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認知症の先輩が教えてくれたこと

NHK
2021年9月29日 午後3:28 公開

番組のエッセンスを5分の動画でお届けします

関連記事「いつか私を忘れてしまったとしても 認知症の夫と共に」

(2021年9月26日の放送内容を基にしています)

<認知症の人が認知症の相談にのる>

香川県にある認知症の専門医療を行う西香川病院。その一角に、認知症の人が悩みを打ち明ける、ちょっと変わった相談室があります。

相談にのるのは、先に認知症となった、いわば“認知症の先輩”。

診断後、大きなショックを受けた当事者や家族に、認知症になって気づいたことを伝えていきます。

この日、相談室を初めて訪れた高橋通夫(たかはし・みちお)さんです。3年前、65歳の時にアルツハイマー型認知症と診断されました。

高橋さんが相談室を訪れる以前、医師が診察した時の映像です。

医師「今日は何年の何月何日でしょうか?」

高橋さん「・・・・・・」

医師「野菜の名前をできるだけおっしゃっていただきたいんです」

高橋さん「・・・キャベツ・・・ニンニク・・・」

医師「なかなかぱっとは出てこないですかね」

高橋「全然出てこない」

時間の感覚も曖昧になり、道に迷うことも増えていました。

地元の市役所に勤め、4人の子供を育ててきた高橋さん。退職後、第二の人生を歩もうとしていた矢先に、認知症と診断されました。

医師「もの忘れがあるような感じですよね。それは今も続いている?」

高橋さん「そうだな、あんまり感じないけど」

高橋さんは、認知症になった現実をなかなか受け入れられずにいました。

西香川病院・大塚智丈院長「できないことに対して、ご自身もすごく敏感になっているというか、ショックを受けられている。閉じこもってしまうと、それこそ能力低下がさらに進んでいくという、いろんな意味でマイナス面が起こってきます」

診断後のショックが長引けば長引くほど、症状がより進行すると言われる認知症。立ち直るきっかけを作るために、この病院では、認知症の当事者が相談にのるという、全国でも珍しい取り組みを行っています。相談員の渡邊康平(わたなべ・やすひら)さん78歳。

6年前、脳血管性認知症と診断されました。病院の非常勤職員として、これまで200人の相談にのってきた認知症の先輩です。

渡邊さん「私が認知症と言われる前、認知症と思っていなかった。(医師に)冗談言わんとてくれと言ってな。『いや、冗談じゃない』『いいや、冗談じゃ』と先生とはだいぶやりおうたんよ。たぶん明日(記憶が)どの程度残っているか。本当にな、どんどんどんどん消えていく」

高橋さんにとっては、初めて聞く、認知症当事者の話。渡邊さんは、こう語りかけます。

渡邊さん「できないものはもう、今さら言っても返ってこんし。できることの分で、自分の人生を作り直していったら」

高橋さん「すごく良い刺激になるな」

高橋さんの妻・宗代さん「よかった」

相談時間は1時間。ただこの日、高橋さんは自らのことをほとんど語ることはありませんでした。

<診断後に味わった絶望>

認知症の人の相談にのる渡邊さん。自身も、日々症状の進行と向き合っています。この日はインスタントコーヒーにお湯を注ごうとして、電気ポットがどれかわからなくなっていました。

渡邊さん「えーと、これだ、これ」

妻「右ね。それはご飯(炊飯器)やけん、お湯やろう?」

渡邊さん自身、診断後のショックから立ち直るのに、2年の歳月が必要でした。

当時勤めていた商工団体で、書類のミスを立て続けに起こすようになった渡邊さん。認知症と診断されたのは、72歳の時でした。食事ものどを通らなくなり、体重は、20キロ以上も減少。人目を避け、家に閉じこもるようになりました。

渡邊さんの妻・昌子さん「(当時は)ものは言わない。そこらへんのところで、背中を向けてじっとうずくまっている感じ。もう本当にね、すごい落ち込んでおったわ」

渡邊さん「そうだったんですか」

渡邊さんを支え続けたのが、妻・昌子さんでした。あえて励ましの言葉はかけず、様子を見ながら散歩に誘いました。

昌子さん「言葉は出ないけど、体とか表情でいっぱい出しているんよ。本人は。だからそれをキャッチして、できるだけ本人の気持ちを大事にして接するようにしたわ」

診断から4か月後、渡邊さんは日記にこう綴るようになります。

「自分を自分で探そう」

診断から2年後、かつて通っていた囲碁クラブに再び通いだすと、意外なことに気づきました。何度も対局を重ねるうちに、元の腕前を取り戻したのです。

渡邊さん「(認知症でも)いろんなできることがある。自分自身が自信を持ってくるということかな。そんなんを自分のものにしてきた」

<認知症になっても できることは残っている>

取材を始めて1か月。相談室には、再び高橋さんの姿がありました。

渡邊さん「だいぶ慣れてきましたか?」

高橋さん「あんまり」

渡邊さん「認知症っていうのはな、少しずつ慣れてくると、もうなかったみたいにはなるんだけど」

この日も、自分の思いをほとんど語らない高橋さん。認知症になって、諦めたことがありました。退職後、2年間続けてきた学童のボランティア。症状が進行し、辞めざるを得ませんでした。

認知症になったことを、周囲にはほとんど明かしてこなかった高橋さん。日記には、当時の心境をこう綴っています。

「子供の名前を覚えられないというのが辛い。子供達は私の名前を知っているのに、私は全く知らない」(高橋さんの日記より)

高橋さん「めちゃくちゃ子供が好きで。しかしね、好きな子供がノートを持って『先生教えて』って来るんですよ。認知症だからですね、それを教えられないんですよ。それがもう辛くて辛くて、本当に学童だけは辞めたくなかったな、仕方ない。認知症に負けたんや」

相談室で渡邊さんが伝えたのは、認知症になって初めて気づけた自らの変化でした。

渡邊さん「認知症になって、ごとっと落ち込んでいたんだけど、言葉が言えるようになってな、それから碁でも打ってみようかと思って行って。最初の方はどうにもならなかったんだけど、後からだんだんだんだん頭の中でどんどんどんどん出てきてな、半年くらいたったら五段に返りました」

高橋さん妻・宗代さん「わーすばらしい」

高橋さん「へー」

渡邊さん「今では五段で。そういうものは返ってくる」

渡邊さんの話にじっと耳を傾けていた、高橋さん。抱えてきた思いを初めて語り始めました。

高橋さん「がくんと落ち込んでですね。なんとも言えない気持ちだったですね。でも何かこういう話を聞いたらですね、何かまた頑張りたいというかですね」

渡邊さん「どんどん、まだ」

宗代さん「ほんまやなー。どんどんなー、出かけていかんとな。もったいないよな」

渡邊さん「そうそう。まあ無理してやらんでもな」

高橋さん「いい話が聞けたな」

高橋さん妻「よかったやろう?よかったやろう?」

<完璧だった妻が… 症状の変化に戸惑う家族>

相談室では、認知症の人を抱える家族のケアも行っています。

田中博さん(仮名)77歳。1年前に、アルツハイマー型認知症と診断された妻の洋子さん(仮名)と暮らしています。

博さん「だんだんだんだん、家から出ることが少なくなってね。小さい土地だけど、昔は花をたえず植えたりしとった。それもおっくうになったみたいでね」

日々変わりゆく妻の姿に、博さんは戸惑っていました。

博さん「だいぶ良くなったという傾向がなかなか出ないですね。端から見ておったら」

洋子さん「迷惑をかけること、私は何もしていないよ」

相談員の渡邊さんは、博さんに自らの経験を語り始めました。

渡邊さん「私がいろんなことできるようになったのは2年かかったです」

博さん「2年もですか」

渡邊さん「僕の場合はですよ。もっと早くできる人もおるけど。『もっとシャキッとせえ』とかそんなことは女房は私にいっぺんも言ってないです」

専業主婦として、これまで家事を完璧にこなしてきた妻の洋子さん。20代で結婚。夫の博さんは単身赴任が20年以上続き、洋子さんがひとりで子育ても行ってきました。

博さん「なんでやろうと、私より若いのに、なんでこんな病気になったのだろう。毎日毎日接していますからね。昨日まではこれができたのに、今日はできないのかとかね、どないなるのかなと思ってな」

<妻が行方不明になった>

取材を始めて3か月。妻の洋子さんは、近所の美容室を出た後に行方不明となり、自宅から25キロ離れた場所で警察に保護されていました。

洋子さん「私はそんなに悪いことしていないし、今までもしていないし、みんなに迷惑をかけるようなことは」

博さん「わかっていない」

洋子さん「お父さんがわかっていない」

博さん「そうですか」

洋子さん「自分は釣りだけしていたら幸せな人だから。朝早くから行って」

行方不明になった記憶がほとんどない洋子さん。ただ、大切にしているものがありました。

洋子さん「『ばあばへ。ひとりで行くのはやめて、じいじと一緒に行ってね』と言われた」

心配する孫が洋子さんにあてた手紙でした。

<ありのままを受け入れること>

再び、相談室を訪れた博さん。相談相手は渡邊さんの妻、昌子さんでした。

博さん「こっちもイライラしますから、ガーっと言うときもあるんですよ。そうしたら、もう」

昌子さん「あとが大変でしょう」

博さん「大変」

昌子さん「だけどね。もっと怒鳴ったり、怒ったりしたら、もっと進行するかもわからんよ」

博さん「孫がきたらすごいんですよ。孫がきたら正常になるんです。あれは不思議」

昌子さん「なんかわからんけど、お孫さんには、そのままの自分の姿、ありのままで受け入れてもらえるっていうのがあるん違う?」

博さん「そうそう、そうなんですよ」

昌子さん「やっぱりイライラしないって難しいけど、やっぱりそれを敏感に感じているんよ。奥さんは」

<できることが増えたら家族も喜ぶ>

高橋さんは、症状の変化に再び戸惑い始めていました。

高橋さん「漢字はなんかあんまり出てこない」

医師「余計に書きにくくなった感じがあるんですか?」

高橋さん「そうですね。漢字難しいので」

常に何かを失っていくという不安。渡邊さんは、粘り強く、語りかけます。

渡邊さん「まだストップできるような薬はできていない。世界中でない。だけどそのぶんでシュンとしたって始まらないしな。楽しまなかったら何のために生きているかわからない。自分のやりたいことはな、どんどんやったらいいと思う」

高橋さん「そうですね」

渡邊さん「ひとつでもできることが増えたら家族も喜ぶしな」

<認知症になってよかったこともある>

生きがいだった学童のボランティアは諦めた高橋さん。自分にできることは何か、探し続けていました。

相談室に通い始めて3か月。妻・宗代(ときよ)さんの料理を手伝うようになりました。

宗代さん「思い出した?サラダ寿司」

高橋さん「なんとなく少し」

宗代さん「ちょっと思い出した?」

高橋産「またすぐ忘れる」

宗代さん「ええやん、またしたら思い出すわ」

高橋さんは日記に、こんな言葉を綴るようになっていました。

「認知症になって良かったこと。妻の優しさにふれたこと。人の痛みがわかったこと。いっぱいあるものだ・・・」(高橋さんの日記より)

宗代さん「こんなこと書いていると思わなかった」

高橋さん「俺も思わなかったな。よく覚えていない。すぐに忘れるから、ちょっと思い出したらすぐに書くんよ。認知症になってよかったことって書いてあるな」

宗代さん「うん。よかったことがあるんや」

この日、高橋さんは、病院から渡邊さんのサポート役として、相談員を務めてほしいと依頼されていました。

宗代さん「なんか先生が最初に来たときの感じとは全然違っていると言うて」

高橋さん「そう?よくなった?」

宗代さん「明るくなったって」

高橋さん「ああ、明るくなった」

宗代さん「言葉もたくさん出てくるようになったし」

高橋さん「できるところまでやってみるわ。それが自分のためだしね」

<進行する症状 妻が「殺して」と言った>

取材を始めて、7か月。

妻との向き合い方を考え続けてきた田中博さんは、このころ、家事を一手に担うようになっていました。

博さん「大変やのうと。世の男性に言いたいのは、『奥さんがこういうふうになったときに大変やぞ』と」

週に一度デイサービスに通うようになった妻の洋子さん。出かける直前、博さんが洋子さんのカバンの中身を確認していたときのことでした。

博さん「母さん、こんなん(財布)のけておかんといかん」

洋子さん「何?」

博さん「これこれこれ」

洋子さん「大事なのに」

博さん「入れたらいかん。こんなの」

洋子さん「どうして?」

博さん「デイサービス行くのに、いらんやろこんなの」

洋子さん「お金いるときに、さっと出せるのに」

博さん「そんなもんない、ない」

洋子さん「(ディレクターに向かって)この人、難しかろう?しらじらしい。細かい、本当に。疲れるわ、あの人には」

博さん「私も限界来るからね。それは来ますわ。本当に。びっくりするくらい変なことしている時あるしね。電子レンジの中にやかんを入れて、お湯を温めたりするときもあるしね。危ないじゃないですか、火事にでもなったら。お母さんのことを心配しているんじゃと言っても、『もう私はかまわん』、『ほんなら殺して』って。最後は『殺して』です」

夫の博さんと、離れて過ごすデイサービスの時間。洋子さんは時おり、誰かを探す素振りを見せていました。

洋子さん「お父さんは?」

職員「お父さんは家で待ってくれよるけん。もうあと1時間したら帰るけん」

<認知症の人の気持ちは敏感 心は最後まで残っている>

認知症の妻と、どう向き合えばいいのか。この日も、博さんは渡邊さんの妻・昌子さんに相談を持ちかけていました。

博さん「最後の最後までずっと落ちていくのか。そうなったら、もう人間としての人格が無しになるのと同時に、言ったら“物体”になってしまう。私は物としてみているから、しゃあないなと私自身を納得させている。気持ち自体を納得させている」

昌子さん「物として見て納得するというのは心の底ではそれはつらいことない?」

博さん「つらいですよ。それは私もつらいですよ」

昌子さん「なんかそこらでね、人間として、その人を大事に尊重してほしいんよ。心というか、ハート、感情は絶対最後まで残っている」

博さん「ありますかね?」

昌子さん「あるある。信じてあげて、そうせんと辛い気がする。感情はね、認知症じゃない人よりも認知症の人の方が、私が思うのに、すごく敏感で感受性がすごい」

昌子さんとの相談の後、博さんはこうつぶやきました。

博さん「わからない、頭ではわかっているけど、あそこまでの考え方になるのにはまだまだ。認知症の人がものすごい神経が細やかですよと言うけど、なんやねん。どういうことで細やかなのか」

<認知症当事者の気持ちが伝わらない 抱いた無力感>

昌子さん「(博さんが)物として見て対応するっていうんや」

博さんが帰った後、相談室で話した内容を、渡邊さんに伝えたときのことでした。

渡邊さん「なんでいつまでたってもわからんのか。わからんで済ますんかと、言いたいと思う。私は」

昌子さん「パーフェクトな奥さんだったけんな。その落差がなかなか受け入れられんのよ」

渡邊さん「いやいや、受け入れられないというのは、当事者も一緒。当事者はな、そんなこと言われたらカッとくる。自分は一生懸命にやる。いつも家族が一緒にやろうとしていないんや。認知症とはどういうことなのか。どういう疾患かと。その認知症とどう対応していくのかと」

なかなか理解してもらえない、認知症当事者の気持ち。田中さん夫妻が相談室に通うようになって、半年以上が過ぎていました。

<相談員を始めるも・・・ 再び直面した症状の進行>

高橋さんは、渡邊さんのサポート役として、相談に臨むようになっていました。

認知症と診断された女性の夫「こっちもイライラしているときもあるし。怒る、そういうことはしたらいかんなと思うんやけど、だけど」

渡邊さん「それを言ったらな、ものすごく心が痛むんや。つらくなるんや。家族が力を合わせてくれたら、それは本当に一番いい薬です」

高橋さん「とにかく一人で悩むというのはちょっといかんと思いますね。みんないろいろ先輩おりますから」

続けて、自らの経験を語ろうとした高橋さん。

渡邊さん「高橋さんは何か月くらいになるんかいな。認知症になって」

高橋さん「認知症になって、どうなんかな・・・」

このころ、症状がより進行し、過去の出来事を思い出せなくなっていました。

高橋さん「途中で頭が真っ白になるというか、なんかうまく話できない。すみません何の役にも立たない」

さらに、高橋さんを追い詰める出来事がありました。趣味で続けてきたテニス。カウントを数えられなくなったことを友人に笑われ、通えなくなっていました。

高橋さんが妻の宗代さんに渡したメモです。

「時々変な行動をする。何人もの人に見られている」

宗代さん「何か最近自分でもわからないけど、おかしいんやとか言って、テニスでカウントが間違っとるやないか、みたいに言われたっていうのと、ちょっと重なるのかな」

妻の宗代さんと相談室を訪れた高橋さん。渡邊さんが告げたのは、認知症であることを、周囲に伝えてみるということでした。

渡邊さん「僕は『足し算できんよ』って言うんよ。ほんだら今、私が碁会所行ったら、たくさんの人が足し算はできないということをみんな知っている。『認知症だから、こらえてくれや』と相手に言ったら、がらっと今までのも変わってくるのではないかと僕は思う」

<日々感じていた不甲斐なさ 初めて知った妻の本音>

認知症の妻との向き合い方に悩んできた田中博さん。このころ、妻の洋子さんは頻繁にデイサービスに行きたいとこぼすようになっていました。

博さん「お母さん行っちゃいけないよ」

洋子さん「今日どうして行けないの?」

博さん「なんちゃ予定がなかろう」

洋子さんには、夫に言えない思いがありました。

洋子さん「(デイサービスでは)友達に私のことも聞いてもらえるしね。何でも私が言いよるけん、つらいことでも何でも聞いてもらいよるけん」

ディレクター「何かつらいことをお話になっている時があるんですか?」

洋子さん「やっぱりあるんよ、情けないときがある。そんなこと言えないけどね、(夫が)おるけん言えないけど。ものすごくつらいときもある。そんな人と一緒になったら・・・ごめん・・・」

涙をこらえる洋子さんに、隣の部屋で話を聞いていた博さんがタオルを投げ入れました。

洋子さん「ごめんよ、涙なんかめったに出さんのに。ごめんごめん」

結婚して50年。子育てのこと、家事のこと、すべて任せきりにしてきた博さん。洋子さんが認知症になる前には、二人でお遍路参りに行こうと語り合っていました。

相談室に通うようになって1年。

博さん「コーヒーをね、こういうふうにして作ってね。『お母さん、できたよ』って言ったら、お母さん来るんです」

洋子さん「してくれるの待ちよった。主婦を兼ねてくれよるけん」

博さんは、妻の思いに耳を傾けるようになっていました。

博さん「辛いことがあるんか、なんでも私に遠慮せんでええんや、とは毎日言ってる。昔みたいにキャンキャンキャンキャン言いよったらいかんですよ。ある程度、認知症に対する介護の仕方がわかってきたと自分なりに思っている」

この日、病院が主催した男性介護者が語り合う会に参加した博さん。

博さん「普通の人よりか、認知症の患者さんの方がものすごく敏感ですよ。だから1言っても我々が1に感じる事でも、認知症の人は3も、4にも感じますから。ということは、我々が言う言葉が非常に大事になってくるわけですね。介護するんだったら。だから反省しているんですよ」

<認知症は気持ちの持ち方次第>

高橋さんは、新しいクラブでテニスを再開していました。

テニス仲間「『僕、認知症だから、数を数えられないんだけど』という話をしていた。何人かの話の中でな。自分から言っていた」

高橋さんは、日記にこう綴るようになっていました。

「認知症を宣告された時、大変落ち込みました。池に飛び込もうかとも思いました。しかし、あれほど落ち込んだ私でしたが、その後なんともなくなり、認知症の前も後も何も変わらないことに気がつきました。まさに気持ちの持ち方ひとつでどうにでもなるものです。その後、認知症であったことも忘れています」(高橋さんの日記より)

65歳で認知症となった夫。あれから、4年の月日が経ちました。

宗代さん「忘れて楽になってよかったなという気持ちと、そんだけ進んだのかなっていう。それも忘れてしまうのかなっていう気持ち。でもまあその方がええかもね。まあ考えても仕方のないことやし。まあ楽しく笑って生活ができたら幸せやねって思うかな」

<認知症の先輩として伝えられること>

認知症の先輩として、何が伝えられるのか。この日、相談室を訪れていたのは、認知症と診断されたばかりの女性とその家族でした。

女性「一番は不安です」

渡邊さん「それはそうや。本人が一番不安」

病院職員「そういう経験って、おふたりもありますか?」

高橋さん「そうですね、ありますね」

女性「今はそんなことないんですか?」

高橋さん「今もありますよ」

言葉ではなかなか伝えられない高橋さん。綴っていた日記を見せました。認知症と診断され、身を投げようと思ったほど落ち込んでいた、当時の気持ち。

女性の家族「そうやな。お母ちゃんも言いよったやん。うちの家の前に何度か出ようと。な?そういう同じようなのがあるんや」

女性「うーん。なあ」

認知症の先輩から後輩へ。

渡邊さん「できなくなっていることは、もうやむをえん。だけど、残っているところの分を、どれだけ自分がまだできるかというのは自分で探す」

認知症になっても、自分らしい人生を送ることはできる。先輩達からのメッセージです。