番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2023年6月10日の放送内容を基にしています)
誰にでも訪れる人生の夕暮れ時、吉田晋悟さんは、コロナ禍、施設で暮らす重度の認知症の妻と離ればなれで過ごすことを強いられました。
面会の制限が緩和されて迎えた結婚記念日。吉田さんは、妻が好きな花とケーキを用意しました。
晋悟さん「お母さん。多美子さん。結婚記念日おめでとう。今までありがとう。50年間ありがとう」
感染拡大を防ぐため、高齢者施設の面会が厳しく制限されたこの3年、吉田さんは、認知症の妻と会えない日々が続く中、妻の症状の進行を受け止められない苦しみや葛藤をフェイスブックに綴ってきました。それは、認知症になった家族がいる人々の間で静かな反響を呼んできました。
家族が認知症になったとき、周囲の人々は、大切な人が変わっていくのを、時間をかけて受け入れてきました。しかし、コロナは、家族にとって大切な受容の時間を奪いました。
失われた時をこえて生きる“認知症家族”の3年間の記録です。
<会えなくなって4ヶ月 不安と葛藤>
新型コロナが猛威をふるい始めた3年前、2020年6月、妻が暮らす施設に、毎日、足を運ぶ人がいました。吉田晋悟さん(当時77歳)です。面会が厳しく制限される中、妻の顔を見ることができなくなって4ヶ月が経っていました。
吉田さんと、ひとつ年上の妻・吉田多美子さん。ふたりは教会で出会い、20代で結婚。牧師だった吉田さんを多美子さんが支え、ふたりで働いてきました。3人の子育てがようやく落ち着いた頃、多美子さんに異変が起きました。
NHKの福祉番組に出演した64歳の時の多美子さんです。物忘れが増え、生活や仕事に支障をきたすようになり、認知症と診断されました。
多美子さん「何をしたかとか、そんなんが全然残らないです」
晋悟さん「何をしたか、これから今日何するか。メモ兼日記兼覚え書き」
多美子さん「覚え書きですね」
吉田さんは、自宅で多美子さんの介護しながら、その変化を受け入れてきました。
症状が進み、施設に入ってからも、ほぼ毎日、面会を続けてきました。多美子さんが吉田さんを認識できない日も増えていきましたが、施設の近くで散歩をしたりしながら、同じ風景を眺めて過ごす時間を吉田さんは何よりも大切にしていました。
コロナは、吉田さんの妻との時間を、突然、奪ったのです。
「会わない間に妻の病状が急に進行しないだろうか。」
面会可能になった時に、まだ、「お父さん」と呼べるでしょうか。(SNSより)
『面会できない』との決定の知らせが、私の心の中で波紋のように、不安や悩みや苛立ちとなって広がります。(SNSより)
<離れて初めて知った妻の胸の内>
吉田さんは、多美子さんと面会ができなくなってから、見返すようになったものがありました。
多美子さんが、認知症になって間もない頃につけていた日記です。認知症の進行にあらがうように、吉田さんの名前が度々、記されていました。
吉田晋悟さん「家内の側からしたら、もう必死だったんじゃないかな。『お父さんを忘れたらあかん』って」
思いがけない言葉もつづられていました。
お父さん、私から逃げ出す。お気の毒。
認知症と診断されて2年。当時、吉田さんは、何度も同じことを尋ねる多美子さんにいらだち、家を飛び出すこともありました。
吉田晋悟さん「自分のこの病気のせいで、主人が逃げ出しているというのが分かるということだったんでしょうね。『お気の毒』っていう思いを、妻に持たせるような夫だったんだなって、これを読んだ時に心痛みますね」
<再会果たすも ガラスの厚さを痛感した面会>
国内で初めてコロナの感染者が確認されてから半年たった2020年7月。多美子さんが暮らす施設では、窓越しで面会ができるようになりました。
吉田晋悟さん「いろいろグッズを作ってきたんや」
取材班「何ですか、これは?」
吉田晋悟さん「これは孫が描いた。『おばあちゃんに会うときに』言うて。何か当りゃええかなって」
近所の女性「吉田さん、行ってらっしゃい」
吉田晋悟さん「行ってきます。きょう家内と面会するねん」
近所の女性「よかったね。行ってらっしゃい」
吉田晋悟さん「150日ぶりやな。5ヶ月やな、やっぱり」
この日、吉田さんは、多美子さんのもとに向かいました。15分間だけの面会です。
晋悟さん「あ、お母さん。おーい」
職員「お父さんですよ」
晋悟さん「(孫の)コウヘイが、これおばあちゃんに見てって」
多美子さん「ありがとうございます」
晋悟さん「愛しているよー」
多美子さん「どーぞ」
晋悟さん「お母さん」
多美子さん「お父さん」
晋悟さん「わかる?」
多美子さんは、吉田さんの呼びかけに、「お父さん」と応じました。
晋悟さん「よかったね」
多美子さん「あー」
晋悟さん「ありがとうございました。 様子が分かってよかったです」
職員「変わらずお元気にはしているので」
現状を確認することができ、安心できたことは大きな喜びでしたが、一方で、膨らませていた再会の希望とはかけ離れた面会でしたので、予期していたとおり、傍らにおれないことで、耐え難い思いになっています。(2020年7月のSNSより)
その後、吉田さんは月に2回、窓越しでの面会を続けました。
2020年9月。十分間ほどの面会で、妻は私をはっきりと意識して何かを語りかけ、口をあけて笑う場面がありました。(SNSより)
2021年1月。私と視線が合うことはあまりありませんでしたが、それでもこの日は私の呼びかけに反応して、笑顔を向けてくれることが多かったように思います。
他人と思って丁寧にお辞儀をすることは一度だけでしたから、私のことが分かっていたように思います。(SNSより)
多美子さんの症状は、徐々に進んでいきました。
月2回のわずか15分の面会で、吉田さんがその現実を受け止めるのは、難しくなっていました。
2022年4月。面会の場所にやってきた妻の足取りは、やはりひとりで歩くのは難しそうでした。笑顔を向けてくれることが何度かありましたが、「お父さんや!」と私を意識した時の笑顔とは違っていました。
このような面会の日は、淋しさを感じます。(SNSより)
吉田さんが妻とほとんど会えない時間は、3年間続きました。
<母と向き合えなかった後悔>
コロナ禍での葛藤をつづってきた吉田さんのフェイスブック。同じ思いを抱える人々の間で、静かな反響を呼んでいました。
欠かさず読み、書き込みをしてきた西田恵子さんは、認知症の母親と、もう一度向き合いたいと考えてきました。74歳になる母親のアツ子さんは、専業主婦として2人の子供を育て、家庭中心の生活を送ってきました。子供の頃から社交的だった西田さんは、母親とは違う生き方をしたいと考え、アツ子さんを遠ざけるようになりました。
西田恵子さん「母のようには、私は生きられないなっていうか、家庭にというか、社会との関係みたいなのが、ほぼない状態ではやっていけないし、やっていきたくないな、みたいな気持ちは持っていました」
しかし、短大を卒業後、働き続けてきた西田さんが体調を崩した時、真っ先に気にかけてくれたのは、アツ子さんでした。
西田恵子さん「母が『今までよく頑張ったんだから、ここで1回休憩したらいいんじゃないの?』みたいなことを言ってくれて。母なりに見てくれていたんだ、みたいな。私って、どうのこうの言いながら『こうやって支えてもらっていたんだ』みたいな」
アツ子さんが認知症になってからは、面会を通して、再び関係を築きたいと考えていましたが、その矢先に、会うことができなくなったのです。
<ひとりで向き合う母との面会>
2023年5月。面会の制限が緩和される中、西田さんは母親のもとに向かいました。ふたりで会うのは3年ぶりのことでした。
恵子さん「お母さん、お母さん、恵子。お母さんわかる?」
母・アツ子さん「覚えとらん」
恵子さん「覚えてない?そっか。お顔見に来たよ。お母さん元気にしているかなと思って」
恵子さん「お母さんさ、手があったかいね。もう少ししたらさ。母の日やから」
母・アツ子さん「なんやね」
恵子さん「お母さんの好きなカーネーション持ってきた」
母・アツ子さん「いらないよ。看護婦さんか、あんた」
恵子さん「違う違う。看護婦さんじゃないよ」
母・アツ子さん「名を名乗って」
恵子さん「お母さん、恵子よ。看護婦さんじゃないよ」
母・アツコさん「覚えとらん」
恵子さん「覚えてないか。そっか、それでもいいや」
恵子さん「お母さん、また会いに来るから。顔を見に。お母さんの顔。顔見に来るからね。元気にしていてよ。じゃあね、またね。お母さんバイバイ」
西田恵子さん「元気だった母のイメージから(コロナ禍で)3年がスポンと抜けちゃって、今になってしまっているので、なかなか受け止めづらいです。せっかくしゃべる時間が与えられるんだったら、やっぱり母と娘として話がしたいなとか、やっぱり欲張ってしまうというか、そういう思いになってしまうんですよね」
<コロナ禍が認知症の人に与えた影響>
コロナ禍での面会の制限は、家族だけでなく、認知症の人にも大きな影響を与えています。
今回、大阪府社会福祉協議会会員470の高齢者施設にアンケートを実施し、255の施設から回答を得ました。
ほぼすべての施設が、「面会になんらかの制限をかけた」と回答し、その半数以上が、同じ空間で会えない窓越しや、オンラインでの面会を行っていました。
こうした面会の制限によって、認知症の入所者に「何らかの影響があったと思う」と回答した施設は、54%に上りました。
「家族の関わりが減ったことから、生活のメリハリが失われ、日にちや時間が分からなくなった」
「限られた人とのコミュニケーションしか取れず、刺激がほとんどない生活で、表情などが乏しくなっていた」
家族との時間が失われ、認知機能の低下や、気持ちの変化を感じたとする声が、多数寄せられました。コロナ禍で認知症の人たちが、どのような生活を強いられてきたのか調査している広島大学・特任教授の石井伸弥さんは、認知症の人たちにとって、家族とのつながりを絶たれたことは、大きな影響があったと指摘します。
広島大学/石井伸弥 特任教授「独りで孤独、孤立化してしまって、施設の中で刺激のない生活をずっと続けている。そうすると、長い時間をかけて、少しずつ意欲も低下してきてしまいます。意欲や活気が落ちてくると、行動面で、それまでできていたこと、例えば身の回りのこと、食事をしたり、薬を飲んだり、着替えたり、そうした日常的なことをする機能、能力は衰えやすくなってしまいます」
<感染リスクを前に葛藤を抱えてきた施設>
感染による命の危険と面会の制限が認知症の人に与える影響。高齢者施設は、難しい対応を迫られてきました。
大阪・八尾市にある特別養護老人ホームでは、これまで、入所者と家族が自由に会うことができましたが、面会を制限せざるを得なくなりました。80人が暮らすこの施設は、入所者の大半が認知症です。感染対策が必要なことを理解できず、消毒やマスクの着用が難しい人もいました。
施設では、面会を制限し、外部との接触を避けることで、感染対策をしてきましたが、2022年2月、クラスターが発生し、感染が確認された認知症の80代の男性が亡くなりました。
特別養護老人ホーム/樋口昌德 施設長「利用者の命に直結する恐さは、すごく考えさせられました。トラウマではないけど、また起きたらどうしようって。特養は、家族と会って過ごしてもらうのが、やっぱり大事なことなので。その要素は残さないといけない。それができないしんどさ、矛盾を感じながら、ここ3年間仕事をしている部分はあります」
<認知症の人にとって家族と会えることの大切さ>
2023年5月8日に新型コロナが5類へ移行されることになり、この施設では、面会の制限の緩和を決めました。
職員「世間一般はすごい緩和の流れになっている」
職員「家族さんにも、(窓越し面会で)2年以上待っていただいて、今しかないっていうところもあるんでね」
認知症の山下クミエさん(95歳)は、この日、入所以来2年ぶりに、同じ部屋で家族と会えることになりました。
介護士「今日はね、真由美さんと会ってしゃべれるので、ちょっとマスクしてもらわんといけないけど」
介護士に付き添われ、娘と孫のもとにやってきた女性。これまでの窓越しの面会では、家族を認識することは困難でした。
介護士「山下さん、わかりますか?」
クミエさん「いや」
娘・真由美さん「お母ちゃん?」
クミエさん「誰かね」
孫・絵里奈さん「嘘やろ?」
娘・真由美さん「マスクとったらわかる?」
介護士「どっちが真由美さん?」
クミエさん「わからん」
娘・真由美さん「お母ちゃん、私が娘さんよ」
クミエさん「あ、真由美か」
介護士「(お孫さん)わかります?」
山下「いや、わからない」
孫・絵里奈さん「わからないか。顔わからん?」
クミエさん「なに?」
孫・絵里奈さん「絵里奈よ」
クミエさん「ああ、絵里奈か」
孫・絵里奈さん「絵里奈よ、ずっとおったのよ」
クミエさん「絵里奈、大きくなったね」
この施設では、家族と一緒に過ごすことは、認知症の人にとっても大きな意味があると感じています。
介護士「幸せですか?」
クミエさん「そうですね」
介護士「そうですか。山下さんのところ、みんな家族さん来てくれるもんね」
クミエさん「うれしいよ」
介護士「みんな仲よしですからね、家族が。いいですね。家族が仲いいのが一番ですもんね」
クミエさん「ばあば、ばあばって言ってくれる」
介護士「そうね、ばあば、ばあばってね。よかったですね」
クミエさん「あの子らがそう言うてくれた。懐かしいよ」
介護士/大平春菜さん「家族で住んでた頃の、他愛もない家族の空間ってあるじゃないですか。同じ空気の中、同じ雰囲気を味わえるのはいいのかな」
介護士/大平春菜さん「きょう絵里奈さんが来てくれた、真由美さんが来てくれたことは、忘れちゃうかもしれないですけど、会って嬉しかったっていう気持ちは、ずっと続いていってくれると思う」
<面会できる日々が戻ってきても・・・直面した辛い現実>
面会の制限が続き、妻の衰えを受け止めることが難しくなっていた吉田晋悟さん。月に2回、同じ部屋で10分間の面会ができるようになっていました。
食事の量が減り、体重が10キロほど落ちた多美子さんは、歩くことができなくなっていました。
晋悟さん「ふたりでまた海へ行きたいね。お日様が沈むのを、ふたりでずっと見ていたい。あっちこっちによう行ったね。そうそう。お日様が沈んでもずっと見ていたよ」
多美子さん「あー」
晋悟さん「また行きたいね。また行こうね」
晋悟さん「もうしんどい?さ、もう時間かな。じゃあね、また来週来るからね。また来週来るからね」
多美子さん「あー」
晋悟さん「あ、触ったらいかんの?はいじゃあね。また来週。お父さんや」
面会の終わりごろに、衝立越しに妻の手を握ろうとしましたが、妻は怒ったように振り払おうとしました。
コロナ禍の面会の厳しい環境と、認知症の後期の症状に向き合い悩みも大きくなるのを感じています。(SNSより)
<感謝の気持ちを伝えられなかった後悔>
吉田さんは、日々の暮らしの中で、かつての多美子さんの姿を思い出そうとしていました。
吉田晋悟さん「夕方近くになってきたら、ウロウロしだしたですね。料理をせなあかんという意識だけはあって、だけど実際にどこから手をつけたらいいかとか分からないから、時間が来たら何しようとか、食べる物あるかなとか、材料なかったらあるかなって言って。なんか自分の仕事やと思っていて、そういうのがあるとうれしかったんやね」
多美子さんは、どんなに忙しくても、ひとり台所に立ち、家族の健康を気遣ってくれました。そして、教会の行事で、いつも盛り上げてくれたのは、明るい性格の多美子さんでした。
吉田晋悟さん「彼女が私に対していたわってくれた、こんなに思い持ってたのに、それに対して感謝もしないしね、報いもしなかったな。もうちょっと家内のそういう気持ちをくんでやれたら良かったなと思って。今頃になって、手遅れなんですけどね」
<あなたが私を忘れても 私があなたを覚えている>
ふたりが離れ離れになった3年間。
晋悟さん「あら、お母さん。この頃ずっと寝たままや。元気?体重減って大変やね。しんどくない?」
晋悟さん「お母さんのこと忘れないから大丈夫。あなたが忘れても、お父さんはあなたのこと忘れないからね。多美子さんのこれまでの人生全部覚えて、多美子さんがどんな人やったかも、ちゃんと心に留めているしね」
晋悟さん「また来るからね、また2週間後に来るからね」
認知症の妻の衰えを、どうすれば受け入れられるのか、葛藤を続けた3年間でした。
吉田晋悟さん「病気を持っている家内に対してね、私を忘れないで欲しいというのは、何かものすごい自分勝手な、自分中心な思いのようにハッと気が付いたんですよね。今の彼女をやっぱり一生懸命見て、今の彼女をそのまま受け入れてね、接していくことができたら夫婦としてやっていけるんじゃないか」
<会わないことに慣れ 心が動かなくなった>
吉田さんのフェイスブックには、同じ境遇に置かれた人たちから、さまざまなコメントが寄せられています。
「ただ横にいる事はとても大切で良い事だなと、最近色んな場面で思います。」
そう書き込んだ人がいました。大川雅さんです。妻の症状の進行を受け入れようとする吉田さんの姿に共感してきました。
大川さんが、この3年間、認知症の母親と面会できたのは、1年に一度だけ。会わないことが当たり前になりつつありました。
大川雅さん「母に会わないことに慣れていったんですね。だんだんもうフッて、思い出さなくなるっていうか。その人のことは覚えているんだけれども、パッて上がってこなくなるって言うんですかね。なので、あんまり感情も動かなくなっちゃったんですね」
12年前、63歳で認知症と診断された母親のトヨミさんは、ひとりで外出し、帰れなくなることも増え、施設で暮らすようになりました。6年前、症状が進行し、重度になってからは、病院に入院しています。
コロナ禍の前、大川さんは、2日に一度は病室に立ち寄り、トヨミさんと長い時間一緒に過ごしてきました。しかし、面会がほとんどできなくなる中、その時の感情を思い出せなくなっていました。
<辛さを共有する時間>
月に一度、可能になった母親との面会。
雅さん「お母さん、こんにちは。雅です。お待たせしました。長いこと待たせたね」
雅さん「♪タッタラッタラッタ 月が出た出た 月が出た~ヨイヨイ♪」
ふと口ずさんだのは、以前面会していたときに、トヨミさんに歌っていた曲でした。表情の小さな変化を感じたり、触れ合ったりすることで、つながっていると実感していました。
大川さんは、老いゆく母を受け入れ、再び関係を築こうとしています。
大川雅さん「やっぱりどんどん悪くなっていくそのつらさを、今後あと与えられた回数、与えられた時間の中で、そのつらさを少し共有して、つらいねって言いたいですね、横で。しんどいよねって」
雅さん「お母さん、いつもありがとうね。しんどいのに頑張ってくれて」
大川雅さん「会えて落ち込んでも、会えて悲しくてがっくりしても、心が動いたんですからね。会えずに心が動かないまま固まっているよりも、やっぱ会えるのはいいですね。それで悲しくても会えるのはいいんです、やっぱり」
<3年ぶりに同じ景色を見て過ごす時間>
吉田さんにとって、嬉しい日を迎えました。週に一度、施設の庭で多美子さんと、散歩ができるようになったのです。
3年ぶりに、同じ景色を眺めて過ごす夫婦ふたりの時間です。
晋悟さん「起きてて、目開いててよかったね。よかったね」
晋悟さん「ほら、これ紅葉。緑の紅葉。秋がきれいやったけどね、今もきれい。あんたこういうの好きでしょう。こういう紅葉好きでしょう」
車椅子で私に押されている妻は、もはや自分の語った言葉も記憶していないと思いますが、妻の人格の尊厳は失われていないことを私は確認して来ました。妻の妻らしさは、衰えて行く外面にではなく、内面に多く見られることも、妻を見つづけるうちに次第に分かってきました。(2023年6月のSNSより)
自分のことを思い出せない母と向き合おうとしてきた西田恵子さんが、コメントを寄せていました。
「私と気づいてほしい、話したい、行ってよかったと思える面会であってほしい」私は、今の母にいろいろなことを求めすぎているような気持ちがしました。
家族の時間が失われた3年。人々は自らの中に生きる妻や親の存在を確かめながら、大切な人の変わりゆく姿を受け入れようとしていました。
失われた時をこえて、認知症家族は、再び同じ時を刻み始めています。