入れられて、草があるけん。トラックで放牧場に連れていくと、ピンコシャンコ跳ねたりする。今までのストレスがたまったのが、バッと」
冬を過ごした狭い牛舎から、広々とした草原に放たれた牛。喜びを、全身で表現します。
放牧されるのは、みごもったメスの牛です。草原で自由に伸び伸びと過ごすことで、丈夫な子を育みます。さらに、野焼きをした草原ならではの恵みがあります。長い舌で巻き取るようにして、1日60kgもの草を食べる牛たち。野草は種類が多く、多様な栄養素を含むため、牛の健康によいといいます。
1日のほとんどを食事や消化に費やす牛。1日に3kmから6kmも草原を歩きまわります。体重は、およそ600kg。踏みしめた所は草が減り、平らになっていきます。何年も放牧を続けると、草原に不思議な模様が浮かび上がります。「牛道(うしみち)」です。長い時間をかけて刻まれた、牛と人の歴史です。
毎年、草原に牛が戻ってくるのを、待っている虫がいます。草原を飛び回り、あるものを探しています。虫の名はオオセンチコガネ。探していたのは、新鮮な牛のフンです。オオセンチコガネは、フンを食べる虫、フン虫の一種です。たくさん食べる牛は、出すものもたくさん。フンに含まれる栄養は、決して多くはありません。そのため、オオセンチコガネはたくさん食べなくてはなりません。草原が牛のフンだらけにならないのは、彼らのおかげです。素早く分解を進め、せっせと土作りをしてくれるのです。草原から牛へ、牛からフン虫へ。栄養が巡り、土が豊かになっていきます。
草原の一角に、火山と人の悠久の歴史があらわになった場所があります。褐色の土には、1万年以上前の火山灰が含まれます。その上の黒い部分が、草原の有機物をたくさん含む豊かな土です。調べると、1万年ほど前の層から、土の中に細かな炭が混ざってきます。人が野焼きをしていた証拠ではないかとも考えられています。人々は、不毛な火山灰の上に、こつこつと豊かな土を積み重ねてきたのです。
野焼きや放牧で豊かになるのは、土だけではありません。トノサマバッタは、開けた草原が大好き。牛道の周りが、お気に入りの食事場所です。
日本最小のネズミ、カヤネズミ。体重は、わずか7gほどです。草の上を動き回り、植物の種などを食べます。カヤネズミも、人が守り育てる草原で命をつないできました。
牛の周りをチョウが群れ飛んでいます。絶滅危惧種のオオルリシジミです。その幼虫は、放牧を行う草原に多い、1種類の草しか食べられません。人が野焼きや放牧を続けることで、かろうじて命をつないでいます。草原は、多くの生き物たちにとって、かけがえのない場所なのです。
梅雨。
阿蘇に、さらなる恵みがもたらされます。
阿蘇は日本有数の多雨地帯です。年間降水量は3,000mmにものぼります。草原は、雨を受け止めます。水は草原の表面にあふれ出し、このときだけの川が現れます。さらに、その水が集まる所には、幻の池が生まれます。草原は、膨大な水をいったん受け止め、時間をかけて土へとしみこませていきます。やがて、何事もなかったかのように池は消えてなくなり、地下水となって、大地の中をゆっくりと流れます。
その水を、カルデラのおわんのような地形が集めていきます。湧き水の数は、1,500か所以上。古くから、田畑を潤し、飲み水となり、人々の暮らしを支えてきました。民家の庭先にも恵みの水。水は一年中、使い放題です。「水箱(みずばこ)」と呼ばれる、この水場。上から下へ、水を無駄なく使い分ける工夫が詰まっています。
「この水神さんが大事だけんですね。もう全てがここで。農作業するにしても、この水で洗って。私たちの日常生活に欠かせないですね。この水は」
火山の力は、地下水をさらなる恵みへと変えています。
「蒸気の里」と呼ばれる阿蘇北部の小国町。「地獄」と呼ばれる、地熱で煮えたぎる地下水が湧いています。
熱い蒸気を家々に引き込み、生活に役立てています。
その蒸気を利用した「地獄蒸し」。10分もしないうちに、おいしく蒸しあがります。阿蘇は、火の国、水の国。荒ぶる自然は、恵みの源です。
夏の草原で、小さな“まり”のような不思議な塊を見つけました。中にいたのは、カヤネズミの赤ちゃん。母親が編み上げてくれた草の巣に守られています。母親は巣に帰ってくると、食べ物を吐き戻して赤ちゃんネズミに与えます。草に守られ、育まれ、草原でしか世代を重ねられないのです。
坂梨さんが、草原から青々とした草を刈ってきました。牛の消化によいよう、刻んでいきます。待っているのは、出産を間近に控え、里におろされた母牛です。さまざまな種類の草を与えることが、牛の健康にもつながるといいます。
お産が近づいてきました。何かあったら対応するため、坂梨さんがじっと見守ります。陣痛が来て、2時間以上。お産がなかなか進みません。たまらず、助けにはいります。
坂梨さんの牛舎で産まれた、この年4頭目の子牛です。
坂梨哲朗さん「楽しみはあるけど、えらい心配したっちゃな。今頃が一番かわいいかもしれん。大事っちゅうか、小さいときから我が家にできたのを育てるような、子供を育てるような感じ。家族みたいなもの」
お盆の頃、宝探しが始まります。
牛を飼う酒井さんの親子3世代です。豊かな草原を守ってきたご先祖様を花で迎えます。「盆花とり」と呼ばれる、阿蘇に古くから伝わる風習です。
「花を集めたりすると、宝物がそこにいっぱい隠れてて。次の世代に、代々、ずっとこの地域に残していきたい大事な風景だと思います」
集めた宝物を手に、お墓に皆が集うひととき。阿蘇で代々、野を焼き、草原を守ってきた人たちです。
坂梨さんも、息子とお墓参り。墓石は江戸時代からのご先祖様。一つ一つに花を供えます。草原を受け継いできてくれた感謝を込めて。
秋。牛たちは間もなく、里に戻ります。
秋深くなると、草は栄養を地中に落とします。その前に刈り取って、冬支度。草原の恵みが、冬の間、里の牛の糧になります。
里は実りの季節を迎えました。阿蘇の稲刈りは、一風変わっています。刈ったあとの稲わらは、そのまま地面に。これも、里におろした牛たちに食べさせます。里と草原の恵みが合わさり、全てが無駄なく回っていきます。
3月。
最も大事な日が、再び巡ってきました。坂梨さんにとって、50回目の野焼きです。
坂梨哲朗さん「大変ばってんが、自分たちの草原を守っていくことが大事で。あと、子供たちに残さにゃんけんな」
野焼きの現場に、子供たちが集まっていました。小学生の体験授業です。野焼きを通して草原を知り、先人たちの技を学びます。火山の猛威に、火の力で立ち向かってきた阿蘇の人々。その営みが受け継がれていきます。
「火の魔法」を受けて、次々命が爆発します。
こちらでも、土が、もぞり。トノサマバッタの赤ちゃんです。前の年の秋、土の中に産みつけられた卵が、野焼きの炎をやり過ごし、かえったのです。
草原の土が、またほんの少し厚みを増しました。はるか縄文の昔から、人が大地に働きかけ、繰り返してきた命のサイクル。1万年も続けてきたことが、阿蘇の一番大切な「魔法」。人と牛と生き物たちの命の輪が、また1年、緑の大草原に巡ります。