証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇(前編)

NHK
2022年1月19日 午後0:45 公開

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(2022年1月16日の放送内容を基にしています)

年明け、2022年1月3日の総理大臣公邸。

岸田文雄が新年早々、向き合うことになったのは、新型コロナだった。

2021年、感染拡大の波に見舞われた日本。その渦中、永田町では総理大臣が突如交代するという政局劇が起きた。その内幕で何があったのか。当事者たちが明かしたのは、権力の座をめぐる知られざる攻防だった。

新型コロナとの苦闘を続けた菅義偉。 切り札として「ワクチン接種の加速」を掲げ、感染収束を目指した。しかし、感染者数は増加。内閣支持率は下落していった。

それまで結束していた実力者たちの間に亀裂も生まれ、政権は1年で倒れた。

そして行われた自民党総裁選挙。

さまざまな思惑が交錯した末に、権力の座についたのは、岸田だった。

私たちの命や暮らしが危機にさらされ、戦後の日本社会が大きな岐路に直面した2021年。

未曽有のコロナ禍で繰り広げられた権力闘争、その舞台裏に迫る。

<菅政権の“宿命” コロナ対策と解散戦略>

総理大臣として、コロナと向き合い続けた菅。

退陣から3か月、NHKの単独インタビューに初めて応じた。

取材班「政治とコロナの関係性、いま振り返っていかがでしょう」

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「これはきわめて密だったと思います。私も正直言って、コロナがなければ(2020年の)総裁選挙に出馬することはなかったと思います。緊急事態宣言、まん延防止とか、そうしたものを発出しては延長する、解除してまた発出。その繰り返しだったんですよね」

菅政権が発足したのは、2020年9月。憲政史上最長の政権を築いた安倍晋三が、体調悪化を理由に退陣。後継を選ぶ自民党総裁選で官房長官だった菅は、党内7派閥のうち5つの支持を得て圧勝。総理大臣に就任した。

国民のために働く内閣をうたい、支持率は当初、62%の高さを誇った。

幹事長として、政権の屋台骨を支えたのが重鎮、二階俊博だった。

二階俊博 自由民主党 幹事長(当時)「なかなか立派なもんですよね。国民のみなさんに寄り添って、一生懸命政治に取り組んでいる姿。私は敬意を表しながらお仕えしてまいりました」

順調なスタートを切った菅政権。発足当初からある宿命を負っていた。

コロナ禍という未曽有の危機の中、自民党総裁の任期は残り1年。

さらに、その直後に衆議院議員の任期満了が迫り、解散をめぐる判断が問われていたのだ。

菅政権で副総理兼財務大臣を務めた、麻生太郎。政権を維持するために、高い支持率を最大限生かすべきだと、菅に助言したという。

麻生太郎 副総理兼財務大臣(当時)「政権を引き継がれた直後、安倍(から)菅に移った直後に解散というのが、私の意見でしたですけどね。私も安倍総理も意外と戦闘的ですから、解散選挙っていうのは、サッとやった方がいい」

早期解散を求める声は党内からもあがったが、菅の考えは違った。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「当初から解散は、まず頭になかったですね、あまり。やはりコロナ対策と経済の落ち込みをどうするか、この2つのことを抱えた政権だったと思います。失業者を出さない、企業を倒産させない、継続させる、国民の生活をしっかりと守っていく、そこが最大の使命だったと思います」

「解散を打つには、コロナの収束が必要だ」。それが菅の考えだった。

党の国会対策委員長として、政権を支えた森山裕。菅の心中を推し量っていた。

森山裕 自由民主党 国会対策委員長(当時)「どこかでその(解散の)タイミングが来るんじゃないかと思ってましたけど、タイミング、タイミングのところで、非常にコロナウイルス感染症の陽性者の数が増えてきたということも、非常に苦しい判断を迫られた現象だったんではないかと」

菅が総理大臣の座にあった1年。それは、コロナとの苦闘の日々だった。

感染拡大の波が相次ぎ、去年夏に押し寄せた第5波では、感染者数が過去最多となる1日2万人を超えた。

この間、東京などでは緊急事態宣言の発出が3度に及び、国民の行動は厳しく制限された。

内閣支持率は、感染者数と連動するかのように下落していった。

こうした中、菅が対策の切り札として打ち出したのが、ワクチン接種だった。

2021年4月にアメリカを訪れた菅。ワクチン確保のため、現地でみずからファイザー社のCEOと電話で交渉。追加供給の合意を取り付けた。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「真剣勝負、厳しい獲得競争だったと思います。一番大変だったのは、EUから海外にワクチンを許可する場合、半分以上日本だったんです。日本はやり過ぎではないかと。(海外で)ワクチン接種が40%を超えてくると外出したり、イベントを始めたり、家族や仲間と楽しそうにしている映像が日本に流れ始めたんですね。それには、とにかく総動員で霞が関の縦割りも壊して、とにかく規制も緩和して」

菅が目標に掲げたのは、1日100万回。自衛隊も投入するなど、接種の加速を図った。

ワクチン接種の推進役に任命された河野太郎は、菅の執念を目の当たりにしていた。

河野太郎 規制改革担当大臣(当時)「総理から『1日100万回いけ』と。そのときは正直『70~80万回でなんとか目的達せられるのではないか』と申し上げたんですが、総理が『いや1日100万回だ』と。『どひゃー』っていう感じだったですけれども、誰かに『高いハードル』と言われたので、『いやいや、ハードルじゃなくて棒高跳びの高さだろう』と言った覚えがありますけど」

7月上旬には、ワクチン接種回数は1日およそ170万回に達した。

菅の総裁任期は残り2か月。国論を二分していた、東京オリンピック・パラリンピックの開催が迫る。

政府は関係機関と協議し、ほとんどすべての会場で、無観客での開催に踏み切った。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「『やることを決めてやっているんだろう』とか、いろいろ言われましたけれども、そこはやはり冷静に接種の状況、管理の状況とか、そうしたことをすべて自分自身の目で確認をして判断させていただいて」

一方で大会期間中、デルタ株が猛威を振るった。東京では感染者数が急増、1日5千人を超えた。自宅で療養中に亡くなる人も相次ぎ、医療危機が現実のものに。

支持率は、政権発足後最低の29%に落ち込んだ。

<自民党内に生じた不協和音>

感染収束が見通せず、国民の間で募った不安やいらだちは、自民党を直撃する。

3つの国政選挙で野党が勝利。菅支持で結束していた党内にきしみが生じ始める。

菅を支持してきた党内最大派閥に強い影響力を持つ安倍、そして第2派閥を率いる麻生。

今回の取材でオリンピック最中の2021年7月29日、2人が密かに会談し、戦略を練っていたことが分かった。

安倍晋三 元内閣総理大臣「麻生副総裁とは、家が近くなものですから、よく夜、私の自宅、あるいは麻生さんの自宅で一杯飲みながら、ゆっくり今後の大きな方針について話をします。菅政権をどうやって支えていこうかということで、2人はその日会いました。私の自宅で」

麻生はその場で、党の役員人事、特に二階の処遇について話が及んだと語った。

麻生太郎 副総理兼財務大臣(当時)「この種の話は言わないことになってる上に、記憶力がいい方じゃないから、ちょっと覚えてませんけどね。菅でこのままいくんだったら、早めに選挙ということは申し上げましたし、幹事長はその時は全国回れる元気の良い幹事長。(二階幹事長を)代えられるべきだと、幹事長だけ代えるわけにいかないんだったら、(党)三役そろって代えられるべきと」

安倍政権時代から幹事長を務め、歴代最長の在任期間となっていた二階。

菅政権の下で、二階派の議員が党や内閣の重要ポストに名を連ねていたことなどに対し、不満もくすぶっていた。

二階の側近、林幹雄。安倍と麻生の間で浮上した幹事長交代案も、耳に届いていたという。

林幹雄 自由民主党 幹事長代理(当時)「本当かなと思ってましたけどね。話はちらほら、ありましたけどね。全然わかんないです。直接聞いてるわけじゃないですから」

取材班「安倍さんや麻生さんとの関係というのは」

二階俊博 自由民主党 幹事長(当時)「ともにいろんな重要な問題を担ってきたというだけで、それ以上でも以下でもありません」

取材班「二階幹事長の交代というものを、菅さんに助言していたと」

二階俊博 自由民主党 幹事長(当時)「感じていることはありません。鈍感ですからね。あわせて些事(さじ)構わずです」

政権を維持するため、結束してきた自民党の実力者たちの間に生じた亀裂。

しかし菅は、二階への信頼を崩さなかった。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「(二階氏は)ある意味で全てを知っていて、そうした中で、私がやりたいことについては全面的に応援してもらいました」

こうした中で、自民党内に衝撃が走る。

衆議院議員の任期が残り2か月となった8月下旬。菅の選挙区がある横浜の市長選挙で、閣僚を直前まで務めていた小此木八郎が、大差で敗北したのだ。

麻生太郎 副総理兼財務大臣(当時)「このままじゃアゲインスト(逆風)な選挙になって、軒並み落ちるという、そういった危機意識は極めて高かった。過半数いくか、いかないかのところまで落ちるかな、という感じはありましたね」

安倍晋三 元内閣総理大臣「衆議院選挙が近い中において、この敗北は大変大きいということを言う人はいましたけどね。我々はむしろ、そういう動揺を鎮めなければいけない立場だったんで、これは菅総理の地元とはいえ、一地方選挙なんだから、衆議院選挙は衆議院選挙で頑張っていこうという話をしましたけどもね」

これに対して、野党第一党の立憲民主党は勢いづいた。当時、政務調査会長を務めていた泉健太。菅政権への不満をテコに、衆議院選挙で議席を大幅に増やせると感じていた。

泉健太 立憲民主党 政務調査会長(当時)「コロナ対策を問う、そして政権の是非を問うという戦いになったと思います。当時はですね、現有(議席)を少なくとも20~30上積む、140~150というものが、ある程度視野に入る状況ではありました」

この頃、党が独自に行った情勢調査。接戦が予測されていた多くの小選挙区で、野党候補の推計得票率が与党候補を上回っていた。ただ、副代表を務めていた辻󠄀元清美は、党内には複雑な受け止めがあったと語る。

辻󠄀元清美 立憲民主党 副代表(当時)「嫌な予感がありました。というのは、これで菅さん退陣の引き金を引いてしまったら、菅さんのままで選挙に臨みたいという気持ちもありましたので、あんまり勝ちすぎると“菅おろし”が始まって、新しい顔にすげ替えて選挙やってくる可能性もあるな、というような話も出てました」

実際に自民党内で、菅に退陣を求める動きが起きはじめた。

麻生派のベテランで、安倍にも近い甘利明もその一人だった。

甘利明 自由民主党 税制調査会長(当時)「これはもう看過できない状況になってきたなと思って。短期間であるけれども、仕事を成し得たという評価をしっかり受けて(菅首相が)撤退できる道はないのか、麻生さんに正直な話、相談しました。『いわば名誉ある撤退だよな』と『でも、それ誰がいうんだよ』という話で。私は『麻生先生か安倍先生以外は、誰もいませんよ』という話をしたんですけど、『ううーん』って頭抱えておられましたね」

取材班「甘利さんが“菅さんの名誉ある撤退”、言えるのは、麻生さんくらいしかいないんだと」

麻生太郎 副総理兼財務大臣(当時)「事実です。菅義偉っていう人の政策っていうのは、今頃になって評価されている。『後になったら評価されますよ』と。菅が1年間でやったのは、あの状況の中じゃほぼベスト」

一方、菅は自民党総裁選での再選に意欲を示し続けていた。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)会見「時期が来れば、出馬させていただくのは当然だと、その考え方に変わりありません」

しかし、この11日後、菅は立候補を断念する。そこに至る過程で、一体何が起きたのか。

<菅首相退陣へ 舞台裏で何が>

2021年8月26日、動いたのは岸田文雄だった。

総裁選の日程が決まったこの日、間髪を入れずに会見を開いたのだ。

岸田文雄 自由民主党 宏池会会長(当時)会見「自由民主党総裁選挙に立候補することを決意しました。政治の根幹である国民の信頼が崩れている、我が国の民主主義が危機にひんしている」

無投票での再選を目指していた菅にとって、この岸田の立候補は想定外だった。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「私はびっくりしました。出るんだ、早いなと思いました。まず私は、緊急事態宣言の中で、総裁選挙に出る人がいるのかなと思っていました。もともと」

取材班「複雑な気持ちも」

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「いやいや、全然、出たい人が出ればいいんです」

さらに、岸田がこのとき打ち出したある案が、政局の火種になった。

岸田文雄 自由民主党 宏池会会長(当時)会見「党役員につきましては、1期1年、連続3期までとすることによって、権力の集中と惰性を防いでいきたいと思います」

岸田の発言は、二階のことが念頭にあるとの受けとめが広がった。

取材班「お聞きになったとき、二階さんどのように」

二階俊博 自由民主党 幹事長(当時)「別に『あぁ、そうですか』っていう感じでね。取り上げるほどのことはないというかね」

かつて幹事長交代について意見を交わしていた安倍と麻生。この発言に、岸田の覚悟を感じとっていた。

安倍晋三 元内閣総理大臣「岸田さんというのは、非常に温厚で誠実なお人柄の方ですよね。その岸田さんが“任期制限”というのは、二階幹事長に対しての宣戦布告をされたということですから、随分思い切った決断をしたんだなと思いましたね」

麻生太郎 副総理兼財務大臣(当時)「1期3年以上継続しておられる方っていうのは、二階さんぐらいしか目につかなかったんで。“二階を切る”ということを表明されたわけですから、それはそれなりの決断だったと思いますから、そういう決断が、何となくできにくいという評判が岸田総裁にはついてましたから、非常に岸田文雄の評価が上がった」

岸田が投じた一石は、思わぬ事態を引き起こしていく。

2021年8月30日。菅は、二階や林を官邸に呼んだ。打開策を相談するためだった。

党の役員人事、そして、解散総選挙にも話が及んだこの会談。菅は、幹事長を代えたいという意向を、二階に伝えた。

林幹雄 自由民主党 幹事長代理(当時)「どうするかっていう迷いがあったような感じだったので、その時は激励を込めて『そういう時には、どんと(人事を)やればいいんだ』というような言い方は、二階幹事長してましたよね。『俺に遠慮するな』というふうな事を言ってましたね」

二階がそのときの心境を明かした。

二階俊博 自由民主党 幹事長(当時)「いや、もう瞬時に『わかりました』っていうかね。何のしゅん巡もなかったですね。それだけ我々は精一杯やってきてるんですから。自信持ってやってきてんだよ。交代って言うから、『はい』って言うようなもんだ。の後、政権がどうなるかこうなるかってそんなこと、子どもじゃあるまいに、ちゃんと頭で描いてから言ってきてるわけだからね。その後どうなったか、私は存じませんがね」

しかし、翌日の夜遅く、事態は予期せぬ展開を見せる。

「菅が総裁選を先送りし、衆議院を解散する」という報道が駆け巡ったのだ。

この時、解散については、あくまで選択肢のひとつとして検討されていたにすぎなかったという。

森山裕 自由民主党 国会対策委員長(当時)「ばかなことがある、ばかなことが、あり得ないことが報道としてあるんだなと思いました」

取材班「どこから流れた情報だと」

森山裕 自由民主党 国会対策委員長(当時)「全くわかりませんね。おかしな話だと思いますね」

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「悔しいというより、ひどすぎると思います。そういう流れをつくろうとした人がいたんじゃないですかね。私は全く話していません。解散権は私が持っているわけですから」

この報道に浮足立った自民党。実力者たちも動いた。

甘利明 自由民主党 税制調査会長(当時)「これ(解散)行われたら、もう自民党は終わるし、日本は終わっちゃうなと。これは止めなきゃならないということで、私は安倍前総理に、『全力で止めてください』と」

相談を受けた安倍。菅に電話を入れる。

安倍晋三 元内閣総理大臣「2人だけの会話ですから、あまりつまびらかにお話をすべきではないと思いますが、当時の党内の状況についてお話をしました。もちろん私は『菅総理の最終的な判断を支持します』ということは明確にしていました。そのうえで党内において相当動揺していると、その中で相当の不満が出る可能性は高いのではないか、ということは伝えましたけどもね」

翌朝。

菅義偉 内閣総理大臣(当時)会見「最優先は新型コロナ対策だと。今のような厳しい状況では、解散ができる状況ではない」

菅はすぐに報道を打ち消した。その2日後の2021年9月3日。

NHKニュース「今月行われる自民党総裁選挙に立候補しないことを表明しました」

総裁選への立候補を断念。事実上の退陣を表明した。

森山裕 自由民主党 国会対策委員長(当時)「必ず出馬をして、総裁選に出馬されるもんだと思っておりました。ただ、いま静かに振り返りますと、総裁選挙と(コロナ対策の)両立ができるかなということは、ひとりで非常に悩んでいたのだろうなと思います」

連立を組む公明党の代表、山口那津男。その日の夕方、菅から連絡があったという。

山口那津男 公明党 代表「大変言葉少なく、落胆の様子が電話から伝わってまいりました。そのときに、ひと言述べられたのはですね、『ようやくなんとか間に合いました』という言葉だったんですね。それが何を意味するかは、いろいろ奥深い意味があるかもしれません。コロナ対応最優先でワクチンの接種をしっかり行ってきて、ようやく感染のピークを越えて下降線をたどり始めた、そういう意味が含まれていたと私は受けとめました」

取材班「退任をどういう理由で決意されたのでしょうか」

菅義偉 内閣総理大臣(当時)「そこ(退任)は常に考えてやっていましたから、それを『考えています』と言う人はいないんじゃないですか。私自身は接種が進めば落ち着いてくる、そう思っていました。ただ結果的に、私が考えたよりも、やはり遅れてきていました。やはり緊急事態宣言のなかで(解散を)やったら、それは理解されないし、自民党が批判されるし、そこはいい結果も出ないだろうと、そうしたこと全て考えたうえでの判断でした」

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